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33話 弾む心


 翌日、シャーロットは書庫を訪れる。

 足取りは誰よりも軽く、これ以上ない満面の笑みをしていた。普段は人を寄せ付けないような冷たい眼差しも、今日だけは晴天の夏空を思わすほど爛々と輝いている。城内ですれ違う人々がぎょっとし、誰もが足を止めてまじまじと二度見するほど、いつになく上機嫌だった。


「アンナ、ごきげんよう」

「……どうやら、良い方向へ進んだようですね」


 アンナはシャーロットを一目見ると、すぐに苦笑いを口元に浮かべていた。


「あら、分かりましたか?」

「そうでなければ、貴方に別の誰かが憑りついたと思うところです」

「まあ! 私、そこまではしゃいでいましたか」


 シャーロットは本の背表紙を目で追いながら答える。その声色も語尾を大層弾ませており、よほど良いことがあったのか、はたまた気持ちを高ぶらせなくてはやってはいられないのか、誰もが二択で悩むことだろう。


「今朝、アルバート様から書状が届きましたの。私の推理通りだったと」


 たった一文、短く綴られた手紙を握りしめる。その姿はさながら恋人から届いた文を受け取ったかのようだったが、もちろんアルバート自身に好意などない。彼に対する好感度など地の底まで落ちていた。シャーロットにとって大事なことは、推理通りだったという一点のみ。


「フェンネル医師には残念な結果だったと思いますが、一連の事件はクレソン薬師がやらかしたことだったと明らかになった以上、書庫を一週間自由に使える権利は確約されたというもの」


 シャーロットはお目当ての本を見つけると、次々に手に取っていく。

 アンナはその姿をどこか呆れたように見つめながら、小さく息を吐いていた。


「……ですが、動機が分かりませんね」


 アンナがぽろっと疑問を零せば、シャーロットの目がわずかに冷めたものになった。


「推測はできますが、理解はしなくていいと思いますよ」

「お聞きしても? お茶くらい淹れますわ」

「……つまらないものですよ」


 シャーロットは肩をすくめると、本棚に視線を戻した。


「要は、自分が偉い気持ちに浸りたかったのです」


 体調が悪くなれば、どうしても医師を頼る。

 医師は患者を診察し、薬を処方する。そこで治れば、患者は医師を頼って良かったと強く思うだろう。医師の診断は間違っていなかったのだと考えるに違いない。

 しかし、薬師が直接の感謝を告げられる機会は少ない。もちろん、薬師への恩義はあるのだろうが、どうしても医師の方が目立つのは否めない。


「王都で生計を立てる高名な医師たちがこぞって信頼する薬師。ですが、直接的に称賛を得る機会は少なかった。普通でしたら、称賛欲しさに人を殺しかける狂人はいませんよ」

「まあ、それはそうですよね」


 アンナも茶器を用意しながら大きく頷いた。


「ただ、クレソンは違ったと?」

「医師も頭を悩ませる奇病に対し、懸命に薬を調合し、最期の最期まで必死に向き合う姿に酔いしれていたのだと思いますよ。おそらくですが……」


 シャーロットは一度立ち止まると、先ほどまでとは打って変わった、どこまでもつまらなそうな声で呟くのだった。


「同情と称賛を得たかったのでしょうね。実際、彼はゼーゼマン夫人がどうしようもなく寝たきりになったとき、医師と同伴で来訪したでしょう? 薬の投与状態を確かめるだけでなく、同情と称賛を得たかったのです。もしかしたら……ゼーゼマン夫人の病状を見て、薬の調合を変えようと考えていたのかもしれませんね」

「殺さないように?」

「ここでわずかに回復させることで、称賛が集まるでしょう? まあ、そのあとは……不幸な結果になったかもしれません。いずれにしろ、ここで捕まって本当によかったですわ」

「酷い話だこと」


 アンナが吐き捨てるように言った。


「王都の医師が懇意にしてくださる時点で、腕が立つということは誰もが認めているということですのに」

「それだけでは足りなかったのでしょうね」

「ですが、フェンネル医師はどうして気づかなかったのでしょう?」

「それだけ、クレソンを信用していたのでしょうね」


 医師は患者を診察し、薬を処方する。まさか、懇意にしている薬師が自分の指示からずれた薬を用意しているとは露にも思わず、患者に渡していたのだろう。


「最初は睡眠薬だったかもしれませんし、ごくごく普通の風邪薬だったかもしれません。それを毒や副作用をもたらす劇薬にすりかえ、徐々に患者の身体をむしばんでいったのでしょう」

「患者は薬の違いなんて、あまり分かりませんからね。色や形があからさまに違えば、おかしいことに気づきますけど」

「いずれにせよ、反吐が出る人物ですわ。あのような人のせいで、私が誰それを呪っているという噂が立つなんて……まったく、理不尽なことこの上ありませんわ」


 クレソンの経歴を洗えば、似たような事件が見つかるかもしれない。

 自分の子どもが不自然に入退院が多いかもしれないし、これまで関わった医局で不審死が目立つかもしれない。けれど、シャーロットには関係ないことだ。逮捕された以上、あとは、その道のプロに任せた方が早い。


「さて、話はこれでよろしくって?」


 シャーロットは数冊の本を抱え、テーブルへといそいそと歩む。ここ数日の定位置に腰を降ろし、本を読む順番に並べ替え始めた。クレソンのことは頭の片隅に追いやり、さっさと本の織り成す世界に浸りたい。その気持ちが彼女にも伝わったのか、アンナも了承したようにこくりと頷いた。


「ええ。ですが、本を読まれる前に一つだけ――」


 アンナがポットに湯を注ぎながら何か言いかけた、そのときだった。



「お嬢さんっ! 会いたかったぜ!!」


 書庫の扉が音を立てながら開き、光が差し込んだと思った瞬間、快活な声が静寂な世界に響き渡った。シャーロットが何事かと顔を上げてみれば、風のように誰かが近寄って来るのが見える。


「ロイさんっ!?」

「よかったー! 久しぶり過ぎて、忘れられてんじゃねぇかって心配だったんだ!」


 ロイがにかっと歯を見せて笑いながら、こちらに駆け寄って来るではないか。抱きつきそうな勢いだったので身構えるも、それをしないだけの常識はあるようで、シャーロットの隣に腰を降ろした。


「酷くねぇか? せっかく、お嬢さんが王都に来てるっていうのに、休みが全然取れなくてさ。お嬢さんも俺に会いたかったんじゃないか?」

「いえ、そこまでは」

「釣れないなー」


 ロイはそう言いながらも、千切れそうなほど尻尾を揺らしていた。


「で、今回も妙な事件に首突っ込んでたって聞いたけど、解決したのか? 俺、手伝えることある?」

「すでに解決しました」

「まじか……」


 ロイはがっくしと大袈裟に落ち込んでいた。 


「ミス・シャーロット。彼は……?」

「ロイ・ブラックドックさん。彼は――」

「旦那です」

「違います」


 即座に否定したが、ロイがあまりにも堂々と言うものだから、アンナは目を見開いて固まってしまっていた。目玉が零れそうなほど丸く見開き、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。


「アンナ……ロイさんは冗談が上手ですの。本気にしないでくださいませ」

「俺はいつだって本気だぜ?」


 ロイが口を尖らせていたが、シャーロットは困ったように笑うしかなかった。調子のよい男が適当なことを口にしているようにも聞こえてしまうが、いまの彼が話す言葉の節々からはまったく嘘を感じない。シャーロットを愛おし気に覗き込んでくる緑色の瞳には、本気の二文字がありありと浮かんでいるのだ。


「それで、アンナ」


 その眼を見返すのは無性に恥ずかしく、そこから逃れるように、アンナに話を戻すことにした。


「最後に一つ、とは?」

「え、ええ、大したことではありませんの」


 アンナもわずかに正気を取り戻したのか、ロイのことを興味深そうに見ながらカップをもう一つ用意する。


「ミス・シャーロットが好みそうな話を耳に挟みましてね……」


 アンナがお茶を注ぎながら語り始める。

 ふわりっと柔らかな甘い香りが古書の匂いに混ざり、頬が緩むのを感じる。ここ数日、張り詰めていた心が一つ、また一つと緩み、やや平穏に戻ったような気がした。


 自分に残された時間は、いまこの瞬間にも刻一刻と減っていく。

 それでも、こうしてのんびりできるのは良いことだ。



 アンナの話に耳を傾けながら、シャーロットは口元に微笑を浮かべるのだった。








3章はこれで終わりです。

次回は4章となります。

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