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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第八十三話 与えられた謎の時間

 ヴィクトールが翌日どころか到着した当日からいきなり厳しい教練を課したことに、頑強なテレ・ホートの男たちも不満たらたらだった。

 ヴィクトールは孫子の『故にこれを合するに文を以てし、これを(ととの)うるに武を以てする、是れを必取と()う』という言葉こそは知らなかったが、新規兵に厳しすぎる軍律を押し付けて反感を買うのではなく、まずは指揮官に親しみを持たせるべきといった人事の要諦や兵士たちの心境は理解していたが、あえてそれらを黙殺し、明日にでも敵が再び攻め寄せてくるかもしれないと思うヴィクトールの心に焦りがあったからだ。

「違う! 『装填』と言ったら火薬と銃弾を砲身に入れて押し込むまでだ!! 勝手に引き金を引くな! 銃を構えてもダメだ!!」

 テレ・ホートの出身者は身体的に頑強で兵士として勇猛果敢であったが、とかく自尊心が強いのか、他者から命じられることが何よりも嫌いといった精神の持ち主が多かった。

 だから自身の裁量でやることが極端に制限される、ヴィクトールの新たな教練方法に不満たらたらだった。

 その中でとりわけ不満の声が大きかったのが、銃を割り当てられた者ではなく、にわか仕立ての砲兵として大砲を割り当てられた者たちだった。

 車軸のついた大砲は確かに以前より運搬はしやすくはなったが、それでも取りまわすのに手間はかかる。

 ラインラント駐留軍は退却時に運送用の馬をほぼ全て失っていたから、大砲を押して運ぶのは人力ということになる。

 ということでせっかくソフィーが苦心して送ってきてくれた大砲だったが、ただでさえ少なくなった戦列歩兵から兵を割くのを渋った他の連隊長たちは、テレ・ホート民の義兵という名の余剰兵力があるという理由から、その運用を全てヴィクトールに押し付けたのだ。

 実際に野戦での大砲の有用性をその目で見たはずなのだが、ヴィクトール以外の連隊長たちは自分たちで使うことに関しては未だその有効性に疑問を持っていたのだ。

 しかもヴィクトールときたら、ほぼ素人同然のその砲兵に対して射撃訓練をさせるでもなく、ただ移動させ、いかに目的の場所に早く設置するかを訓練させていた。

 つまり青銅製のクソ重い大砲を人力で、ただひたすら野天を引っ張りまわすという重労働をさせていたのである。

 力自慢のテレ・ホートの男たちといえども不平不満もでるというものだ。

「こんなことが本当に役に立つのかよ!?」

「弾を装填したら直ぐに撃った方がいい。他人に合わせて撃っていたら敵が近づくじゃねぁか」

「大砲をあっちやこっちに移動させて戦場でどうなるっていうんだ!? 大砲は狙ったところに当たらないと何の意味も無い! 的に当てる訓練をさせてくれよ!」

 と、なかなかヴィクトールの下知に従おうとせずに勝手気ままに銃や大砲を撃とうとする。その度にヴィクトールは大声で叱りつけて、もう一度はじめから全ての動作をやり直させ、身体に覚え込ませようとした。

 だが頑固者ぞろいのテレ・ホートの民だけに、一度や二度言い聞かせたくらいでは従おうとしない。それははたから見れば賽の河原で石を積むような無駄な努力に見えた。他の連隊長も呆れるばかりである。

「また突拍子もないことを考え付いたな」

「若くして連隊長代理をするということで気負いがあるのだろう。功名心は分かる。部下に舐められたくないという気持ちも分かる。これまでと違った何かをやりたくて仕方がないのであろう。だが思い付きを直ぐに実行に移すのは感心せんな。新たな取り組みだと思いついたことでも、実は先人が考え付き、既に実行に移して、上手くいかなかった例が大半だ。あんなことをして何になる? 戦を前にして兵を疲れさせるだけの無駄な努力だ」

「まさにその通り。新たなことを発見するのはほんの一握りの人間、神に愛された天才(アマデウス)だけだ。あの中尉はこれまで少しばかり成功したからって、自分が歴史的偉人にでもなったと思い込んでいるのであろうか」

「思い上がりも(はなは)だしい」

「なんでもブルグント軍の射撃の様子を見て、真似しているらしい」

「なんと浅ましいことだ。フランシア軍人としての誇りは無いのか」

「それに教練のやり方一つで勝てるというのならば、パンノニア随一の厳しい教練を施してきた我らがラインラント駐留軍が負けることなどないはずではないか」

 多少なりともヴィクトールを庇うような言葉を言ってくれたのは同じ連隊長代理であるノルベール中佐くらいのものであった。

「例え憎い敵のすることといえども、良い点があるというのなら取り入れるのに二の足を踏むことはないでしょう。ヴィクトール中尉のやっていることは理に適っています」

 とはいえノルベール中佐も自身の連隊に同じような教練を施そうとはしなかったから、ヴィクトールのすることに全面的に賛同したわけではなさそうだった。

 連隊長たちはその悪口を隠そうともしなかったから、その声は自然とヴィクトールの耳に聞こえてくる。

 だがヴィクトールはあえて外野の声に耳を塞ぎ、「これが一体戦場で何の役に立つのか」と言う兵士たちの不満の声にも耳を塞いで、辛抱強く訓練を続けて一連の動作を兵士たちの身体に覚え込まさせようとした。

 必ず戦場での勝利につながるとただ信じて。


 さて、考えようによってはヴィクトールが部隊に教練を施している時間があるということは不思議なことである。

 ガヤエ将軍は手持ちの兵だけでラインラント駐留軍を潰滅寸前にまで追い込んでいたのだ。それだけ優勢だったのである。新たに援兵と合流した以上は間髪入れずに攻め寄せるのが常道だ。

 何故そのような時間が生じたかと言えば、ブルグント軍内において一向に議論が(まと)まらなかったからである。

「将軍方が連れてきた兵は長い間、戦から遠ざかっていた兵である。戦の勘を取り戻すのに時間が必要となりましょう。また長旅で疲れてもおいでであろう。ここは休息も十分な熟練の我が部隊を先頭にして攻めるべきかと考えます」

 ガヤエは政治的にやむを得ぬ事情で王弟に総指揮官の座こそ譲ったが、実戦指揮官の座まで譲る気は無かった。

 名誉と手柄は存分に分けてやるから後方で大人しくしていろと言うのがガヤエの本心だった。

 ガヤエの言葉にあったように、援兵は実戦から遠ざかって久しい兵だし、肝心の王弟は実戦経験皆無ときたものだ。それだけでなく、自身の才覚に絶対の自信を持つガヤエは王弟が引き連れてきた将軍たちの手腕にも懐疑的だった。

 王は実戦経験が皆無な弟の身を案じて歴戦の将軍を配下につけた。

 だが彼らはガヤエに言わせると軍歴が長いことだけしか自慢するところがない老将(おいぼれ)である。確かに軍功も立てたが、五十年戦争で示した彼らの手腕を見れば凡庸な将軍であるとしか考えられない。

 しかも彼らは階級や軍歴を考えると王弟の命令こそは聞くだろうが、ガヤエのような若造の命令は聞く耳を持たないであろう。

 ガヤエは自分がいるのだから勝利は間違いないと確信はしていたが、功名心にかられた彼らが余計な動きをすることで敵に付け込まれ、敵部隊を取り逃がすだとか、敵の反撃を喰らって損害を出すとか、せっかくの勝ち戦に水を差されるような事態だけは避けたかった。

 であるから自分の手足となって自由自在に進退する指揮下の兵だけでフランシア軍を撃破する気であった。だからこのような物言いをしたのである。

 だがそんなガヤエの魂胆はあっさりと見抜かれていた。

「そうは言っても、将軍の兵も度重なる戦でお疲れであろう」

「我らが部隊はこれくらいの行軍で堪えるような兵ではないぞ。確かに戦の経験は無いかもしれないが、そのぶん新鮮で戦いに飢えている」

 などともっともらしい理屈を並べたてて、彼らは逆にとにかくガヤエを後方へ下げ、己と己が兵を先頭に押し立てて進軍しようと論陣を展開した。

 これ以上、ガヤエに功を為さしめてはといった考えが透けて見えた。要は嫉妬である。

 その不純な動機にガヤエが気付かぬはずがない。となるとガヤエは一歩も譲らないし、その態度が将軍たちの反感を買い、彼らもいっそう意固地になって自説を固持する。

 数日間にも及ぶ堂々巡りの議論に結論は出ず、全ては総司令官たる王弟に委ねられることとなった。

 軽薄な才子と見られている王弟アレクサンドルではあるが、彼は愚劣な男では無い。単に速やかで確実な勝利を得るだけなら前軍にガヤエを用いて、自身とお付きの将軍たちが後方で支える形にしたほうが良いことは理解できた。

 だが彼は位こそ武官ではあるが、戦略家というよりは政治家であった。領地を持たぬ、妾腹の王弟という難しい地位にいる自身の宮廷内での立場を良く理解していた。

 将軍たちに活躍の場を与えて、兄の顔を立ててやらねばならぬと思った。

 ガヤエの才覚よりも、組織としての釣り合いや人の和といったものを重視したのだ。

「ここは疲れの無い新兵を用いて敵を破ることにしよう。ガヤエ将軍の将兵は疲れているであろう。それにこれまでに十分過ぎるほど功績を立てた。ここは功を譲られよ」

 王弟アレクサンドルの言葉に将軍たちは嬉々とした表情でガヤエに意趣のある視線を向け、ガヤエは失望の色をありありと顔に表した。

 だがこれでようやく戦闘が再開される道筋がついたということになる。

 しかしそれで直ぐに出撃するかと思えばそうではなく、近辺の地形と敵情を探るために数日を無駄に過ごした。

 色々と思うところはあるものの、味方の敗北を望むほどガヤエは狭量でも愚かでも無く、情報はいくらでも提供すると申し出たのだが、自らの目で確認しなければ判断できぬと将軍たちが言いだして聞かなかったのだ。

 老練な自分たちと違って、ガヤエのような若い将軍では情報に粗漏があるだろうということのようだった。実に無駄なことである。

 最終的に軍を動かしたのはそれからなんと三日も後のことだった。

「遅い。動くのが遅すぎる」

 例えガヤエを用いず、お付きの将軍と新規の兵を中心として攻めるにしても到着早々に兵を動かすべきだった。敵に立ち直る時間を与えるべきではない。わずか数日で事態が変遷している可能性だってあるではないか。

 ガヤエは誰もいないところでしきりに首を横に振った。

「俺一人でもラインラントなど落として見せるのに!!」

 これだから指揮権を譲り渡すのは嫌だったのだ。王も余計な事をしてくれるとガヤエは怒りを拳に込めて目の前の大木にぶつけた。

 鈍く大きな音と共に枝から枯葉が舞い落ちる。

「ははははは、ガヤエ将軍は機嫌が悪いと見えるな」

 ガヤエが声のした方角を振り向くと、顔の前を通ろうとした落ち葉を優雅に片手で払う貴公子の姿があった。

「これは・・・! 王弟殿下、みっともない姿をお見せいたしました。不調法をお許しください」

 将軍たちに対する不満は王弟が下した決断に対する不満と捉えかねない。ガヤエは王弟に深々と頭を下げて陳謝した。

「いいってことさ。この私にも将軍の不満は分からないでもない。功を横取りするような形となって済まないと思っている」

「殿下にお気を遣わせてしまい大変恐縮です」

「だが私には私の立場というものがある。枢機卿や将軍のこれまでの働きを考えると酬いてやりたいとも思うが、政治的なことも考えなければならぬのだ。連れてきた将軍たちは軍歴が長いだけあって、軍内部に息のかかった与党を多く抱えている。大身の貴族の出身者も少なくない。彼らの機嫌も取っておかねばならぬ」

「もちろん殿下の難しいお立場、このガヤエも心得ております」

「よかった」

「ですがそれだけではないのです。私はせっかく築き上げたブルグントの優勢が失われるのではないかと危惧しているのです」

「案外と心配性だな、将軍は。何、フランシアの犬どもはガヤエ将軍が十分に痛めつけておいてくれた。将軍ほど有能ではないかもしれんが、彼らも五十年戦争を戦い抜いた将軍たちだ。決して無能では無い。一月もせぬうちにラインラントからフランシアの犬どもを追い出してくれるだろうよ」

「だといいのですが」

 これまでの上げた実績は素晴らしいものであったし、いくら自分の才覚に自信があるとは言っても、歴戦の将軍の手腕を信じずに、あくまでも信じるものは自分といったガヤエの言葉にさすがのアレクサンドルも不快を感じずにはいられなかった。

 もちろん王弟アレクサンドルはその感情を表に出すようなことはしなかったが。

「本当に将軍は心配性だな。そんなに細やかに気を遣っていては早死にするぞ。では私はいくぞ」

 とガヤエに笑顔を見せて立ち去っただけだった。


「枢機卿から話は聞いていたが、まさに悍馬(かんば)だな」

 十分に離れて姿が見えなくなってから、アレクサンドルはガヤエをそう評した。

 といっても格段、腹を立てているわけでは無い。その性格のあまりの圭角の在り様に呆れただけだった。

 多少は不快に思ったとしても、それは一時のこと。ぐっと心底に嫌感情を沈めて消し去ることができる王弟アレクサンドルと違って、王弟アレクサンドルの付き人たちはそう人物ができているわけではなかった。

「他の将軍たちと和する気配がありませんし、王弟様に対しても不遜なる振る舞いが目につきます。軍権はこちらにあります。いっそのこと罷免すべきではないでしょうか?」

 妾腹とはいえ王の子である。上に立つものとしての教育は一通り受けている。一時の感情で動く愚かさは十分に知悉(ちしつ)している。

「ラインラントでの戦を優勢に導いたのはガヤエ将軍の手腕が大だ。将兵の心も掴んでいる。ここで罷免なぞして見ろ。戦を前に軍が空中分解してしまうぞ」

「ではありましょうが・・・」

「ま、多少は大目に見ようではないか。それが大人(たいじん)の器量というものだ」

 そう言うと王弟はこれ以上はもう言うなとばかりに手を振って、会話を打ち切った。

 こうして多少のゴタゴタはあったものの、アレクサンドルの指揮の下、ブルグント軍は再び動き始める。

 その動きはヴィクトールらラインラント駐留軍の下にすぐさま伝わることとなり、一度安寧を貪っていたフランシアの将兵たちを震撼させた。

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