15話 火蜥蜴の残り香
騎士隊の隊舎は、緊迫感に満ちていた。
平時であれば、どこかのんびりとした空気が漂っているのだが、たて続けに事件が勃発していることもあり、誰もが小走りで行き来している。
「いや、すみません……何分、人手が足りず……」
隊長室に着くと、ヘンリーは自分で茶を淹れ始めた。
「夫人の逮捕だけでも大事件なのに、ここのところの放火騒ぎで……正直、本来の業務まで手が回らない状態ですよ」
「ご心労、お察しいたします」
シャーロットが控えめに微笑む。ヘンリーは疲れたように息を吐く。
「まったくです……ここ数年で1番の忙しさ……」
実際、ヘンリーの机には書類が山のように積み重なっていた。部屋の隅には埃が溜まっているのが見られ、掃除も手が回っていないのだろう。
無理もない。
マリリン夫人は有名人。その対応だけでも手一杯だろうに、そこに追い打ちをかけるように連続放火魔が街に悪さをしているのだ。治安の悪い街なら日常茶飯事な出来事になるかもしれないが、特にそうでもない平穏な街の騎士たちには手があまるのは必然だった。
「本当でしたら、シャーロット様のお手をわずらわせるのもと思うのですが……あっさり夫人の事件を解決してくださった手腕は見事でしたので、こうしてお願い致した次第でして……」
「かまいませんよ。その瓶とやらを拝見したいと思っていましたので」
「あ、ああそうですね。少々お待ちを……!」
ヘンリーは嬉しそうに顔を緩ませると、すぐに部屋を出て行った。
「いやー、忙しそうだな」
ロイがヘンリーの出て行った扉を見ながら、お茶をゆったりと手に取った。
「ここ、普段はよっぽど平和なんだね」
「前線帰りのあなたに比べられたら、どこもゆったりと感じるのではありません?」
「いや、戦場と普通の街を比べるのは駄目でしょ」
ロイは朗らかに笑うと、茶を冷ますように少し息を吹きかける。
狼族なのに猫舌なのか、とシャーロットは思いながら、自分もティーカップに指をかける。ヘンリーは隊長らしく、それなりに高級な茶葉を用意していたのだろう。淹れるのに慣れていないのか、茶葉の良さを引き出せてはいないが、ふわっと湯気と共に漂ってくる香りは心が安らいだ。
「で、お嬢さん。待っている間、退屈だから聞くけどさー。どうして、俺がブルットクックの戦いに出たって気づいたの?」
お茶の香りを楽しんでいると、ロイが質問を投げかけてくる。
シャーロットはティーカップを揺らしながら、なんでもないことのように微笑んだ。
「私、これでも未来の王妃だったのはご存じですよね?」
「まあね。で、いまは俺の未来の嫁さんだけど」
「その事実はありませんが、この国の戦況には目を通していました」
将来的にアルバートと一緒に国を支えていくためには、どれほど些細な情報であっても欲しかった。
特に、異国から吹っかけられた戦を「まだ結婚していないので、よく知りませんでした」という顔をしてのんびりと暮らすことはしたくない。
さすがに最重要国家機密は目を通すことはできなかったが、大臣である父に頼み込んで開示できる範囲の資料には目を通していたのであった。
「ブルットクックは激戦地。特に、こちらには獣人の部隊が多く導入されたと」
「あー、確かに。なんか獣人多いなーって思ったらそういうことだったのか」
ロイは耳を垂らしながら、懐かしそうに微笑んでいた。
シャーロットはその姿を横目で見ながら、静かに話を続けた。
「兄は前線に派遣されなかったことを悔いていましたからね。前線帰りの獣人が近衛隊に配属になったと知れば、必ず話しかけに行くことでしょう。おそらく、そのときに兄と知り合ったのでしょう?」
「正解っと」
彼はにぃっと笑うと、目を細めた。
「サリオスが飲みに誘って来てさ、なんやかんやで意気投合ってわけ。……本当、お嬢さんの目はどこまで見透かしてるんだ? なんなら、俺たちが飲んだ店の名前まで当てられるんじゃないか?」
「さあ」
シャーロットは詮索するような視線を感じながら、ティーカップに目を落とした。お茶の水面に映った自分の涼しげな表情を確認すると、口元にゆったりとした弧を描く。そのまま口を開こうとした、そのときだった。
「お待たせしました!」
ヘンリーが慌ただしく戻って来た。
シャーロットは話はおしまいとティーカップを置くと、彼の持ってきた木箱に目を向ける。
「見せてくださいな」
「はい、少々お待ちを……」
ヘンリーは慎重にテーブルに木箱を置くも、かなり重たいらしい。置いた衝撃で、ティーカップに残ったお茶がぴちゃりっと小さく揺れた。
「こちらが例の品になります」
木箱から取り出されたのは、黒焦げになった瓶だったもの。
ほとんどが破片になってしまっているが、一部は原型をとどめていた。おそらく、元は果実酒か何かを入れていたのだろう。ラベルが薄っすらと残っており、黒いトカゲやイモリのような模様が描かれているのが見てとれた。
「ここまで修復することはできましたが……いかがでしょう?」
ヘンリーが一番ラベルが見えやすい瓶を手にしたので、シャーロットはゆっくり覗き込んだ。
「最初、なにかのラベルかと思いましたが、これと同じ銘酒は見つからず……シャーロット様、なにか心当たりはありますでしょうか?」
「……間違いなく、火蜥蜴……サラマンダーね」
シャーロットは呟いた。
「サラマンダーとは?」
「火を好むとされる精霊です。文献によると、火を扱う魔法を使う際に力を貸してもらっていたと残されています」
「つ、つまり……これは、火の魔法!?」
「いえ、違うでしょう」
ヘンリーが目を丸くしたので、シャーロットは即座に否定する。
「おまじないでしょう。サラマンダーは良質な火を好むとされています」
「ふーん、『うまく点火しますように』ってか?」
ロイも興味深そうにのぞき込んでくる。くんくんっと鼻が微かに動き臭いを嗅いでいるようだったが、すぐに不快そうに眉を寄せた。
「うわ……」
「なにか気になるところでも?」
ロイが一歩後ろに下がったので、シャーロットが振り返る。
すると、彼は難しい顔のまま腕を組む。先程まで揺れていた尻尾もすっかり大人しく垂れてしまっていた。
「違うかもしれねぇけどさ、まあ……火炎瓶だな」
「火炎瓶?」
ヘンリーが首を傾げると、ロイが「前線で使われてたんだよ」と話し出した。
「瓶のなかに高濃度の酒とか硫黄とか詰めてさ、火をつけた布かなんかを口に差して、投げつけるんだよ。それだけで、どかんって燃え上がる。しかも、液体が燃えてるわけだから消えにくい」
「では、それだと?」
「微かに硫黄と酒の臭いがする。普通の酒瓶だったら、硫黄なんてもんの臭いはしないだろ?」
ロイの顔から不愉快の色は消えない。
先ほども前線の話をちらっとしていたが、そのときとは打って変わっての不機嫌な様子から考えるに、火炎瓶にはよほど嫌な思い出が詰まっているに違いない。
「ふむ……となると、火炎瓶の生成方法を知っている人物が犯人だと」
ヘンリーが顎に手を添えて考え込む。
「つまり、前線帰りの者となりますな」
「火炎瓶自体は知識があれば作ることが可能ですので、決めつけは良くないかと。ですが、これで分かったことがあります」
シャーロットは瓶を一通り見終えると、口元に微笑を携えたまま答えた。
「この犯人……火についての知識はありますが、火に対しての興味はないようです」




