第七十七話 大任
上辺は互いを尊重するかのように取り繕っているものの、狸と狐の化かし合いのような水面下で火花の散っているかのような会話が続き、ヴィクトールは背中がむず痒くなって居心地を悪く感じてしまう。
と、そこにそれまでヴィクトールの後ろに立って押し黙り、様子を窺って立っていたロドリグが突然、中隊長たちの中に割って入る。
「イアサント連隊長は死の間際に当たってヴィクトール中尉に連隊の指揮を委ねられました。当然、これからもヴィクトール中尉が指揮を取られるべきでしょう」
本人が望んでもいない重責をどういう理由からかロドリグが勝手に背負わそうとしていることに、ヴィクトールは迷惑気な顔を向ける。
連隊長は自分たちの神聖な会話に割り込んできた、その名前も知らない大柄な兵士を胡散臭い人物を見るような目つきで一斉に睨んだ。
「君は誰だね?」
「ここは中隊長同士の会議の場だ。いったい、君はどんな権限をもって我々の会話に口をはさむのかね!?」
友好的とは言いかねる雰囲気を察して、ヴィクトールはロドリグと中隊長の間に割って入り、取り成そうとした。
「彼はロドリグという男で、私の中隊で曹長をやってもらっています。勇敢で有能な男ですよ」
曹長は各中隊に一人しかいない。下士官不足のこの折、多くの場合で准尉が存在しないフランシアの中隊の中では下士官の最高位となり、兵士たちの信望は場合によっては中隊長を上回る。昔ならば百人隊長と呼ばれるポジション、歴戦の勇者だ。
つまり曹長とは中隊を運営していくにあたって中隊長ですら一定の配慮をしなければならない、ある意味厄介な存在でもある。
とはいえそれは自分の中隊に属する曹長に対しての話である。
他人のところの曹長に配慮する義理は彼らには一寸たりとも無かったから、ヴィクトールの取り成す言葉にも拘らず、彼らのロドリグに対する視線は概ね厳しいものだった。
もっともロドリグは鈍感なのか、あるいは大物なのか、一向にそんなことに頓着する素振りのかけらさえ見せなかった。
「まぁ誰だっていいじゃないですか。とにかく俺はイアサント大佐の死を間近で見て、その最期の言葉もこの耳で聞いた。イアサント連隊長は並み居る中隊長の中から特に選んで、このヴィクトール中尉に後事を託されたんだ。
この若い中尉に、だ。普通ならありえない。イアサント大佐は彼に天賦の才を見出したってことさ」
能力を認められるのは嫌いではないし、褒めてくれるのは大変ありがたいのだが、ロドリグがヴィクトールを持ち上げれば持ち上げるほどに、その嬉しさと正反対の向きを持つ感情を大勢の中隊長から向けられるような気がするのは、果たしてヴィクトールの思い過ごしであろうか。
それにロドリグの見解はヴィクトールのそれとは多少の食い違いが見られる。
ロドリグの買い被りぶりに、ヴィクトールは思わず首を振りつつ苦笑した。
「連隊長が戦死なされた時に私に連隊を預けたのは、単に代わって指揮を取ることができる、傍にいる最上位の士官が私だったというだけだ」
「その通り、副長もマング少佐も共に不在、しかも味方は撤退戦の最中で各中隊長が持ち場を離れられないという緊急事態下における避難措置にすぎん」
「中尉はその緊急時を乗り切ったんだぞ。中尉の活躍で大勢の兵士が名も知らぬ山河で物言わぬ躯とならずに済んだんだ!」
「もちろんヴィクトール中尉はよくやったが、これからも連隊長を務めるというのはどうかな。なにしろ中尉は若い、若すぎる。何事にも経験が無い。今回は上手くいったが、次回も上手くいくとは限らんではないか」
「ごちゃごちゃ御託を並べなさんな。その期待に応えて俺たちをあの死地から救い出して見せたんだぞ。これ以上の適任者が他にいるか? 何も考えずにどーんと任せりゃいいんだよ」
「イアサント連隊長はヴィクトール中尉に、当面の指揮をするように命じられたのだ。その『当面』の危機を脱した今は、先任の誰かが指揮を執るのが当然だろう」
中隊長のある意味正論を、ロドリグは失礼にも鼻で笑い飛ばした。
「当面というのは軍令部なり将軍なりの命令で、正式な手続きで連隊長が任じられるまでということじゃないんですかね。それとも俺が知らないうちに、連隊長は中隊長同士が話し合って勝手に決定してもいいことになったんですかい?」
確かに中隊や小部隊が他の部隊から孤立した挙句に長を失った場合に、残された者が合議で臨時の指揮官を決めることはよくあることだ。
だがそれは指揮官を任命することができる上官がいないからという立派な言い分があるからだ。
現在の第三十四戦列歩兵連隊は中隊長たちの集団指導体制になってはいるが軍団司令部は存在するし、あまり頼りになりそうにないが仮の連隊長も存在する。
新たな司令官を決めるのだとすれば、その職権は彼らの範疇であろう。中隊長たちの領分では決してなかった。それならばイアサントの死の間際に指揮権を譲られたヴィクトールのほうが幾分かの正当性がある。
だから痛いところを突かれた中隊長たちは、やけくそ気味にロドリグを怒鳴りつけて己の面子を守るのだった。
「曹長風情が要らぬ口を叩くな!!」
「目下のところ我が軍が負け続きの上、肝心のメグレーのじいさんは負傷退場。我が連隊にいたっては連隊長までもが戦死したうえ、副長やマング少佐といった誰もが一目置く士官も行方がしれない。兵士たちは皆不安でたまらない。だから勇気と知恵を持った、この窮地を切り抜けられる才覚ある人間に指揮官になって欲しい。そうじゃなきゃ、今日は生きてても明日は死体になっちまう。俺はそんなのは御免だね。連隊の兵士たち全員が同じ気持ちだと思うんですけどもね。あんたたちに兵士たちに明日を生きる希望を与えられるんですかい? 圧倒的な敵を目の前にして兵を戦わせる自信が・・・挙句には脱走や反乱を起こさせない自身があるんですかい?」
「それは脅しか!? お、脅しには屈さんぞ!!」
「脅しじゃねぇですよ。事実を言ってるだけでさぁ。大尉殿だって無駄に死にたかぁねぇでしょう?」
「ヴィクトール中尉が若いのに有能で、イアサント連隊長もその将来を嘱望していたことは知っているが、彼は中尉で、ここには先任の中尉もいれば大尉だっている。階級が下の者が階級の上の者を指揮するなど軍隊組織ではあってはならん事だ。それに彼はあくまで戦時特例の中尉待遇であって正式な士官ですらない。中隊を率いているのですら本来ならあり得ぬ特例なのだ」
「そりゃ平時ならそれでいいでしょうけど、こういった非常時にはそれに相応しい処遇ってもんがあるんじゃないですかね。俺たち兵士たちにしてみれば指揮官は少しでも有能なほうがいい。将軍不在で軍団がしっちゃかめっちゃかな時に兵たちの命よりも自身の栄達を考えているような奴には指揮して欲しくないね」
「なに!?」
「何だと!!?」
一触即発の空気。だが中隊長たちは誰一人としてロドリグに手を出そうとはしなかった。
ロドリグの後ろにはこれまた屈強なテレ・ホートの大男たちがいつのまにか集まり無言で立って、中隊長たちに圧力をかけていたからだ。
だからと言って中隊長たちも大人しく引き下がるわけにはいかない。ラインラントで荒くれ者たちを纏める難しい仕事を務めあげるには舐められたらおしまいなのである。
そんな睨み合いの空気に耐えかねたように口を開いたのは、それまでロドリグと中隊長たちの会話に一度も口を挟まなかったピエール大尉だった。
「姐さんの遺言だ。軍令部が新たな連隊長を任命するまでヴィクトール中尉が指揮を執ればいい」
「そんな無茶な!」
「不合理だ!!」
泡を吹いたかのように喰ってかかる中隊長たちに対し、ピエールはどこまでも冷静に応対した。
「姐さんの遺言を無碍にもできまい。それに通常の手順を踏むならば、この中の誰よりも先任の大尉である、この私が指揮を執ることになるがいいのかね?」
「それは・・・」
そう言われては皆、口籠るしか無かった。万年大尉のピエールは中隊をいくつか指揮するのが一杯の器量であるということは、本人も自嘲するところであるが、他の中隊長全てが持つ共通の価値観でもあったのだ。
そんなピエールに指揮権を預けるのは通常時であっても心配であるが、敗戦続きで兵力を減らし、定員を大きく割っているこの状況下で預けるのは己が命を敵に差し出すのに等しく、とてもではないが承服しかねると思ったのだ。
と同時に己の心を鑑みて、兵士たちの抱いているであろう不安をも実感することができた。彼らも並み居る中隊長ではこの難局を切り抜けることはできないと考えたとしてもおかしくない。
そこでしぶしぶながらも正式に新たな連隊長が任じられるまで、ヴィクトールに連隊の指揮権を預けるというピエールの提案に彼らも同意した。
といっても彼らは己が器量がヴィクトールに劣っていると思って、連隊長代理の椅子を譲り渡したのでは無い。兵士たちの不安を押しとどめる選択肢はヴィクトールを連隊長にすることだけであると気付いたからだ。
イアサント死後の撤退戦を乗り切ったのは果たしてヴィクトールの実力なのか、あるいは単なるまぐれ当たりだったのかは分からないが、その実績が兵士たちの心に若干の希望を与えているのならば、この苦境を盛り越えるために必要な兵士たちの心を得るために、それを利用してやろうではないかとしたたかに計算したのだ。
だが彼らのそんな計算など知る由もないロドリグはそれを中隊長たちの心理的敗北と捉えて満面の笑みを浮かべた。
「決まったな。どうやら文句のあるやつはいないようだ」
勝ち誇ったようににやついたロドリグを見て、中隊長たちは更に苦々しい顔になった。
多くの者に不満な結果の残る会合が終わった。血なまぐさい戦場に似合わぬ爽やかな風が木立を吹き抜けて、草木の香しい匂いが立ち込める中にもかかわらず、このような不快な場、一刻も早く立ち去りたいと中隊長たちは足早にいなくなった。
逆に一人残ったのはピエール大尉である。
「と、いうわけだヴィクトール中尉、やってくれるな」
大任を前に躊躇し、ピエールの言葉にも返答しないヴィクトールにロドリグはこれまでとは矛先を転じ、口撃した。
「俺たちを無事に生かして返すとイアサント大佐と約束したじゃないですかい。まさか中尉ほどの男が女との約束を反古にしてケツをまくって逃げ出す気ですかい?」
そこまで言われては遁辞を口にすることはできない。というかもはやどうあがいても逃げられそうにない状況である。
それに内心では他の中隊長が指揮するよりは、自分が指揮をしたほうがマシではないかとも考えていた。
気がかりは自分のその自信が実は単なる慢心で、大勢の兵を死地に向かわるだけに過ぎないようなことになるかもしれないという危惧だったが、どうせ失敗した時は大勢の兵だけでなく、おそらく自分も死ぬことになるのだから、それで責任はとれるだろうなどと、人を食ったような考えをすることで、ようやくヴィクトールは腹を括った。
「わかった、わかりました。やります。やらせていただきます」
「そうでなきゃいけねぇ。イアサント大佐ほどの女人に見込まれて後を託されたんだ。意気に感じ、死力を尽くすのが男ってもんですぜ」
「無事に部隊を退却させたことで、十二分にその義務は果たしたと思うんだけどな・・・」
気楽に笑うロドリグを恨めしそうに見ながら、ヴィクトールは溜息交じりに言った。
「ちょっと話そう、ヴィクトール中尉」
「あ、はい。大尉。なんでしょうか?」
「不安か?」
「連隊長の職務・・・俺にできるでしょうか?」
「心配は無用だ。足りないところは俺らが補う。何、第三十四戦列歩兵連隊は死傷者が続出して兵力は半減した。ちょっと大きな中隊を指揮するだけだと気楽に考えるんだな。それに姐御のいない今、他の連隊長たちも俺たちに過分の働きを求めてはいないさ。配置されるのは戦場の後方。腕を組んで高みの見物をしていればいい」
「であるなら、できそうですが・・・」
とはいっても不承不承と言った本音が見え隠れする中隊長たちの吝い顔を思い出すだけで、敵とのことを考えるよりもまずは先に部隊内をしっかりと纏め上げなければならない。
これだけでもなかなか骨の折れる仕事であることは確かだった。
「とりあえず連隊長たちには許可をとりつけなくちゃならんだろう。俺に任せておけ。文句を言わせやしない」
ピエールは大尉ではあるが、ラインラント駐留軍で古株であるだけに他の連隊幹部にも顔が利く。指揮能力はともかく、軍隊内での行政政治手腕に長けていたから交渉ごとはお手の物だ。
それに他の連隊の中佐や少佐は連隊長になれる機会を渇望しているから、先程の中隊長たちと同じように連隊長代理の職をやりたがるだろうが、連隊長がこの危急存亡の秋に補充人員の当てもないまま、大事な副官や首席中隊長を手放したがらないだろう。
そういったことからピエールは連隊内部で決めたこの突拍子もない人事案も、正式な士官が任命されるまでの緊急措置であると釈明すれば問題なく通るのではないかと楽観的だった。
「ま、気楽にな」
そう言うと、ピエールはヴィクトールの肩を叩いて元気づけた。




