40話 絡み合った糸
「ん? それって、妙じゃねぇ?」
ロイが眉間に皺を寄せながら、ぽつりと言葉を零した。
「本当にダグラス家の奴だったのか? もし、そんな奴がいたら、さっきの執事が教えてくれてるだろ? なぁ、執事さんって……いねぇ」
彼はそこまで言いかけ、執事が人混みに流され姿が見えないことに気づいたらしい。はぁっと大きなため息を吐き、面倒くさそうに髪をかいていた。
「お嬢さんはどう思う?」
「一番聞きたかったことは確認できたので問題ありませんわ」
シャーロットは小さく笑って見せる。
「ああ、ですが最後に一つだけ――夫人にお尋ねしたいことがありますの」
シャーロットはネザーランド夫人に顔を向ければ、彼女の表情がわずかに強張るのが分かった。ちょっとお節介なおしゃべりで商魂に燃える夫人であっても、シャーロットの悪評は知っているのだろう。こうして自分から話しかけると、夫人の唇がわずかに引きつっているところからも感じられ、つくづく「私ってそこまで嫌われる筋合いあります?」と思わずにはいられなかった。
「夫人、今朝――ヴァイオレットさんとお会いしたと聞きますが、それは本当でしょうか?」
「え、ええ本当よ」
夫人は一瞬、怪訝そうに眉をひそめた。
「彼女もお得意様ですから。お声をおかけして、ちょっと話が盛り上がったわ」
「時間は、だいたい30分ほどで?」
「どうだったかしら……? 私、あまり時計を見る習慣がなくて……でも、5分前のベルが鳴ってね、それで別れたのよ」
「そこの侍女の方は、会話の途中に帰ってきたのですか?」
「えっと……ちょっと待ってくださいね……どうだった?」
夫人は大変困ったように頭を悩ませながら、傍らの侍女に問いかける。一方の侍女は「ああ、その質問なら簡単です」とでも言いたげな表情で、さらりと答えるのだった。
「まだお話の途中でしたわ。そのあとも、しばらく楽しそうに話しておられましたし」
「そうですか、そうですか」
まあ、それは分かっていた。
シャーロットは微笑みながら満足げに頷いた。
「でも、シャーロットさん。どうしてそんなことを聴くのかしら? なんだか、取り調べみたいで肩が凝っちゃう」
「いえ、あながち間違っていませんわ。実は調べていることがありましてね」
「あら、本当?」
ここで、夫人の目の奥に光が灯った。それまで、シャーロットに対する不安の色が渦巻いているようだったのに、一気にお節介な好奇心が込み上げてきたのだろう。
「まさか、事件? 最近、シャーロットさんが難事件を解決してるって噂なのよ。もしかして、杖をつかれているのもなにか関係があって?」
夫人の声色も先ほどより半オクターブ高くなっているように感じたのは、気のせいではないだろう。
「杖に関しては、最近、足の具合が悪くて……」
「まあ、なにかお怪我でも?」
「そういうわけではないのですが……」
「まあまあ、お大事なさってくださいな……それはそうと、ご存じかしら? ヴァイオレットさんと言えばね――」
夫人はそう言うと、まるでとっておきの話をする子どものような顔でこのような言葉を続けた。
「仲の良い方がいらっしゃるのよ」
「それは友人という意味で?」
シャーロットも彼女に合わせるように声を潜めて問い返せば、夫人は殊更楽しそうにうに首を振るのだった。
「たぶん、恋人よ。男性だったもの。それまで腕を組んで歩いていたんだけど、私が話しかけたらね、そそくさと去っていったから」
「……ドナルド君がいたのに?」
「そうなのよ! 本当に退屈そうにしてたわ……」
「それは可哀そうに……」
結局のところ、ヴァイオレットが芝居を観に来たのは恋人との逢瀬を楽しむためだったに違いない。悲恋を謳った演目も、彼女たちの心を盛り上げるにはピッタリだ。問題は、どうして息子を連れて来ていたのだろうか?
「……ま、その理由も見当がついてるけど」
シャーロットは口の中で呟くと、ちらっと視線を人込みに向けた。芝居が終わり、ロビーから出ようとする人々の波に逆らうように、執事が悪態をつきそうな顔でこちらに近づいてくるのが見える。
「一緒にいた男性は、あの方?」
執事に視線を向けたまま尋ねると、ネザーランド夫人はいいえと否定する。
「もう少し若い方でしたわ。髪も金髪でしたし……そうよね?」
夫人が侍女に投げかければ、彼女も大きく頷いた。
「はい、あの男性ではありませんでしたわ。間違いありません。私、一度会った人の顔は忘れませんもの」
「あの男性ではない、ですね。ありがとうございます」
ここまで来ると、完全にピースが揃った。
シャーロットは自分の気持ちを整えるように呼吸を繰り返す。その間に、やっと執事が追い付いてきたらしい。額に汗をかきながら、ほうほう肩で息をしている。
「エイプリル様、お待たせして申し訳ありません」
「かまいませんよ。……ネザーランド夫人、彼はダグラス家の執事の方で、ここまで案内してくださいましたの」
「まあっ、そうですの……と、いうことは、今回の事件はやはりダグラス家に関係していらっしゃるのね?」
ネザーランド夫人はやはり浮足立った様子で言うも、反対に執事は酷く不機嫌そうに顔をしかめていた。
「いえ、当家で事件が起きたというわけではありませんので」
執事はそう言いながら、シャーロットに非難めいた目で見てくる。無理もない、ドナルドを誘拐した一味からの脅迫状には「警察に知らせないこと」と記してあったのだ。第三者へ無闇に語るのをよしと思っていないのだ。
「当家と言えば、ここで1つ明らかにしなくてはならないことがありますのよ」
シャーロットはふんわりと笑った。
「あなた、どうして嘘をついたのですか?」
口元に上品な笑みを浮かべたまま、執事に冷ややかな視線を向ける。
そもそも、最初からおかしいと思っていたのだ。
ドナルドはトイレで誘拐された。なるほど、トイレは人の目がないように思える。いくら貴族でも使用人の前で用を足すことには忌避感があり、個室に入れば、なおのこと目が離れやすい。それでも、なにかあったときのために、使用人がトイレの前まで同行することはある。
だが、ドナルドは男の子――どうして、ネザーランド家の侍女が同行したのだろうか。侍女しかいないのであれば、話の筋が通っているように思えるが、ヴァイオレットには執事が付き従っていたのだ。
「ドナルド君のトイレ……同性の使用人がいるのでしたら、その方が付いていくが妥当でしょう。そうでなくても、なぜ他家の侍女に頼んだのです?」
「それは……席を外してまして」
「それは何故?」
「私も……別のトイレに」
シャーロットは杖でコツコツと床を叩きながら、逃がさないと執事に歩み寄る。
「時間がかかりすぎでは? かなり長時間、ここで話していたみたいですよ」
「戻ってくるときに知り合いと話してまして」
「それは誰ですの?」
詰め寄るも、執事はしどろもどろ言葉にならないことを口にするばかりだった。つい数秒前まで血色の好かった顔色も、いまでは急降下。すっかり青ざめてしまっている。変わらぬのは、汗が絶え間なく噴き出していることだろう。もっとも、暑さによるものではなく、冷や汗の類だ。
「このままでは、あなたが犯人扱いされてしまいますよ。それとも、あなたが犯人なのでしょうか?」
「そ、それは違います!」
執事が真っ青な顔で否定する。あまりにも必死に叫ぶものだから、ホールに残っていた客の数人が「なにごとか?」とこちらを振り返るのが分かった。
「わ、私はただ……ただ、言われた通りにしただけでして」
「誰の?」
短く、しかしハッキリと問いただす。
お前の保身のせいで、この事件が起きたようなものなのだ。しかも、そのせいで糸が絡み合い、解くのが面倒なことになってしまっている。糸をハサミで切るのは簡単だが、人命がかかっている以上、少々手間がかかろうとも、1つ1つ正さなければならないのだ。
「その者の名を答えなさい、ドナルドとヴァイオレットの命が大切ならば」




