35話 誘拐事件発生!?
「犯人からの脅迫状は届いていません?」
シャーロットが静かに尋ねたが、ダグラスの耳には届いてないようだった。それどころか、シャーロットたちがいるということすら忘れてしまっているらしい。ダグラスの顔は青を通り越して病的なまでに白く染まり、手をわなわなと震えさせながら執事に詰め寄っていた。
「ど、ドナルドが誘拐……っ!? それは本当なのか!?」
「ざ、残念ながら……」
「誰に!? 誰に誘拐されたというのだ!」
普段の紳士然とした態度は消え失せ、血走った目で執事を睨みつけている。無理もない。孫が誘拐されたという一大事に、冷静さを保ったままいられるわけがないのだ。
「落ち着いてくださいませ、ダグラス伯爵」
シャーロットは肩を落とすと、杖を突きながらゆっくりと歩み寄った。
「慌てることは誘拐犯の思う壺。こういうときこそ、冷静な判断が求められるはずです」
「むっ……」
ここでようやく、ダグラスはシャーロットたちの存在を思い出したらしい。彼の目の焦点がこちらに合うことを確認すると、シャーロットは再び問いかけた。
「それで脅迫状は? もし届いていないのだとすれば、一刻も早く誘拐現場へ急行するべきかと」
「は、はい。こちらに……」
執事がしどろもどろになりながらも、自身の胸ポケットから封筒を取り出した。
「貸せ!」
ダグラスはひったくるような勢いで取ると、乱暴に封を破った。ダグラスは目を真っ赤に腫らしながら脅迫状を読み終えると、頭を抱えながらよろめいてしまう。
「嘘だろう……今日の夜中までに、金貨500枚だと……」
「身代金の要求ですか」
シャーロットは小さく呟いた。
まだ脅迫状の文面を読んでいないので断言はできないが、少なくとも行きずりの犯行ではなさそうだ。自分の欲求を叶えるために衝動的な誘拐をしたのではなく、金銭等を要求するための手段としての誘拐ならば犯人との交渉の余地がある。
「失礼、見せていただいても?」
シャーロットが声をかけると、ダグラスは一瞬頷きかけたが、すぐに我に返ったように首を振った。
「客人に見せる物ではない! もう帰っていただこう……我が家の一大事なのだ!」
「一大事だからこそ協力させていただきたいのです」
シャーロットはきっぱりと言い放った。
「このような状況を見て、では帰りますと背を向けることはできませんわ」
「しかしだな!」
「旦那様、エイプリル様に協力を要請したらいかがでしょう?」
「なに!?」
ダグラスは憤怒の形相で言いかけたが、執事がすぐに耳打ちをした。
「エイプリル様と言えば、最近は様々な事件を解決していると聞きます。ほら、例のマリリン夫人が起こした一連の事件や放火魔の逮捕、王都に蔓延っていた呪いも解決に導いたとか……」
「む、うむ……」
「それに『騎士隊に連絡するな』と書いてあります。騎士の協力を仰げない以上、エイプリル様の頭脳を借りるのが得策ではありませんか?」
執事に言われ、ダグラスはしばらく唸り込んでいたが、やっと意を決したように大きく頷いた。
「……すまない、エイプリルのお嬢さん。恥を忍んで頼みがある、我が孫を助けてくれないか?」
ダグラスは消沈した声で言うと、握りしめられてくしゃくしゃになった脅迫状を渡してくる。シャーロットは丁重に受け取ると、わずかに眉をひそめた。文面は実に簡素ながらも、実に手の凝った脅迫文だった。わずかに日に焼けた用紙の真ん中あたりに、文字が印刷された紙を貼り付けるという方法で文が作られている。
「『孫を預かった。今日の夜までに、金貨500枚、用意すること。騎士隊に、連絡、するな。受け取り、場所は、また、連絡する』……封筒を拝見しても?」
シャーロットは脅迫文に目を通すと、次に封筒へ目を向けた。どこにでも売っているような封筒の宛名には、なんとも読みにくい乱雑な文字で『ダグラス伯爵』とだけ記されている。
「エイプリルのお嬢さん、なにか分かりましたか? 孫の手がかりとか、犯人の心当たりとか!?」
「多少は分かりましたが、その前に一つだけ。ドナルド君はどちらで誘拐されたのか、教えていただけないでしょうか?」
「ああ、それはそうだ! それに、娘だ……! 娘はどうしている!? このことを知っているのか!?」
「このことを最初に気づいたのは、ヴァイオレット様でございます。いまは心労でお倒れになり、お休みされております」
執事がつらつらと語る。
シャーロットは頭のなかで、ダグラス伯爵の家系図を想起した。
ダグラスには幾人か子どもがいたが、そのうちの一人がヴァイオレットだ。隣国の商家に嫁ぎ、一人息子をもうけたと聞いている。おそらく、その息子が今回誘拐されたドナルドに違いない。
「彼女のもとに案内していただきたいのですが……ヴァイオレット様も帰省されていたのですね」
シャーロットが尋ねると、ダグラスは歩きながらなんとも難しい顔で同意する。
「いろいろありまして、夏の間だけ帰ってきているのです。ドナルドはこの街が珍しいらしく、よく芝居小屋へ遊びに行っておりましてな……朝食のとき、今日も金羊通りの芝居小屋へ行くと……ああ、あのとき止めていれば……」
「起きたことを悔やんでも仕方ありませんわ。まずは、ヴァイオレット様に話を聞きに行きましょう」
「金貨500枚は!?」
「用意できるのですか?」
金貨500枚あれば、王都で家を買うことができる。さすがに一等地は難しいだろうが、場所を選べばそれなりの豪邸を建てることも夢ではない。かなりの大金のはずだが、ダグラス伯爵は冷や汗を垂らしながらも「なんとか」と答えた。
「……では、念のため用意されるといいでしょう」
シャーロットが言うと、背後でロイが「おいっ」と不満げな声をかけてきた。
「いいのかよ、犯人の要求を呑むのか!?」
「まさか。ちゃんと用意しているというアピールです。誘拐犯に渡すのは、監獄へのチケットだけです。それに、この犯人……几帳面そうですから、ちゃんと金銭を用意しているか否か確認してそうだなと思いまして」
シャーロットは杖をつきながら答える。
「脅迫状の文章が、随分丁寧に貼り付けられていましたから」
新聞や雑誌の必要な個所を切り抜き、1つ1つ丁寧に貼り付けるだけでも気が遠くなる作業だ。ましてはそれを文章としてつながるように並べ、細々と糊付けするなんて几帳面な人間でないとできない。乱雑な荒くれ者ならば、そのようなことをする前に自分で脅迫文を書いていることだろう。その方が手っ取り早いしずっと楽なのだ。
「それに、金貨500枚……というのも気になります」
1000枚ではなく、なぜ500枚なのか。
このあたりの事情も詳しく調べたいが、まずはヴァイオレットに事情を聞くことが先決だ。シャーロットは心を急かすように足を動かすも、ちょっとした拍子につまづいて転びそうになる。そのたびに杖で体勢を整えるのだが、なんとももどかしい。
「シャーロット嬢、大丈夫か?」
ロイの気遣うような声に「大丈夫」とだけ返す。
最近、どうにも足が上手く動かない。こうして杖を突いていなければ、階段どころかちょっとした段差を乗り越えることも苦手になってきている。シャーロットは一度だけ自分の胸元に目を向けるが、ため息とともに前を向いた。
「……まずは、ドナルド君を助けなくては」
こんな状況を知ったまま、見て見ぬふりをして本を読むことなんてできない。
シャーロットは自分に言い聞かせるように呟くと、ダグラスたちの背中を追いかけるのだった。




