第五話 鬼怒川の神は土地神です
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「あの子どもを、見殺しにしろということですか?」
俺は鬼怒川の神にそう尋ねた。
川の中で、水と水がじゃれ合って、時には小石や生き物たちに当たりながら、ころころと音を立てる。
水色の空から鳶が8の字をかいて、川を眺める。
木が葉をこすらせ、さわさわ音を鳴らす。
美しいほどの自然の均衡。
鬼怒川神の格を感じる。
「言の葉にトゲがあるわね」
鬼怒川の神は微笑みを絶やさない。
でも目の奥は笑っていない。
「貴方はやっぱり、人間くさいわね~。この川にはたくさんの命が棲んでいるのよ。なぜあの魂だけ特別扱いしないといけないの?」
その通りだと思った。
でもきっと、死ぬのはあの子どもだけだ。
残された母親の気持ちを考えただけで、震える。
いや、母親は助けようと水に飛び込むかもしれない。
両方死ぬ。
母親の慈悲が深ければ、子どもだけは助かるかもしれない。
そうしたら、子ども一人、遺されてしまう。
その子は、母親と兄が、溺れ苦しみ死ぬのを見届ける。
どんな地獄だ、それは。
「それに、お盆の時期には水辺に近づかないって、人間界でも常識のはずでしょ。つい最近までは、ちゃんと守られていたのにね。水への畏れを知らない人間が死んだところで、自業自得としか思えないわ」
同意できないと思ってしまうのは俺が人間だったからだろうか。
今時、それを常識だなんて思っている人を探すほうが難しいだろう。
助けたい気持ちはある。
でもここは、鬼怒川の神の領域。
山には山の世界があり、川には川の世界がある。
鬼怒川の神の言うことはもっともだ。
俺が、神としておかしいんだろう。
「こりゃあああああ!!」
なんだか聞き覚えのある声が聞こえる。
「こんな時期に川遊びするもんじゃねえぞ! 危ねえべな!」
ヨネさんだった。
ヨネさんだった!?
「ヨネさん! なんでこんなところに!?」
思わず叫ぶ。
「知り合いなの?」
鬼怒川神が聞いてくる。
「うちの山に毎日参拝してくれてるんですよ」
「毎日? へえ……」
「お義母さん」
男の子のお母さんは、嫌そうな顔でそう答えた。
ヨネさんのところの、お嫁さんだったらしい。
「お盆に水遊びしちゃいけねって、習わなかったんか。霊に連れてかれるぞ」
ヨネさんはやっぱり最高な人だ。
この子のおばあちゃんがヨネさんで、本当に良かった。
これで、2人は救われる。
ここに生まれる不幸は無くなったんだ!
しかし、お母さんは深いため息をついた。
「そんな昔の迷信、私たちに押しつけないでくれませんか?」
見事に救出フラグをへし折った。
男の子のお母さんは、強気なママだった。
なんてやつだ!
とは思わない。
そりゃそうだよなって思う。
俺が人間だったら、老害とすら思ってしまうだろう。
でも今回は、聞いて欲しい。
子どもの命がかかっているんだ。
「なんてこと言うんだ! おらが嫁のときは、黙って先人の言うことを聞いてたぞ!」
「お義母さんが嫁のとき? いつの話ですか?」
お母さんはヨネさんをにらみつける。
「今は昔と違うんです。申し訳ないと思いながら、子どもを保育園に預けて、なかなか遊んであげられない。お盆の休みに遊んであげたいと思うのが当然じゃないですか。そんな迷信に縛られて、子どもとの時間を失いたくないんです!」
そうきつく言い返されて、ヨネさんはうなだれた。
「迷信か。そだな。年寄りが若いもんに余計なことを言うもんじゃねえな」
そう言って、川辺の砂利に座り込んだ。
説得は諦めても、嫁さんと孫への愛が垣間見える。
ヨネさんは、この親子の救いの神になれなかった。
むしろ状況は悪化した。
このままだとヨネさんも危ない。
どうする?
やるか。
神(俺)のお告げを使うか、いやもう母親に憑依して
「ダメよ」
鬼怒川神がそう言って、俺の考えを遮った。
「お告げもさせないし、憑依もさせない。この子たちに介入するのは絶対に止めるからね」
笑っているのに、有無を言わさない圧がすごい。
「なぜそんなに頑なに、俺のことを止めようとするんですか?」
俺にそう言われて、鬼怒川神は考え込む仕草を見せる。
「今の人間が好きじゃないから、かしらね」
驚いた。
神は人間を特別扱いしないけれど、嫌ってはいないと思っていた。
生命に平等に慈悲を与える。
それが神だと思っていたから。
「生命だっていろいろなんだから、神々だっていろいろよ」
そうなのだろうか。
「君は、ついさっきまで人間だったものね」
ふう、と溜息をついた。
そして、
「人にとってはもう昔の話だけど」
ぼそっと、そう話を始めた。
「朝になったら鐘の音が、町中に響きわたるの。すると、今度はお堂から、朝の勤行を知らせる澄んだ太鼓が聞こえてくる」
鬼怒川の神の情景が流れ込んでくる。
「すげ傘をかぶる川岸の人々が柏手を打つ。
顔を太陽の方へ向けて、柏手を四度打ってから拝んでいる。
長くて高い白い橋からも、同じように柏手を打つ音が聞こえてくる。
また、新月のように反り上がった、軽やかな美しい船からも、あちらこちらから木霊のように柏手の音が響き合っている。
その風変わりな船の上では、手足をむき出しにした漁師が立ったまま、黄金色の東の空に向かって首を垂れている。
柏手の音はどんどん増えていき、しまいには一斉に鳴り響く鋭い音が、ほとんどひっきりなしに続いて聞こえる。
川と共に生きる人はみな、天照大御神様を拝んでいる。
そして、土地神である私へも手を合わせてくれた」
気持ちは分かると思った。
俺がヨネさんを好きな理由もそこにあるから。
「昔はそうだった。人は、自然と、神と共にあった。今はそんな姿、見られない」
「今だって、自然を大切にしてる人は多くいますよ。昔と違って、神を通してではなく、科学を通して、自然を大切にしているんです」
「科学ね、そうね。科学で人は自然を押さえ込もうとしている。人にとって、自然はもう畏敬の対象ではないのよ。下僕に成り下げようとしている」
「そんなこと……」
否定はできないと思った。
俺だって、蛇口をひねれば水が出てくるのは当然と思ってた人間の1人だったんだ。
「この川も見て。人が力で変えてしまった。10億いた生き物たちも、半分もいなくなってしまったの。人が安全の名の下に、あぐらをかいて暮らすために、私のかわいい生き物たちを殺してしまった」
この人の怒りは、生き物としての分を踏み外してしまった人間にあった。
「勘違いしないでね。それでも、私は人が好きよ。どの種だって、自分の種の繁栄を望むのは本能だしね~」
鬼怒川の神は、じっと俺を見つめた。
「変わってしまったのが、悲しいの。人は万物の長、生物の長だったのよ。それは気高さがあったから。いつから人は、質朴さを失ったの? 思いやりを忘れてしまったの? なぜ、お腹がいっぱいになっても、物を欲しがるの?」
何も反論できない。
それでも。
「それでも俺は、人間の味方でいたいんです」
「歪んでるわね」
そう言って、俺の言葉を鬼怒川神が切り捨てた。
「ばあちゃんち、行く!」
男の子がそう言い出した。
「は? なんで?」
お母さんが驚いた顔でそう言う。
俺も驚いた。
「だって、川怖い。引っ張られたくない」
お母さんは、男の子の言葉を聞いて、余計なことを言いやがって、みたいな顔でヨネさんをにらむ。
「おばあちゃんちには昨日行ったでしょ。今日はキャンプ。お父さんがテント立ててくれてるんだから。それに、行きたいって言ったの、あなたでしょ?」
お母さんは説得にかかる。
大人の計画は労力と時間がかかるから、子どもの気まぐれはわがままにしか聞こえない。
「じゃあ、父ちゃんのところに行こうな。ばあちゃんも一緒に行くから」
ヨネさんは、妥協案を提示した。
たしかに、川から離れれば危険は減る。
不穏な霊は水の流れから出られない。
鬼怒川神が本気出せば、氾濫させることもできるが、さすがにそこまではしないだろう。
そう思って鬼怒川神を伺い見ると、すっかり興がそがれた顔をしていた。
「あの子の命が呑まれるとき、貴方がどんな行動するか見たかったのに~」
鬼怒川神がそんなことを言う。
「俺を試すために、あんなことを言ってたんですか?」
なんて子どもじみたことをする神なんだろう。
「あらら、私は本気よ。言ったことは嘘偽りない本音。そして、貴方を試したいと思ってるのも本音。そこまで人の味方をする神は珍しいからね~」
鬼怒川神は笑わない目で笑った。
「貴方がどんな神になるか、もっと興味出てきたわ」
次回更新日は3月28日です!




