59話 お願いと届け物
「ところで、ひとつ疑問に思っていたのだが」
サリオスはネザーランドに使いを出すと、妹に向き直った。
シャーロットは応接間のソファーに腰を下ろし、眠るように瞼を閉じている。だが、起きてはいるらしい。彼女は瞼を開けないまま、ゆったりとした声色で問い返してきた。
「疑問とは?」
「どうして、ネザーランド夫人に手紙を出したんだ? 夫人はダグラス家の誘拐騒動について話しに来たと言っていたが……」
本当にそれだけなのか?
そう問うように見つめると、シャーロットはつまらなそうに息を吐いた。
「まったく……それだけですか」
「それだけとはなんだ。他にも疑問は山のようにあるぞ」
サリオスは腕を組み、妹を軽く睨みつけた。
「だが、どうせ今回の陰謀については現地に着くまで口を閉ざすつもりなのだろう?」
「まだ、語るべきときではありませんから」
「そうだろう!? なら、それ以外の疑問を解消しようと思うのは自然の流れじゃないか!」
サリオスが不機嫌さを前面に出す。
「なら、もっとハッキリ聞くとしようか。ダグラス家の誘拐騒動は表向きの理由で、本当は結婚式に関する内々の話を勧めようとしていたのではないか?」
「結婚式?」
ここで、シャーロットはようやく薄っすらと目を開けた。依然としてボンヤリとした眠そうな眼をしていたが、珍しく困惑したように首を傾げていた。
「誰の?」
「お前のだよ。お前、その……なんだ、ロイの奴と結婚するんだろ?」
「…………彼から聞いたのですか?」
「夫人からだ」
サリオスがそう言うと、シャーロットは目を逸らした。いや、目を逸らしたのではない。じっと睨みつけるように黒犬に視線を向けていた。シャーロットが目覚めて以降、この犬は彼女の足元にぴたっと張り付いている。緑の瞳は絶えずシャーロットを見つめていたが、このときばかりあからさまに顔を背けていた。
シャーロットは嘆息をつくと、ゆっくり首を振った。
「夫人から聞きたかったのは、王都の噂ですよ。どのような噂が飛び交うか、だいたいは想像は付きますけど、実際に現地で体感しないと分からないことも多いですし……かといって、この足では以前のように自分で集めるのは難しいですわ」
シャーロットは杖で床をとんっと叩いた。
「ですので、夫人から聞こうと思ったのです。彼女でしたら、庶民的なゴシップから貴族社会に流れる噂話まで取り扱っていますからね」
「それだけなのか?」
「概ね。その辺りに関しては、兄様が尋ねてくださったので、目的は達成したと言えるでしょうね」
そう言い切ると、彼女は話はおしまいとばかりに目を瞑った。
「概ね、ということは、他にも理由があるんじゃないか?」
「結婚のことでしたら、大方のところ先走り過ぎたのでしょう。具体的な日程やらまで詰めていませんので、あまり考えないでくださいね」
「そうなのか?」
「そうですよ。ああ、結婚といえば――……」
シャーロットはくすっと笑った。
「王都は随分と華やかでしたね。結婚式は半年後だというのに、金と黄に溢れて……目がちかちかしましたわ」
「皮肉か」
「いえ、純粋にお祝いの気持ちです。担当者はさぞ大変だったことでしょう」
「大変に決まっているだろう」
今回の結婚式の飾りつけに関して、サリオスも遺憾を抱いていた。結婚式の担当となった文官の同僚たちが、死んだ目をしながら夜遅くまで仕事をしている姿は忘れたくても瞼の裏にこびりついている。
結婚式のイメージカラーが「アルバートの金とシャーロットの青」から「アルバートの金とオリビアの黄」に変わった。他の色は認められず、花や紙で差し色をしようとしたが、他の色を加える案はすべて却下。むしろ、アルバートたちからは「もっと豪華にしろ。さらに飾りつけろ。だが、予算は増やさない。もったいないだろう?」と注文がつく始末。担当者たちは「あんな飾りはむしろ目に悪い」とか「どうしたら、少しはマシになるんだ?」と日夜答えの出ない会議に明け暮れていた。その姿を目の端に映しながら、「ああ、自分は結婚式の担当ではなくて良かった」と胸をなでおろしたのである。
「……なあ、シャーロット。オリビアたちが、いまこの瞬間にもクーデターを起こしている。それは確かだとして、もし……万が一、成功してしまったら?」
「そうなれば、国の崩壊が早まるのでしょうね。私がそれを目にすることはないですけど」
「はぁ……簡単に言ってくれる」
サリオスは唸った。
シャーロットは良いかもしれないが、自分はこの先も生きてくのだ。妹の推理が間違っていることを見たことはないが、国の崩壊など軽々しく口にしてよい単語ではない。
「この国が滅ぶことになれば、エイプリル家も巻き添えを食うのだぞ?」
「それはありませんわ」
シャーロットは悩む素振りを一切見せることなく断言した。
「沈む船から脱出する術はありますから」
「その術とやらを教えて欲しいものだ」
「あらあら。随分と弱気なこと」
シャーロットが愉快そうに目を開ける。
「笑いごとではない。誰であっても、沈む船に乗りたくないだろ」
「そうなったら、海に飛び込めば良いのですよ」
「泳げないことを知っているだろう……」
「では、泳ぐ練習をすればよいのではなくって?」
シャーロットに煽られ、サリオスは舌打ちをした。
「お前なぁ……そういう性格だから、嫌われるんだぞ」
「このおかげで、アルバート様との婚約が破談になったのです。むしろ、良かったと思いません? 自由に過ごせる時間が1年も手に入ったのですから。まあ、残り半年ですけど」
シャーロットは楽し気に語る。
その姿を見て、サリオスはやるせない気持ちになった。妹は皮肉や冗談ではなく、本気で言っている。アルバートとあのまま結婚していれば、死ぬまで自由とは縁遠い生活を送ることが決まっていた。未来の王に嫁ぐのだから当然の定めなのだろう。だから、そこから解放されて喜ぶのも無理はない。無理はないが、手放しに喜べることでは到底なかった。
「兄様、もう一つ――良いことがありますよ」
シャーロットは立ち上がると、とびっきりの秘密をこっそり教えるように囁いてきた。
「良いこと?」
「それは、城に着いてからのお楽しみですわ」
「ヒントくらい貰ってもいいだろう?」
サリオスが不貞腐れたように言えば、彼女の笑みはますます深まった。
「ヒントと呼べるほどのものではありませんが……私、意外と負けず嫌いな性分でしてね。売られた喧嘩は買いますし、手袋を投げられたら拾うことをご存じ?」
「痛いほど知ってる。……それだけか?」
「あとは……ああ、そうそう。忘れてました。兄様の栞です」
「栞?」
サリオスは首を傾げた。話がいきなり飛び、わずかに困惑する。
「本の栞のことか?」
「子どもの頃、読書のときに使われていたものです。それをいただけるのであれば、良いことを起こせる可能性が上がりますの」
お願いします、と上目遣いで懇願してくる。
「別に構わんが……クローバーの栞でいいんだよな? 栞が欲しいなら、あんな古びたものより、もっと良いものを用意できるぞ?」
「いえ、あれが良いのです。あれでなくては駄目なのです」
シャーロットは頑として譲らなかった。
こうなったら、余命わずかな妹の頼みを優先してあげたい。きっと、なにか大事な理由があるはずなのだ。城へ行けば、古びた栞が必要な訳が自然と判明することだろう。
「了解した」
サリオスは二つ返事で了承すると、足早に応接間を出た。
「しかし、あいつも栞くらい持っているだろうに。いや、意外とないのか?」
記憶を遡るが、彼女が栞を使っている場面など見たことがない。そもそも本を読む速度が早過ぎて、栞を挟む前に読み終えてしまっていた。やむを得ない用事などで途中で本を閉じることがあっても、中断したページは頭に刻まれているらしく、ぴたりとそのページを開いては文字に目を落とす――だから、彼女は栞を使わない。
「やっぱり、変わった妹だ」
残された時間、妹の我儘を精いっぱい叶えてやろう。
どういう意図か想像がつかなくても、必ず意味のあることなのだろうから。
※
数十分後。
王都の大通りは騒然としていた。
昼前に起きた馬車の事故はもちろんだが、こんな話が街中で囁かれている。
「おい、聞いたか? 城の門が閉じてるんだとよ」
「聞いた聞いた。肉屋のおっちゃんが怒ってた。食材の搬入ができねぇって」
「八百屋の兄さんも卵の卸売り屋も追い返されたんだって」
城の門が閉じ、追い返された者たちが噂を広めているのだ。理由も告げずに帰されるのだから、怒らないわけがない。休日とはいえ、それを返上して仕事に行こうとした文官たちも同じように門前払いを受け、すっかり困惑していた。
「そういえば、さっき横転した馬車……城から戻ってくるところだったらしいな」
「いったい、城でなにが起きてるんだ?」
不安と好奇の声で溢れかえるなか、一台の馬車が今まさに城を目指していた。
ネザーランド衣装店の紋が描かれた馬車は、颯爽と城門の前に到着する。
「今日は誰も入れるなとの命令だ」
門番たちは本日の決まり文句を口にした。
それを聞くと、御者は困ったように顔をゆがめた。
「ですが、大事な品の搬入がありまして……アルバート様に届け物があるんです」
「アルバート様に? ……ああ、ネザーランドの」
門番は瞬きをしたが、馬車に掲げられたネザーランドの紋を一瞥して納得したように頷いた。
「それでも駄目だ。明日にしろ」
「ええ……でも、今日でないと駄目なんですよ」
「馬車一台、荷物すら入れるなとの命令なのだ」
「で、ですが……そのう……」
門番はそれでも通さない。
御者は言葉を詰まらせると不安そうに後ろを振り返ったが、意を決したように前を向いた。出発前、シャーロットから「断られたときは、この言葉を囁きなさい」と教えられた魔法の言葉を口にする。
「人を連れてきたのです。リリエンタールのマリリン・ブラックローズを」
「「なっ!?」」
御者が囁いた瞬間、門番たちの顔色が変わった。
「し、しばし待て!」
門番たちは額を合わせ、何やら相談をし始める。
「あのぅ……あまり待たせたくないのですが……」
御者が門番に声をかければ、彼らは同時に頷いた。きりっと背筋を伸ばし、手にした槍でたんっと地面を叩く。そして、高らかにこう叫ぶのだった。
「「開門!」」
門番の声に呼応するように、今日一日、何人も通さなかった門が開く。
陰謀の香りと軋んだ音を響かせて。
次回は6月後半の土曜日に更新します。
※申し訳ありません。諸事情により7月12日に更新します。これ以上は延期しません。




