16話:旅の空腹は、決して幻ではない
「え、帰るのか?」
ザラス博士は驚いていた。
「ええ、あとは冒険者と考古学者の出番です。冒険家は未踏の地を冒険者が探索できるようにするまでが仕事のようなものですから。冒険者ギルドがダンジョンの探索に、ちゃんとお金を出し始めたら、人数をかけて探索した方がいい」
あくまでも俺たちのパトロンは冒険者ギルドなのだ。それにこれ以上この町にいると、居着いてしまいそうになる。冒険家は冒険の旅に出なくてはいけない。因果な商売だ。
俺たちは数日帰る準備をしてから、拠点を片付け、町を出ることにした。
幻惑魔法のまじないはすべて織物工房の婆さんに教えてもらった。俺たちを僻地から来た考古学の学生とでも思っているらしい。
「今はほとんど受け継ぐものがいない。あんたたちだけでも覚えていってくれ。一歩踏み出すこと。絶対に守らないといけない家族。ほんの少しのことなのに、大きくずれてしまう運命がある。まじないはそんなちょっとしたことの背中を押してくれるだけ。騙してやろうなんて思って使うと手痛いしっぺ返しを食らうよ」
婆さんは熱心に教えてくれた。幻惑魔法のルーツを見た気がする。
草原にあった発掘拠点は、ダンジョン近くに移設し、町からも道ができるという。
俺たちは引っ越しをして、そのままホームへと帰ることにした。
「寂しくなるな。功績を称えられるのはこれからだというのに、いいのかい?」
ギオルにとっては、今帰るのがもったいないのだろう。
「ああ、功績以上のものを俺たちは受け取っている」
鞄には、まじないがかかった品と馬乳酒が詰まっている。生きている間は名声よりも、名産の方が嬉しい。
「それよりも、こんなに受け取っていいの?」
ケシミアがザラス博士に聞いていた。財布の袋には、いくつかの宝石と、金貨、銀貨がパンパンに詰まっていた。
「ああ。いずれ『竜の腹』は観光地になる。当然の報酬、いや、これからのことを考えると足りないくらいだろう。3人分だから、上手く分けてくれ」
俺たちが振り返ると、コルベルが大きな荷物を背負って草原を走ってくるところだった。
「本当にコルベルは俺たちについてくるのか?」
「ええ、頼みます。置いてかないでください」
「私は忠告したからね。後悔しないように」
「しませんよ! この機を逃すと一生後悔する。冒険者になら幾らでもなれるけど、冒険家の従士になれる機会はこの先ありませんから」
コルベルは珍しいことがしたいようだ。
「では、また」
「手紙を書くよ」
ギオルはそう言ったが、手紙が届く距離だろうか。
「君のモリンホールの音色を忘れないよ」
「僕も君の荷台を忘れない」
ギオルとコルベルは抱き合って別れをしていた。
「君たちの名は石碑になり、語り継がれるだろう。またいつかの日までこの地にて、君の帰りを待つ」
「さようであるならば、また会いましょう」
この日、「竜の腹」発掘チームは解散した。
草原を進む俺たちは振り返ることはなかった。
ブラックハウンドを倒して谷を進み、荒れ地を越える。ロバとの旅には慣れていると言っていたコルベルも疲労が顔に出ていたが、止まることはなかった。
日数はかかっているが、体力は十分すぎるほど余る旅路だった。一度通って道を知っていることもあるかもしれない。ダンジョンを経てレベルが上がってしまったことも一因だろう。
「回復力が上がっているのか?」
「それほど食べていないはずなんだけどね」
何が起こるかわからない緊張が無意識のうちに働いているのか、俺たちは最小限の食事で済ませていた。俺たちよりも、コルベルの方が食は進んでいる。
「消化器の疲れかな」
「コルベル、スープにしようか」
「わかりました」
食事を消化しやすいスープにすると、それほどコルベルも疲れていないようだった。
進む距離よりも、確実に同じペースで進むことを大事にしている。帰るだけで、急ぐ必要はない。
遥か彼方に見えていた山脈を越えて、さらに沼地を進む。ラーミアがすっかり減って、別の魔物がいたが、ケシミアがあっさりと討伐。寄り道にすらならなかった。
沼地の宿屋で、水浴びと洗濯を済ませると、洗った水が真っ黒になっていた。自分たちでは気づかなかったが、酷い臭いを発していたらしい。
駅馬車に乗り込み眠っていれば、いつの間にかホーム近くの町に辿り着いていた。
「悪いけど、冒険者ギルドに報告しに行くから、しばらく待っていてくれ。買い出しに行ってもいい」
「わかりました」
コルベルに銀貨を数枚渡して、食料の買い出しに行かせた。とにかくコルベルは従士として働きたがったのだが、移動の最中はなんの役にも立たなかったと思っていたらしく、町に入った途端「何かさせてくれ」と懇願してきたのだ。
その間に、冒険者ギルドの職員である銀狐の獣人、フェティに「竜の腹」について報告。まじないの品や馬乳酒も鑑定してもらった。
「名産品だけ買ってきたの?」
「そうだよ。財宝はすべて町の観光資源になるからね」
ケシミアがいいわけでもするように説明していた。
「別に怒ってはいないんだけど……。労力に見合う報酬を貰えたのなら、いいわ。それよりも2人とも痩せた? いや、締まったという方がいいかしら」
「フットワークを学んだら、身体を軽くなっただけ」
ケシミアの説明は、足りなかった。
「それ、冒険者ギルドの講習でやったでしょ」
「そうかもね」
「はぁ~、まだあなた方が冒険家になったとは信じられないわ」
フェティはそう言っていたが、しっかり報告書は作ってくれたようだ。
買い出しを済ませて村へと向かい、酒場ですぐ腐りそうな牛乳と卵を買っておいた。
「ああ、どこに行っていたんだい?」
「谷です。「竜の腹」っていう」
「また、変な土地を……。作ってやしないだろうね」
「幻惑魔術師ですから」
「そうだったね」
酒場の店主は笑っていた。幻惑にでもかけていると思っているのだろう。
幻惑魔術師の扱いは、冒険家になっても片田舎の世間では、ふんわり詐欺師だと思われている。
「心外ですね。あの強さを見せれば、腰を抜かすんじゃないですか」
コルベルがそう言っていたが、そんなことよりも変わらず相手をしてくれる店主がありがたかった。
「ほら、見えて来たぞ。あれが天才幻惑魔術師の最高傑作だ」
コルベルにも見えるように透明化の魔法を解く。道標にしていた樫の杖を地面から抜いただけだが、それだけで視線は上がる。
「いつの間に……! 見えていませんでした」
「そういう魔法がかかってるのさ」
高くそびえる塔が立っている。池の魚も元気そうだ。
「ただいまー」
塔の扉を開けて、3人で中に入る。コルベルは「お邪魔します」と珍しいものを見るように中を観察している。
久しぶりだったので汚れているかと思ったが、透明化の魔法は獣も鳥も寄せ付けなかったようだ。少しだけほこりが舞っているくらい。
とりあえず、荷物を下ろして、一旦旅の疲れを取るため休むことにした。
「この剣の束はいったい何です? 裏手にあるのは鍛冶場ですか? 杖が多すぎますが、何に使うのです?」
「コルベル、質問はゆっくりしてくれ。わからないことは上の階にある先輩の日記を読んで確認してくれ。しっかり休んで、落ち着きたいんだ」
「わかりました……」
ケシミアは肉野菜スープを作っていた。俺の欲しいものがよくわかっている。
旅の間はたらふく食べるということができなかった。せっかくホームに戻ってきたのだから、腹いっぱい食べたい。
「自分が食べたいから、作ってるだけ。ミストも何か作ってくれる?」
「魚?」
「いや、それはまだやめておく」
「そうだな」
旅から帰ってきても池の魚は、すっかり飽きている。一生分は食べている自信があった。
俺はパンに溶き卵と牛乳を混ぜて浸し、調味料を入れて焼いた。とにかく腹に溜まる重いものが食べたい。
「ごめんくださーい……」
外から大きな声がした。
「はい」
表に出てみると、ウェアウルフのアジトから助け出した娘が池のほとりに立っている。
「やあ。こんにちは」
「こんにちは。塔が消えたかと思ったら、いつの間にか立っていたので来てしまいました」
「旅から帰ってきたところです」
ご近所さんなので挨拶ぐらいはしておく。
「よかった。実は助けてほしいことがあるのですが……?」
帰ってきて早々に仕事が待っていたようだ。




