11.アデルと転機 3
「オリバー、大丈夫?」
今日はオリバーの試験日だ。体力の試験もあるらしく、一昨日まではずっと走り込みやら筋トレやら、根を詰めていた。昨日は私とジョンで止めて休ませた。
オリバーはいつもの元気はどうしたのか、顔を真っ青にして冷や汗を垂れ流していた。
「だ、大丈夫」
「緊張するのはわかるわ。深呼吸して」
すう、とオリバーが大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。幾分顔色が良くなったのを確認して、私はオリバーの背中を押した。
私は緊張したオリバーのために一緒に試験会場の手前まで来ている。
「本当ならアデルにはこんな格好悪い所見せたくないんだけど」
「馬鹿言わないで」
私は今日まで真剣にオリバーの勉強も見てきた。仕上がりは上々だと思う。
うん、大丈夫。オリバーの背中を叩く。オリバーは溜息まじりに歩き出した。
「ここで待っているわ」
「ありがとうアデル」
会場に入っていくオリバーの背中に向かって声をかけると、弱々しく返事があった。
3時間程、本を読んで時間を潰していると、やっとオリバーが会場から出てきた。疲れ切った表情だが、今朝より顔色は良かった。
「どうだった?」
「まずまず。悪くないと思う。お上品な坊っちゃまの剣叩き落としてきたし」
「…それはどうなのかしら。剣なんて使えたの?」
オリバー、剣の練習なんてしていたかしら。…見たことないから何とも言えないけれど。
「剣は…実はマグナスの家でちょっと見てもらってた。剣は貴族の嗜みなんだとさ」
「そうなんだ。マグナスにお礼言わなきゃね」
「借りを作るのは嫌だったけど」
でも私たちに貴族の嗜みなんてものを教えてくれるのはマグナスだけだ。
「マグナス、私には一度もオリバーに剣を教えてるなんて教えてくれなかったわ」
「口が固いよな」
オリバーは溜息まじりにそう言った。
「アデル、俺…試験は合格してると思う。待遇はまだ分からないけど、入隊は確実だ。…だから、俺はアデルから離れちまう」
「そうね」
見上げたオリバーの顔は寂しげだった。
昔から背が高かったオリバーとは結局身長差が縮まることがなかった。勉強では負けたことがないのに、運動ではいつも負けた。鬼ごっこをしても、ジョンに捕まることはなかったのにオリバーにはいつも捕まえられた。
「でも、絶対に会いに行くから。月に1回でも、絶対」
「ありがとう。無理はしないでね?ジョンも心配するだろうから」
3人揃わないなんて変な感じ。大人になるって、寂しい。
「…マグナスはアデルにちゃんと告白したんだよな」
「うーん、告白の予約みたいな感じだったかな。私もちゃんと答えを考えないとね」
と言いながら、私はオリバーがケイティに詰め寄った時のことを思い出した。
(好きな子が虐められてて黙ってるわけにはいかねえだろうが!)
あれ、もちろん…本気なのよね、多分。…そんな素振りがほとんど無かったから分からなかったけれど。あれから聞き返すようなことはしなかった。
顔が勝手に火照る。
「じゃあ俺も予約する」
「ほ、本気?」
私は慌ててオリバーに詰め寄った。
「私の昔の姿、オリバーはよく知ってるでしょ?性格も…なにもかも」
「俺が好きになったのは、心を入れ替えるって言ったアデル。昔のアデルは今でもそんなに…だけど、本当に人が変わったみたいだったし」
う、否定できない。人は…本当に文字通り変わったのだから。
「それにオリバーは私の背中のことも…知ってるでしょ?見たことだってあるわ。…本当に醜い傷よ、分かってるでしょ?院長先生だって目を背けるわ」
小さい頃は一緒にお風呂に入っていたとか聞いたし…まだアデルがお風呂に入っていた時代のことだけど。
「そんなの気にならない」
「う、うそよ」
「本当。アデルは昔のことと、背中のことを気にしてるんだよな。俺はそれを簡単に上回るくらいアデルの良いところ知ってるよ。誰よりもアデルの良いところを沢山言えると思う」
オリバーは眩しい笑顔で言い切った。
「だから2年待って」
「2年?」
「2年あれば、才能があれば昇進できる。ちゃんと昇進できれば…俺はアデルに告白する。マグナスもそんな感じだろ?」
「その間に、オリバーには他に好きな人ができたりするかもしれないわ」
「絶対にないな。だってもう6年もアデルのことが好きなんだから」
今のは告白にはカウントされないのだろうか。
顔が赤くなって、真っ直ぐオリバーを見れない。オリバーも髪と同じくらい顔を赤くして目を逸らした。
「2年でアデルに釣り合う良い男になるから」
「オリバー…」
「予約していい?」
「いいわ」
頷くと、オリバーは私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
ケイティには悪いけれど、答えを出せないのだから先延ばしにしてしまうのを許してほしい。
「オリバー!」
「うわっ」
2人で街を歩いていると、ケイティが突然オリバーに飛びついてきた。オリバーは慣れた動作でケイティを引き剥がす。
「見て!受かったわ!」
ケイティは1枚の紙を差し出した。紙には看護婦養成プログラムの名前と、ケイティの名前。そしてその下には合格の文字が並んでいた。
「おめでとうケイティ!」
「アデル!ありがとう」
ケイティの勉強もオリバーとセットで見てきたから嬉しい。私はケイティに心からのお祝いを言った。ケイティも珍しく素直に受け取ってくれた。
「おめでと」
「ありがとうオリバー!1年で現場配属よ!1年待っててね」
「待たないけどな」
オリバーがめんどくさそうに言って、それでもケイティの頭を撫でた。ケイティは嬉しそうに目を細める。
「ね、アデル。女だけの話をしましょ」
「……」
「もう叩いたりしないわよ!」
「それなら」
ちょっぴりトラウマになった女同士の話し合いと女子トイレを思い出して渋ると、ケイティは慌てて言った。渋々私も頷く。オリバーは少し離れたところに居てくれるらしい。
ケイティと私はオリバーが見える位置で、声が届かないくらいの距離を取った。
「オリバーとどうなってるの」
「ど、どうって」
ケイティに言えるか。
「告白されたんでしょ?」
「……」
「叩かないから」
「怒らない?」
「怒らないわ」
ケイティは気楽にそう言ったけれど、私はゆっくり一歩距離を取って警戒した。
「告白…の予約をされたわ」
「ふうん」
本当にケイティは手を挙げなかった。私はケイティの手や足を慎重に見ながら、なるべく友好的な笑顔を作る。
「私…まだそういうのは考えられなくって。だから」
「ずるい女ね」
「うっ、そう言われると辛い」
本気で辛い。でもケイティは笑っていた。
「アデルらしいわね。まああんたのことなんて全然知らないけど」
「ケイティらしい言葉ね…」
私もケイティのことそんなには知らないけれど。
私の知るケイティは意地悪で、嘘つき、見栄っ張り。でもいつでも一生懸命で、友達がたくさんいて、社交的。決めたことはやり通す。
私がこの数週間で見ていたのは彼女のそんな姿だ。
ケイティには私がどう見えているのだろう。先程の言葉通り、ずるいだけなのだろうか。
私たちは仲良くなりきれないまま、離れ離れになってしまう。
「見てなさい。来年には私、アデルよりもずっとたくさんオリバーの隣にいるから」
「うん」
「2年経つ前に答えが見つかったらまず私に相談しなさいよ。分かった?」
「分かったわ」
「…家、決まったら手紙書きなさいよ」
「うん、ケイティも手紙、ちゃんと書いてね」
ケイティは頷いて、私に綺麗な封筒を差し出した。
「はい、1通目」
「用意がいいのね」
「ば、馬鹿にしてるわね!もういいわ!友達にしてあげるには早かったみたいね!出直してらっしゃい!」
私に封筒を押し付けて、ケイティはぷんぷん怒って帰って行った。どうやらケイティが出直すらしい。私は手紙の封を開けて、中の便箋を開いた。そこには短く、ケイティらしい丸い文字でこう書かれて居た。
『勉強教えてくれてありがとう。怪我させて、酷いことを言ってごめんなさい。全部撤回させて、アデル達はみんなとっても素敵だわ。でも昔、貴女が最初に私を突き飛ばしたのだからおあいこよ。
アデルと仲良くなりたいわ』
ケイティらしい、不器用な仲直りと友達へのお誘いだった。素直に言葉にするのは、彼女には難しいらしい。私はくすっと笑って、手紙を畳んで封筒にしまった。
私にはケイティを突き飛ばした記憶がないから、きっと本当のアデルが彼女を突き飛ばして拒絶したのだろう。だからケイティはアデルが嫌いだったのだろうか。
「アデル、何もされてないか?」
「平気よ。ケイティと友達になったの。私、すっごく嬉しいわ」
「なら良いけど」
オリバーは不思議そうな顔でそう答えた。
「ね、私…昔、ケイティを突き飛ばしたことある?」
「忘れたのか?初年度の時のことだったかな」
「…ちなみに理由は?」
「馴れ馴れしいだったかな。俺もよく突き飛ばされてたけど」
アデルのばかやろう。
行動パターンから推察するに、自分よりもボスらしいケイティにムカついたのだろうけれど。…まあ、ケイティがおあいこと言ったのだからそうしよう。
思えば私は本来のアデルについて、何も知らない。どうして孤児院にいるのか、何故あれほど孤独だったのか、背中に傷があるのか…何も知らない。
アデルがこれまでどんな人生を送っていたのか、私はあまりにも知らなすぎる。
「オリバー、変なこと聞いてもいい?」
「うん?」
「私の背中の傷…切り傷と、火傷の痕よね」
「そうだな」
「何度も繰り返し…そんな怪我をしてしたような、そんな痕だと思うの。…私、虐待、されていたのかしら。…だから孤児院に来たのかしら。ごめんなさい、全然覚えてなくて、不思議なの」
オリバーは一度口を閉めて、ため息を吐き出した。
「俺はアデルよりだいぶ後に来たから分かんねえな。俺は7歳からだし。知ってるのは上の年代の人だと思う。院長先生なら何でも知ってると思うけど」
「…そうよね」
何度も何度も重ねるように付けられた傷は、とても事故で負ったものとは思えない。まるで模様のように付けられた斜めに走る規則的な傷、それを覆い隠すようなケロイド…意図的なものに見えるのだ。
今まで気にしないようにしていたけれど、アデルを知るならこれは大切な手がかりになる。
最初に孤児院に来た時、ステファンはアデルを「とても小さな頃からいる」と言っていた。赤ん坊の頃だろうか。まだ言葉も話せない赤ちゃんにこんな傷を付けたのだろうか。
だからアデルは人を信用せず、支配することで孤独を癒そうとしたのだろうか。
孤児院に帰って、院長先生にオリバーと今日の結果を報告し終わると、私はその場に残って先生に思い切って訊ねた。
「先生、私の背中の傷って…」
「アデル、おやめ」
優しい言葉だったが、意志の強いものだった。院長先生の表情は固い。
「自分のことを知りたいのです。何かご存知ではありませんか。先生なら、私の親のこととか…」
「口を閉じなさい、アデル」
思わず言われた通り口を閉じて、じっと院長先生を見つめた。先生の目は真剣だ。慈愛に満ちた瞳が私をじいっと見つめていた。
「知っても良いことはないからね」
「…はい、先生」
「お前がもっと大人になったら聞きにおいで。…そのときには、話してあげるから」
「はい」
私は諦めて、頷いた。
私の出生について知るのはまだ当分先のことになりそうだった。




