8 聖剣伝説 その8 娘さんを僕にください
部屋に入った朝日がレイの目覚めを促す。
「ん~朝か」
『あ、おはようございます』
レイは女の子の声にビクッとする。ティファか……。
あの後、アンジェは明るく部屋を出ていった。
『レイさんは、皆の良いお父さんなんですね』
「そうだよね」
『はい!』
レイは少し迷ったが、ティファの元気な声を聞いてあれでよかったと思った。
「今日はさ。午後になったらティファを色んな所に案内してあげるよ」
『でも良いんですかね……』
「魔貴族も今日、明日ぐらいまでは待ってくれるだろ?」
『それはそうですけど』
「数千年も森にいたんだから、たまには楽しんでよ」
レイにこんなやり取りですら、楽しくてたまらないというティファの心が伝わってくる。
『はい。それではお願いします』
「じゃあ、ちょっと顔を洗ってくるね」
冒険に行かない日のワイルドローズの朝は遅い。
アンジェ達は夢のなかだ。
レイは聖剣少女のティファを部屋において起こさないようにそっと外に出た。
彼の家はエステオの街では大きい方で敷地には井戸もある。
顔を洗いに来ると、いつものように付近の住人が勝手に使っている。
アンジェ達が起きる前は皆勝手に使うのだ。
「お、レイ!」
「ダン。おはよ」
ダンは昨日デュラハンの頭を届けに来た冒険者だ。
お調子者である。
「アンジェさん。元気になってよかったな」
「ああ、ありがとう」
アンジェにはファンがいるようでダンもその一人のようだ。
レイは顔を洗いながら、ダンの話に適当に相槌を打っていた。
「ところでお前がデュラハンを倒したって話、ヘレンにしておいたから」
「なんだって?」
ヘレンはエステオの街の冒険者ギルドの受付嬢だ。
「驚いてたぜ。彼女」
「は、話したのか?」
「お前んちを追い出されてすぐに冒険者ギルドに走ったさ。昨日の夜に」
勝手なことをするんじゃないとダンをとっちめようとする。
「こちらです」
ヘレンの声がした。なにやら後ろに仰々しい隊列を連れている。
明らかにデュラハンのことをダンが彼女に話したことと関係があるだろう。
若々しく将来がありそうな兵士に何やら話している。
ヘレンも愛嬌があって可愛い。レイはふと二人がお似合いに見えた。
レイには少し眩しかった。
「こちらがレイさんです」
「アナタがレイ殿ですか?」
「はい。私がレイですけど」
兵士は声もはつらつとしている。しかも若いのに威厳があった。
レイも少しだけ儀礼的に俺ではなく私と名乗った。
「私はアラン・エドワーズ様麾下の騎士団長をしているグレンと申します」
エドワーズ候といえば、このクレンカ地方の領主で爵位は侯爵の大貴族だ。
普段から怒られてばかりいるレイは大貴族を怒らすようなことをしてしまったのかと気が気でなくなる。
自分がやっていないことでもアンジェ達の代理で怒られることは年中だった。
「レイ殿はデュラハンを打倒されたとか」
「す、すすすすいません」
強力なモンスターを倒すのは冒険者の仕事だ。怒られる理由などないのだが、レイは怒られると思った。
もちろん、そうではない。
「なにを申されるのですか?」
「え? 怒ってないんですか?」
「無辜の民に害を与える魔物を打倒されたのにどうしてそうなるのです。冒険者として大功績ではありませんか」
「い、いや。そのまぐれですよ」
「ダブルSランクの魔物を倒したというのに。なんというご謙遜を」
「それはせ……」
聖剣のおかげだと言おうとして止める。
昨日の夜に真の英雄とか言われて気恥ずかしい思いをしたばかりだ。
「ともかく尚武の心に厚い主は貴公を顕彰したいと申しています。バレンタイン城にお越しください」
「いやいやいや。顕彰とかいらないです」
大貴族の居城に主賓として招かれるなど、どんな服を着て良いのかもわからなかった。
「なまじのドラゴンよりもランクが高い魔物を討伐されたのですよ。ひょっとしたら私と同じく騎士団の団長に抜擢されるかもしれません」
「え? 本当?」
騎士団の団長ともなれば、騎士爵を貰えるのではなかろうか。ひょっとしたら小さな村も領地として貰えるかもしれない。
立派な貴族だ。嫁さんを貰うのにも困ることはないだろう。
冒険者のように危険な仕事をする必要はなくなる。
しかし、レイは断ってしまう。
「わ、私などが分不相応というものです。謹んで遠慮いたします」
レイは幸福になれていないのだ。
しかし、受付嬢のヘレンも若い騎士団長のグレンも引き連れてきた大勢の兵士も感心するばかりでレイの言うことをまともに聞いていなかった。
「現実的に考えて英雄ですよ」
「顕彰されれば武名が鳴り響くでしょうな」
「まさしく王国一の冒険者と呼ばれるかも知れません」
冒険者のダンだけはレイより俺を騎士団に入れてくれと言っていたが。
グレンは精悍な声で言った。
「貴公の招待は吉日に改めるとして主がデュラハンの頭を見たいと言っています。借り受けてもいいでしょうか?」
また面倒なことになりそうだと思うが、大貴族の言うことに逆らうこともできない。
「家のなかです」
レイが家に向かうとグレンも部下を残して付いてくる。
一刻も早く、デュラハンの頭が見たいらしい。
「狭い家で申し訳ないのですが……」
「いえ、とんでもないことです」
玄関のドアを開けると珍しいことに誰かがもう起きていた。
「げっ」
「レイ~お腹ヘった。朝ごはん作ってよ」
リンスだった。リンスが起きていたことは問題ない。
だが、レイが「げっ」と言った理由はリンスがブラとパンツ、ストッキング姿だったからだ。
家の中ではよくこのような格好で歩きまわっている。
「お、お前。侯爵様の騎士団長殿がきてるんだぞ!」
「グ、グレンです」
「あれ? お客さんなんて珍しいね。いらっしゃ~い」
リンスは下着姿で愛想笑いした。
「何か着ろよ。とりあえず、これ」
レイは自分の脱ぎっぱなしにしていた長袖のシャツをリンスに投げる。
「はーい」
リンスも一応まずいと思ったのか素直にシャツを着た。
レイの体は大きくリンスは小さい。
サイズが合わなくて袖が幽霊のようになっている。
それはまだいい。問題はシャツからでる太腿が艶めかしいことだ。
「お客さんはなにしに来たの?」
「ちょっと、ぞんざいな口を効かないでよ」
レイは侯爵の使いにだぞと内心で冷や冷やする。
グレンはしどろもどろだった。
「あ、いえ、その……急な訪問をしてしまって申し訳ございません」
「別にいいよ」
「デュデュデュ」
「?」
「デュ、デュラハン……」
グレンがあまりにも言葉を詰まらせるのでレイは怒らしたかなと勘違いする。
「あ~デュラハンね。見たいの? 物置にしまっちゃったから取ってきてあげるね」
リンスはグレンに笑顔を振りまいてパタパタと家の奥に入っていった。
「お、おい。侯爵様のお使いなんだからスカートもはいてきてくれよ。も、申し訳ございません。不調法者で」
レイが平謝りにグレンに謝る。
「レイ殿、淑女の御名前は?」
「レ、レディー?」
レイはそんなのいただろうかと一瞬考え込む。
「あ、リンスのことですか?」
「リンス殿……可憐だ」
お世辞だろうと思いつつもリンスをも褒められて悪い気はしない。
「いやまあ、見た目だけは女性っぽくなりましたが、中身は男の子みたいな感じで」
「リ、リンス殿とレイ殿はどのような関係で。結婚なされてるとか?」
「い、いや、ちょっと事情は複雑だけど娘みたいなもんで」
「レイ殿のお嬢様でしたか!」
「お嬢様なんて大層なものでは……」
レイとグレンがリンスのことを話していると彼女がまたパタパタと走って戻ってくる。
相変わらず、下はパンツとストッキングだけだった。
「グレンくん。デュラハンの頭持ってきたよ。はい」
「あ、ああああありがとうございます」
グレンは真っ赤になってデュラハンの首を受け取った。
しかし、グレンはせっかく受け取ったデュラハンの首をテーブルに置く。
「どうされました?」
レイがやはり粗相をしてしまったのかと焦る。
ところがグレンは急にレイとリンスに前で土下座をはじめる。
「レイさん、いや、お義父さん。娘さんを私にください」
「うえぇっ?」
レイは変な声を上げつつも先程からのグレンのおかしな態度について得心が行った。
グレンは好青年で将来性も抜群。
親としては断腸の思いで嫁にいかせるべきなのだろうか。
だが、本心では聖剣のサビにしてしまいたい。
ところがリンスはあっけらかんと言った。
「ごめーん。グレンくんはカッコイイけど断るよ」
地獄から天国の気分を味わったのはレイで、天国から地獄の気分を味わったのはグレンである。
「い、いいいいい一体、私のどこがダメなんでしょうか? 一生、苦労はさせません」
リンスは足首に取りすがろうとするグレンを笑顔で足蹴にする。
「私、ずっと前からレイと結婚することに決めてるんだ。だからグレンくんはごめんね」
「「え?」」
レイとグレンは同時に聞き返す。
「だから~私はレイと結婚するの。苦労したとしてもレイのほうがいいの。わかった?」
それを聞いたグレンは何も言わずに立ち上がり、デュラハンの頭を抱えて幽鬼のように家から出ていった。
「ごめんね~」
「気をつけてくださいね」
結婚の話はグレンを諦めさせるための嘘だったのだろうとレイは思う。
「まあ嘘も方便なのかなあ」
レイがつぶやくとリンスが怪しく笑った。
「ふふふ。嘘だと思う?」
「え?」
「も~お腹へってるんだから早く朝ごはん作ってよ。できるまでもう少し寝てくるね」
リンスは自分の部屋に戻っていった。




