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56話 思考の海と訪問者



 (シャーロット)の乗った馬車が横転した。

 その結果、彼女は事故から数時間経つにもかかわらず、一向に目覚める気配がない。


 妹の変わり果てた姿を見てから、サリオスは最初こそ平静を装おうとしたが、時間と共にふつふつと込み上げてきた怒りを抑えるのに苦労するようになっていた。


 ただでさえ、シャーロットは言いがかりで一方的に裁かれ、12か月の命になってしまった。そのことに関しても、サリオスは内心怒り狂っていた。シャーロット自身がたいして気にしていないところにも、彼の怒りに油を注いだ。しかし、彼女が余生を満遍なく楽しみ尽くそうとしている様子を見て、なんとか王家に対する怒りを抑え込もうとしていた。父や他国に嫁いだ姉たちが裏でなにか動いていることも、彼が怒りを飲み込む要因の一つだったといえる。


『お前は王家の動向に目を光らせろ。よけいなことはするなよ。なにかあったら、すぐに知らせること』


 大臣の父はそう告げたが、なにをどう暗躍しているのか一言も教えてくれなかった。

 サリオスは父の言葉通り、王都を離れず、文官として働きながら王家の動きを見張っていた。本当は妹の様子を観に行きたかった気持ちを堪え、働いていたというのにこの始末。


「まったく……僕は策を講じるのは苦手なんだ」


 サリオスは嘆息交じりの呟きを零した。


「とりあえず、最低限のことはしたけど……はぁ」


 彼の目の前には、いまだに目を覚まさない妹。そして、妹から離れようとしない舌がない黒い犬。妹が犬を可愛がっていたなんて話は聞いたことがない。犬の正体についても考えなければならないが、妹を果てしなく慕っているようなので先送りにすることにしていた。


「サリオス様!」


 サリオスが思考の海に浸っていると、扉を叩く音が響いた。


「入れ!」

「失礼します」


 サリオスが短く叫ぶと、執事が入室してきた。執事の顔色がいつもより若干白いのを見て、サリオスは肩を落とした。


「……どうやら、上手くいかなかったみたいだな」

「申し訳ありません……」


 執事は深々と頭を下げ、つらつらと話し始めた。


「まず、エイプリルの名を使って城に入ろうとしましたが、門前払いを受けました。次に出入りの商人を装って入ろうとしましたが、こちらも『今日は誰も通すな、という指示だ』の一言で通らせてもらえず……」

「我が家だと見破られた、ということはないな?」

「それはございません」


 執事はきっぱりと言い切った。


「一人、門の近くを見張らせていましたが、その者からも『本当に誰も通してない』との報告が上がっております。食材関係の商人が入ろうとしても、許可が降りず、かなり憤然としていたとか」

「……なにかあったな」


 サリオスは顎に指を添えて考え込んだ。


「逆に外に出ようとする者はいなかったのか?」

「それもいないようです」

「…………厨房は住み込み。兵舎も城内にある。文官は通い。だが、今日は休日。こんな日に出仕する奴は泊まり込んでいる場合が多い。それ以外となると……」


 サリオスは一つ一つ呟きながら、ふとシャーロットに視線を向けた。


「……書庫。司書のアンナ・ディッセンバーは毎日通っていたはずだ。書庫を無人にするわけにはいかない、と。彼女が出仕しているかどうか調べられるか?」

「ディッセンバー子爵の愛娘ですね。かしこまりました。他には?」

「そうだな……」


 サリオスは立ち上がると、無意識に室内を回りながら考え始めた。


「書庫が開くのは朝の8の鐘が鳴る時間。移動に準備、諸々の手間を考えると、つまり、7の鐘が鳴る頃には出仕していなければならない」


 アンナが留守ならば、8の鐘が鳴るまでは城内に入れたということになる。逆に、まだ在宅となれば、その前から出入りは封じられていたということ。それはそれで、アンナから当時の様子を聞けるのでありがたい。


「すくなくとも、城でなにか異変が起きていることに変わりないな。そうでなければ、食材の搬入まで追い返すなんて真似はしない」


 では、最近――なにか城で異変があったか?

 些細なことでも関連することがあるかもしれない。

 サリオスは記憶の糸を解し、なにか予兆はなかったか辿り始めた。しかしながら、変だと思うことは何もない。国王はこの数か月ずっと不機嫌だし、アルバートはマリリン・ブラックローズなる街娘を探すことに熱中して、政務を疎かにしている。なお、マリリン・ブラックローズの正体はシャーロットなのだが、それを知る者はエイプリル家の者に限られていたが、わざわざ明かしてあげるほどの親切心など誰も持ち合わせていなかった。オリビアはオリビアで散財の限りを尽くしている。夏用のドレスの倍以上の秋用のドレスを注文したらしく、毎日2、3箱のドレスが城に届けられていた。あれだけ注文すれば、毎日新着ドレスを纏い、着回しなんてしなくてすむことだろう。


「……今日は衣装店も城に入れなかったのか?」


 サリオスは一度足を止めると、執事に問いかけた。


「それに関しては、まだ確認がとれておりません」

「その件もすぐに調べてくれ。確か、ネザーランド衣装店がすべて卸していたはずだ」

「かしこまりました。では、その二点を追加で調べてきます」

「馬車の事故の件もな。必要なら人員を増やせ」

「御意」


 執事が退室したところを見届けると、サリオスは再び歩き始める。


「……オリビアの性格上、衣装店を追い返すなんてありえない」


 もし、衣装店まで追い返していたのだとすれば、国王の命令という線が強まる。だがしかし、国王が城を封鎖するなんておかしい。なにもメリットが思いつかない。国王が自分の身の回りの者だけでなにかしようとしているのか……いったい、なにをするつもりなのか。


「はぁ、駄目だ。遠くの場所と一瞬で連絡をとれるような技術があればいいのに」


 良くいえば考えを深める時間ができたともいえるが、悪く考えると時間がもったいない。

 ところが、サリオスがもやもやする時間は意外と短く終わった。


「サリオス様! ごきげんよう! お久しぶりですわ」


 ネザーランド衣装店の方が、向こうから訪ねてきたのである。

 これには、サリオスも面を喰らいそうになった。


「あ、ああ……わざわざ来てくれたのか?」


 サリオスはネザーランド夫人を応接間に通すと、やや困惑した声で問うた。

 すると、彼女はきらきらと目を輝かせてこう言ったのだ。


「あら? 今日、こちらにいらしてくださいと頼まれたのですが……シャーロット様に」

「シャーロットに?」


 サリオスは怪訝そうに眉を寄せた。


「いったいどうして? あいつ、服なんか欲しがる性格じゃないだろ」

「あら? あらあら? ご存じない?」


 ネザーランド夫人は扇子で口元を隠し、こてんと首を傾げた。


「シャーロット様から手紙を貰っていましたの。『今日は王都で過ごすから、先の事件について詳しく話し合いましょう』と」


 ネザーランド夫人はそう言うと、鞄から一通の手紙を取り出した。


「先の事件……?」

「ダグラス家の誘拐騒動ですわ。ご存じないのも無理はありませんね。口止めされてましたから……でも、サリオス様にも知らせていなかったとは……シャーロット様は随分と慎重というか」


 ネザーランド夫人から渡された手紙は、シャーロットの几帳面な字だった。ただ、上手くペンを持てなかったのか、ところどころ不自然に力が入り過ぎていたりかすんでいたりするところに、かなりの信憑性を感じる。


「……まったく、あいつは何を考えていたんだ?」

「あの、シャーロット様はどちらに?」

「あいつは……あー、ちょっと寝込んでいてね。具合が良くないんだ」


 サリオスはどこまで話したらよいのか悩んだ。

 ネザーランド夫人は根っからの商売人。こちらが「他言無用で」と言ったことは可能な限り口を塞いでくれるが、そういう情報こそ価値がある。例えば、その情報が金貨200枚程度のものと判断された場合、金貨と交換でさらっと漏らしてしまう可能性があった。シャーロットが乗った馬車が横転し、意識不明の状態が続いている……という情報が金貨何百枚の価値があるかは定かではないが、ここで明かすのは得策ではないだろう。


「まあ、具合が……お見舞いをしても?」

「薬を飲んで眠ったばかりでね。申し訳ないが……」

「そう……残念だわ。せっかく、結婚式用のドレスの草案もできていたのに……」


 ネザーランド夫人は寂しそうに肩を落とした。


「結婚式用のドレス……?」


 サリオスはわずかに首をかしげた。

 妹に結婚式に参列できるような友だちがいただろうか? まさか、アルバートの結婚式に参列するわけもないし、と考えたところで、ふと……この人に聞いておきたいことを思い出した。


「ドレスといえば、オリビア様が随分とそちらの店を贔屓にしているとか」

「ええ! そうですの!」


 ネザーランド夫人はころころと笑った。


「我が衣裳店のドレスがお気に召したようで……秋用のドレスなんて、5着も新調されましたのよ!」

「……5着?」


 サリオスはぴくっと眉を動かした。


「たった5着?」

「あらやだ、サリオス様。いくら貴族の御令嬢でも、秋用に5着も新調されませんの。夜会のシーズンではないですし、せいぜい2、3着が平均ですわ」


 ネザーランド夫人は気分を害したように口を尖らせたが、サリオスはそれどころではなかった。


「その、5着のドレスはすでに納品したのかい?」

「いえ? 早くて一週間後ですわ。もう少し早く納品できそうでしたが、先方から『時間をかけてもいいから、丁寧で豪勢に』と頼まれまして」

「……だが、確かに……」


 自分はドレスが納品される箱をみた。毎日納品される衣装箱には間違いなく、ネザーランドの紋が大きく彫り込まれていたのだ。しかし、目の前の店主の反応を見る限り、毎日卸していることはなさそうだ。


「……ったく、面倒なことになったな」


 サリオスは深々とため息をついた。

 反対に、ネザーランド夫人は何かを察したのか、目が再びきらきらと光りはじめる。


「もしかして……いえ、もしかしなくても、これは何かの事件なのでしょうか? シャーロット様が御病気というのは方便で、本当は何かしらの事件解決に暗躍しているとか!?」

「……………………はい、実はそうでして」 


 サリオスは少し考えたが、すぐに悩ましそうな笑みを作った。


「ネザーランド夫人から聞きたいことがいくつかありましてね……ええ、もちろんタダとはいいませんよ」


 サリオスはずいっと夫人に顔を近づけた。


「オリビア・クロッカスに関する情報を買わせていただきたい」

「彼女は次期王妃となられる方ですから……」


 夫人は再び扇子で口元を隠し、薄っすら微笑んでいた。


「冬のドレス、8着。それでいいか?」

「春のドレスもいかがです? フリルのあるタイプが流行すると思いますの」

「では、そちらも。そうだな、隣国に嫁いだ姉上にもプレゼントしようと思っているんだ。それでもいいかい?」

「是非!」


 夫人はぴしゃりと扇子を閉じた。


「交渉、成立ですわ」


 そう言うと、夫人はにやっと楽し気に笑みを深める。

 そして、サリオスの耳元に唇をゆっくり近づけるのだった。





次回は2月後半の土曜日に更新する予定です。


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