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12.アデルと仕事




サン・マドック商会に入って2度目の春が来た。



私は18歳になり、ルース様の秘書として働いている。ルース様は商会の女主人になった。サミュエル様は相談役として商会の面倒を見つつ、別のビジネスを開拓している。


私は商会まで歩いて20分ほどの距離に部屋を借りて住んでいる。ジョンは私の家からまた少し離れたところに部屋を借りた。ジョンは私とは違う部署に配属されたので、仕事中は殆ど会うことがない。それでも夕食を一緒に食べたり、休日は2人で勉強して過ごしている。

オリバーは宣言通り1月に1度は必ず私とジョンに会いに来ていた。オリバーはやはりあの試験で優秀な成績を残したらしく、貴族の子息並みの待遇で入隊した。騎士に叙される可能性も無くはない。

ケイティと私は頻繁に手紙のやり取りをする仲になった。時折私が孤児院に顔を出すために帰省すると2人でカフェに入って長話することもある。

マグナスとは…あれ以来、手紙のやり取りだけになった。どうやら周りが見えないほど忙しいらしく、私に手紙を返すのもやっとのことらしい。心配じゃないといえば嘘になるけれど、実は私も…自分の仕事に手一杯で、それほど長い手紙を書いてはいない。



「アデル、お姉さまがいらしたわ。出迎えてくれない?」

「はい」


今日は夜会だ。

社交シーズンに入ったため、ルース様は居を王都に移した。社交シーズンの間だけは領から離れるほうが効率が良い。毎日のように夜会に舞踏会にお茶会に…と催しが続くからだ。ルース様も貴族令嬢として、上流階級の付き合いをしていかなければならない。貴族としてだけではなく、商会の主人としても、だ。


私は自分のドレスを侍女の手を借りて着て、次はルース様のドレスを何着か持って待っていた。ルース様が選べないと言い出したからだ。


私は手に持ったドレスを侍女に渡し、玄関で執事に出迎えられたダリアのマリア様を迎えに行った。マリア様はいつものように青いドレスを着て、出迎えの私に向けて、ぱっと破顔した。


「あら、アデルではありませんか!今年も来てくれたのですね」

「はい、サミュエル様からルース様の補佐を言付かっておりますので」

「ということはルースはまだ人の顔と名前が覚えられないのですね」

「まあ…その」


マリア様は、少年のような短い銀髪のレディだ。同性の自分ですら見惚れてしまうほどの美形で、地位も名誉も財産も持つ所謂成功者だけれども、こんな風に私にも気さくに話しかけてくれる程人柄も穏やか。ルース様が目標とする人のうちの1人だ。


ルース様は商才があると思う。目の付け所が良いし、商談の進め方も若い令嬢のものとは思えない。どんな商材でも売ってしまう。だけど…人の顔と名前を覚えるのか苦手という欠点がある。

パーティでは付き添いとして「あれはどこのどういった貴族です」と囁くのが商会の付き合いがメインとなる夜会での私の主な仕事だ。貴族がメインとなる夜会では、ホストの挨拶が始まる頃には私のような付き添いは追い出されてしまうので、それまでしか側にはいれないけれど。


「ルースの用意は?」

「ドレスが決まらないと…マリア様、アドバイスをお願いできませんか」

「仕方ありませんね」


それから、ルース様は…お洒落に自信がない。どのドレスを着ても、似合うか分からない、と言うのだ。サミュエル様は何でも可愛いすごく素敵だと褒めるからルース様は全く信用していない。私が選んであげてもいいけれど…私も自分のセンスに自信がある方ではない。

結局マリア様に選んでもらうのがみんな安心できるのだ。


ルース様の部屋にマリア様をお連れすると、ルース様は安心したように表情を緩めた。


「お姉さま!」

「ルース、アデルを困らせてはいけませんよ。ドレスは右手に持っている方にしましょう。左手…その黄色は捨てなさいと言ったでしょう?」

「だってお姉さま、まだ綺麗ですもの」

「だったらアデルに差し上げなさい。貴女に黄色は似合いませんから」

「はあい」


ルース様はぷうっと頬を膨らませて、侍女にドレスを預けた。

マリア様が選んだ落ち着いた桃色のドレスを着て、ルース様は髪を整える。私は隣でそれを眺めつつ、今日の最終確認を行う。


「ルース様、今日はヒンバルク伯爵への挨拶を忘れてはなりません。サミュエル様が伯爵のところまでエスコートしてくださいますから、離れないようにしてくださいね」

「分かったわ、ありがとう。今日はお兄様も参加なさるのね」

「はい、そのように聞いております」


サミュエル様は、私やルース様よりずっと多忙だ。あまりにも忙しくて、丸一日の休みすら月に一度あるかどうか。だから社交シーズンで王都に滞在していても、夜会などには参加できないことがある。


「アデルは誰と出るの?」

「ナイル先輩です」


ナイル先輩は、ルース様の補佐だ。私より5つ年上で、仕事ができて面倒見の良い、親しみやすい先輩。反面、軽い人でもある。いつ見ても隣には別の女性がいる。アデルちゃんアデルちゃん、と構ってくれるのは有難いけれど、いつでも歯の浮くような言葉をかけられるせいで私は色んな意味で耐性が付いてきていた。

街で男の人に声をかけられても動じることはない。軽い言葉は聞き飽きている。


「最近仲良しよね」

「まあ…仕事ですから」


仕事だから仲良くするのは当然だけれど…と思いつつも、たしかに一緒に行動することが多いので頷いておいた。


「準備できましたか?」

「はい、マリア様。お手数おかけしました」

「良かったわ。それでは私は私のパートナーを迎えに行きますので、また会場で会いましょうね」

「はい、また」


私はマリア様に頭を下げて、彼女が出ていくのを見送った。マリア様はサミュエル様と夜会に出ることもあれば、今日のようにカドガン伯爵という若い男性と出ることもある。思い切って一人で出ることも。決まった相手がいないので奔放だとか何とか噂されているが、そんなことは彼女は気にしない。


サミュエル様とナイル先輩が迎えに来て、私たちはそれぞれ馬車に乗り込んで会場に向かった。私の向かいに座っているナイル先輩は、砂色の髪に灰色の目をした綺麗な顔立ちの男だ。


「アデルちゃんは今日も可愛いねえ。俺の子猫ちゃん。まるで地上に舞い降りた天使、微笑み1つで太陽が地上を優しく照らすかのごとく俺の心を温かくさせてくれる…君と離れていたこの数時間で俺の心がどれほど冷え込んだことか」

「はいはい分かりました」


しかし軽薄、口先だけ男。

最初こそ真面目に受け取って悩んでいたけれど、この人は女の子を見れば口説かずにはいられない病気なんだと思うと受け流せるようになった。


「挨拶回りのリストは覚えましたか?順番は私が渡したリスト通りでいいですよね」

「うん、バッチリだと思う。ま、リストの後半はサミュエル様たちが挨拶に行かなくても向こうから来ると思うけどね」

「そうですか?」

「ご令嬢達がサミュエル様に興味津々だからね」


作成したリストを広げ、名前を確認すると、たしかに結婚適齢期の令嬢がいる家ばかりだった。


「その割には…ルース様狙いの方って少ないですよね」

「サミュエル様が怖いからね」


そう、ルース様はあれほどの肩書きがあってもモテない。ふつうに可愛らしい令嬢なのに、びっくりするほど縁談話が来ない。サミュエル様がルース様を嫁に出すのを嫌がっているのもあるけれど、それを差し引いてもあまりにも来なさすぎる。


もちろんルース様もそれは気にしていて、せっかく養女にしてもらったのに恩返しができない、と嘆いている。サミュエル様はルース様にずっと商会を支えてほしいみたいだから気にしてなさそうだけど。


会場に入り、ルース様とサミュエル様に合流して2人を誘導する。2人は和やかに挨拶を済ませ、ホストの挨拶が始まる前に私とナイル先輩は会場を後にした。後は貴族の付き合いだ。


「俺も貴族になりたいな」

「なってどうするんです」

「煌びやかな世界でキラキラ生きる」

「抽象的ですね」


貴族に対するナイル先輩の憧れは、分からないでもない。私だって本当にただのアデルだったなら憧れていたことだろう。貴族が外から見るほど綺麗ではないことを私は知っている。あの煌びやかなパーティは、さまざまな思惑が渦巻く魔窟なのだと。ルース様が「ついていけない」と弱音をこぼすようなところだと。


「アデルちゃんはそういうのないの?」

「このままルース様の秘書でいたいなとは思いますが…貴族になりたいとは思いません」

「ルース様だっていつかは商会から手を引く時がくるよ。女性だからね」

「他の部署に引き抜いて貰えればいいんですけど…」

「違う違う」


ナイル先輩はちっちっと指を振りながら言った。


「俺のお嫁さんになる?」

「却下で」


答えは考えるまでもなかった。断るのに良心すら痛まなかった。

…ナイル先輩、これでモテるんだから世の中不条理だ。


「アデルちゃんは難しいな」

「先輩は意味がわかりませんよ」


これで仕事もできるんだから世の中分からないものだ。


それにしても、こんなに大きな会なのにキャンベル商会の人間とは誰一人として出会わない。本当に没落してしまったのか、それとも…

社交シーズンだというのにマグナスですら見かけないなんて、普通じゃない。


「来月から新入りが来るから忙しくなるんだってさ」

「新入り?」


私が聞き返しても、ナイル先輩は意味深に笑うだけだった。


「あ、子鹿ちゃんが来た。それじゃね、アデルちゃん」

「はいはい…」


ナイル先輩が馬車を途中下車し、街中で目立つ美人と合流して人混みの中に消えて行った。残された私は御者に「サン・マドック邸まで」と力なく言って、目を閉じる。


帰ったらサン・マドック家が情報屋に提出させているレポートを読んで、報告を纏めて、売り上げを…








----絶対に許さないわ。


『お前が私にもあの方にも似ていないせいで…』


絶対に許さない。あんたが手にできなかったもの全てを手に入れてやる。私を捨てたことを後悔させてやる。一生かけて恨んでやる。…私にこんな傷を付けた。こんなに醜い傷を。娘の背中をキャンバスにするなんて。ああ痛い、熱い、苦しい。この空気は耐えられない。外に出して…


『ねええ、アデルぅ?どうして髪が茶色なの?どうして目がグレーなの?お父様に似て黒髪に緑目だったら』


大嫌い、こんな母親。

大嫌い、こんな生き様。


あんたのようにはならない。誰の指図も受けない。貴族になって、大金持ちになって、全てを手に入れてやる。あんたのような女を全て殺してやる。

大嫌い、大嫌い、大嫌い……


『いいこと?いつかお母様の顔にお父様の色になったら、その時は会いに来ても許して差し上げるわ。そうしたらお父様の…』----








(----誰なの、これは一体…何の話を、しているの…?)







「アデル様?」

「っ、はい!」


寝落ちしていたらしい。

馬車の窓に頭を付けて眠っていた。御者が声を掛けて目がさめる。サン・マドック邸の目の前に馬車が止まっていた。私は馬車から降りて御者に銀貨を渡す。


変な夢を見ていた。

強い怨念のような…でも出てきた人の顔があやふやで、全然思い出せない。内容も…何がなんだか…切って貼ったような、ちぐはぐな思い出のよう。靄がかかっているようで、確かなことは何も分からない。


でも、あれは…


「アデル…」


口から彼女の名前がこぼれ落ちた。


アデル。あれは本来の貴女なのよね。

きっと。


あの意思に飲み込まれてしまわないか、それだけが怖い。あんな恨みを私は抱えられない。壊されてしまう。


殺してやる、なんて。

ぼんやりと覚えている。あの夢に出てきた幼いアデルは涙をぼろぼろ零して、鼻水をだらだらと垂らすほどに大泣きしていたけれど、奥歯を噛み締めて絶対に声を漏らさないようにしていた。幼いながらもあれほどの自制心があったなんて信じられない。


それにとても背中が痛かった。


やはり背中の傷は母親から受けたのだろうか。それもアデルの強い恨みなのだろうか…


「お帰りなさいませ、アデル様」

「ただいま戻りました。部屋に戻ります。ルース様たちが戻られたら報せてもらえますか」

「かしこまりました」


邸のエントランスでレポートを受け取り、部屋まで歩いていく。レポートを手にしても頭の中にはアデルのことばかり。私は…アデルを知りたい。この入れ替わりの秘密も。


戻りたいとは思わないけれど、この身体の人生は理解したい。私が知らないアデルが多すぎる。


部屋に戻ってドレスを脱ぐ。普段着に着替えて、机に向かった。レポートを片手に市場の動向を確認し、サミュエル様とルース様に報告する資料を作成しはじめる。…集中できない。


ばさばさとレポートのページを捲ってめぼしいタイトルを探す。流行りの演劇の批評をめくる。白詰草の約束が再演。オリヴィアがまた姫を演じるらしい。観たいけど時間がない。不動産の記事も飛ばす。マリア様が買い漁っている屋敷の価値一覧が出ていた。どう頑張っても私には手が出ない額だ。貴族の醜聞ページを開き、サン・マドック家には何の関わりもないことを確認した。どうやらラル・グラント家の跡取り問題はいつまでたっても解決しないらしい。


頭が重い。



少し休みたくて、寝台に寝そべる。そのまま目を閉じると意識が途切れた。



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