58話 妹の目覚め
「……と、いったところか」
サリオスは現時点で判明していることを語り終えると、最愛の妹の様子を伺った。
シャーロットは何も語らない。サリオスが説明している間も眉ひとつ動かすことなく、一切口を挟まない。ただただ黙って聴き入っていた。一通り話し終えてからも唇は硬く結ばれたままだったので、サリオスはなんだか落ち着かない気持ちになった。いつも通りの彼女であれば、こちらが説明し終えた途端、堰を切ったように話し始めるにもかかわらず、ひたすらに口を閉ざしたままだった。
サリオスは不気味な気持ちを消すように咳ばらいをすると、彼女に話かけることにした。
「シャーロット? 感想はないか?」
「……兄様の考察が気になります」
「僕の?」
サリオスはぴくっと眉を動かした。
「なぜ?」
「自分以外の考察を聞きたいのです。兄様も兄様なりに考えているのでしょう?」
「それは、そうだが……」
サリオスはわずかに目を泳がせる。
妹が導き出した解答を聞きたかったのであって、まさか自分に話を振られるとは思ってもみなかった。断ろうと口を開きかけたが、シャーロットの視線に気づいた。依然として顔から血の気が引いていることは間違いなかったが、青い眼だけは爛々と輝いている。シャーロットが相手の反応を楽しみにしているときの目付きだった。サリオスは仕方なしにため息をつくと、口を開くのだった。
「あー……そうだな。ここからは、僕の考察なのだが……」
サリオスはネクタイを締めなおしながら、これまでにまとめた内容を改めて脳内で想起する。
「オリビア一派が城でなにか悪事を働こうとしている。おそらく、クーデターだ」
「根拠は?」
「ネザーランド衣裳店から届いたものと見せかけ、別の代物を搬入しようとしていた。その時点で、中を検めたくないよからぬ物だと予想できる」
ネザーランド衣装店の信用度は高い。かの衣裳店からの荷物だとなれば、詳しく確認しないはずだ。仮に中身を点検することになったとしても、ドレスで本当に運びたいものを覆い隠せば誤魔化すことができるだろう。
「オリビアは自身が華美な服装を好むことを熟知している。そこを逆手に取り、衣装店の空き箱に武器の類を忍ばせたんだ。おそらく、クーデターの決行は今日。城の出入りを封じていることがその証だ」
サリオスは自分の口調がだんだんと早くなっていることに気づいた。
妹に請われて自説を話しているが、改めて口に出すとこんなところで悠長に論じている場合ではない。オリビアがよからぬことを企んでいるのであれば、それを阻止するのは臣下としての務めである。
「なんとかして、クーデターを辞めさせなければ……っ!」
「あら、どうして?」
「どうしてだと!?」
サリオスはムッとして叫んでいた。
「オリビアが企むクーデターなど、ろくなものではないだろう!? どう考えても、国王夫妻が狙われている。さっさと譲位して、自分たちが玉座に就こうという魂胆なのは明らかだ」
「まあ、それもあるかもしれませんね」
ところが、シャーロットは涼しい表情を崩さない。紅茶を傍においておけば、優雅に飲みだしそうな余裕まで感じられた。
「オリビアたちの魂胆は火を見るよりも明らか。さっさと自分たちが頂点に立って、好き放題したいと考えたのでしょう」
「そうだろう? シャーロット、お前はここに残れ。僕が急ぎ城へ赴き、クーデターを止め――」
「その必要はありませんわ」
サリオスは足早に立ち去ろうとしたが、その背中に待ったがかかる。
「シャーロット!」
サリオスはつい妹に向かって厳しい声を出した。彼女が例の魔法と事故の影響で具合が悪くことは重々理解していたが、それとこれとでは別の問題である。
「お前が王族に対してよい感情を抱いていない理由は分かる。だが、いまの奴らが玉座に就いたら、国がもっとめちゃくちゃになる。僕でも分かることをお前が理解できないはずがないだろ!?」
「私が亡くなったあとの我が国の辿る道でしたら、ある程度は」
シャーロットはくすっと微笑みかけてくる。そのまま、小さな唇でこう告げるのだった。
「ですが、いまは崩れませんわ」
「どういうことだ?」
「オリビアがよからぬことを企んでいるのは確かでしょう。その決行日が今日ということも」
彼女は水面のように静かな口調で言い切った。
「さすが、兄様ですわ。我がエイプリル家の次期当主として相応しい洞察力です。ですが、1つお忘れになっていることがありましてよ」
「……それは?」
サリオスが不審そうに尋ねると、彼女の笑みはますます深まった。
「兄様程度が見通していること、他の重鎮たちが気づかないとでも?」
シャーロットは楽しそうに言うと、ゆっくりと起き上がろうとした。白い脚をベッドから出し、靴を履こうとする。サリオスは慌てて止めようとしたが、すぐ脇を黒い影が風のような速度ですり抜ける――例の黒犬だ。黒犬は悲しげな声で鳴きながら、シャーロットの足元にうずくまった。シャーロットはわずかに驚いたように目を見開いたが、驚きはサリオスが瞬きする間に消え去ってしまったらしい。次の瞬間には切なそうに眉を寄せていた。
「……そういうことね」
シャーロットは震える手で黒犬の頭を撫でると、黒犬に囁きかけるように何か告げた。あまりにも小さな声だったので、サリオスには聞こえなかったが、黒犬の耳には届いたらしい。黒犬はへなっと垂れていた尻尾を揺らし、わんっと返事をしていた。
「シャーロット。その犬、知っているのか?」
「頼もしき相方ですわ」
シャーロットが宣言すると、黒犬はますます嬉しそうに尻尾を振った。彼女は犬の位置を気にしながら靴を履くと、杖に手を伸ばそうとする。だが、彼女が杖を手に取る前に、黒犬が杖を咥えた。当初、サリオスは黒犬が杖を遊び道具と勘違いしたのか? と思ったが、それこそ大きな勘違いだった。黒犬は、シャーロットが杖を取りやすいように位置を調整していたのだ。
「頼もしいというか、恐ろしいな……」
ただの犬がこのような行動をとるはずがない。
サリオスが腕を組んで思案していると、シャーロットがまたしてもくすくす笑っていることに気づいた。
「シャーロット? なにを笑ってるんだ? それから、どこに行こうとしている?」
「彼のことも含め、真実を兄様にお見せいたしましょう」
「それをこの場所で明らかにするつもりはないのか?」
サリオスが詰めると、シャーロットは杖を突きながら扉へと歩き始めた。例の事故のあと、服を脱がす間もなく横たわらせていたので、着替えの必要なくそのまま外出できる――が、万全の調子とは言い難い。依然として普段の血色の良さは戻っていなかったし、ときどき頭が痛そうにめをしかめている。杖を突く足どりだって、病人そのものだ。誰が見ても痛々しく、ベッドに横たわっていた方が良い状態だろう。
「シャーロット、僕は言われた通りに動く。だから、ここで寝ていることはできないのかい?」
「いいえ。私自身が行かなければならないのです」
だが、シャーロットは頑なだった。
こういうときの妹は、絶対に意見を曲げない。そのことは、兄である自分が一番よく知っていた。サリオスはため息をつくと、扉の外で待機していた執事を呼び寄せた。
「馬車の用意を――行き場所は、城……で、いいんだよな?」
サリオスは妹に確認を求める。
すると、シャーロットはこくりと頷いた。
「ただし、馬車はネザーランド衣装店のものを借りましょう。夫人であれば、喜んで貸してくださるはずですわ」
「……オリビアの一派だと勘違いされないか?」
「勘違いされたときには、証拠を提示すればよいだけのこと」
シャーロットは怪しく微笑んだ。
証拠のすべては、既に彼女の手の中にある。そう明言するかのように。
次回更新は4月後半の土曜日を予定しております。




