26話 獣人の彼のこと
「……食堂はありえませんわ」
シャーロットは腕を組みながら呟いた。
自分の意見を整理するように、淡々と言葉を続けていく。
「食堂は人の目が多すぎます。一匹狼のような方なら1人になった隙を狙うことも可能でしょうが、今回の犠牲者はそのような人ばかりではありませんし、厨房のスタッフが盛ろうとするのは更に難しいでしょう」
「ミス・シャーロットの言う通りですね」
アンナが書類をめくりながら同意した。
「食事時の忙しさでは、標的以外の人物に毒を盛りかねません。誰が何を注文したなんて、覚えることは不可能でしょう。……まあ、私のように時間をずらして行くなら可能でしょうが……被害者たちは違うでしょうね」
「城仕えの侍女たちといっても、全員が食堂を利用しているとも限りません。弁当を持参している方もおりますからね。かといって、他に彼らが毒を口できる機会は……?」
シャーロットはそこまで言うと、小さく息を吐いた。もう少しで犠牲者たちの共通点が見つかりそうなのに、指の間をすり抜けていくような不快感を覚えてしまう。誰かが菓子や果物といった差し入れを配っていたと考えられなくもないが、間違いなく容疑者の筆頭として疑われるだろう。そのような人物もいないようだし、医師の所見に目を通しても「特に変わった食べ物は口にしてない」「特定の人物から定期的に差し入れの類は貰っていない」と明記されていた。
「……ところで、ミス・シャーロット」
シャーロットが考えあぐねていると、アンナが声をかけてきた。
「なにか気づいたの?」
「いえ、呪いについてはなにも。それより、プリンスのことはどうするのです? こちらの資料にはほとんど載っていませんが」
アンナが差し出した資料には、端的に『裏切り者の命を奪う魔法などない』とだけ乱雑な文字で書かれていた。アルバートの読みにくい字には、本当にそれだけしか書いておらず、こちらもシャーロットの気分を重くさせるものだった。
「……もう少し、アルバートを突いてみる必要があるのだけど……それをするには情報をもう少し集めないと」
シャーロットは護衛騎士にちらっと視線を向ける。相変わらず不満そうに硬い表情の男だが、見られていることが分かると、気まずそうに視線を俯かせていた。
「……なにか?」
「そういえば、あなたは護衛騎士なのでしょう? 近衛隊のロイ・ブラックドックはご存じ?」
「…………獣人の騎士か」
「そう。彼、いまは元気?」
「それを私に聞いてどうする」
護衛騎士は心底嫌そうに聞いてきたので、シャーロットは鞄にしまっていた封筒を取り出した。
「実は彼にプリンスに関する情報を調べてもらうように頼んでいましたの。昨日、その資料に関しては郵便受けに投函されていたのですが……彼の性格からして直接届けに来るものだと思いまして。もしかしたら、体調が悪いのかと」
「興味がない」
護衛騎士は吐き捨てるように言った。
「あら、随分と辛辣ですこと。あなたはアルバート様の護衛騎士とはいえ、彼が直接雇っている私兵ではないのでしょう? となれば、同じ近衛隊に属する仲間ではありませんか」
「……獣人が近衛騎士に属していることが気に入らん」
「……まあ、そうなるのが普通でしょうね」
シャーロットは苦笑いで返すと、ゆっくり立ち上がった。
おそらく、彼が近衛に配属されたのは先の戦争による功績もあるだろうが、それ以上に『獣人でも国の中枢で仕事ができる』というアピールに近いものだ。順調に出世し王太子の護衛まで任されるような者からすれば、死線を潜り抜けてきたとはいえ元は一兵卒が栄えある近衛隊に急遽抜擢されたことは面白くないに違いない。それが見た目で迫害されがちな獣人ならなおのことだ。
「ミス・シャーロット、どちらへ?」
「ロイさんが調べてくれた場所に。アンナさん、なにか思いついたら連絡をください。ここには明日また来る予定ですが……」
「かしこまりました。お気をつけて、ミス・シャーロット」
アンナに別れを告げ、書庫を出る。廊下に出ると、それまで胸を満たしていた古紙の香りが消え失せてしまうようで、シャーロットは肩を落とすしかなかった。
「放火魔の男がプリンスと出会った酒場へ行きましょう。実際に店主から話を聞きたいと思いまして」
シャーロットはまっすぐ歩きながら、半歩後ろをついてくる護衛騎士に説明する。
「その服で行くのか?」
「まさか。一度、着替えに戻りますわ」
シャーロットはこれ見よがしにドレスの裾をひらりと持ち上げてみる。
「城に行くには地味ですけど、街の酒場では間違いなく浮きますわ。……あなたもね、護衛騎士さん」
「私にも着替えろと?」
「当然!」
いくら服装を変えたところで、上流社会に暮らす者たちが庶民の通う酒場に簡単に馴染めない。言葉遣いに歩き方、立ち振る舞い、顔の日焼け具合からなにまで庶民とは違うのである。もっとも、店によっては心得ているもので――たとえば、アルバートが庶民に扮して王都で遊ぶときは誰もが「上流社会の坊ちゃん」だと気づいても、知らぬ顔をするのが礼儀となっている。
「今回は少しでも上流臭を消そうと思いまして。まだ設定は練っている途中ですが、私は街娘であなたは騎士――といっても、近衛ではなく、王都警備隊に配属されたばかりの騎士ということにしましょう」
「なんだそれは」
彼の声からは見るからに不快さが露になっていた。振り返らずとも、きっと苦虫を嚙み潰したような表情になっていることだろう。
「あなたとしても不本意かもしれませんが、プリンスの謎を解くためだと思って協力をしてくださいませ。あなたの演技がすべてにかかっているのですから」
「…………」
シャーロットが言うも、護衛騎士からの返事がない。
よっぽど呆れているのか怒っているのか、その顔だけでも確かめようと視線だけわずかに後ろを向き、シャーロットは少しばかり面を喰らう。護衛騎士の顔には、ただただ戸惑うような不安さが前面に出ていた。眉間に皺を深く刻み、悩むように口を結んでいる。
「……まさか、その役を例の獣人でやろうとしてたのか?」
護衛騎士はわずかに下をうつむきながら、こんなことを尋ねてきた。
「よほどあいつを信頼してると見たが、怪しまないのか? 獣人だぞ?」
「悪い方ではありませんので」
シャーロットはさして悩むことなく答えた。
「なにを考えているのか分からないことはありますけど、一緒にいて安心する方ですから」
ロイが自分のどこを好きになったのか、出会って3か月近く経つがいまだに理解しかねた。彼に問いただしてもはぐらかすばかりで答えてくれないし、なにより自分が理由を推理できないことがどうにも悔しい。
そう考えると、ロイ・ブラックドッグは怪しさ満点の獣人になる。
だが、それ以上に――彼と過ごす時間は心地よかった。
彼と過ごした時間の多くは、事件やらなにやらに巻き込まれて解決するため知恵を煮詰めるようなものばかりで、決して平穏とは言い難い。それでも、明るい調子の彼といると、シャーロットも前向きな気持ちになるような気がした。兄のように「慎みを持て」とか「事件に首を突っ込むな」のような指摘もせず、かといって、自分を嫌うわけでもない存在は珍しく、とても好感が持てた。
「それに、自分のことを好いてくれる方を嫌う人間はいないでしょう?」
シャーロットがそう言ったとき、護衛騎士は驚いたように目を見開いた。心底驚いたように、切れ長の目を丸くしている。
「お前……本気で言ってるのか?」
「ええ。私はそのような嘘はつきませんから」
「っ!」
ここでようやく、護衛騎士はシャーロットが自分の顔をうかがい見ていることに気づいたらしい。頬を真っ赤に火照らせ顔を背けると、護衛だというのに足早な様子でシャーロットの前を歩み始める。
「くだらん! お前が王子に嫌われる理由がよく分かった!」
「アルバート様に嫌われて結構。もう、婚約者でもなんでもありませんもの」
シャーロットはくすっと微笑むと、彼に合わせるように歩調を速めるのだった。




