61話 いない理由は?
玉座の間は、城において最も堅牢な場所である。
王とは国の頂点。
国の頂点が座す場所は、何があっても守らなければならない。そこが攻め落とされたが最後、王の命はないに等しいのだ。
(最も、そこまで敵の侵入を許した時点で終っていますけど)
シャーロットはサリオスに担がれながら、やや諦観に近い想いを抱いていた。
いくら難攻不落な城でも、なかに敵が乱入した時点で終わっている。敵が少人数なら兵士が総力をもって対処すれば、少なくともその場で負けることはないだろう。外部から援軍が駆け付けてくる見込みがあるなら、まだ希望があるかもしれない。
しかし、それ以外の場合だと話は変わってくる。いくら努力したところで、敗北までの時間稼ぎにしかならない。勝利を確信した敵が玉座の間の乗り込むまで、王はどのように待つのだろう。耳障りなほど間近に迫る死の足音に怯えるのか、恐怖に蓋を閉じ背筋を伸ばして迎え撃つのか、はたまた、ひたすら自己弁護の言い訳を考えるのか――いずれにせよ、玉座の間の扉が開かれたとき、王の真価が問われる。
「……不気味だな」
廊下の角を曲がったとき、サリオスの口から呟きが零れた。
「ここまで何もないものなのか?」
赤いカーペットには血糊の一つもなく、乱れた痕跡もまるで見当たらない。神々しいまでに白い壁に挟まれ、真っ赤なカーペットは「玉座の間」の扉まで一直線に伸びていた。
「なにもないのがおかしいのですよ」
シャーロットは目を細めた。
「大扉をご覧になって。衛兵すら立っていないでしょう?」
それどころか、ここまで登ってくるのに誰ともすれ違わなかった。
「なあ、そろそろ教えてくれたっていいだろ? 一体、何が起きてるっていうんだ?」
カーペットを進みながら、サリオスがじれったそうに尋ねてくる。
シャーロットは嘆息をつくことしかできなかった。
「近衛を自由に動かすことができるのは、いったい誰だと思います?」
「……きっぱりと答えを教えてくれたっていいじゃないか」
サリオスはやや不貞腐れた声で言いながらも、片目を上げて考え込む。
「まあ、王しかいないだろ。最終的に、王が決定権を持つからな」
「では、次に――兄様はなぜ屋敷にいたのです?」
「非番だったからだ」
これには、特に悩むことなく返される。
「この間、休日に出勤したからな。その代替で休みだった」
「つまり、そういうことなのです」
シャーロットは細い声で言った。
「近衛のほとんどは、今日が来ないようになっているのです」
「……それはおかしい」
サリオスは眉間に皺を寄せる。
「これだけの数が非番となったら、絶対に誰か怪しむだろう?」
ところが、これに対し、否定するように黒犬が吠えた。サリオスはびくっと身体を震わせ、黒犬を見下ろす。
「な、なんだよ……急に吼えるなんて」
「……彼は呆れているのですよ」
シャーロットはくすっと笑った。
「兄様、今日の騎士の予定をお忘れでしょう?」
「予定……?」
「……もしかして、兄様……声をかけられていない?」
サリオスがあまりにも呆けているので、シャーロットはやや憐れむような眼を兄へ向けてしまった。
「今日は騎士団長の誕生日でしょう? それも、50歳という節目の年。盛大に祝うと聞いております。大多数の騎士はそちらへ行くはずですわ」
「…………あ」
ここでようやく、サリオスは合点がいったように瞬いた。声にならない唸り声をあげたかと思えば、がっくしと頭を落とす。
その様子を見て、シャーロットは悟った。恐らく、ネザーランド夫人も勘づいたのだろう。彼女はいたたまれないように目を逸らしていた。
それに対し、サリオスはわざとらしい咳払いをした。
「僕は誘われなかったわけではないぞ。むしろ、そこに非番を当てたんだ。本来なら、今頃は会場に向かっていたはずだ。断じて誘われなかったわけではない、いいな?」
「重々承知しておりますわ」
「本当だからな。本当なんだからな!」
サリオスはわずかに目を泳がせながら、弁明するように言葉を重ねた。
「僕のことはいい。だが、誕生日だからとはいえ、ここまで数が少なくなるものなのか? いままで、そのようなことはなかったはずだぞ?」
「半数以上は誕生会へ。残りは別件で休ませたり、玉座の間で行われているイベントに参加したりといったところでしょうね――兄様、このあたりで降ろしてくださいませ」
シャーロットは床にトンっと足をつく。黒犬がするすると近寄ってきたので、軽く頭を撫でた。ふさふさの毛並みに覆われた頭から頬、そして喉の下と手を這わせていけば、黒犬は心地よさそうに緑の目を閉じた。
「一角の騎士であれば、誕生会のことは知っていたことでしょう。いえ、むしろ……騎士団長側が仕組んだ可能性が大いに考えられますわ。あえて警備を薄くし、クーデターを起こしやすくした、と」
「……騎士団長がオリビアの味方ということか?」
サリオスはそう口にしてから、違うと首を振った。
「ありえないな。騎士団長がオリビアに味方しても、これといった旨味などない。今の地位で十分満足されている方だし、その後の進退も既定路線だ。色香に惑わされるような人物でもない」
「つまり、そういうことなのです」
シャーロットは言った。
「騎士団長はオリビアの味方には付かない。それは確定でしょうね。ですが、彼の息子はどうでしょう?」
「それは……まあ……」
サリオスは言葉を濁した。
ネザーランド夫人も曖昧な表情で口を開いた。
「私の聞いた噂ですと、学園時代は彼女と懇意の仲だったとか……もちろん、友人の一人といった形だったと聞いておりますが……」
「夫人が聴いた噂は概ね真実でしょうね。私も茶会で何度も聴きましたから」
シャーロットはふぅっと息を長く吐いた。
「恐らくですけど、団長の息子はこの門のなかにいるでしょうね。ええ、兄様。剣に手を置くのは早いですわ。戦いの準備の前に、扉を開けてもらう必要がありますから」
「……分かった。シャーロットと夫人は僕の後ろへ。すぐに逃げられるような心構えを」
サリオスはそう言うと、扉に手をかけた。
彼の表情に緊張が走っていたが、シャーロットの心は湖面のように穏やかだった。扉の向こうで何が起きているのかは分かり切っている。あとは、そこにどのような決着を付けさせるか。それだけを考えていたが、ここまで辿り着く前に構想はできた。
ならば、あとは乗り込むだけ。
(まるで、初めて舞踏会へ出たときのような心地ですこと)
そして、これが最期の晴れ舞台。
いまの自分はドレスではないし、この足ではダンスも踊ることはできなくても、自慢の口だけはよく動く。頭の動きはわずかに鈍くなったように思えなくもないが、それでも十全に戦える。
扉が開かれた瞬間、シャーロットはほくそ笑んだ。
舞踏会のように背筋を伸ばし、するすると玉座の間に足を踏み入れる。
「ご機嫌よう、皆さま。本日は随分と楽し気な催しをしているようですわね」
そのまま、まっさきに目が合った人物にこれ以上ない微笑みを向ける。その人物はもともと青ざめた顔をしていたが、こちらと視線が交わった途端、呆けたようにあんぐり口を開けた。その表情が、自身の想像とぴたりと一致したことが、おかしくてたまらない。
「アルバート様、お久しぶりですわ。随分と顔色が悪いようですわね……玉座に就く計画が失敗した気持ちをお聴きしてもよろしくって?」
婚約破棄してきた男に向かって、シャーロットはますます笑みを深めるのだった。
次回は9月の土曜日に更新する予定です。




