36話 身代金の疑惑
「そういえば、ロイさんは金貨を持っていますか?」
シャーロットは階段をゆっくり上りながら、ふと思い出したように問いかける。
「金貨? そりゃ、遠出だし1つか2つは持ってるけど……ま、まさか、身代金を俺にも出せってことか!?」
「まさか!」
ロイの驚く気配を背中で感じながら、シャーロットは静かに一蹴した。
「少し確認したいことがありまして」
「だったらさ、お嬢さんの奴を見ればいいだろ? んな、わざわざ俺のを借りなくてもなぁ……」
「私の貨幣を?」
シャーロットはそこまで話してから、彼が思い違いをしていることに気づいた。最後の段を上り終えると、ふぅっと大きな息を吐き、後ろを振り返った。ロイの怪訝そうな顔を見据え、あまり偉そうに聞こえないように声色を気をつけながら答えるのだった。
「私、財布を持っていませんの」
ダクラス伯爵の屋敷まで、二泊三日程度の距離。
宿は事前に抑えてあるし、食事の手配も済んでいる。ダグラス伯爵から本を譲ってもらう際に金銭が必要になることもあるだろうが、それは小切手で事足りるだろう。そもそも、あまり財布を持ち歩く習慣がなかった。エイプリル侯爵家の娘で未来の王妃ともなれば、それなりの行動を要求される。街をふらつき目についた商店に入ったり、自分で支払ったりすることはめったになく、買い食いなど以ての外。衣装を含めた買い物はもっぱら外商が屋敷に訪れ、支払いは小切手の類で行うのが常だった。自分で財布を開いて金銭を支払った経験など、指で数える程度しかない。
シャーロットがそう説明すれば、ロイが目を丸くしていた。
「マジか……さすがは侯爵家の御令嬢……って、待て待て待て! 酒場で一般人に擬態したんだろ!? それでよく周りの目を誤魔化せたな!?」
「知識があればなんとかなりますよ。モデルとした方もいましたし」
「なんつーか、お嬢さんって凄いな。えっと、金貨だっけ? ……ちょっと待ってろよ」
ロイが歩きながらポケットに手を突っ込む。あまり分厚いと言えない財布を取り出すと、ややくすんだ金貨を一枚つまんだ。
「これでいいか?」
「ありがとうございます」
左手で受け取ると、シャーロットは歩きながら金貨を一瞥する。国王陛下の横顔が刻まれた金貨、製造年数、製造番号を確認していれば、前方からダグラス伯爵の不機嫌そうな声をかけられる。
「エイプリルのお嬢さん! こちらは一刻も早く事態を解決したいんだ! こそこそしていないで、早くしてくれ!」
「申し訳ありませんわ」
金貨を握りしめ、すぐに謝罪する。
「一体何が気になるのかね? その金貨云々はいま確認しなければならないことなのか?」
「ええ、犯人を特定するために必要です」
「ほう? その理由を聞いても?」
「いえ、まだ確実ではないので……不確定な事実を語り、混乱させてしまうわけにはいきませんので」
ダグラス伯爵は胡散臭そうな顔をしていたが、シャーロットは口を閉ざした。ロイがうずうずと聞きたそうな顔をしていたが、この場所ではダグラスの耳にも入りかねないので我慢してもらうことにする。
「……」
もし、自分が犯人ならば――と考えたとき、脅迫文には決定的な違和感があった。
身代金として要求した金貨500枚という金額も気になるところだが、脅迫文には「騎士隊へ連絡するな」とは書いてあったものの、具体的な指示が少なすぎる。雑誌や新聞の切り抜きで造った脅迫文であることを加味しても、自分が身代金目的の犯人ならば絶対に気をつけなければならないことが記されていなかった。
身代金目的ならば、単純に金銭が欲しいということ。
金銭が欲しいということは、金貨500枚を使いたいということだ。借金なのか自分の生活をよりよくするためなのかは分からないが、身代金として用意された金銭がどんな形か分からないが市場に出回るということだ。ここで厄介になってくるのは、金貨に刻まれた国王の顔、製造番号や製造年数。そもそも一般人において、金貨なんて日常生活で使う機会はほとんどない。金貨を使う場所は限られてくるし、製造番号の照会をすれば、いずれは足がついてしまう。
金貨なので溶かしてしまえばよいと考えもあるが、他の金細工に加工できないように混ぜ物をしている。溶かしたところで、なにかしらの理由からすぐに判明してしまうらしく、数年に一度、金貨を溶かして商売しようとした不届き者が逮捕される。このあたりの加工技術は国王含む一部王族にしか伝わっていないので、シャーロットとはいえさすがに全貌を知ることはできないが、金貨を溶かす目的で欲しているのであれば、他国の金貨を用意するのが前提となるだろう。
つまり、「騎士隊に連絡するな」だけでなく「製造番号を記録するな」とか「製造番号を連番で用意するな」とか「○○国の貨幣で用意しろ」そういった工夫が必要になって来るわけだ。
そういうことが一切ない。
つまり、これは単なる身代金目的の誘拐ではないということになってしまう。
では、怨恨か? となってくるわけだが、脅迫文からはそのような雰囲気は感じられなかった。怨恨ならば、恨みを想起させるような文面を用意するだろう。もっとも、まだ脅迫文は一通目。二通目以降に恨み節が書かれている可能性があるので、まだまだ分からない。
「……いずれにせよ、ヴァイオレット様に話を聞いてからですわね」
シャーロットは呟くと、案内された部屋に足を踏み入れるのだった。
遅くなってすみませんでした。
来週も金曜日の夜に更新しますが、もう少し早く投稿できるように努力します。




