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52話 2つ目の魔法


「これを見れば、すべて分かるはずだ」


 ロイはそれだけ言うと、口を大きく開けた。

 獣人特有の鋭い牙が光り、その隙間から赤くざらりとした舌が覗いていた。ちろちろと伸ばされた舌が目に入った瞬間、シャーロットは言葉を失ってしまった。


「これは……!?」


 赤い舌の奥に黒い紋様が刻まれている。かなり奥なので、ロイ自身は目と鼻の先にいるはずなのに上手く見ることができない。シャーロットがよく見ようと背伸びをすれば、ロイは察したように屈んでくれた。


「ありがとうございます」


 シャーロットはそう言いながら、彼の口に目を落とした。


「これは……鎌? いえ、大鎌ね」


 赤い舌のかなり奥に、刺青が潜むように刻まれていた。さらには大鎌に隠れて、小さくフードを被った何者かの姿が見える。


「大鎌とフードの人物……死神モチーフの刺青ってところかしら」


 シャーロットは確認するように視線を上げ――息を飲んだ。

 目の前いっぱいに美しく深い緑が広がっている。自分が森にいると錯覚するほど、すぐ近くに彼の眼があった。しっかり口のなかを確認しようとするあまり、いつのまにか鼻と鼻がくっつきそうなほど接近していたのだ。そのことに気づいた瞬間、シャーロットの頬は急激に熱くなった。


「っ、失礼しましたわ」


 シャーロットは弾かれたように距離を取ろうとする。しかし、急いで後ろへ下がりたいのに、やや不自由になった足がついていかない。後ろへ下げようとした右足がもつれ、よろめいてしまう。ぐらりと視界が揺れ、高い天井が目に入る。転びそうだ、と焦って体勢を整えようとするが、左足もこちらの思い通りに動いてくれない。これは、転んでしまう――せめて、受け身だけでも取らなければ、と腕を動かそうとする。

 ところが、その心配はいらなかった。


「お嬢さん!」


 すぐにロイが背に腕を回し、抱きかかえてくれる。おかげで、頭が地面に叩きつけられることはなかった。


「す、すみません」

「気にするなって。……で、分かったか?」


 いつもの笑顔で尋ねてくる。

 ただ、緑の眼の奥に寂しげな色が一筋滲んでいるように見えた。


「……おそらくは」


 シャーロットは赤らむ頬を意識しないように心がけながら、椅子に腰を降ろした。数度、深呼吸をする。書庫に充満する古書の香りを胸いっぱいに吸いながら、自身の考えを吟味し精査していく。


「私の胸にあるものと同じですね」


 服の上から、自身の胸元に指をそわした。


「あなた、そのような場所に刺青を入れるような人ではないでしょう? つまり、それは魔法による刻印でしょうね」


 シャーロットが謎を解き明かすように、ゆっくりと指摘する。


「古の魔法が使えるのは、王家の血を引く者だけ……そして、そこに刻まれているのは、死神と大鎌。そこには意味があるはずです。」


 自分の胸に刻まれた十二の花弁のように、死神と大鎌にも意味がある。ただ、どう好意的に解釈しても死神と大鎌なんて良いものではないはずだ。


「しかも、刻まれた場所が舌……『死の魔法』が心の臓の上に刻まれていることを考えるに、舌に関係しているのでしょうね。単純に考えると、舌を切り落とす魔法。術をかけた本人に不都合なことを話したり行動したりした結果、死神の魔法が作動して舌を切り落とす」


 舌の付け根に近い場所を切り落としたら、間違いなく命を落とすことだろう。奇跡的に生き永らえたとしても、言葉を発することは困難になるに違いなかった。


「正解ですか?」


 シャーロットが問うても、ロイは微笑むばかりで一言も返さない。いつもおしゃべりで陽気なはずなのに、今回に限って何も答えない。それこそ、シャーロットの考察が的を射たものだと証明しているようなものだった。


「それにしても、私の身近に魔法をかけられた人がいたなんて……! もう一度よく見せてくれません? 貴重な魔法の痕跡ですもの! この目に焼きつけておかなくては……!」

「……お嬢さん、変わらないな」


 ロイは呆れたように肩を落とした。


「だけど、そういうところが好ましい。俺からしたら、忌々しい刺青なんだけどな」

「忌々しい……?」


 シャーロットが聞き返すが、これにもだんまりだった。

 ただ、本当に――ほんの一瞬だけ、彼の眼に寂しそうな色が横切る。シャーロットはそれを見逃さなかった。静かに腕を組み、じっくりと考え込む。


「……つまり、術者に従うのは不本意ということですか?」

「そういうわけじゃねぇよ」


 ロイは頭を掻きながら唸った。しばらく悩むようにしかめっ面をしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「俺の鼻は効く。だけどさ、獣人ってのは、どうしても人目を引く。どこへ行っても目立つが、人の姿になれば紛れやすい。目が似ていることくらいで、同じ人物だと勘づく奴の方が少ねぇって話だ。まあ、つまり……そういう側面が重宝される場面もあるんじゃねぇのってことだ」


 ロイは言葉を選びながら話してくれた。

 彼の言葉と行動から推測するに、狼の獣人としての側面と人間としての側面の両方を併せ持つが故に、国王に雇われているのだろう。


「俺の故郷は貧しくてな。金はいくらあっても足りない。給料がいいなら、どんな仕事でもやる」

「スパイ……密偵のような仕事でも?」


 シャーロットは指を顎に添えながら尋ねる。


「あくまで推測ですが、国王陛下はアルバートの蛮行を知らなかったように見えました」


 シャーロットの婚約破棄の件は、内々に打ち合わせができていた。

 その証拠に、シャーロットの父は「死の魔法」をかけられる寸前まで、取り乱すことはなかった。婚約破棄が成立しても、自身の娘がちゃんとした場所に嫁ぐことができるように取り図る約束になっていた。

 アルバートは一時の感情で約束を反故した上、シャーロットに恐ろしい魔法をかけてしまった。


「あのとき、国王陛下は青ざめていました」


 国王の脳裏には、どのような感情が過っただろう?

 シャーロットは国王から好かれていなかったが、能力自体は評価されていた。

 シャーロットの一言余計な真実を告げてしまう悪癖のせいで、国王から嫌われていた。実際、彼がひっそりと侍女と火遊びを嗜んでいることを指摘しかけてしまい、あやうく離婚騒動に発展するところだった。もっとも、あの時分は戦中。前線で兵士たちが戦っているというのに、国王夫妻の離婚騒動なんて士気にかかわって来る。それをなんとか水面下で収めたのも、シャーロットの手腕だった。


「国王陛下は恐れたのかもしれません。私が……余命を一年にされた報復をすることを。だから、あなたに私の見張りを命令したのでは?」

「そこんところは、ご想像にお任せする」


 ロイははぐらかしたが、シャーロットを見つめ続けていた。誤魔化すように目を逸らすこともなく、ただただまっすぐ見つめている。


「たださ……これだけははっきりさせておきたい。お嬢さんを助けたいと思ったのは、俺自身の気持ちだ」


 彼はそう言いながら、ポンっと胸を叩いた。


「不本意に魔法をかけられ、しかもそれが生き死にに直結するものときた。なんつーか、無性に助けたいって思った。死なせたくねぇなってさ」

「……そうですか」


 シャーロットは一度、目を伏せる。

 彼の口から詳しい事情を語ることができない。とはいえ、話の端々から、彼が国王に本心から仕えているわけではないことが伝わってくる。少なくとも、舌にかけられた魔法は本人からすれば相当不本意だったに違いなかった。


「……私も、あなたに恩があります」


 シャーロットは瞼を開けると、彼の眼を見返した。


「いろいろと助けてくださりました。最後に恩返しをさせてくださいな」


 ここまで、かなり良くしてもらった。話の流れで事件を解決してきたが、ロイがいてくれたからこそ犯人に辿り着けたことも少なくない。

 残り数か月の寿命で、彼になにかしらの恩を返したいと思うのは必然だった。


「それに、舌に刻まれた魔法のことをもっともっと調べたいですわ!」

「そっちの方がメインだろ……」


 ロイはやれやれと肩をすくめたが、口元は嬉しそうに綻んでいる。


「せいぜい恩を返してくれ、お嬢さん」

「当然です」


 シャーロットは力強く言い切った。


 寿命は残すところ半分を切った。

 それなのに、また新しい魔法を見つけることができたのだ。普通に貴族の令嬢として生きていたとしても、魔法にお目にかかれるのは一生に一度あれば幸運。にもかかわらず、自身が魔法を浴びて、数か月行動を共にした青年も魔法にかけられている――これを喜ばなくて、なにを喜ぶというのだろう!


「運が良いことに、ちょうど風向きも良さそうですわ」


 シャーロットは、ヘンリーが持ってきた報せを思い出す。

 例の毒草は王都の「王立薬草園」に由来するとされるもの。王都へ行く口実になるし、王都の書庫で魔法を調べる絶好の機会だ。そのついでに、今回の毒草騒動を解決することができれば一石二鳥。


 シャーロットは楽し気に笑みを深めるのだった。




次回更新は6月28日を予定しております。

大変申し訳ありません。更新を4週間延期します。

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