37話 メリットなんてない
「お邪魔しますわ……っ!?」
シャーロットが部屋に入るや否や、なにか白い物体が飛んできた。幸いなことに、ロイがすぐに叩き落してくれたが、足元に落ちた物体に目を落とす。そこに転がっていたのは、くしゃくしゃになった白い枕だった。心なしか、ところどころ濡れているようにも見える。
「これは……」
「出て行ってよ!」
悲痛の叫びが耳を貫き、シャーロットは顔を上げた。声の方へと視線を向ければ、ベッドに半身を横たえた女性と目が合った。泣きはらしたのか目はすっかり真っ赤に腫れてしまい、顔は病的なまでに白くなってしまっている。それでも、こちらを忌々しそうに見つめる目力に弱った様子はなく、怒りに満ちあふれていた。
「……ヴァイオレット様ですね。私は――」
「シャーロット・エイプリルでしょ! 忘れるわけないじゃない!! なんで、こうも最悪な状況に限って絡んでくるのかしら!!」
ヴァイオレットは鬼気迫る表情で断言する。
シャーロットはそれを静かに見返していると、ロイが耳元に顔を寄せてきた。
「お嬢さん、もしかして、過去になにかあった? めっちゃ恨まれてるっぽいけど……」
「ええ、お茶会で少々」
「少々!? あんたのせいで、しばらく外を出歩けなかったんだからね!」
シャーロットたちの会話が聞こえたのか、ヴァイオレットが噛みつくように叫んだ。
「いっつもそう! 今回も勝手に首突っ込んで、場を引っ掻き回すんでしょ! こっちはね、大事な息子が誘拐されたのよ!? 遊び半分で関わらないで!!」
彼女の言葉を聞いて、ダグラスは気まずそうに目を逸らし、ロイが「え、まじで?」と小声で呟く。
シャーロットは小さく肩を落としたが、彼女をまっすぐ見据えたまま口を開いた。
「遊び半分ではありませんわ。このような事態を知ったまま、無視して帰るようなことはできませんもの」
「お父様! すぐにこの女を屋敷からつまみ出して!! こいつ、疫病神だもの!! そうよ、きっと、ドナルドを誘拐したのは、こいつに決まってるわ!」
「では、ドナルド君が誘拐された場所と日時を教えてくださいませんか? 身の潔白を証明してみせます」
シャーロットが淡々と尋ね返せば、ヴァイオレットはこちらを睨みつけたまま腕を組んだ。
「しらじらしい。金羊通りの芝居小屋! ドナルドはトイレに行ったまま戻らなくて、代わりに落ちていたのは脅迫状! あんたがこっそりやったんでしょ!?」
「芝居小屋のトイレは出入りが激しいですわ。そこに異性かつ足の悪い者がいれば、誰かしらの目に着くはずだと思いますけど?」
そう言いながら、これ見よがしに杖で床を叩いて見せる。
しかしながら、ヴァイオレットは納得できないらしい。彼女はふんっと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あんたなら、どうにかして誤魔化せるんでしょ? それか、後ろの彼に命令してやらせたんじゃないの?」
「ドナルド君を誘拐したところで、私にメリットなどありませんわ」
「私への嫌がらせ!! そうに決まってるわ!!」
「あなたへ嫌がらせをするくらいなら、その時間で一冊でも多くの本を読みますわ」
シャーロットはつまらなそうに言い切った。
正直、こうして彼女と押し問答している時間がもったいない。この間にも、ドナルドの身に危機が迫っているかもしれないのだ。だが、それを正直に訴えかけても、ヴァイオレットは頭に血が上ってしまっている。勝手な思い込みと過去の出来事のせいで、犯人だと断定している者の言葉など聞き入れてくれないだろう。
「ロイさんは獣人。この辺りでは目を引きます。芝居の衣装と思われた可能性もありますが、芝居小屋の演目に獣人が出てくる回はありまして?」
なので、まずは少しでもヴァイオレットの誤解をほどく必要がある。ついでに、ドナルド誘拐に関する情報も収集してしまおうと頭を働かせることにした。
「そもそも、あなたは私に嫌がらせをされる心当たりがありまして?」
「うっ、それは……」
ヴァイオレットは言葉を詰まらせると、一瞬だけ目を逸らした。だが、すぐに別のことに気づいたのか、勝ち誇ったような顔で叫ぶ。
「なら、金よ! 金500枚!! あなたがとーっても欲しがってる本を買うための資金にするためでしょ!」
「金500枚なんて、私にとっては小遣い程度ですわ」
「はぁ!? 馬鹿にしないでよ、大金じゃない!!」
「ダグラス伯爵家の財政からしたら大金でしょう。ですが、我がエイプリル家の財力を侮っていただいては困ります」
シャーロットがそう言いながら、ダグラスとヴァイオレットの表情を観察した。彼らは言い返したそうな顔をしていたが、口を堅く閉ざしていた。エイプリル侯爵家は王国内でも屈指の財力を誇ることは周知の事実。実際、五本指に入るのではないだろうか。ダグラス伯爵家も金銭的に余裕がある方ではあるが、エイプリルの足元にも及ばない。
「それに、私はドナルド君の顔を知りません。顔も知らない相手をどうやって浚うのでしょう?」
「それは……あたしと一緒にいるところを目撃したからに決まってるわ!」
ヴァイオレットはそう言うも、先ほどよりも威勢がなくなっていた。少しずつ確信が揺らぎ始めたに違いない。
「でも、あなたはトイレの前で待っていたのでしょう?」
「ロビーで待っていたのよ。ちょうど、ネザーランドの奥様がいらして話が盛り上がってしまって……」
「ネザーランド? たしか、衣装店を営む豪商でしたわね」
「あたしたちが観に行った芝居に出資してたらしいわ。で、しばらく話していたのだけど、ドナルドがまったく帰ってこなくてね」
「……なるほど」
シャーロットは目を閉じると、その場の風景を想像する。
芝居小屋のロビーで知り合いを見かけたとき、話しかけるのは珍しいことではない。人との繋がりを大事にする豪商ならば、ほぼ間違いなく話しかけるはずだ。ヴァイオレットは結婚前から衣装に目がなく、夜会や茶会では流行りの服を必ず身に纏っていた。おそらくだが、ネザーランド衣装店のお得意様だったに違いない。
さて、ヴァイオレットとネザーランドの奥方が会話を始める。
女性同士の会話というものは長くなるもので、1つの話題に花を咲かせていたと思えば、まったく別の話に飛び、そうかと思えば他の話が膨らみ、盛り上がっていく。ヴァイオレットもネザーランドの奥方も寡黙ではなく、むしろ厄介ごとやゴシップ好きでおしゃべりな方だ。ドナルドがなかなか帰ってこないと気づいたときには、それ相応の時間が経過していたと推察できる。
「……まあ、それくらいの時間があれば……」
彼女たちが話に夢中になっている間に、外へ連れ出すことは十分に可能だ。子どもは芝居で使う衣装ケースや道具箱に隠し、運ぶことだってできるだろう。
「では、無実を証明するために、ネザーランドの奥方に会いましょうか」
そのついでに、金羊通りの芝居小屋も観に行くとしよう。犯人の脱出ルートを探る必要があるし、ドナルドの居場所を探さなければならない。
「それから、もう1つ」
シャーロットは目を開けると、いまだに疑いの眼差しを崩さぬ女性に向かって問いかけるのだった。
「あなた、誰と芝居小屋へ行きましたか?」
「それは、ドナルドと行ったに決まってるでしょ!」
「ドナルドと2人っきり? 本当に?」
「ほ、本当よ! 他に使用人何人か連れて行ったけど……それがなにか関係あるって言うの!!?」
ヴァイオレットの顔に困惑の色がにじむ。
「ドナルド君と使用人ですね……」
その姿を見て、シャーロットは口の端を少しばかり持ち上げるのだった。




