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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第九十話 追いかけっこ

 モゼル・ル・デュック城に帰還し、安全を再認識し、落ち着きを取り戻したかに見えたブルグント軍だったが、それまで沈黙を保っていたフランシア軍の他の部隊が動き出したとの報に、王弟らラインラント方面軍の首脳部は再び浮足立った。

 モゼル・ル・デュック城には長期戦を戦い抜く物資が無かったのだ。

 ガヤエはクルムの戦いで致命的な被害を蒙ったフサンシア軍の息の根を止めようと追撃戦を行うと同時に、ぬかりなくモゼル・ル・デュック城に物資を集積してもいた。万が一、敵を打ち漏らした場合は、この城を策源地としてラインラント攻略を行うつもりであったのだ。

 にもかかわらず、なぜこんなことになったかというと、それは単に王弟ら増援の兵がガヤエの軍に加わったからである。

 兵力が倍以上に増えれば必要な物資も倍以上になる。子供にもわかる理屈だ。

 しかも彼らは戦闘でそれらを消耗しただけでなく、敗走のついでにそれらを放棄してこざるを得なかったため、多くの軍需物資が失われてしまったのである。

 もちろん、モゼル・ル・デュック城に帰還するや否や、王都だけでなく近隣の部隊にも物資の提供を頼んではいたが、それが有効に働くのは、あくまでもこのモゼル・ル・デュック城にまで補給路が繋がっていればの話である。

「敵は援兵を得て、勢いを増し、このモゼル・ル・デュック城を包囲する形を取りつつある。このままでは我が方は補給を絶たれて枯死するのみだ。その時になって退却しようにも、帰路が塞がれて身動きが取れない。しかもそのような状況下では兵の士気も乱れ、戦う前から勝負は決まっているようなものだ。その前に我々が先手を取らねばならない。ここは更に兵を退き、ブルグント本国との連携を密にして敵に備えるべきだ」

 王弟アレクサンドルの焦りを浮かべた表情や態度に反して、やけに冷静沈着に分析された、その意見は満座の諸将から賛同を得た。

 その中で一人、ガヤエだけは王弟アレクサンドルの言葉に開いた口がふさがらるといった表情を浮かべていた。

 何度も述べたようにラインラントは急峻な地形であり、兵の自由な進退はままならぬ土地である。

 言い換えれば少数の兵で多数の兵を喰い止めることは難しくない。だからこそ長年に渡って決着がつくことなく、ブルグントとフランシアとで戦い続けてきたのである。

 兵を分散して各地の要害を用いて敵の足を止め、その間に主力軍を率いて、分散した敵の部隊をひとつづつ撃破していくことが可能である。

 ましてやブルグント軍はフランシア側より未だ兵力を有している。二正面作戦だって可能であろう。

「殿下のおっしゃる通り、接収したばかりのモゼル・ル・デュック城と我が国との間に敷かれた道路を拡幅する工事は未だ中途、ただでさえ補給に難をきたしており、そこを敵軍に押さえられては戦どころでは無くなります。そこでなのですが、北方より侵入した敵部隊は山岳地を越えた為、足が遅く、補給もままならず、部隊も少数で組みしやすい。まずはその部隊を排除すべきです」

「わ、わかっておる。だからこそ兵を北側から侵入した敵のいる後方へと動かそうというのだ」

「ですが少数の敵を排除するためだけに、モゼル・ル・デュック城を放棄する必要はありますまい。西方から我が方を追ってくる敵の主力部隊を喰い止めるためにも城は固守するべきです」

 あくまでもモゼル・ル・デュック城の固守を主張するガヤエだったが、一度口にしたことを取り消すのは誇り(プライド)が邪魔をするのか、心底、敵に包囲されるという事態に恐怖で心臓を鷲掴みにされて冷静な判断ができないのか、王弟は頑なに国境沿いまでの退却を主張する。

「ガヤエ将軍、戦の勝敗には兵力や、兵一人一人の精神力や、武器の多寡、将軍の能力など様々な要因が絡まっているものだが、まずは何よりも兵站で行うものだ」

 卑賎の身から一軍を預かる将軍の身まで出世したガヤエは、ブルグントで誰よりも兵法に詳しいと自負しているだけに、宮廷で女の尻を追い回しているような貴公子風情に戦の何たるかを講釈されて鼻白んだ。

「これほどの大兵を有していながら、一戦も交えずに退却するなど、恥辱になります!」

「男ならば一時の屈辱にも耐えねばならん時がある」

「個人としての恥辱ならまだしも・・・これは国家的な恥辱ですぞ!?」

「例え、それが国辱であっても、だ。国の面子の為に大勢の兵の命を悪戯に危険に晒すわけにはいかん」

 確かに意地の為だけに兵を無駄に死地に追いやるのなら、その理屈も通るだろう。だが勝算は十分にあるのだ。

 そもそも王弟は補給線が途絶することの危険性を口にするが、まだ途絶したわけでは無いのである。

「この城はもともと敵軍が築いた城塞、弱点も知悉(ちしつ)していることだろう。少数の兵だけしか残さないのでは敵に城を落とされる危険性がある」

「ならば北方より来る敵部隊に抑えの兵を出して防がせて、主力部隊で西進してくる敵主力を叩きましょう」

「だがな。かといって限られた兵力で北方より侵入してきた敵部隊を排除しようとしても、上手く行くとは限らない。返り討ちに遭うかもしれない。そうでなくても補給路を閉ざされる事態になれば、我々は戦わずして終わる。油断していると足元を(すく)われるぞ。モゼル・ル・デュック城のフランシア側で付近に大軍を展開させられるのに適した土地がない。短期間の野戦で決着がつくとは思えぬ。それに睨み合いになれば、側背に敵を受ける我が方が不利だ。補給路が完成してない以上、迅速な輸送は難しく、敵の妨害を潜り抜けた僅かな補給物資で戦い抜くのは無謀だ」

 とガヤエの提案を王弟アレクサンドルは却下し、あくまでもラインラントのブルグント側まで撤退、補給を受けることを優先する。

 ガヤエはなおも食い下がったが、もはやアレクサンドルは一切の聞く耳を持たなかった。

 再度奪取する手間を無くそうと、モゼル・ル・デュック城は破却して、更に後方へ下がるのだ。


 単純に戦争に勝つという視点から見ればガヤエの判断が正しかったであろうとは、後世の史家が皆一様に認めることである。だがもう少し大きな視点から見れば、ガヤエの判断が正しかったと言い切ることは実は難しい。

 そしてガヤエの考えは恐らく一将軍としては正しいということは、アレクサンドルにも十分、分かっていた。

 もしここにいるのが王弟アレクサンドルでなく、一将軍のアレクサンドルであるならば一も二も無く賛意を表したことであろう。

 だがアレクサンドルは王弟なのである。もっと大きな視点から物事を見る必要があった。

 自身が捕まれば、フランシアはそれを外交カードとして利用し、ブルグントに大きな不利益がもたらされることは間違いが無い。

 ブルグントはラインラント問題だけでなく、その他の諸問題でもフランシアに屈辱的な譲歩を強いられることだろう。

 いや、それでも捕まるならまだいいのである。屈辱は一時のもの、いつか臥薪嘗胆(がしんしょうたん)して雪辱すればすむことである。

 ここで恐れなければならないのは、戦場の混乱の中、アレクサンドルが死んでしまうことである。

 そうなった時に、親密な間柄である兄王が、そして末子であることから溺愛している母がどう行動するか。

 ラインラントの局地戦だけでも手に余っている国情も顧みずに、無益で勝算の無い、無謀な戦いをフランシア相手に全面的に起こすのではないか、といった危険性があった。

 国家や民衆に塗炭の苦しみを与えることだけは避けねばならないのだ。

 それに兄や母が肉親の情を押しとどめて国事を優先したとしても、国内にて徐々に力をつけ始めている民衆が黙っちゃいないだろう。

 幸い、王家と国民の関係は良好だが、だがそれが故に、自分たちの王の弟がフランシア軍の手で殺されたことで、復讐戦を行いたいという声が上がりかねないのだ。

 そうなると、その声を押しとどめるのは難しい。

 よしんば押しとどめられたとしても、今度は復讐戦も挑まない腑抜けた王に逆に怒りを向け、国内情勢が悪化することは避けられない。

 この時代、革命分子とやらは、パンノニアのどこの国にでもいる。王家に対する不安や不満など、彼らのエサになりそうなものは少しであろうと与えてはいけない。

 アレクサンドルには石橋を叩いて渡るような慎重さが求められる立場なのだ。


 ブルグント軍がモゼル・ル・デュック城を放棄したとの知らせは東進中のフランシア軍にもほどなくもたらされた。

 だがラインラント駐留軍の実質的司令官であるノルベール少佐は喜び勇んでモゼル・ル・デュック城へと奪還しに向かうのではなく、逆に兵の足を止めさせた。無理も無い。あまりにも虫の良すぎる話に、それが罠ではないかと疑ったのだ。

 だが斥候がモゼル・ル・デュック城に敵が爆薬を仕掛けて、一部を爆破して去っていたことを確認すると、敵の行動は罠では無く、本気で城を放棄したと見做し、素早く接収させる。

 久々の屋内での暮らしを満喫したいところだったが、ヴィクトールらに休息は許されなかった。

 敵の補給路を(やく)する目的でラインラント北方より侵入してきたフランシアの部隊だったが、敵軍不在の場所に陣取るだけの楽な仕事だと思っていたところに、敵の主力軍がそっくり近づいてきたことで慌てふためき、ラインラント駐留軍に援軍の要請を行ってきたのだ。

 すっかりセヴラン大佐から指揮権を奪い取った形になっているノルベール少佐は本音では暫時、兵を休ませたいという気持ちのほうが強かったが、自分たちを助ける形で入って来た友軍だ。まさか見捨てるわけにも行かない、と不満顔の兵の尻を叩いて、再び敵軍を追撃する形を取った。

 といっても相手は足を止めて迎え撃とうとはしないし、こちらもあえて敵に追いついて撃破しようという気概もないものだから、両軍は完全に安全な距離を置いて移動しているだけという楽な行軍となる。

 なんとも奇妙な形となった戦いだが、追われるよりも追うほうが心理的には圧倒的に楽な形となる。一兵卒から連隊長たちまで上機嫌の中、一人、ヴィクトールだけが浮かぬ顔だった。

「メイジェーにて足を止めて戦うと思っていたんだがな」

 ヴィクトールはブルグント軍の思惑がつかめず、幾度も首を捻った。

 破れたとはいえ、ブルグント軍は未だ大兵を有しており、たとえ何らかの理由でラインラントから出ていきたいのだとしても、司令部への手前、どう考えてもヴィクトールらともう一戦しなければならない立場にある。

 となると、守るに容易いモゼル・ル・デュック城を捨てたということは、野戦での決着を図っていると考えるのが普通だ。するとメイジェーの地がうってつけの地ということになる。

 メイジェー以東にも大軍を展開できる土地はあるだろうが、一戦もせずに城を放棄しただけでなく、野戦に適した土地まで放棄したとなれば、言い訳も格好もつきはしないだろう。

 先日勝利を得たゲンのいい土地、兵士に与える心理的影響は大であろうということも含めると、自分だったらメイジェーの地で迎え撃って、敗色を払いのける。そう思っていたのだ。

 もちろん、戦いもせずに失地を回復出来るということは喜ばしいことであるが、敵軍の行動がどうにも腑に落ちなくて、ヴィクトールはモヤモヤしたものを感じていたのだ。


 広大で峻険なラインラントとはいえ、それでも永遠に鬼ごっこが続くほど無限に荒野や原野が広がっているわけでは無い。

 ブルグント軍は各個撃破を恐れて身を潜めるように天嶮(てんけん)()ったフランシアの別働隊まで迫ると、そこを僅かに素通りして反転し、そこから一歩も動かなくなった。

 平原に大軍を展開させた敵の意図は明らかである。ことここにいたってようやく野戦で全ての雌雄を決しようというのだ。

 部隊をどう配置して、どう敵と戦うか、ノルベールは斥候を出して敵の配置を探らせた。ヴィクトールも敵の姿を、直にその目に見ようと部隊を置いて最前線へと足を運んだ。

「ようやく敵も覚悟を決めたようですな」

 そう言うのは、すっかり副官のような顔をしてヴィクトールの横にその馬鹿でかい身体を鎮座しているルイである。

 位は単なる一曹長で、士官でも何でもないのだが、本人がテレ・ホートの顔役でもあり、正式な士官たちは各中隊に指揮にかかりっきりなので、すっかり本人も副官面をしてその位置に収まっていた。

 とはいえ歴戦の下士官であるルイは、戦闘経験の少ないヴィクトールには頼りになる副官である。

「ここまで撤退して戦う理由はなんだ? 各個撃破の機会をわざわざ逃してまで?」

「まぁいいじゃないですか。敵軍が何を考えてるかなんて俺らには関係ねぇ。この間の続きをしましょうや。今度こそ敵の息の根を止めちまいやしょう」

 敵はシュリー・ロワレでの敗色をいくらかは振り払い、モゼル・ル・デュック城や各地の守備兵を吸収し増強されているが、敵を追う間に友軍との合流を果たしたフランシア軍も増強されている。敵を牽制する目的で進行してきた北方部隊とも合流できた。

 モゼル・ル・デュック城を労せずして取り返したことで、シュリー・ロワレで最後にガヤエに痛い目にあわされたことも兵は忘れつつある。

 そんな将士の雰囲気を体現したかのようなルイの気楽な口調にヴィクトールは釘を刺すように呟く。

「そう簡単に行けばいいけどな」

「ヴィクトール中尉は何か不安な点でもあるんですかい?」

「・・・戦いは何が起こるか分からないってことさ」

 戦術や戦力で勝って敵をラインラントの最東端に追い込んだわけでは無い。敵は補給線が短くて済み、こちらの補給線は伸び切っている。メグレー将軍の離脱で明確な総司令官がいない状態である。兵力は増したが、混成軍であるがゆえに指揮が統一されていない。

 不安はいくらでも心中に無いわけでは無いが、それを口にしはしなかった。戦闘開始前に首脳部批判などしては、兵に不安を与えるだけであろう。

「中尉は心配性ですね。戦いを避けるべきと考えてんですかい? 無理ですよ、こんなに軍が接近しちゃ、逃げ出すのも難しい」

 ルイとしては手柄を立てる機会を棒に振りたくないのであろう。何が何でも戦いたいと言った本音が見え隠れしていた。

「安心しろ、戦うさ。どちらにせよ俺に選択権は無いからな」

 連隊長代理に過ぎないヴィクトールには連隊長会議でも発言権はあってないようなものだ。ノルベールに献言をすることはできるが、反対することも強硬に主張することもできないのだ。

 ノルベールらが決めたことに従うしかない。

 もし俺が総司令官なら、同じ戦力をもってしても、違った情勢にしてから戦うのにな、とヴィクトールは思った。

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