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64話 魔法のにおい

「……臭いですって?」


 国王は何も言わなかった。

 代わりに、オリビアが怪訝そうな声を出した。


「シャーロットさん、それはどういうことかしら?」

「犬は嗅覚が優れるというのをご存じでしょう?」


 シャーロットは淡々と言葉を続けた。


「ええ、オリビアさん。その先は言わなくても分かりますわ。『臭いなんて、証拠にならない』と。ですが、国王陛下でしたら……彼の嗅覚の鋭さを存じているはずです」


 国王の顔色は依然として変わらない。だが、眉間の皺が一瞬――本当に瞬きするよりも短い時間だったが、確かにぴくりと動いていた。


「オリビアさん、貴方が次に言いたいことは――恐らくこうでしょう。『臭いを嗅がせるにしても、この場にはあたしの匂いで溢れているのだから、証拠にならないわ』と」


 シャーロットはそう言いながら、右目でオリビアの様子をうかがった。

 オリビアは口を開きかけたまま固まり、すぐに堪えるようにぎゅっと唇を結んだ。その反応が答えだった。


「その通りです。ですが、私が確かめさせるのは他の人の臭いですのよ――ああ、その前に確認しておきましょう」


 シャーロットは開いたままの扇子で微笑む口を隠しながら、単純な大前提を語り始めた。


「魔法は廃れました。もはや物語や文献でしか残っていません」


 魔法の記憶は根付いておらず、記録も黴の生えたような古文書にしか記録が残されていない。

 唯一、この国で魔法を扱えるのは王の一族だけだ。

 しかし、それすらも疑問視する者も多い。王の権威の象徴とか抽象表現だと思っている者も少なくないだろう。


「ですが、魔法は実在します」


 シャーロットは、自身の胸元を手で軽く押さえながら断言した。


「魔法が実在する以上、魔法と対の存在として語り継がれる精霊も存在しているのでしょう」


 私たちの目には見えないだけで、と付け足した。

 魔法とは、精霊の力を借りて起こす奇跡のこと。精霊がいなければ魔法は成り立たず、いくら奇跡を起こそうとしても何も変わらない。


「月に一度、死の呪いは進行します。月に一度、アルバート様が魔法をかけなおしているわけではありませんね? ――ええ、言わなくても結構です。その顔を見れば、そんなことしてないのは明白ですもの。つまり、精霊自体は場所を問わず、この世界に存在し続けており、魔法を発動することは可能なはず」


 でも、太古の昔に存在していた魔法使いは存在しない。

 精霊がいるのであれば、魔法使いがいても良いはずなのだ。そして、彼らが残した数々の秘術が語り継がれておても不思議ではない。それこそ、どこかで魔法を復活させようとし、精霊とコンタクトをとろうと試みる猛者がいてもおかしくはないのだ。


「しかし、この6か月――そのような人は皆無でした。私が『死の魔法を受けた』なんて世界に知れ渡れば、一人ぐらいは『魔法の奇跡を目にしたい』と考える研究者がいても不思議ではないのに」

「……言われてみれば」


 サリオスの呟きが静まり返った部屋に木霊した。


「それだけ、魔法が御伽噺の世界にしか存在しないと思い込んだ人が多いということです。つまり、私が魔法を受けてもなお、誰も真実味がないと考えていると言い換えることもできるでしょう」


 そうなると、なぜ――マリリン夫人は確証を得ていたのか。


「単純な話。彼女は魔法を見たのです」


 奇跡を目撃したのであれば、それを信じるしかない。自分の目が、耳が、肌が、すべてが現実なのだと実感すれば、それが事実であり、真実になるのだ。


「では、誰が魔法を起こしたのか。単純明快です。王家の血を色濃く継ぐ者にしか、魔法を使うことができない。そのようになっている以上、可能性のある者は2人」


 国王とその息子であるアルバート。

 現国王に兄弟はおらず、姉妹たちは全員国外に嫁いでしまっている。よって、魔法を使うことができる者は2人しかいない。このままでは、王家の血は薄まるばかりだ。故に、血縁が近いエイプリル家の娘が婚約者として選ばれたのだが、血縁が近いにもかかわらず、シャーロットの目では精霊を視認することは叶わないのだ。シャーロットと同程度の血の濃さの貴族はいるが、それ以上の濃さとなると皆無となることから考えても、この二人しか魔法を発言することはできないのである。


「私としては、アルバート様だと思われます」

「なっ、なにを根拠に!?」


 アルバートの名前を口に出すと、本人が息を吹き返したように叫んだ。それまで置物のように放心していたのが嘘のように声高らかに言ったものの、顔色だけは可哀そうに思うくらい青ざめていた。


「貴方、何度も魔法を使ったことがあるのでしょう?」

「は、はぁ!? なにを言って――……」

「思い切りが良すぎましたもの」


 6か月前、まさしくこの場所で魔法をかけられた。

 当初は「死の魔法」をかけるつもりはなかったのだろう。しかしながら、シャーロットがオリビアの真実――彼にとっては悪口を並べたものだから、怒りのあまり魔法を使ってしまったような状況だった。


「怒りのあまり、我を忘れるということはありえる話。ですが、問題はその後の反応です」


 自信満々に「死の魔法をかけてやった」と胸を張って宣言していた。そこには「自制心を忘れ、魔法を使ってしまった」という後悔の念のようなものは微塵も感じさせない。ましてや、相手を殺す「死の魔法」だというのに、動揺した素振りはまったくなかった。


「あのときは私も驚くばかりで指摘できませんでしたが、いまなら分かります。あれは、過去に何度も魔法を――それも、死の魔法と同程度のものを使用した経験がおありなのですね」

「――ッ!? そ、そんなわけないだろ!」


 アルバートは否定するが、声はみっともないほど震えていた。


「魔法はあのとき、一度しか使ってない!」

「一度、魔法を使ってしまったら、最初こそ動揺するでしょう。……ですが、魔法は便利です。なぜって、普通の人では使えませんし、さまざまな過程を飛ばした奇跡を起こせるのです。万能感や優越感に浸れますからね」


 二度、三度と使ううちに、魔法を使うことに慣れてしまい、ちょっと沸点が上がっただけで、「魔法を使ってやる」という選択をとってしまう。

 恐らく、シャーロットが「死の魔法」を浴びてしまったのもそのせいなのかもしれない。


「いえ、少し訂正しますわ。貴方は魔法を使ったことがなかったとしても、私に対して『死の魔法』を使ったかもしれません。オリビアさんを愛していましたからね」

「そ、そうだ! だから――……」

「でも、貴方は驚かなかった」


 シャーロットは元婚約者に冷たい視線を向ける。


「初めて使ったのであれば、どうして『魔法が効いた』ことに驚かなかったのです?」

「え……?」

「私が倒れたから? 胸元に死の花弁が刻まれていたから? 初めてなら驚きますよ。周りの大臣たちのように」

「それは……前に、練習したから」

「私に使ったのが最初だった、とおっしゃっていましたよね?」


 アルバートはひゅうっと息をする。必死で反論を探そうと目を泳がせているが、なかなか良い言葉が思いつかないのだろう。まるまる一分ほどして、ようやく、はっとしたように瞬きをすると、シャーロットを見据え、にやっと笑って口を開いた。


「「練習は数えない。実践で使ったのは、お前が初めてだったということだ。そのくらいも分からないのか」」


 アルバートが口に出した言葉を、シャーロットはそっくりそのまま重ねて言う。

 一字一句、吹き出したくなるほど同じだったものだから、アルバートの目が点になっていた。何が起きたのか、状況を理解するにつれ、アルバートの目は揺れ、信じられないものを目にしたように口をあんぐり開ける。

 シャーロットはそんな男に対し、冷ややかな目線を向け続けていた。


「では、お答えしましょう。実践で初めてでしたら、なおさら出来栄えを確認するでしょう? 室内楽のコンクールを思い出してくださいな。いくら課題曲を練習していたとしても、本番で弾くのとでは訳が違いますよね」


 アルバートはもはや何も言い返せない。


「……さすがに、死の魔法はマリリン夫人に使ってはいないでしょう。ですが、もっと他の魔法を使ってみせたに違いありません」


 そうなると、マリリン夫人たちの口から「王子が魔法を使い放題している」みたいな噂が立ちそうなものだが、それはなかったことから考えるに、口封じの魔法もあるのだろう。


 ロイが呪いで獣人から黒犬に姿を変えてしまったように。


「夫人がこの部屋にいた証拠が見つかれば、芋づる式に犯人を釣ることができますわ――たとえば、そのあたりとか」


 シャーロットは扇子を閉じると、先端を鋭くとある場所に向けるのだった。





次回更新は12月の土曜日を予定しております。

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