50話 新たな疑念と踏み出す覚悟
「そのように慌てふためいて、いったいどうしたのです?」
シャーロットは本を読む手を止め、少しだけ目線を上に向ける。
ヘンリーの顔面は蒼白だった。顔から汗をたらたら流し、見るからに挙動不審である。
これはただごとではない。
シャーロットは侍女を下がらせると、本をサイドテーブルに置いた。書庫には、シャーロットとヘンリーだけが残される。
「いったい、なにがあったのです?」
「その前に、ロイ殿はどちらに? 今日はおられないのですか?」
「出かけてもらったのよ。貴重な本が手に入ったから、それを受け取りに」
本当は自分で取りに行きたかったのだが、何分、いまの自分は足が不自由になってしまっている。他の使用人に任せても良いが、ロイならば本の大切さを理解してくれている。丁重に受け取り、届けてくれると確信していた。
「ロイさんにも聞いて欲しい話ですの?」
「いえ、珍しいと思っただけでして……そんなことより、大変なんですよ。例の毒の話が進展しましてね……ですが、私どもの手にはどうすることもできず……」
「犯人は確保されたのでしょう?」
一昨日の新聞には、はっきり犯人逮捕の文字が躍っていた。
「犯人は黙秘を続けているそうですけど、顔が割れた以上、少しは足取りをつかめそうなものですけど?」
「つかめたんです!! かなり街に出入りしていましてね……商人のなかでも少し目立っていたようなんです。おかげさまで、この1カ月の行動が明らかにすることができました」
「それはよかったではありませんか」
ヘンリーの話が確かであれば、捜査は良い方へ転がっている。
それなのに、彼の顔色は悪くなる一方だ。シャーロットの胸に嫌な予感が芽生え始める。
「……毒草を生産していた場所、つかめたのですね」
「つかめてしまったのです……」
ヘンリーの声は切なくなるほど暗い。それだけで、シャーロットは悟ってしまった。
人々を苦しめ、死を覚悟させるほどの毒草。そのように恐ろしいものを生産していた場所なんて、どこであれ強制的に立ち入り捜査は可能だし、それをする必要がある。しかし、それができない場所なんて――1つしか考えられない。
「王立薬草園」
シャーロットがその場所を告げれば、ヘンリーは苦しそうに頷いた。
「よりにもよって、あそこですか……」
シャーロットも額を右手で押さえ、ため息を漏らす。
「王立薬草園」とは、王城の外れに建てられた施設だ。王族の健康のため、王国でもトップクラスの薬剤師と植物学者が日夜薬草の研究をしている。シャーロットも公務で何度か足を運んだことがあり、狭いながらも立派な研究施設を兼ね備えていた。
「さすがに、国王のための施設に立ち入り捜査はできませんよね」
「シャーロット様、そこをなんとかなりませんか?」
ヘンリーは腰を低くしながら頼んでくる。
「エイプリル家の力で……」
「無理だと思いますわ。私、どこぞの王族に嫌われてますもの」
シャーロットは自身の胸を触った。
明日になれば、胸元の花弁が散り、残りの寿命は7カ月――。
王太子にとって、自分は大罪人であることに変わりはないのだ。
「……そういえば、死のドレスは王都から贈られてきたことが分かっているのですね」
この事件に関わる発端は、自分宛てのドレスだった。
今回の毒草や葉巻とは異なり、ヒ素によるドレスだったが、毒であることには変わりはない。そして、出所も両方とも王都――。
「まさか、ね」
シャーロットは、頭に浮かんだ考えを馬鹿らしいと一蹴する。
今回の毒騒ぎに紛れて、王都に住まう者――それも、王族に近い者もしくは王族が自分を毒殺しようとしたのではないかと思ったのだ。しかしながら、毒の種類が違うことなどすぐに判明するだろうし、そもそも、自分の寿命は僅か。1年も経たずに命を落とすことが確定しているのだから、こんな手法で殺す必要などないのだ。策を練り、手を汚すくらいなら、時を待った方が十分早い。
にもかかわらず、さっさと殺したいと願うなんて……よほどの馬鹿か、シャーロットを必要以上に目障りに感じている者である。
「シャーロット様、私どもとしましては泣き寝入りは嫌です」
シャーロットは、ヘンリーが懇願してくる声で我に返った。
「この街を恐怖に陥れた元凶がいるんです、薬草園に! それを見て見ぬふりして野放しにするなど、できるはずがありません! なにより、私どもの腹の虫が収まりませんよ!」
「それは一理あります」
ヘンリーの言い分はもっともである。
ここまで大事にした以上、悪人はきちんと裁かれるべきだ。ここで放っておけば、また別の街で同じことが起きるかもしれない。シャーロットは指を顎に添え、少し考えこんだ。
「兄に手紙を書いてみます。詳しい話は記さず、こちらへ戻ってくるようにと」
「おお、サリオス様に!」
「ですが、兄も仕事が忙しく、嫌なことには首を突っ込みたがらぬ人……父は特にそうです。期待はできませんよ?」
情に訴えかければ動いてくれるかもしれないが、保証はできない。それに、薬草園を調べ、真犯人が明らかになったとしても、その人物に手錠をかけることができるかどうかは別の話。もう少し、作戦を練る必要がある。いや、きちんと段取りをとったところで、王族に関わる事案に踏み込むのは険しい道のりになりそうだ。
「ヘンリー、もしこの先に進むのだとすれば、それはいばらの道……相応の覚悟が必要になりましてよ」
「覚悟の上です」
シャーロットとヘンリーは固く握手を交わす。ヘンリーは力強く握ってくるので、シャーロットも同等の力で返そうと思ったが、指が震えるばかりで弱々しくなってしまう。握力が下がったな、ということを実感し、もしかすると――数時間後には、本のページをめくることも叶わなくなってしまうのではないかと思いが過り、胸の内にぽっかりと穴があいてしまう。
「……そろそろ、私も覚悟を決めるときが来たようですね」
シャーロットは小さく笑うと、目を閉じるのだった。
※
ヘンリーが場を辞し、ほどなくしてロイが戻って来た。
「お嬢さん、ちゃんと持って来たぜ」
ロイは本の山を抱えながらも、すたすたとした足取りで近づいてきた。
「ちゃんと題名があっているか確認してくれ」
「ありがとう。ですが、その前に……私、はっきりしたいことがありましてね」
シャーロットは本をテーブルに置くように頼むと、彼の目をまっすぐ見つめる。
「あなた……なぜ、酒場での話を知っていましたの?」
ずっと奇妙に想っていたことをぶつけると、ロイは虚を突かれたように固まった。
「酒場? 何の話だ?」
「精霊は見えないだけで、私たちの周りにいる……以前、その話をしましたね?」
まさにこの場所で、毒事件を引き受ける直前に話したことである。
シャーロット自身の身に起きた大魔法と精霊の関係から考え、見えないだけで至る所に精霊がいるのではないかという仮説を立てたのが、遠い昔のことのように思えた。
「私、『アルバートがどうして私の変装を見破れなかったのか』と言っただけですのに、あなたはすぐに『酒場のことか』と返しました。街娘に変装していたとも言いましたよね?」
シャーロットは淡々と事実を口にする。
「それは、その話を前に――」
「私、街娘に変装したことも酒場に行ったことも話していませんよ」
シャーロットは日記帳を取り出した。
「記憶があやふやにならないように、きちんと日記をつけていましてね……あなたにこの話をしたことは一度もありません」
それなのに、ロイは特に疑問を抱くことなく話していた。
「もともと気になることも多かったですけど、そろそろはっきりしようと思いましたの」
「お嬢さん、なにを……」
ロイの表情が徐々に強張っていく。へらっとした笑顔と良く回る口が特徴なのに、そのどちらも忘れてしまったかのような態度に、シャーロットは自分の考えが間違っていないことを痛感した。
ここに踏み込んでしまったら、二度と元の関係に戻れないかもしれない。
しかし、もう後戻りすることはできない。
シャーロットは大きく息を吐きだすと、ずっと胸に秘めていた疑念を打ち明けた。
「あなた、国王陛下のスパイですね」
5章は終わりです。
次回から6章になります。




