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10.アデルと転機 2




成績の開示日がきた。


私達は久しぶりに登校し、掲示板の前でどきどきしながら待っていた。


ジョンはこの結果を持ってサン・マドック商会に出願する。だからジョンは今日も青ざめて結果を待っていた。私は…実はもうサミュエル様から結果を聞いている。すごく良かった、くらいのことだけ。商会側はテストが終わり次第学校に問い合わせることができるらしい。だからサミュエル様は私の面接前に、私の成績は全部入手していた。初年度の成績が異常に悪いのとしばらく休んでいたのは目を瞑ってもらった。ルース様からそこは見ないようにと言われたらしい。そこは本来のアデルの成績だから、私ではないとルース様だけが知っている。


「おはようアデル」


マグナスが私たちの隣にやってきて、私に挨拶した。脇を固めるジョンとオリバーにも軽く挨拶をして、こちらもリラックスした表情で立っていた。


「マグナスも成績は聞いているのね」

「勿論。会長が教えてくれた。それよりおめでとう。サン・マドック商会に決まったんだろ?」

「ええ、ありがとう」


あの後すぐにサミュエル様が契約書を持ってきた。私の契約金は…正直ぶったまげた。自分にその金額に見合うほどの価値があるとはとても思えなかった。

なのにサミュエル様は「初年度はこのくらいしかあげられないけど、来年はこの倍にするよ。働きによってはさらに」なんて言ってのけた。私が目玉を飛ばしそうになっているのを見てルース様はくすくす笑っていた。孤児院の1年間の運営費くらい、初年度から貰ってしまうのは気がひける。


「アデルってば人が良すぎて給料の半分は仕送りするって言うんだぜ。孤児院が儲かりすぎるっての」

「給料は?…ああ、会長補佐ならそのくらいは普通だ」


オリバーの言葉を聞いて、マグナスが私に訊ねてきた。これが普通かどうか分からないから意見を聞きたかった私はマグナスに給料の額を囁く。マグナスは至極当然のように言い切った。


「でも流石にサン・マドック商会は羽振りが良いな。キャンベル商会は5年勤めてやっとそのくらいだ」

「そうなの?…だったら今度は私がマグナスに色々お返しするわね」

「男が廃るから辞めろよ。それに俺は実家の仕事もあるから勿論アデルよりは稼ぐ」


マグナスの金持ち度は変わらなかった。


「きたよ」


ジョンが真っ青な顔で運ばれてくる大きな紙を見つめて言った。口を閉めていないと心臓が零れ落ちてきそうなほど、ジョンは緊張していた。


成績が掲示板に張り出される。

生徒がごった返し初めて私たちは前に前に押し出された。


「数学…3位、地理…6位、歴史…1位だわ!哲学も…1位!音楽は私達全員1位よ!」


総合順位は、2位だった。1位はもちろんマグナスだった。点数差は8点。…地理かな。でも満足のいく出来だった。

オリバーはもちろん卒業ラインは突破している。


残るはジョンだ。


「総合…5位」


ジョンがぽつりと呟いた。私の知る限りではジョンの最高順位だ。ジョンの体の力がふっと抜けて、よろめいた。慌ててオリバーが支える。


「凄いじゃねーか!」


オリバーがばしばしとジョンの背中を叩くと、ジョンは現実に戻ってきた。


「5位なら…推薦枠が使える…僕…先生のところに行ってくる」

「ジョン、着いていきましょうか?」

「大丈夫。1人で行くよ」


ジョンはふらふらと歩き出した。オリバーも成績証明書を貰うために長い列に入り込む。


私とマグナスはもう必要ないから、2人で抜け出した。



「ルース・サン・マドック?」


マグナスと2人で街に戻って、カフェに入った。マグナスが珈琲を、私がカプチーノを飲みながら私の上司となる人について尋ねる。


「勿論知ってるよ。名前は有名だからな。本人は見たことないけど」

「有名なの?」

「あのサン・マドック家の養女で、既に商会の舵取りをしているからな。まだ補佐とはいえ相当商売上手と聞いた。…それに、あのダリアの妹分ときている」

「ダリアって、あの?」


ローズヒルズ伯爵家の主力事業である、ファッション分野の広告塔となる若い令嬢はローズと呼ばれ、ローズが身につけたものがトレンドになる。

しかし最近、ローズが2つに分離した。

稀に見るカリスマ性で一世を風靡したマリアというローズが、ローズヒルズから離反してダリアというブランドを新設したのだ。


現状では…マリアを失ったローズは衰退し、この国を統べる女王陛下の信頼すら勝ち取ったダリアがローズヒルズに取って代わってファッション分野を、ひいては社交界を牽引している、と言われている。


「ルース様が養女になられてからずっと妹のように可愛がって世話をしているらしい。それにサミュエル様はダリアとは婚約までいった仲だからな」

「婚約…まで?」

「結局婚約破棄したって聞いた。もう3年も前の話だけどな」


サミュエル様だけでも社交界では相当影響力がある。侯爵という身分で、商会も儲かっているし、国の政治にも…首を突っ込んでいるとかなんとか…。それに加えて女王陛下と仲良しのダリア様の妹分となれば、ルース様の貴族としての価値は…計り知れない。ルース様を取り込むことができればサン・マドック家との繋がりもダリアとの繋がりも手に入れられる。ダリアを通せば女王陛下とも繋がる。


「…それなら社交界に簡単に出せない理由も理解できるわね」

「悪い虫に引っかかったら大損だからな」


ルース様を手に入れたい男は山のようにいるだろう。…それだけ価値があるのだから。

だからこそ私がいる。私がルース様の盾となり、守るのだ。


「そのルース様の補佐か。かなり…荷が重いな。その給料じゃ安すぎるくらいだ」

「私、頑張るわ。彼女に付いていきたいと思ったもの」

「辛かったらいつでも頼れよ」

「ありがとう」


優しくしてくれるマグナスに微笑む。マグナスはにこりと笑い返してくれた。


「サミュエル様も未だに恋人も婚約者も作らず、だからな。アデルが近くにいると貴族の令嬢達に何か言われるかもって心配だな」

「どうして?私なんか相手にされっこないわよ。そんなのみんなわかるでしょう?」

「貴族は気に入った女を愛人にするって手も使えるからな。特に相手が高位の貴族であればあるほど」


サミュエル様に限ってそれはないと思う。ルース様があんなに懐いているのには…きっと彼が優しくて、汚いところが見えないからだと思うもの。私がむっと眉をひそめるとマグナスは素直に頭を下げた。


「…離れ離れになるのが辛いんだ。変なこと言って済まない」

「いいのよ」


カプチーノをちょうど飲み終わって、マグナスも珈琲のカップを傾けて空にした。


「でも、アデル。商会で働くなら…それも秘書になるなら、その服じゃ駄目だ」

「…私もそう思っていたの」


今日の私は…色んな人のお下がりを繕った孤児院の子どもらしいワンピースだ。元は緑だったのだろうけれど、色あせて白っぽくなっている。商会で働くに当たってこの服は相応しくはない。


「だから買いに行こう」

「気持ちは嬉しいけれど、私の給金はまだだから…」

「就職祝い。俺が出す」

「マグナス…」


そんなに貰えない。十分よくして貰っている。


「…気が咎めるなら、一緒に俺の服も買おう。アデルが見立ててくれたら、その対価を払う」

「そんなにセンス良くないわよ?」

「アデルが選ぶことに意味があるんだ」


私はこくりと頷いた。

これ以上遠慮して彼の面子を潰すのも良くないと思ったからだった。



前と同じマダムの店に行って、仕事用に何着か見立ててほしいとお願いした。


前と同じように沢山試着して、マグナスが気に入ったものをいくつか購入した。


「マグナス、それよりこっちのほうが似合うわ。緑より青よ」

「…緑がいいのに」


深い緑のジャケットを羽織るマグナスに紺色のものを渡し直す。マグナスは不満そうに緑のジャケットを脱いだ。


「そんなに緑が好きなの?」

「アデルの目の色だから」


どき、と心臓が高鳴った。

マグナスは紺色のジャケットを羽織り、鏡を覗き込んだ。


「どう?」

「う、うん。そっちの方が良いと思うわ。とてもよく似合ってる」

「じゃあこっちにする。アデルが見立ててくれたんだもんな」


揃いのスラックスやシャツも幾つか見立てて、最後にカフスボタンを眺めはじめた。

ちょうど綺麗な薄緑のカフスボタンが置いてある。私はそれを拾い上げて、マグナスに手渡した。


「こっちのほうが私の目の色と似ているわ」

「アデル…」

「だから、持っていてくれると…嬉しい」

「ありがとう、アデル。これにするよ」


マグナスはにこりと微笑んで、私が渡したカフスボタンを嬉しそうに受け取った。



お会計を済ませると、マグナスは私を連れて文具屋に連れて行った。


「若旦那様。ご用意できております」

「ありがとう」


店主が出てきてマグナスに頭を下げて、細い箱を差し出す。マグナスはその箱を私に渡した。


「アデル、受け取って」


箱を開けると中には上品な黒い万年筆が収まっていた。


「う、受け取れないわ!服だって買ってもらって…!」

「アデルに俺のこと忘れてほしくないから、文通したい。…その時にこのペンを使ってくれたらきっと忘れないだろ?」


突き返していた箱を、マグナスは私にまた握らせた。だから、黒い万年筆なのだろう。黒はマグナスの色だから。


「サン・マドックの領のこととか、手紙で教えてくれたら俺は嬉しい」

「マグナス…私、忘れないわ。ちゃんと手紙を出すわ。きっと新しい環境や仕事にいっぱい悩むことになると思うの。相談に乗ってくれる?」

「もちろん」


結局私は有難く受け取ることにした。マグナスが本気で私に忘れてほしくないと思っていると分かったから。


「ありがとう、マグナス。本当に」


私だってマグナスと疎遠になりたくない。せっかく仲良くなったんだもの。


店を出て、2人で街の中心の噴水広場までゆっくり歩いた。


「アデル」

「なあに?」


マグナスに呼ばれて、顔を向ける。


マグナスは私より背が高い。出会った時はほとんど同じ背丈だったのに、今じゃ見上げないと目が合わない。意地悪だとばかり思っていた黒い瞳が、今では真摯に私を見つめている。


「仕事を始めて、もっと自分に自信がついたらアデルに改めて告白する。…その時になったら、俺のこと真剣に考えて。今はただの友達でいいから」

「マグナス…」

「アデルは可愛いし、とっても良い子だからきっとこれからライバルはもっと沢山増えると思う。側にいられないけど、忘れないで」


気を使ってもらって、本当に嬉しい。

私が考えをまとめられない事までちゃんと理解してこう言ってくれている。


「本当にありがとう。…私、マグナスのこと絶対に忘れないし、ちゃんと考える」


小指を差し出して、マグナスは照れ笑いで小指を絡めてきた。指切りをして約束する。マグナスは友達として適切な距離を保ちながら、私を歩きで孤児院まで送ってくれた。

孤児院に着いても、門の前で沢山話をした。商会のこと、学校のこと、これからのこと。マグナスは何でも相談に乗ってくれる。


だからこそ、ちゃんと考えて返事を決めたい。





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