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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第八十七話 シュリー・ロワレの戦い(Ⅳ)

 とはいえヴィクトールが懇切丁寧に指導したにも関わらず、ブルグント軍の右翼の戦列が密集した地点に狙った通りに落下した砲弾は少なかった。

 士官学校も満足に出ていない若者の見よう見まねで施した教練というのもおこがましいものでは、これまた砲術のほの字も知らない兵士たちにとって、発射できただけでも上出来というものである。

 風向きと距離と角度と火薬量を完璧に計算して曲射を行うなど夢物語であった。

 つまり、ブルグント軍の陣にすぐさま大きな損害を与えたというわけでは無かった。

 だがそれでも狙ったところに飛んだ砲弾が皆無であったというわけでは無い。

 近くに着弾した衝撃で吹き飛ばされ、気を失ったり、運悪く身体の一部が弾道をかすめて、骨を折ったものなどはいいほうだった。

 だが、その程度ならばブルグント兵も意気を(くじ)かれることなどなかっただろう。

 彼らから戦意を奪ったのは眼前の光景。腹部を貫通し、内臓が腹からはみ出た者、あるいは頭部を吹き飛ばされ、首から下だけの姿に変わり果てた者、四肢の一部を砲弾に持っていかれ失ったものなど、戦場往来を重ねた古強者でもぞっとするような光景が目の前に広がったからだ。

 確かに戦争はいつの時代も悲惨で陰鬱(いんうつ)で血生臭いものではある。だが武器を手にして長い格闘戦の後に、残虐な光景が広がるのと、轟音が空から舞い降りた一瞬の後に一瞬にして周辺の光景が一変するのとでは、途中の過程がすっとばされるだけに兵士たちに与える心理的影響が大きく違ったのだ。

 人間は目に見えるものより見えないものに恐怖するものだ。

 それに戦列を組んでの銃器主体の戦争に代わってから、かつての肉弾主体の戦争時よりも敵兵との距離があるぶん逃げ易くなった。だからであろうか不利と見れば崩れ去るといった悪癖が、この時代、どこの軍隊にもついていた。

 さらには兵が見る情景も凄惨な色合いが薄まっていたから、その陰惨さは常在戦場の古参兵でさえも動揺を覚えたに違いない。

 それでも最初は命中率の低さとフランシア側の砲数の少なさ、そして先程まで優勢に押し込んでいたこと、なにより目の前に展開するフランシア軍の兵数の少なさから、ブルグント軍の心理的影響は軽いものに過ぎなかった。

 しかしそれもヴィクトールが砲弾や火薬の節約や大砲の寿命など余計な事は何も考えずに、ただ一発でも多くの砲弾を敵陣に浴びせることだけを考えて、休むことなく重い鉛の円球を撃ち込んだことで話が変わって来る。

 命中率の低さをヴィクトールは手数で補おうとしたのだ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとはまさにこのことである。

 しかもそのことは副次的な効果ももたらした。上空を砲弾が飛んでいった音だけでブルグントの兵士たちは恐怖を感じるようになり、耳を両手で塞いで座り込むほどだった。

 それこそがヴィクトールの狙いだった。

 現在のラインラント駐留軍の現有戦力ではブルグント軍と正面切って戦って勝つ見込みなどゼロに等しいのだ。敵が怯んだこの隙を突いて一気に打ち砕くしかない。

 目の前の大軍を早く打ち砕くことは、いかに短時間に多くの砲弾を降らせて敵の兵士たちの心に恐怖を植え付け、立ち直る前にこっぴどく叩けるかにかかっていた。

 ブルグント軍にヴィクトールのその考えを見抜ける人物はいなかったが、それでも軍内に広がった混乱をそのままにしておいては危険だということだけは分かっていた。

 将校や下士官が持ち場に戻るように命令を下し、逃げ出す兵に対しては実力行使まで行ったにもかかわらず、その効果は一向に見られなかった。逆に兵を押しとどめるべき彼らも率先して逃げ出す有様だった。

 その様子を見たノルベール少佐が兵の息を整えてから反撃を試みるとブルグント軍の右翼戦列はあっけなく崩壊した。


 目の前で再びブルグント軍が崩れさる姿にノルベール少佐は目を大きく見開いた。

 それもそうであろう。総指揮官を無くし、先日まで敗走に次ぐ敗走を重ねていた敗残の軍が、勝利者である、しかも新たな援軍をも加えた、優勢な敵軍を打ち破ったのだから。

 しかもそれが大兵力や華麗な戦術ではなく、未だ半信半疑だった大砲の砲撃によってもたらされたものであるのだから、自身が見ている光景が夢かうつつか疑いたくもなろうというものだ。

 確かに先の戦いにおいても同じことは起きた。ヴィクトールが戦場に運び込んだ大砲の発射音が響き渡った後に、ブルグントの先軍は崩れ去った。

 それを見た多くのフランシア兵は、もっぱら攻城用に特化して進化していた大砲が、野戦においても有用であると示したかのように感じたものである。

 しかし冷静に考えてみるとその見解はどうであろうか。

 ヴィクトールが所持していたのは僅か三十門の小口径の大砲であったから、それまでの攻城用の巨砲に比べれば見せかけは貧弱であったし、訓練も満足に受けて無い、しかも砲兵では無い兵が射撃をしたということもあって、実際に敵陣に効果的に撃ち込まれた弾は少なかったのである。

 どちらかというと耳を(つんざ)かんばかりの砲撃音が側面から攻撃を受けたということを大きく敵兵に知らしめる警鐘の役割を果たした結果、挟撃を恐れたことで士気が衰え、崩れ去ったというふうに考えられなくもない。

 現に指揮を執っているノルベール少佐などはそう考えていた。ヴィクトールの主張を鵜呑みにしていたわけでは無かったのだ。

 むしろ僅かばかりの補給物資と錬度の高くない援兵と役に立つか立たぬか分からない大砲で勝機があるなどと主戦論を展開するヴィクトールを、この若者は圧倒的不利な状況がもたらした恐怖のあまりに冷静な判断がつかなくなっているのではないかなどと観察していた。

 だからヴィクトールの異様な熱意に他の若い士官たちが感化されるのを見ても、実はノルベールは同じ熱気に包まれることは無かった。

 ノルベールがヴィクトールらに同調したのは、国家を救う為にどうにかせねばならぬという愛国心と、現状に流されるまま無気力に指揮を執るしかないセヴラン大佐には命を預けられないという気持ちが彼を動かした。

 いや、もっと大きな動機がある。それは今の状況はラインラント駐留軍という若輩の自分では、どんなに頑張っても、この先三十年は握ることができないであろう巨大な指揮権をこの手に握る、すなわち功名を立てるチャンスであるとみたからだ。

 といっても特に勝算があったわけでは無い。正直言えば当時も今もブルグントの大軍相手にどうやれば勝てばいいのかビジョンが見えないというのがノルベール少佐の本心であった。

 あえて火中の栗を拾わなければ良かったではないかと思わないでもない。

 確かに自分の職務の範囲内ですべきことだけを行い、責任を誰かに押し付けて素知らぬ顔をするというのが小賢しいが無難な生き方かもしれないし、失うものも少ないかもしれない。

 これで勝てば問題は無いだろうが、敗ければ敗戦の責任が全てノルベールにのしかかって来るだけでなく、半ば越権的に指揮権を手に入れた過程も含めて、全ての責任を押し付けられることは間違いない。

 だがこのままではセブラン大佐だけでなく、フランシアの大勢の兵士の命、そのなかにはもちろん自分の命も、が無駄に失われるのではないかといった危機感が彼を動かしたのだ。

 それになによりも捨て身にならなければ得られぬものもある。特に身の丈以上のものを手にしたいのならばなおさらである。失うことを恐れずに踏み出さねばならぬ時もある、とノルベールは思ったのだ。

 だが今度ばかりはノルベールも自身の考えを変える時が来たことを認めざるを得ない。

 ヴィクトールの言う通り、勝敗の行方はあの不格好な細長く、やけに重い鋼鉄の塊が握っているのではないか。

 大砲が、将軍の不在と彼此の兵力の差という圧倒的不利な状況を覆してくれるのではないか、と思い始めていた。

 丘の上から行くたびも吐き出される弾道を見るたびに、その思いをますます強くした。

 それは多くの兵も同様に感じていたに違いない。フランシア兵は今度こそメグレー将軍指揮下の、フランシア一の強兵と云われていた往時の誇りと自信を取り戻したのである。

 大砲の発射音がフランシア軍を鼓舞する天使の歌のように戦場に響き渡った。


 ヴィクトールは敵の右翼戦列が砲撃によっていたるところで切断されたうえにノルベール少佐が的確な反撃を行ったことで戦闘能力を半ば失ったを確認すると、次の行動に移った。

 安全な位置から一方的に相手を蹂躙する快楽に酔いしれる兵を大砲から引き剥がして移動を命じた。

 何しろブルグント軍右翼を襲った混乱を全体に広げるためには中央部、左翼にも砲弾を撃ち込む必要がある。

 だが大砲は全て敵右翼に相対する小丘の上にいるヴィクトールの部隊に全て配備されていた。

 当初はヴィクトールしか大砲の有用性を認めず、行軍の足を引っ張るだけのクソ重い荷物を戦場に持っていくことを他の連隊長たちが渋った結果である。

 そして距離と錬度を考えるとそこから撃ち出しても戦果を挙げることは難しいだろう。

 最初に部隊を三分割することも考えなくは無かったのだが、仕官の目が届かなくなると兵は勝手な行動を取り始める。

 しかもヴィクトールは正常な手段で就任した連隊長では無く、ヴィクトールの指揮下の部隊は通常の部隊では無い。敗残兵と義勇兵の雑多な寄せ集めの混成部隊を分散させてコントロールすることは、全ての兵より若いということで軽んじられがちなヴィクトールの指揮力と現有仕官の数を考えると不可能と踏んだ。大砲を広く、薄く配備することでその威力が薄まることを恐れたということもある。

 その代わりにヴィクトールは自部隊を大砲ごと移動させることで敵の残りの中央部、左翼を打ち崩そうと考えていたのである。

 といってもブルグント軍とフランシア軍には兵力差がありすぎる。大砲を撃ち込む前に敵軍の突撃によって寡兵の味方は蹴散らされてしまうこともありうる話だ。

 だからこそノルベール少佐は追撃戦で多大な犠牲を払うことを覚悟のうえで、敵を追って反撃を受け、わざわざ逃げ出すという芝居までして見せたのだ。

 佯敗(ようはい)したノルベール隊を追撃した追って来たブルグント軍は大軍だったから、ノルベール隊に正対していた一部の部隊を除いて、ほとんどの部隊が行軍に支障をきたした。

 中央戦列はようやく攻撃を開始したといった有様だったし、左翼に至っては未だ布陣を整えている最中であったのである。

「次はあの丘の中腹に大砲を据える。敵は目の前の大軍じゃない、時間だ。急げ」

 ヴィクトールは自分の命令が末端まで行き渡るのも確かめもせずに自ら大砲を押し始めた。


 だがここまで威力を発揮してくれた、せっかくの新兵器の大砲もこの短い時間で幾つもの問題を露呈(ろてい)していた。

 短期間に急造する必要から、複数の工房で鋳られたこと、アルマンとアルマンの父が綿密に手はずを整え、口径四十ミリ、銃身長百六十センチと定められていたが、出来上がったものにはやはり多少のばらつきがある上、内腔は正確な円形を為していなかったので、砲弾は自然と口径よりも小さく作らねばならなかった。

 口径と砲弾が合わなければ砲口内部で生じた爆発燃焼力も不規則に広がるし、砲弾も砲身内で暴れる。

 そのせいもあってか、既にヴィクトールは砲身が破裂して四門もの大砲を失っていた。

 あるいはその理由には納期が短いことで品質を犠牲に粗製濫造しなければならなかったこともあるかもしれない。

 もっともヴィクトールが大砲の冷却時間を与えずに続けざまに砲撃させたというのが最大の要因であろう。青銅は熱を持つと強度が落ちるのである。

 とにかく運用に問題があるとしても、強度が足らないことだけは間違いなかった。大砲はヴィクトールらにとって救いの神ではあったが、万能の神では無かったということだ。

 しかも強度に問題があるのは砲身だけでは無かったのである。

 職人たちは大砲につける車輪を発射の反動で後退した大砲を元の位置に戻すくらいで、せいぜいが短い距離の移動に使うのであろうと、戦艦用の大砲と同じく、青銅の鋳造か、あるいは樫などの硬い木材で作成していた。

 岩や穴の存在するでこぼこした非舗装の道を移動するために使用することなど想定もしていなかったのだ。

 だから小丘の間を繋ぐ、緩い傾斜の坂道を下った時に、ちょっとした衝撃で車軸が折れ、列が立ち往生する。

 後続がついてこないことに不審を抱いたヴィクトールは引き返した。

 そこでは与えられた仕事をヘマをしでかしてしまったと、壊したことに責任感を感じ、引き()り押して運ぼうとする力時間のラインラントの大男たちの姿があった。

 ヴィクトールは大砲の下部を覗き込んで、車輪が用を足さなくなったことを確認するとそんな彼らに新たな命令を下した。

「捨てていけ。車輪も馬車も馬も無しじゃ平地はともかく坂道は持ち上がらない」

「しかし・・・もったいなくないですか?」

 あれだけの威力を見せつけたのだ。当初はあれほど重さに閉口して運搬に文句ばかり言っていた兵たちも、今やその大砲が力強く、とんでもない宝物のように感じ、手放すのが惜しくなったのだ。

「今は時間が最大の敵だ。敵を撃砕すれば、後でいくらでも回収できる」

 それに逆に敵に撃砕されれば、どのみちこんな重いものはその場に放棄して逃げ出さねば命が無くなるのである。ならば最初から放置していくのも同じなのだ。

 無事な大砲だけを先行させ、一部の兵を運搬に残すことも考えたが、ただでさえ少ない兵を余計な作業に回す余裕は無いと最終的に判断した。

 結局、三門の大砲を道端に転がして放棄し、道筋を開けさせ、先を急ぐことにした。

 大砲を連射して壊した原因の多くは冷却時間をおかずに連射させたヴィクトールにあるだろうが、それにしても受け取ってから二戦で二割も壊れるのは異常だ。

 思えば敵軍ではそのような事態が起きたような形跡は見られなかった。そう言った諸問題は既にクリアしていたということだ。

 有能な武器だが、まだ改良点は多くあり、そしてヴィクトールをはじめとしてフランシア人は誰一人として大砲を野戦で使うということを知ってはいない、と痛感した。


 再び先頭に戻って先を急ごうとするヴィクトールにロドリグが近づいて連隊の不格好に乱れた行軍態勢に目をやりながら耳打ちする。

「しかし大丈夫ですかい。こんな隊列じゃ、移動するところを襲われたらイチコロでさぁ」

 ロドリグの懸念も無理はない。さすがに大軍とはいえ敵軍の歩兵がノルベール隊の脇を擦り抜け長駆し、ヴィクトールらを攻撃するのは無理であろうが、騎兵ならば大きく迂回して攻撃してくることは可能だ。

 ヴィクトール隊には大砲を運ぶ以上の人手は無い。そんな分断された縦列状態の今、攻撃を加えられれば、結果は誰の目にも明らか、勝負になるならない以前の問題である。

 だがそのことについてはヴィクトールは楽観視していた。

「騎兵がいれば側背に回られて厄介なことになっただろうが、初戦でこっぴどくたたいたから騎兵はしばらく使い物にならない。気にすることは無い」

 敵は大きく動揺している。敵軍を誘い出したことで前線と総司令官との間に距離が出来、連絡も命令もままならないどころか、ラインラント特有の狭隘な地形もあいまって前線の様子も把握しきれてないだろう。

 この混乱が収まり、再び敵軍が一体となる前に戦いの趨勢(すうせい)を決定付けられることができれば、勝利することは不可能では無い。

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