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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第八十八話 シュリー・ロワレの戦い(Ⅴ)

 そのヴィクトールの予測、というよりは願望だったが、有難いことに戦局はそれに近い形で推移することになる。

 ブルグント軍右翼の混乱が収まらぬ間に、中軍を砲撃して同じように混乱させたヴィクトールは休まずに部隊を移動させ、隊列を整えて今まさに攻勢に移ろうとしたブルグント軍左翼に攻撃をかけた。

 三度、同じ光景が繰り返され、ブルグント軍左翼部隊は中軍と右翼と同じ運命を辿ることになる。いや、それまでの二度と少し違う光景がそこでは展開された。

 左翼の一隊を指揮する一人の将軍が攻撃を受け(たお)れたのだ。

砲弾が直撃したわけでは無かったが、着弾して隊列が混乱したところにフランシア軍の強襲を受けた際に、運悪く戦列歩兵の放った一発の銃弾が頭部に命中したのだ。

 指揮官が昏倒し、指揮系統は乱れた。新たな命令が下らぬ上、降り止まぬ砲弾、ますます勢いづく敵の攻勢を前にして、将兵は混乱して、敵に背を向け逃げ出した。

 その左翼が崩壊する姿に動揺したブルグント軍は抵抗する気力を失い総崩れとなった。


 逆にその姿を見たラインラント駐留軍の将兵は一斉に勝利の勝鬨(かちどき)を上げた。

「我々の勝利だ!」

 この勝利の最大の立役者はヴィクトール率いる第三十四戦列歩兵連隊とテレ・ホートの男たちの混成部隊とそれが用いた大砲である。

 だが万の軍勢が布陣する戦場を端から端まで、しかも砲撃に適した場所に陣取る為に大砲という重い荷物を抱えて丘陵を上り下りするのだ。敵騎兵の攻撃という妨害が無くても十分な時間が必要だった。

 ヴィクトールらが移動する間はフランシア側は大砲による援護射撃無しで戦わなければならない。となれば数が物を言う野戦である。

 確かに陣形も整わずに開戦し、戦力を逐次投入する形になったブルグントだが、正面から小細工無しの戦いともなれば優位なのは間違いない。

 その点、ラインラント駐留軍は敢闘したといって良い。右翼の混乱が伝わって敵軍全体が動揺していたせいもあるが、数で圧倒的に優れるブルグント軍を抑え込んだ。

 ラインラント駐留軍は続けざまの敗北と連戦とで体力的には限界に来ていたのだが、もう少し我慢すれば大砲が戦局を好転してくれると信じて、将兵が一丸となって気力を振り絞って戦ったのだ。

 敵軍を打ち砕いたのは、ガヤエを真似たとはいえ大砲を野戦で使用する、しかもその大砲を抱えて戦場を横断するという常識外の機動を行ったヴィクトールの奇抜な発想だけではあるまい。

 彼らの予想外の敢闘こそがブルグント軍の精神力を打ち砕いたのだ。

 まさにラインラント駐留軍の上下が一丸となってもぎ取った貴重な勝利である。


 ブルグント軍の総司令官アレクサンドルは眼前で起きたこの出来事に対して、呆然と立ち尽くすのみで、何ら有効な対策を打とうとはしなかった。

 といってもそれまでも実戦の指揮は各部隊を預かる将軍たちに任せて、指揮らしい指揮を行ってなどいなかったが。

 側近に袖を掴まれて我に返ったアレクサンドルが最初に示した反応は狼狽だった。

「ま、負けるというのか、この私が!? 何故だ! 兵力では圧倒的にこちらが有利ではないか!!」

「殿下、お逃げ下さい!」

「逃げるなど許されるか! まだだ・・・! まだ終わってなどおらぬ!!」

「勝敗は兵家の常、このようなこともございましょう。捲土重来(けんどちょうらい)を期するのです!」

「黙れ!! 兵の数ではこちらが優っているのだ! 敗けるはずがあるまい! もう一度戦うのだ! 命に背いて敵前逃亡する者は銃殺せよ!! 最後の一兵となっても退くことは許さぬ!!」

 王弟が現状を正しく認識できなかったわけでは無い。自分に手柄を立てるための絶好のおぜん立てをしてくれた兄に対して申し訳が立たないと、ただ思ったが故、その想いが矯激な言葉となって口に出たのだ。

「背を向けた兵を向き直らすのには骨が折れます」

 側近はそう、王弟という相手の立場の手前やんわりと忠告したが、それは兵士との信頼関係も十分な歴戦の将軍でも難しい仕事だ。権威だけは十分でも所詮、お飾りの王弟には不可能ごとと言っていい。

 それに逃げることで頭がいっぱいな兵士たちは気が立っている。逃げるためなら───つまり生き延びるためなら何をしてもおかしくない。

「混乱の中、殿下に万一のことあらば大事となります!」

 万が一そんな失態を犯せば責任は重大、ブルグントにて生きていく地が無くなるだけに王弟の側近たちは必死で説得を続けた。

「い、一旦、兵を退き態勢を整え直すのだ」

 撤退の大合唱に根負けしたアレクサンドルはとうとう退却を口にした。そもそも頭では現状の不利を十分理解していたのだ。

 ここは兵を退いて、情勢を立て直すしか彼にできることは無かった。


 側近が王弟を説得している間も、ブルグント兵を追撃してフランシア軍は刻一刻と迫って来る。

 幸いなのは軍が前がかりとなったことでアレクサンドルの本営と前線とが離れていたことだ。あんなやりとりがあったにも関わらず、悠々と逃げ出すだけの時間があった。

 だがそれも無限に与えられているわけではない。側近たちに急かされて、慌てて馬上の人となったアレクサンドルだったが、その馬の前に、あろうことか一人の男が立ちはだかった。

「お待ちください」

 ややこしい時に厄介な奴が来たと側近たちはその男、ガヤエ将軍を一斉に(にら)み付けた。

 敵意ある視線が降り注ぐも、ガヤエはどこ吹く風の泰然自若な顔で受け流す。

「ガ、ガヤエか。何用だ。見ての通り、既にことは終わった。我が軍は敗北した。私は退くぞ。そなたもいつまでもこんなところにいては危ない。逃げねば命を失うぞ。軍を率いて駆けつけてくれた、そ、そなたには悪いがな」

 アレクサンドルはガヤエにまくしたてるように一方的に言葉をぶつけると馬を御し、その場を離れようとする。だがガヤエは脇を擦り抜けようとする馬の前に立ちはだかると、もう一度大声を上げた。

「お待ちください!」

「なんだ!?」

 敵と戦わないと決めたからには、総司令官がいつまでもこの場に留まり続けるのは愚の骨頂だ。

 自分が虜囚ともなれば、それはアレクサンドル個人の問題ではなく、ブルグントという国にとっての恥辱になる。戦局の挽回もより難しくなるだろう。

 王弟という高貴な身分の生まれで、公衆で怒色を見せないように教育を受けてはいたが、そういった諸々のことを考慮したうえで、己を曲げ、ようやく退却することを決心したのに、その行動を邪魔しようとするかのようなガヤエの続けざまの行動に対して、さすがに苛立ちを隠せない。

 だがガヤエは王弟の怒りに対して、あえて見て見ぬふりをする。

「全軍が敗北したわけではありません。まだ私の部隊が残っています。一時、敵を食い止めますので、その間に逃げる兵をまとめて軍を立て直し、反撃を行えば勝機を(つか)めましょう」

「敵は二万五千もの大兵を有した我が軍を打ち破ったのだぞ!? 兵勢は明らかにフランシアにある! 僅か五千ばかりのそなたの兵では蹴散らされるのが落ちだ!!」

「何があったかは知りませぬが、我が部隊は数は少なくとも百戦錬磨の兵揃い、士気も高く、おさおさとフランシアの奴ばらに後れを取るとは思えません」

「その考えに賛同はできぬ。今は敵の鋭鋒を一時、かわすのが上策だ。そなたとそなたの部隊は私を守って引くことを命ずる」

 アレクサンドルはガヤエの献策を一蹴した。これ以上、傷口を広げるのは防ぎたいところだった。

 それに、もし万一、ガヤエがフランシアを打ち破りでもすれば大変なことになる。

 勝敗は兵家の常、一回や二回負けたくらいでアレクサンドルの名声が地に落ちるということは無い。だがアレクサンドルが敗れた相手に、一将軍がアレクサンドルの五分の一の兵力で勝ったともなれば話は別だ。アレクサンドルの立つ瀬が完全になくなる。パンノニア中の笑いものとなるだろう。断じてそんなことを許すわけにはいかなかったのだ。

 アレクサンドルのその言葉をガヤエは単に宮廷で何の不自由も無く暮らしてきた度胸骨の無い王弟が一度の敗北に恐れをなして、軍の指揮を放り出したと捉えた。

「ならば殿下は退却なさるがよい。代わって私に兵をお預け願いたい。殿下に成り代わり、敵軍を打ち破ってご覧になりましょう」

 ガヤエは根っから傲慢な男なので、特に意識したわけでは無かったのだが、王弟に対する言葉としては少々不敬なその発言にアレクサンドルはもとより、側近たちが一斉に激高(げきこう)する。

「殿下の命令が聴けぬと申すか! 不敬な!!」

「熟慮に熟慮を重ねた殿下の判断である。それに一将軍が異見を差し挟もうなどと、見当違いも甚だしい! 不敬な!!」

 そこでようやくガヤエは自身が側近たちの、何よりもアレクサンドルの不興を買ったことに気付いた。

 ラインラントにおける軍事的な指揮権は既にガヤエの下を離れている。これ以上、アレクサンドルの決定に逆らうような進言を行って要らぬ恨みを買うのはのはバカバカしいだけだと思い、口を(つぐ)んだ。

 だが彼には彼の良心というものがある。ブルグント軍には退勢を覆せる次善の策があるのに、自身の感情だけでそれを進言せずに、大勢の兵が死ぬというのなら寝覚めが悪い。

「勢いに乗って追撃を行っている敵をどこかで食い止めねば、大勢の兵が失われます。敵の足を食い止めるためにも少しは戦わねばなりますまい」

「わかっておる!」

「では何処で再戦を挑まれるおつもりでしょうか?」

 アレクサンドルは言葉に詰まった。売り言葉に買い言葉で反射的に返事をしただけだ。まともな考えがあろうはずが無かった。

「ええと・・・それはだな・・・」

 考えながら言葉を切れ切れに紡ぎ出すと、ふとモゼル・ル・デュック城のことが頭に浮かんだ。

 あの城にはブルグント軍が幾度も挑み、その度に苦い思いをしてきた過去がある。今度はそれがフランシア軍になる番だと思った。

 考えたのではない。あの堅固な城壁ならば自分を守ってくれると直感したのだ。

「モゼル・ル・デュック城だ・・・! あの城にて敵を迎え撃つ!!」

 それはいくらなんでも後退しすぎだ、とガヤエは思わず眉を(ひそ)めた。

 ブルグントが、というよりもガヤエがここまで得た戦果の半分を放棄するに等しい。だがもはやガヤエはアレクサンドルに戦略上のあれこれを進言する気力を失っていた。

 進言しても無駄であるという思いが強かったのだ。ならば自分のできる範囲内で最善を尽くすしかない。

「ですがこのまま無秩序に撤退、潰走すれば被害は甚大となります。私に敵を食い止める策があります。兵を動かす許可を与えてください」

 ガヤエはそう言って、せめて自分の指揮下の五千の兵だけでも自由に采配を振るう許可を求めた。

 そうは言ったものの言質を取ることまでは考えていなかった。話の流れ上、アレクサンドルが簡単にガヤエの言葉を追認するとは思えなかったのだ。

 にもかかわらずこんなことを切り出したのは、戦争後に部隊を勝手に動かしたなどとありもしない罪で告発されないように、自分がアレクサンドルに許可を求めたというアリバイ作りが目的だった。

 なにしろ、こういった不毛なやり取りを行っている間も敵兵は近づいてきている。

 敵軍が眼前に現れれば総司令官の許可などなくても勝手に交戦が始まるのだ。それは総司令官の命令の範疇(はんちゅう)では無く、部隊を預かる将軍の判断で行うことができる権限の範疇に含まれていた。

 アレクサンドルの言質など必要なくなるはずだった。

 だがアレクサンドルは一時でも早くガヤエから解放され、この場を離れることしか頭になかった。

「か、勝手にするが良い!」

 ガヤエは我が意を得たりとばかりに王弟に深々と頭を下げた。再びガヤエが頭を下げると王弟とその側近たちは遥か彼方で砂塵を上げて馬を走らせていた。

 その姿を見てさすがにガヤエはあきれ顔だった。

「逃げる時だけは行動が早い」


 ガヤエは山麓の(すそ)()うように走る坂道の脇に兵を織り敷いて逃げる友軍の後ろから来るはずのフランシア軍を待った。

 その姿を見てもガヤエは直ぐに軍を動かそうとはしない。いきり立つ将兵を押さえつけて、一発の銃弾も発射させなかった。攻撃を行わぬことでフランシア軍を侮らせ、自らの戦場に引き込んだのだ。

 それは大砲の音だけで崩れ去ったブルグントの他の将軍にはできぬ芸当、将兵はそれだけガヤエ将軍に心酔していたのである。

 ガヤエはぎりぎりまで引きつけてから一斉に鉛玉を浴びせた。

 焼けるように熱かったが、その球は久しぶりの大勝利と一方的な殺戮に酔いしれていたラインラント駐留軍の逆上(のぼ)せ上った頭に冷や水を浴びせる以上の効果があった。

「敵の反撃だ! 油断するな!!」

 だがそれは単に警鐘を放っただけで、事態の良化には何の効力も無かった。

 絶え間なく浴びせられる鉛玉と、続々と陸続する後続の兵とに挟まれて、前線の兵たちは前に進もうにも後ろに退こうにも動けない情勢に陥っていた。

 十分に銃撃を行って、敵軍の混乱を見たガヤエはパイク兵を先頭に戦列を前に押し出し、フランシア軍を容易く蹴散らす。

 だがノルベール少佐は前線の兵を助けるためだけに戦力を逐次投入する愚を犯すことなく、後続の兵にはまずは陣を敷くことを命じたために、ガヤエは初撃でフランシア軍を完膚なきまでに叩きのめすことはできなかった。

 それでも戦闘の主導権をフランシアからブルグントに取り戻させたのだから、十分すぎるほどの成果ではあったが。


 後方にいて混乱に巻き込まれなかったヴィクトールは戦場に意気軒高(いきけんこう)に乱舞するその部隊旗を見て、相手が何者かを直ぐに察知した。

「ガヤエとかいう将軍か。やはりメグレー将軍を打ち破っただけあって、ここまで戦ってきた凡百の連中とは違うようだな。だが!!」

 ラインラント駐留軍は万に満たないが七千を上回る。対する敵は五千程度に見えた。味方は五倍もの敵を打ち破って士気が高い、敵は敗走の中、孤軍として取り残されて心細いはずだ。

 しかも敵には火砲という重装が無い。五分の、いや、五分以上の情勢だった。

 それでも油断は大敵とばかりにヴィクトールは部隊を砲撃に適した地のある側面に回した。

 その動きを見て、ヴィクトールの意志を感じたかのようにフランシア全軍が敵を眼前にしても逸ることなく、足を止め、息を整えて隊伍を組み直して正対する。

 総司令官がいない割には、一個の生物のようにフランシア軍は動いている。

「敗けるはずがない」

 ヴィクトールは勝利に高揚する心をあえて抑えて、そう呟いた。

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