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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第七十八話 退却という良籌

 こうして連隊内はヴィクトールを仮の連隊長にすることでまとまったが、果たして他の連隊長たちもそのことをすんなりと認めてくれるかという懸念はヴィクトールには依然としてあった。

 確かにピエールは他の連隊長たちと話をつけると安請け合いしてくれたが、正直なところヴィクトールはこの人の良い上官の能力をまったく買っていなかったのだ。

 しかし数時間後にピエールに連れられ連隊長の会議に到着すると、ヴィクトールが連隊長代理の職を務めることに意義を差し挟む人物は一人としておらず、ヴィクトールはピエールの隠れた才能に括目(かつもく)する思いだった。

 もちろん、全員の連隊長から大丈夫かと言わんばかりの目でじろりと上から下まで舐めまわすように睨まれたりはしたが。

 本当のところを言えば、ピエールの説得が巧緻だったというよりも、彼らもこの頽勢をどう巡らせて戦局を挽回させるか、また自分の連隊内部の諸問題にどう対処するかを考えることだけで頭がいっぱいで、兵員が定数を大きく割った上に連隊長以下、有能な幹部を失った第三十四戦列歩兵連隊をもはや戦力とみなしておらず、誰が指揮しようが興味が無かったのである。

 さて、士官たるもの本来ならば連隊長になる前に士官学校での机上の学問で知識を蓄え、そして一士官、中隊長、連隊副官と出世していく中で行われるOJTとで経験を積み、連隊長になるころには戦場で起きたことに対してどう対処すべきかと言った応用問題に対する答えを習得しているはずである。

 だがその全ての過程をヴィクトールは経ていなかった。すなわち、こんな危機的状況にどんな手段を取るべきか選択するどころか、どのような手段があるのかすら知らなかったのである。

 というわけで最初の連隊長会議を、ヴィクトールは隅に座って無言を貫いて、ときおり頷いて見せることでなんとかやり過ごすことで乗り切るしかなかった。

 もっとも他の連隊長からも建設的な意見は何一つ出ずに、会議は何も決まらぬまま散会となったのだが。


 会議が終わると、異例の経歴の持ち主であるヴィクトールに興味を抱き、声をかけるような物好きが連隊長の中にいなかったこともあり、ヴィクトールはそそくさと会議場代わりの狭く息苦しい小汚い山小屋を後に、解放的な野外へと足を向けた。

 だが一人になったヴィクトールがそれまでの緊張で強張った身体を大きく背伸びをしてほぐしていると、後ろから声をかける者が現れた。

「疲れたか?」

 振り返った先にピエールの人のいい笑顔を見出して、ヴィクトールは微笑み返した。

「はい、気を遣いました。何しろやはり皆さま方、私よりもかなりの年配な上に歴戦の勇者ですし」

 ヴィクトールのその言葉にピエールが片方の眉をぴくりと上げた。

「・・・・・・その割には君は私の前では緊張した素振りを見せたことは無いな」

 ピエールはこういった命の遣り取りをする場所にいる人間としては極めて珍しい、圭角の無い、敬愛できる人生の先輩であるが、上官としてイアサントやメグレー将軍のような(きら)めくほどの才知を見せることがなかったからなどという本音を言うわけにはいかないヴィクトールは、慌ててピエールのその言葉を打ち消してフォローに入った。

「いえいえ! そういった意味では無くて・・・! ピエール大尉はいつも小官のような若輩者に良くしてくださいますから、その分、気安く・・・! いえ、むろん大尉のことは尊敬しております!!」

 本当のところを言えば、ピエールはヴィクトールの内心の考えを見抜いて責めたわけでは無く、あくまで新米のヴィクトールを軽くからかって遊んだだけのようで、「ははは、そういうことにしておくか」と笑って流した。

 雑談を終えたのか他の連隊長たちも山小屋から次々と出て来る。帰還しようとした彼らの中から、ひとり年若の、端麗な容姿の持ち主の男が歩み寄って、ヴィクトールに声をかける。

「ピエール大尉、ヴィクトール連隊長代理殿、このたびのイアサント大佐のこと、心からお悔やみ申し上げる」

 二人に向かって深々と頭を下げたのは、第四十五戦列歩兵連隊の連隊長代理を務めているノルベール少佐だった。

「これはわざわざご丁寧に挨拶いたみいります」

 何事も規格外のラインラント駐留軍であるからか、自身の数倍にも渡る軍歴を考えてなのか、ノルベール少佐の言葉遣いは大尉に向けられるものにしては若干の丁寧さが見られた。

「イアサント大佐は無事であれば、いずれメグレー将軍に代わってラインラント駐留軍を率いることになろうだけの将器をお持ちのお方でした。その方が亡くなられたことは我が軍にとっても大きな損失です。本当に残念です」

 意外なことにノルベール少佐の言には通り一遍のものでない、深い哀悼の念が込められていた。

(まこと)に」

「しかし驚いた。君が連隊長代理の職を務めることになろうとは。イアサント大佐、グランボルカ中佐、マング少佐と連隊の首脳部が一度に失われたとはいえ、イアサント隊にはここにいるピエール大尉をはじめとして他の連隊にも名の聞こえた名物中隊長が数多くいる。連隊長の成り手に不足はしないだろうに」

 ノルベールだってまだ十分に若いし、しかも少佐の身でありながら連隊長代理を務めていることも異常な事態なのだが、そんな彼の目から見ても今回のヴィクトールの大抜擢は奇怪に映っているようだ。

「姐さんの遺命なのです。それだけ中尉のことを姐さんが買っていたということでしょう」

「・・・だとしても大胆な。イアサント大佐は女傑で信望篤い連隊長でしたから、その言葉に否やを言う中隊長はいなかったでしょうが、それも生きていればこそ。亡くなられた今、よく連隊内で一年前まで士官学校にいた、実績のない中尉に自らの命運を託すという意見が通りましたね」

「それならば心配はありません。ヴィクトール中尉は勇敢で果敢であるだけでなく、若さに似合わない冷静さを見せて、連隊長を失った第三十四戦列歩兵連隊を撤退戦の中で退却させるという殊勲を立てています」

「ほう・・・あの困難極まる撤退戦を指揮していたのがヴィクトール君だとは・・・あの時、既にイアサント大佐は死んでおられたのか」

 ノルベール少佐は驚きで目を丸くした。

 殿(しんがり)はいつでも厳しいものだが、今度の殿は尋常の殿では無かった。味方は打ち続く敗戦に意気消沈、そのうえ総司令官まで失って士気は極限にまで落ちている。対して敵将は有能で敵兵も意気軒高だった。

 にも(かかわ)らず軍全体を潰走させないために敵中に孤立することとなった部隊を全滅させずになんとか後拒を行えたのは、てっきりイアサントが虫の息ながらも指揮を執っていたからだとばかりに思っていた。

「あ、その折は苦衷に陥った我が連隊を助けていただいてありがとうございました」

 撤退戦後の忙しさにかまけて、ヴィクトールは感謝の言葉を伝えていなかったことを思い出し、頭を下げて謝意を表した。

 ヴィクトールたちがこうして生きていられるのもノルベール少佐率いる第四十五戦列歩兵連隊がわざわざ踏みとどまって側面から援護してくれたからである。

 その行動自体は珍しいものではないが、あの撤退戦ではラインラント駐留軍全体としての統一された意思というものが全く働いていなかった。すなわち本部からの明確な命令が無く、各連隊がそれぞれ独自に行動するしかなかったのだ。

 だからノルベール少佐が他の連隊長のように己が部隊の保全と安全を第一に考えて行動したとしても、誰一人責める者はいなかっただろう。

 そこをわざわざ踏みとどまって援護してくれたのだ。感謝しなければいけない。

「礼は良い。第三十四戦列歩兵連隊が潰滅すれば、次に敵の攻撃の矢面に立たされるのは我が連隊だ。君たちを助けたんじゃない。私たちが生き延びるためにしたまでのことさ」

「いいえ。私たちが生き延びることができたのは、敵の攻撃に呑まれて全滅してしまった」

「それにしても・・・あれは実に見事だった。てっきりイアサント大佐が指揮を取られていたものとばかりに・・・たしかに今考えると撤退戦という粘り強い防衛を行わなければならない戦いにおいて、逆に幾度も攻勢をかけたのは熟練者たるイアサント大佐とすればおかしなことだ。だがとても新米の中尉の手腕とも思えない。凄いな君は」

 ノルベールはにこやかに微笑むと腕をヴィクトールに向けて差し出した。

「ありがとうございます、ノルベール少佐」

 差し出された手をヴィクトールはしっかりと握りしめた。


「しかし我々はこれからどうするのでしょうか」

 連隊長代理であるが、神輿に担ぎ上げられたという気分が強いヴィクトールが他人事のようにそう(つぶや)くのを聞いて、ピエールは噴出した。

「あははははははは!! それを決めるのは連隊長たちの合議によって、だ。忘れるな。中尉ももうその一員なんだぞ」

「しかし正直、あの場で小官には発言権は無いでしょう。例えあったとしても、どうしたらいいかなど全く思いつきません。小官は大尉やノルベール少佐の御意見を賜りたい」

「と言ってもな・・・私にも一向に思い付かない。ピエール大尉には何か良いアイディアはありますか?」

 ノルベールにしても同じ考えであったらしく、ヴィクトールに振られた話題をそのままピエールに受け流した。

「国境まで退くしかないでしょうな」

 何事でもないかのように軽く言ったピエールのその言葉にヴィクトールもノルベールも大きく驚いた。

「何もせずにただ退却するのが良策だとおっしゃる!?」

「勘違いしないでいただきたい。単純に命が惜しいわけではありません。むろん命が惜しくないわけじゃありませんが」

「では・・・?」

「我が軍は度重なる敗戦で総司令官を失い、拠点だったモゼル・ル・デュック城も奪われ、兵力は減少し、士気も低く、物資も欠乏しかけている。我々がいかに死力を尽くそうとも、この頽勢(たいせい)を跳ね返し、戦局を好転させることはできないように思われますが、いかが?」

 ノルベールはピエールの言葉に反論できなかった。

 今やラインラント駐留軍はブルグント軍に対して純粋な兵力で劣るだけでなく、全ての面で劣勢に立たされているのである。

 確かにその一つ一つの側面だけを考えれば、まだ戦えないことも無いと外野からならば考えられなくもないだろうが、当事者からしてみるとここまで悪い条件が重なってしまうと、このまま正面切って再戦を行うというのは無謀に思えた。

 一番の問題は敗走の中で出撃するとき城から持ち出した弾薬や兵糧のほとんどを破棄してしまっており、兵たちの中にも逃げる途中で背嚢を背負うのをやめてしまって今日の食事に事欠く兵も出ていた。食料も弾薬も心許なかったのである。

「・・・・・・ええ、残念ながら」

 そんな状況なのである。良い策などノルベールにも思いつかないし、先程のグダグダの会議を思い出す限り、他の連隊長たちにも思いつきそうには思われなかった。

「しかし何もせずに逃げるというわけにもいかないでしょう」

 後退すれば敵にまたまた何百アルパンもの土地を無償で饗することになる。

 退却が最終的な勝利に繋がるならその行動に何の問題も無いが、最終的に敗北すればその責任は重大なものとなるであろう。それを誰が背負うのかと言った問題がある。

 事なかれ主義のセヴラン大佐が積極的にその責務を背負ってくれるとは考えられないし、集団指導体制特有の責任と指揮権の所在の曖昧さも加わって、誰一人その決断を下そうとはしないであろう。

 何よりも、ラインラント駐留軍には()められた枷というものが存在した。

 五十年戦争時は傭兵隊長たちが活躍した時代であったが、それだけに彼らは雇い主の思惑を超えて動くことが甚だ多く、中には王位を狙って独自の動きを行う者すら現れる始末だった。

 そんなことからフランシア軍は人事異動を頻繁に行って部隊を将軍の私兵としないように腐心したし、ラインラント駐留軍のような一人の将軍に長年に渡って全権が与えられるような特殊な場合にも、極めて厳格な行動指針を与えていた。

 ラインラント駐留軍とその指揮官にはラインラントにおける進退の全権が与えられる代わりに、その行動範囲はラインラントの中に限るという厳格で明確な掟が存在していた。

 すなわち彼らはラインラントのフランシア国境ぎりぎりまでは内部の判断で退却することができても、国王の許可なく一歩でもフランシア内に足を踏み入れれば将兵ともに厳罰に処されるのである。

 つまり例え連隊長が一致団結して退却することに同意したとしても、ブルグントの目的がラインラント全域の占拠にある以上、軍令部から退却しろと言われない限り、最終的にはとにかく戦うしかないというのが今のラインラント駐留軍に残された選択肢であった。

 つまり問題になるのはその戦い方ということになる。

「もし我々がここで死ぬことが、エシェク(チェス)で最終的な勝利を掴むために(トゥール)(アポー)に使うような作戦であるのならば、

・・・つまり戦略的に意義あることであるならば、喜んで死にます。ですが先の敗北の報はとうに王都に届いているはずなのに、軍令部は未だ我々に明確な指令を出しません。中央からの明確な指示が無い以上、我々が最善と思われる方策を探さなければならないでしょう」

「それが即、退却ということに繋がりますか?」

 退却戦が終わり、一旦、敵と距離を取ることができて、兵士たちも一息つくことができた。戦力で逆転されても、圧倒的な差が生じたわけでは無い。

 確かに前回は失敗したが、再び要害の地に寄って敵を迎え撃てばいいのではないかと思い、ヴィクトールは疑問を口にした。

「短期決戦あるいは防衛する拠点を背にしての絶対防衛戦であるならばそれでもいいが、万が一長期戦になった時のことを考えるとここで再び敵と交戦するのは有利では無い」

「国境沿いにまで退却すれば補給も受けれるし、周辺部隊からの応援も得れる。軍令部との連絡も取れるだろう。何より兵士たちの士気を大きく立て直すことができる」

「敵と戦わないのは兵力の問題では無く、補給や兵士たちの士気の問題ということですか」

「そういうことだな」

 理解できる理屈である。だが戦って敗走することと同様に、戦わずに撤退することも兵士たちの心理状況に良くない影響を与えるのではないだろうか。

 ヴィクトールはそこを少し不安に感じた。

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