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49話 煙のなか


 さて、グリーングラス氏は寝室で倒れていた。

 しかしながら、かなり危険な状態だったことには変わりがない。

 彼はベッドから転げ落ちており、意識がかなり朦朧としていたのだ。倒れる直前、水差しをとろうとして失敗したのだろう。水差しの破片が床のいたるところに散らばっており、水が沁み込んだような跡が広がっていた。そのうえ、部屋は煙で充満されており、あと一歩発見が遅ければ、本格的に命が危険だったことだろう。

 グリーングラス氏はすぐに病院へ搬送され、即入院の運びになった。


「もうしわけありません、お嬢様」


 彼は意識が回復すると、目をしょぼつかせながら謝罪を口にした。


「お嬢様が、たずねてくださらなければ……」

「お礼は彼に言いなさい」


 シャーロットは微笑みながら、病室の入口で腕を組んで立つ男に視線を向ける。


「あなたを担いで外に脱出してくれたのは、彼なのですから」

「ああ……」


 グリーングラス氏は重そうに頭を少しだけ持ち上げる。


「あなたは……たしか、お嬢様の客人の……」

「ロイ・ブラックドックです。いつか、庭を案内してくださりましたね。その節はありがとうございます」


 ロイはいつもの人の好さそうな笑顔を浮かべると、グリーングラス氏は納得したように頷いた。


「礼を言うのは、こちらです。ありがとうございます……あなたは命の恩人だ」

「とんでもない。俺はお嬢さんの言う通りに動いただけ。言うなれば、お嬢さんの手足のようなものだ」


 ロイは自分の両手を広げ、ちょっとおどけてみせる。

 シャーロットはそんな彼を一瞥し、ため息をついた。


「それで、意識が戻って早々で申し訳ないのですが、あなたは葉巻が好きでしたね」

「ええ、はい」


 グリーングラス氏はなにを聞かれるのだろうか、と身体を堅くさせるのが伝わってくる。


「すみません……お嬢様が煙が苦手だと知っておりましたので……屋敷では嗜んでおりません」

「それは重々承知しておりましてよ。ですから、怖がらないでくださいな」


 シャーロットは努めて優しい声色を心がける。近くの椅子に腰をかけ、グリーングラス氏の冷たくなった手を柔らかく握りしめた。


「いろいろと無理させてすみませんね。ですが、今回――どうやら、その葉巻が原因であなたが倒れてしまったのかもしれない、という事実を突きとめましたの」

「な、なんと……っ!」


 グリーングラス氏の顔から血の気が引き、すっかり土気色になってしまっていた。


「屋敷の使用人は、私の家族のようなもの。その家族が何者かの毒牙に侵されていることが許せませんの。ですから、どうか教えてください。それを買った店の名前を」

「それは……」


 グリーングラス氏は何かを躊躇うように口を閉ざす。シャーロットの青い目に覗き込まれ、気まずそうに目を逸らそうとした。


「ジョンソン・グリーングラス」


 シャーロットは庭師の名をフルネームで呼んだ。


「では、店のある通りでも構いません。もしくは、それを渡した人が普段いる場所でも問題ありませんわ。大丈夫、あなたが話したと発覚しないように努めますから」

「…………」


 グリーングラス氏は押し黙ったまま、相変わらずなにも言わない。戸惑うように視線を泳がせていたが、一瞬――ほんの一瞬、その目がロイを捕えた。グリーングラス氏は慌てたように目を伏せ、ややあってから、シャーロットの手をか細い力で握り返した。


「名前はわかりません」


 グリーングラス氏はたどたどしい言葉で話し始める。


「ですが、特徴はわかります。紫のハンチング帽に眼鏡をかけた男です。大きな緑色のショルダーを携えていて、通りを歩きながら葉巻を売ってます」

「どこの通り?」

「アグネス通りです。噴水と花壇の近くをうろうろしています」


 それを聞き出すと、シャーロットの目がきらりと光った。


「協力に感謝します」


 彼の震える手を力強く振ると、シャーロットは立ち上がった。あまりにも勢い良く立ったので、ちょっと足元がよろめいてしまったが、すぐに杖に寄りかかり態勢を整える。


「ありがとうございます、ジョンソン。あとは良いようにはからいますわ」


 そのまま、シャーロットは彼に背を向けて病室を出た。病室の外には、ヘンリーが待機していた。シャーロットは彼と目配せすると、病院側が用意してくれた会議室に足を運ぶ。


「シャーロット様! あの葉巻でしたよ!」


 シャーロットが会議室の椅子に腰をかけるや否や、ヘンリーは堰を切ったように興奮して話し始めた。


「葉巻から今回の毒物が検出されましてね、いや、大発見ですよ! 専門職に依頼したんですけど、彼も知らぬ未知の植物だったらしくて……さっそく、このあとアグネス通りに信頼のおける者を派遣しようと思います」

「……未知の植物?」


 シャーロットは不審そうに眉を上げれば、ヘンリーは「そうなんですよ」と大仰に頷いた。


「少なくとも、この国で知られる毒草ではありません。専門職はそれなりに大陸の毒草については詳しいのですが、彼の愛用する図鑑にもそれらしき掲載はなかったようなんです」

「ってことは、新種の毒草が発見されたってことか?」


 ロイはいつになく真剣そうに目を細めた。


「そんなもので造った葉巻を大量にばらまいてる奴がいるってことだろ。少なくとも、どこかで栽培してるってことになる。相当な敷地と設備が必要になることくらい、俺でも分かるぜ?」

「ええ、被害の規模を考えても、新種の毒草を大量栽培しているともなれば……普通でしたら足がつきます。ですが、今回の犯人は足がつかないと思っている。そうでなければ、ここまでのことはしませんよ」


 新種の毒草というだけでも厄介なのに、それを誰にも知られずに大量栽培できるなんて常識的にありえない。栽培するための敷地は当然必要になってくるが、新種の毒草を研究するための施設や設備も不可欠だ。かなり広大な敷地が必要になるし、そのような場所はどうしたって目立つ。ましては、人を害するような毒物を意図的に生産するなど、外道の所業。そのような人が出入りする施設は、どうしたって周囲の人の目から見ても異常が隠しきれないものだし、人の噂として流れても不自然ではないのだ。


「シャーロット様、ご安心を。犯人を捕まえて、全部吐かせれば解決ですよ!」

「相手は毒使いです。毒で自殺されないように、くれぐれもご注意を」

「分かっております。それでは、これで。また、なにか分かりましたら、すぐに連絡を入れますので」


 ヘンリーは人の好い笑顔で敬礼すると、風のように出て行った。


「……私たちも戻りますか」


 これ以上、ここにいてもすることはない。

 あとは、ヘンリーの調査結果が上がってくるのを書庫で待っていれば良いだけだ。シャーロットはゆっくり立ち上がり、扉の方へと足を向け、ふと――思い出したように振り返る。


「そういえば、ロイさん。あなた、いつのまにか庭を散策していたのね」

「そりゃ、あれだけ立派な庭だからな。ちょっと観ておきたいって思ったんだよ」


 ロイはちょっと驚いたように目を上げる。


「話してなかったか?」

「……覚えてないわ」

「話したと思うけどな。それに『庭に東屋なんてもんがある立派な庭なんて、そうそう見れるもんじゃない。だから、ちょっくら観に行ってくる』って言ったじゃないか」


 シャーロットは首を横に振った。

 そのようなことを話した記憶がない。本に夢中であやふやに返したのか、それとも――、とここまで考え、シャーロットは嫌な予感を振り払うように、もう一度首を強めに振った。


「まあ、貴方がどのように屋敷で過ごしても構いませんけど」


 シャーロットは呟くと、会議室を後にするのだった。






 それから三日後のこと。


「シャーロット様、一大事ですぞ!」


 ヘンリーが青ざめて書庫に飛び込んできたのは。



次回更新は4月12日を予定しております。延期してしまい申し訳ありません。


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