25話 歴史の重みがある場所
シャーロットは城が苦手だった。
高貴な青い屋根と白亜の壁は建築として見ると美しいが、どうしても威圧感がぬぐえない。入場すれば柱や壁に事細かな彫り細工が施されており、誰もが知る有名画家の描いた作品が飾られている。通路も馬を並べてレースを開催できそうなほど幅広く、アーチ型の大きな窓はそれはそれは素晴らしいものだった。
しかし、シャーロットは知っている。
美しいまま手入れされているのは、王族が日常的に利用する場所と客人たちが通る場所だけ。ちょっと外れた道を通れば赤い絨毯は日焼けして色褪せていたり、窓に汚れがこびりついたまま何年も放置されていたりする。王妃教育の際、将来的に住むであろう城を隅から隅まで案内されたとき、どうしてもそのような場所が目についてしまい、ひそかにこう思ったものだ。
この国は斜陽の道を辿っているのだ、と。
本当に力があれば、金に余裕があるのであれば、人目に付かない場所も美しく整えておくはずだ。
特に庭など酷いものだ。招待客の誰もが「我が国の自慢の庭」だと案内される表庭は完璧に整っているというのに、誰もいない城の裏庭は建国の乙女を象っていたであろう彫刻は雨風にさらされ欠けている。寂しげに揺れるブルーベルの青い花を見たとき、なんともいえぬ寂寥感に襲われたのは――10年経っても忘れない。
しかし、いまは違う。
「――ッ、素晴らしいわ!」
シャーロットは城の書庫の真ん中で両手を広げ、歓喜に震えていた。
やや埃臭いことには目をつぶるしかないが、それでも本棚に目を走らせれば一度は読みたいと願った本の背表紙が目につき、表情が緩むのが抑えきれなかった。
「ミス・シャーロット、どうかお静かに」
そうやって咎めるのは、司書のアンナだった。眼鏡をくいっと上げ、どこか冷たい口調で指摘してくる。
「ええ、もちろんよ。ああ――でも、ごめんなさい。心が抑えきれなくて!」
「……まあ、かまいませんよ。他に誰もいませんので。ですが、利用する方がいらしたら、そのときはお気をつけて」
相変わらず、アンナの声色は淡々としたものだったが、目つきだけは優しいものだった。
「ありがとう、アンナ」
「お気になさらず、ミス・シャーロット」
シャーロットは多くの人から嫌われていたが、アンナは数少ない例外だった。
最初に書庫を訪れた際、ついつい彼女との会話が弾んでしまった。どの本が好きだ、あの作者が好きだという他愛ないものから、本についての考察やらなにやらに至るまで楽しく会話に花を咲かせていたのだが、それが案内をしていたアルバートの気に障ったらしい。
『時間がないことを分かっているのか? こんなつまらない場所なんかより、もっと美しい通路を観に行くぞ』
当時10歳のシャーロットは、アルバートの言葉に火がついてしまった。
『まぁ! 王子ともあろう御方が、この場所の歴史の重みをご存じではないと!?』
この書庫がいかに素晴らしい場所なのか、歴代の王の肖像画が飾られた間に匹敵するほど時代を重ねた場所なのだと語ったが、アルバートとの溝は深まるばかり。それ以降、アルバートはシャーロットが書庫に近づくのを許さなくなった。
ところが、アンナは違った。
翌日、『書庫の素晴らしさを理解してくださり、ありがとうございます』という礼状が届いたのである。どうしてもこの国は本の価値を理解している人が少なく、アンナ一人が書庫を任されているような状態だったそうだ。それ以降も時折文通する程度の交際は続けており、余命宣告された現在でもそれは変わらない。
「それで……今日はどういう風の吹きまわしで?」
「昨日、アルバート様に許可をいただいたの。ちょっとした調査をする代わりに、ここを使わせてもらう許可をね」
シャーロットは読みたい本の目星をつけながら、本棚の合間を歩いていく。
「変な呪いの真相と、プリンスを自称する調子者を見つけること。それと引き換えに、二週間もここにいられることになったの……護衛騎士さん、その荷物はそこのテーブルに置いてくださいな」
シャーロットは護衛騎士を振り返り、広めなテーブルを指さして見せる。
護衛騎士は仏頂面のまま、束ねられた書類をテーブルに置いた。
「ありがとう。……アンナもこちらに来て、意見が欲しいの」
「ミス・シャーロット。私にできることなどありませんよ」
「最近の王都については、私より詳しいでしょう? あなたもね、護衛騎士さん」
シャーロットは書類に手を伸ばし、改めて目を通した。
「私は別に……」
「一生かけても読みきれないほどの本に囲まれているのに、一冊も読めないで終わるなんて最悪でしょう?」
「……本を読むために王都に戻って来たのか?」
「半分はね」
シャーロットが言葉を返すと、護衛騎士は呆れたように息を吐く。それでも、彼は律義にアンナの隣に腰を降ろし、退屈そうにテーブルに目を落とした。
「……それで? どこまで分かった?」
「病気の初期症状はだいたい同じだということですわね」
医師から提出してもらった問診票を手に取り、指でなぞってみせる。
「深夜の金縛りは必ずあるみたいですね。そこからは、患者ごとに腹痛や悪寒、湿疹に襲われ、家から出るのも億劫になるほどの病状になるそうです。目下のところ、原因は不明」
「感染症にしてはおかしいですわね」
アンナが目を細めた。
「それでしたら、もっと広まっているはずですわ。ですが、彼女たちに接点らしい接点はありません。しいてあげるのだとすれば――全員、城に仕えていることでしょう」
住居も近所というわけでもなく、いずれも顔見知り程度。侍女の数人に至っては、互いに仕事以外の話をしたこともない相手もいた。
「毒を盛られた、とか?」
護衛騎士がぽつりと呟いたが、すぐに自分で頭を振った。
「って、それはないか」
「可能性としてはありえない話ではありません」
呪いという可能性は捨てきれないが、魔法を扱うことができる人物はごく一握り。それは最後の手段として考えるとすれば、誰かに毒を盛られて調子が悪くなったというのは十分あり得る話だった。
「問題は、どこで盛ったのか」
城で働く者が集まる食堂だろうか?
多くの人の目があるにも関わらず、特定の人物に毒を盛ることなど可能なのだろうか?




