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14.アデルと仕事 3




このところ頭痛に悩まされている。


それに、不眠気味。

どうしたってアデルかキャロラインの夢を見てしまう。どちらも私にとっては悪夢で、苦しい。キャロラインの甘い夢にぐずぐずに溶かされては家族恋しさに泣いて、アデルの毒のような夢に恐怖を感じる。アデルの恨みは…普通じゃない。


サン・マドック領に戻った私たちは、仕事に打ち込んでいた。


「アデル、最近顔色悪いね。ちょっと痩せた?」

「ちょっとね。なんだか眠れなくて。悪い夢ばかり見るの」


今日はジョンと近くのレストランで夕食を食べている。ジョンは不安そうに私を見ていた。


「ずっと頭が痛いし…仕事にも手がつかなくて」

「仕事、嫌になった?ステファンがそっちにいるって聞いたし…気苦労が多いんじゃないかな。しばらく休みでもとってみたら?」

「そうね、休みを貰うのも良いかもしれないわ」


今度ルース様に相談してみよう。







「おやすみ?勿論、良いわよ。いつでも好きな時に休んでいいんだから」


翌日、朝のミーティングが終わってからルース様に相談するとすぐにそう返された。


「さっそく明日にでも休む?」

「私が明日休んだらルース様が困るでしょう」

「そうねえ、1週間前くらいには言ってくれたら嬉しいわ」

「勿論そうします」


ルース様はこくりと頷いて、書類に戻った。私はルース様のデスクにレポートを置いて自分の席に戻る。


「アデル、アデル」

「はい」


事務的に短く返答して、私に声をかけてきたステファンを見上げる。ステファンは書類の山を片手に困った顔をしていた。


「済まないが少し時間を貰えないか。この書類の読み方がイマイチわからなくて…返答にも困るんだ」

「そういうことなら…」


私じゃなくてナイル先輩でもいいのに。

と言いそうになって、思い止まった。ステファンから話しかけやすいのは、同郷の私だけなのかもしれないし、私も彼には聞きたいことがあった。


「会議室へ」


私は自分の書類を持って立ち上がった。ステファンは私の後ろを歩いて付いてくる。比較的小さな会議室に入り、書類を広げた。

ステファンも書類を広げ、私はステファンのとなりに座ってそれを覗き込む。


「この判子、色違いの意味は?」

「赤い印が捺してあるのは法務部からって意味で、こっちの緑のは新技術開発部」

「この日付は?」

「受け付け日って意味」


書類を片手に説明をしながらサミュエル様宛の依頼を確認していく。手帳に依頼を纏めて重複した箇所に優先順位をつけ、返答を用意する。サミュエル様の秘書はルース様の秘書より覚えることが多いようだ。私でも判断できない箇所があり、そこはナイル先輩とルース様に確認するように伝える。


「ありがとうアデル、助かる」

「1つ聞いていいかしら」

「ああ」


ステファンは笑顔で答えた。私はステファンから目を逸らしながら訊ねる。


「どうして私を…兄妹のようなものだって言ったの?」

「どうして、って…家族みたいなものだろ?」

「もう10年近く一度も話してないのに?」


そう言うと、ステファンは真っ先に頭を下げた。


「済まない。父と約束したにも関わらず見捨てるようなことをして」

「…父?」

「覚えていないのか?」


ステファンは眉を寄せて言った。もちろん私は知らない。


「私…10歳より前の記憶が殆ど無いの」

「嘘だろ、それじゃあ一緒に暮らしていたことも覚えていないのか」

「…そうね、初耳だわ」


孤児院で、ってことなら解るけれど…この口ぶりなら孤児院での話でもないようだ。


「お母さんのことは?」

「貴方の?」

「いや君の」

「覚えていないわ。でもずっと…気になっているの。ステファンは私の両親を知っているの?」

「…まあな。でも覚えていないならその方がずっと良い」


ステファンはそう言って溜息を吐き出した。


「知っているのなら、教えてほしいの」

「俺からは話したくないし、忘れているならそのままが良い。絶対に」


食い下がっても主張は変わらないらしい。…院長先生と同じだ。どうして誰も教えてくれないんだろう。


「伯爵令嬢は元気?」

「キャロラインは…まあ、うん、元気だと思う」

「そう。良かったわ」


ステファンの言葉は歯切れが悪かった。あのデブ令嬢となってしまったキャロライン相手ならそれも仕方ないのかもしれない。


「にしても、君は随分変わったな」

「…そうね、私は変わったわ」


冷静にそう返すと、ステファンは寂しそうに微笑んだ。


「せっかく同僚になったんだから、仲良くしよう。今日食事は?」

「そうね。それもいいかもしれないわ…でも、ジョンと約束しているの」

「恋人?」

「いいえ、孤児院の友達よ。覚えていない?」

「あのジョン?俺も会いたいな」

「それならジョンに聞いてみるわ」


ジョンなら一緒でも構わない、って言いそうだ。

社内用のメールでジョンに手紙を出すと、『勿論』とだけ書かれた返事があった。


ステファンと仲良く…何もなかったように、できるのかしら。

アデルを嫌っているわけではないと知れて嬉しかった。でも家族だと言われるのは…変な感じ。打ち解けるには少し時間がかかるだろうけれど、不可能だとは思わない。私も彼も大人で、子供の頃の諍いなんてもう水に流して当然なのだ。それも私由来のことなら余計に…



夜になって仕事が終わると、私はステファンを連れていつものレストランに向かった。ジョンはまだ来ていない。いつもの席に座り、ステファンにメニューを渡す。


「へえ、値段が手頃な割には料理が洒落ていて良いね」

「でしょう?私とジョンはずっとここにいるの。お気に入りよ」

「アデルはこういうところ嫌いだと思ってた」

「……そう?」


私が首をかしげると、ステファンは頷く。


「こういう内装嫌いだろ?荒削りで、繊細さのないところ」

「レストランを内装で判断したりしないわ。料理が美味しければそれで十分だと思う」


内装も評価に値するという人は勿論居ると思うし、その価値観はそれとして良いと思う。でも私は、レストランはあくまでも料理が主役だと思う。


「…昔のお嬢様みたい」


ステファンは小さな声でそう言った。私はまた胃がずくんと重くなるのを感じる。…だって私はキャロラインだもの。


「私はアデルよ」


そう言うと、ステファンはにこりと微笑んだ。


「そうだな」

「遅くなってごめん」


遅れたジョンが早歩きでやってきた。ジョンは私の隣に座って、メニューも開かずにウェイターを呼んだ。3人それぞれの注文を済ませると、ジョンは改めてステファンに手を差し出す。


「随分久しぶりだね」

「そうだな。8年ぶりか?」


2人は握手を交わし、和やかに微笑み合う。若干ジョンの肩に力が入っていた。


「2人は昔仲が良かったかしら」

「そうでもない。ステファンはアデルに付きっ切りだったし」

「…そうだったわね」


記憶にはないけど、そういうことらしい。


「で?アデルに近付いてどうしたいわけ?」


ジョンはあくまでにこやかにステファンに言い放つ。ステファンも顔色ひとつ変えずに答えた。


「元家族として、それから同僚として普通に仲良くしたいと思っているが」

「アデルに怪我までさせておいて?」

「…それを言うならジョンだってアデルには怪我させられてきただろ」

「僕は良いんだ」


ジョンは言い切った。


「アデル、あの傷まだ残ってるか?」

「あの傷って?」

「ほら、額の」

「残っていないわよ。それに…私元々消えない傷が多いから気にしなくて構わないわ。あの時貴方は謝ってくれたのだし」


背中とか。

だから今更傷が増えたって気にならない。


「ジョン、君がアデルに惹かれているのはともかく、俺にとってアデルは妹だからそういうつもりは一切ない。だから勝手に敵にしないでくれ」

「おい!」


ジョンが赤面した。私も思わずステファンを半目になって睨んだ。


「…大変申し訳ないことをした」

「本当にね。アデル、この話はまた後で」


流石に慣れてきたのか、それとも受け止めきれないのか、私は思考停止状態で2人を生ぬるく見守ることしか出来なくなった。


「…楽しい食事会ね」

「ステファン、君に次回はないからな。追放だ」

「そんな。俺だって寂しいんだからたまには寄せてくれよ」

「2人で食事をしてくれてもいいのよ、私が離れるから」


明日からはナイル先輩を誘おう…



味を感じない食事を終わらせると、私たちは3人揃って店を出た。

ジョンはいつものように私を家まで送ってくれると言ってくれた。ステファンは寄るところがあるからと言って別の道を歩いて行く。私とジョンは少し気まずい距離感のまま歩いていた。


「ステファンにバラされた通り、僕もアデルのこと好きだけどね」


ジョンはそう切り出した。


「まあ僕はみんなと違って『今すぐ好きになってほしい』とばかりに押したりしないよ。今まで通り、何も変わらない。僕はこの関係が好きだし、崩したくない」

「わたしは…混乱、するわ」

「うん、だから気にしなくていいよ。僕は君がみんなに押されて疲れた所を支えるのが好きだから」


ジョンは大真面目にそう言う。私は困って視線をあちこちに逸らした。


「変なことを言うけれど…僕はアデルに利用されたいんだよ。良いように使って貰えたら本望」

「それは理解に苦しむわ」

「尽くして尽くして、使い潰される…そういう恋しかできないんだ。それがこの血に流れる定めなんだから仕方ない。僕もアデルに恋をするまではそんな生き方したくないと思っていたけれど」

「さだめ?」


そう聞き返すと、ジョンは頷いた。


「僕の母方の家系はみんなそう。僕の母は浪費家の父に尽くして尽くして、金が無くなって娼婦に身を堕としていった。…僕は間違いなく父の子だけどね、父は母に子供は要らないと言ったんだ。金がかかるから。だから母は孤児院に僕を入れて…二度と会いに来なかった」

「ジョン…」

「母は病気で死んだらしい。娼婦にありがちな話だよ。…父は後妻を娶って楽しく暮らしているとか」

「お父さんを…恨まないの?」

「恨んだって何も戻らないからね。僕は今幸せだし、捨ててくれてありがとうとすら思っているよ」


孤児院で家族の話を聞くのはこれが初めてだった。みんな暗い話になるから打ち明けたりしなかったのだ。私に至っては知りもしないのだから話しようがない。


「結論、僕は報われなくていいんだよ。僕にとって重要なのはアデルがそこにいる、それだけ」

「貴方って変わってるわ」

「よく言われる」


ジョンは甘い顔で笑った。


「君が好きなのは僕をとことん振り回してくれそうだからだよ。でも一度だけ、君から少しだけ離れようとしたんだ。就職を機会にね…生き方を変えられると思ったけれど、行動しかけてからそれがどれほど意味のないことが思い知った」

「意味のない?」

「生きる意味を見失ったような、そんな感じ」


好きな人の側に居られなければ生きる意味がない、ということだろうか。そんな恋をしたことがないから分からない。…でも、私が家族を求めてキャンベル商会を志したように、どんな形でも側にいたいと願うのが恋なのだろうか。


「本当に、深く考えなくていいからね。僕は今も昔も変わらず君の良い家族でいたいだけなんだから」

「ついでに私の都合で振り回してくれたら最高ってこと?」

「まさに」


私がくすくす笑うと、ジョンも笑った。


どうしてみんな私に答えを求めないんだろう。私には分からない。恋が分からない。

やはり私には答えがない。



家の前でジョンと別れた。

アパートの階段を上ると、私の隣の部屋の前にステファンがいた。


「アデル?」

「…うわあ、ストーカーなの?」


流石に偶然が過ぎると思う。今日まで気が付かなかった。


「違うよ。サミュエル様に紹介されたのがここだったんだけど…気になるなら引っ越そうか?」

「そこまでしなくていいわ」

「ジョンとはどうなったんだ」

「友達よ」


うん、友達。ステファンのせいで一瞬揺らぐかと思ったけれど。


「良かった。これで君たちの友情が崩壊したら、って」

「口には気をつけることね」

「そうするよ。それじゃ、これからもよろしく、ご近所さん」

「おやすみなさい」


ステファンが自分の部屋に入っていく。私も自分の部屋に戻り、はあ、とため息を吐き出した。




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