30話 王太子の凱旋
「……ということが、昨晩ありましたの」
翌日、シャーロットは書庫で語る。
いま思い返しても、実に頭が痛くなる話である。不快さを紛らわすように、アンナが淹れてくれたお茶を飲んだ。話しているうちに冷めてしまい、ぬるくなっていたが、ふんわりとした優しい香りが頭痛を和らげてくれるような気がする。
「なんとか撒けましたが、こりごりですわ……」
「王太子様は、本当にミス・シャーロットだと気づきませんでしたの?」
アンナが心底呆れたような顔で尋ねてきたので、シャーロットはため息交じりに返した。
「まったく気づいていませんでしたわ。私だと分かった瞬間、罵倒の1つや2つを口にするでしょう?」
顔を突き合わせたときは内心ひやひやしたものだが、アルバートは絶対に気づいていなかった。
マリリン・ブラックローズは彼が知っているであろう淑女シャーロットからはもっともかけ離れた人物だっただろう。服装はもちろん、顔も手も泥や煤で汚れており、とてもではないが上流階級の娘には見えなかったはずだ。声色も1オクターブ高くするように心がけていた。それでも、自分のことをよく知る人物がいれば見抜くことはできたに違いない。
「まったく。元婚約者だったのに見抜くこともできないなんて」
所詮、その程度の関係だったということだ。もし、これがロイだったら――と考えて、苦笑いを浮かべてしまう。彼は鼻がいいから一発で見抜くだろうし、たとえ鼻の調子が悪かったとしても、シャーロットであると分かりそうだと思った。
「……護衛騎士さん、昨日のことを王太子に話すのは遠慮してくださいな」
シャーロットは自分の後ろで普段よりも輪にかけて不機嫌な男に語りかける。
護衛騎士はニガヨモギを煎じた汁を飲み干したような顔で、こちらを見下ろしていた。
「……殿下に話したところで、信じないさ。それより、どこであんな演技を身につけたんだ?」
「主に書籍と視察ですわね」
シャーロットはお茶を置くと、手近な本に手を伸ばした。
「それから、オリビア嬢の雰囲気を少々」
「オリビア嬢を? 彼女は貴族だろ?」
「クロッカス男爵が再婚した高級娼婦の連れ子ですわ」
「は、はぁ!? そんなこと知らないぞ!?」
護衛騎士が素っ頓狂な声を上げる。
シャーロットはそんな彼をちらっと横目で見ながら、疲れたように肩を落とした。
「……クロッカス男爵が再婚相手に関する書類を偽造して、良家の末裔だということにしてましたからね。アルバート様と婚約が正式に決定した以上、もう二度と深掘りされることはないでしょう」
「知らなかった……」
「知らない方が華ですよ」
シャーロットはくすりと笑った。
他にもオリビアを震え上がらせる手札はあるが、彼やアンナに見せびらかすつもりはなかった。それより、いま大事なことは時を待つことだ。
「ですが、ミス・シャーロット。ここでのんびり本を読んでいて大丈夫なのですか?」
アンナが眉間に皺を寄せる。
アンナの視線の先にあるのは、シャーロットが読んでいる本だった。偽プリンスの事件とも呪いとも無関係な魔法に関する書物。少なくとも、今回の事件解決には使えなそうな知識である。
「ええ。概ね事件の全貌は推測つきましたし。なにより、ここで待っていた方が好都合なのです」
「好都合とは……ん?」
アンナが言いかけるも、なにかに気づいてピタリと動きを止める。彼女の長い耳がぴくっと動いたのが見えた。
「……失礼、ミス・シャーロット」
アンナは立ち上がり、書庫の扉まで歩き始めた、そのときだった。
「シャーロットはいるか!!」
大扉が荒々しい音を立てながら開き、アルバートが力強く入って来る。後ろには騎士たちを従えており、胸を張って入場する姿は、とてもではないが書庫に似つかわしくない。シャーロットの位置からも、アンナが不快そうに眉間の皺を深めるのが見てとれた。
「ええ、こちらに」
シャーロットは立ち上がると、静かに礼の姿勢を取る。
アルバートは大変上機嫌で、にまにまとした笑顔を浮かべていた。
「プリンスを騙る偽者は、俺の手によって捕まえた。お前の仕事は終わりだ!」
「……まあ、それはおめでとうございます」
「ああ! 俺が本気を出せばたやすいことだ!」
「……どのように捕まえられたのです?」
シャーロットが問いかけると、彼は得意げに鼻を鳴らした。
「これを見ろ!」
アルバートは騎士の一人に持たせていた新聞を取り上げると、テーブルの上に広げてみせた。
「今日の夕刊の一面だ。お前には特別に見せてやる」
そこには『大手柄!! アルバート王太子、プリンスを騙る男を捕縛する!』という見出しが躍っていた。記事に目を通せば、先日の連続放火事件の片棒を担いでいた男を新聞社と協力のもと見つけ出し、華麗に捕縛したことがつらつらと書き連ねられている。連続放火事件を取り扱っている新聞記者ならば、あの酒場に偽プリンスが出没することくらい知ってそうなものだ。
だが、問題はそこではない。
「……アルバート様、オリビア様という素晴らしき伴侶がいるにもかかわらず、もう目移りですの?」
シャーロットは呟いていた。
記事の最後には、1人の少女の行方を捜したい旨で結ばれていた。偽プリンスを捕らえる際、協力した街娘「マリリン・ブラックローズ」を表彰したいとのことらしい。
そのことを指摘すれば、アルバートの顔は一気に不機嫌極まりないものへと変わった。
「マリリンはオリビアとは違った魅力と才能の持ち主だ! ぜひもう一度会って、ふさわしい場所に推挙したいと考えている!」
「ふさわしい場所、ですね。自由になさったらどうです」
怒るところを見るに、どんぴしゃな指摘だったのだろう。開口一番「伴侶はオリビアだけ」と言わなかった時点で、彼の心は察しが付く。そう考えると、シャーロットの背筋が逆立つのが分かった。
「それで、それを言うためだけにこちらに?」
なにはともあれ、偽プリンスは無事に捕まったのだ。あとは、王族偽称に怒り狂う男が感情の赴くまま調べ上げればいい。その先のことは、シャーロットの知ったことではなかった。
「ああ。だから、お前は用済みだ。さっさと城から出ていけ!」
「……呪いの件はまだ解決していませんよ」
「それなら解決するさ。お前がやったのだろうからな!」
まるで、ここで自分を捕らえるとでも言いたげな表情に、シャーロットは呆れてものが言えなくなりそうだった。だが、ここで黙り込んでしまったら本当に捕まってしまうので、シャーロットは背筋を伸ばしてこう言った。
「呪いの正体については分かっております。せっかくですし、アルバート様も一緒に行きませんか?」
「行く? どこへ?」
「呪いをかけた張本人に会いにですわ。もうすぐ約束の時間ですから、そろそろ移動しようと思っていましたの」
シャーロットはそう言うと、次に「呪いをかけた張本人」の名前を告げる。その人物の名前を聞くと、アルバートはいまいちピンと来ていない顔をしていたので、その人物の役職まで口にする。そこでようやく、アルバートは呑み込めたらしい。おかしそうに吹き出し、滑稽だと言わんばかりに笑い始めた。
「そいつが犯人だと!? 馬鹿な、ありえないだろう!?」
「証拠でしたら揃っております。その人物を捕まえ、牢につなぐことができれば、間違いなく被害者たちは回復することでしょう」
「だが、なんの得がある!」
「さあ、私には何とも。ですが、これが真実なのです」
シャーロットは本の隣に置いてあった分厚い資料を手にした。
「城で仕えていますと、どうしてもある一定以上の水準の医師にかかることになります。むしろ、医師に掛かっていない者などいませんわ」
風邪は誰でもひく。
仕事上のことで精神的に苦しみ、睡眠薬を処方される者も少なくない。
だが、今回の事件――同じ医師にかかっている者もいたが、違う者もいた。しかし、彼らには共通点があった。
「よろしかったら、ご一緒に。真実を明らかにしましょう」
そして、書庫でのんびりする権利を勝ち取ってみせる。
シャーロットは決意を固めるように、拳を握りしめるのだった。




