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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第七十六話 椅子の行方

 ヴィクトールにとって幸いだったのは、兵士たちの顔に動揺の色が一切見られないことだった。

「僅かな兵が動転しただけであっても、部隊全体にそれが広がり、統制が取れなくなれば終わりだ」

 そんな状況になっては、若く経験の無いヴィクトールではどうやってもひっくり返せそうにない。

 だがそうはならなかった。兵たちはもはやそういった段階を越えて既に達観の領域に達しているものと思われた。

 実にありがたい。これ以上、傷口を広げないためには、統一された行動は最低限必要なことである。

 後はいつ負けを認めるかであった。

 この時代は何世紀も前の異教徒間とで起きた宗教戦争の時のように、降伏しても皆殺しに会うようなことは無いから、互いが互いを殲滅するまで戦うといったことはない。

 捕虜としての待遇はまぁ酷いものであったが、生きていくことはできるし、脱走や捕虜交換、あるいは解放の機会はいくらでも待っている。そうなれば軍に復帰し、再び戦力になることができる。

 消耗戦をしているのならともかくも、そうでないのなら後々の為に戦力を温存することを考えるのも士官の務めであろう。


 ヴィクトールが降伏を考え始めたその時、北西の山の中腹で迅雷のような轟音が鳴り響いた。

 硝煙の大きな雲が湧き上がって木々を覆うと、逃げ口を塞ぐように立ちはだかっていたブルグント兵がバタバタと倒れた。

 ブルグント兵が隊列を大きく乱して逃げ散るのを見て、ヴィクトールは先に逃げ延びた味方の一部が救援の為に舞い戻って来たことを知った。

 ブルグント兵はガヤエ将軍の厳しい教練と度重なる実戦とで少々のことでは動じない強兵となっていたが、敵主力は既に逃げ去り、勝利は確実なものと思って油断していただけに、背後からの不意の攻撃を受けて惑乱してしまったのだ。

 第三十四戦列歩兵連隊の将兵を鼓舞するように銃声は続いて響き渡った。

「ノルベール隊が側面援護をしてくれる! 今だ! 力の限り走って逃げるんだ!!」

 幹の間に翻る第四十五戦列歩兵連隊の旗を指さし、ヴィクトールは繰り返し叫んで敵味方双方にその存在を知らしめた。

 第三十四戦列歩兵連隊は息を吹き返し、ノルベール隊の援護を得て再び困難な撤退行を再開する。

 戦闘開始から半日近い。そろそろ敵も諦めてくれてもいいものなのだが、しぶとく喰らい付いて離れず、ヴィクトールらに安らぎを与えてくれない。

 とはいえ一個連隊から二個連隊──兵力規模が二倍になり、交互に支援を行いながら退くことができるようになり、撤退の困難さは幾分軽減された。

 ヴィクトールは幾度か立ち止まっては息を入れ戦列を組み、退却途中ではぐれた者を兵を出して収容しつつ、追い付いてきた敵を撃退する。

 だがそれを行うたびに連隊の兵士の数は確実に数を減じていた。

 昼間から続く激闘に、第三十四戦列歩兵連隊の男たちはもう精も根も尽き果て、マスケット銃を杖代わりに足を引き摺って歩く者も多かった。

 大怪我を負った者は元気な者の肩を借りてなんとか後退する。とはいえ自力で立つことが出来ない多くの戦友は戦場に遺棄された。体力自慢のロドリグらテレ・ホートの男たちであっても歩くのが精一杯で、余力を残しているものは一人として存在しなかった。過半の兵は浅手なり深手なり負傷して、傷口の手当もままならず黒々とした血を流し、肩で息をして辛うじて立っているようなありさまだった。

 しかしどんなに長い戦闘であってもいつかは終わる。西日が山の稜線に隠れはじめるとようやく、ガヤエは兵の撤収を命じた。

 長時間の戦闘に兵が疲れきっていたし、長く山道を追撃することで陣形も前後に伸びきってしまっていたのだ。敵の伏兵を恐れたのである。

 それにフランシアが白旗を掲げて降伏するまで戦役はまだまだ続く。ここは無理をしないで将来に備えようとしたのだ。


 勝利者にはそれだけの余裕があったが、敗者には余裕は一切ない。

 敵との間に安全な距離を取ろうと前軍が逃げ続けたため、ヴィクトールらは夜通し駆け続けなければ友軍と合流することができなかった。

 夕方まで激戦を戦い、その後も不眠不休で逃げ続けた為、兵士たちは疲労はピークに達しており、座りこんでは互いの肩を枕に眠り込んでいた。

 本音ではヴィクトールも地面に腰を落として、何も考えずに眠りたいところであるが、イアサントから連隊を託された責任がある。

 欠員や負傷者数、武器弾薬の量など連隊の現状を把握しておく仕事が待っていたし、他の中隊長にイアサントの死の前後の様子を伝えて、連隊の今後をどうするか相談もしなければならないだろう。

 ヴィクトールが連隊の指揮を執ったのは、あくまで負け戦における撤退中の指揮官(イアサント)の死という、極めて特異な非常事態下の緊急避難的な措置だ。

 誰が今後の指揮を執るのかを後腐れが無いように決めておかねばならない。

 だがそれまではヴィクトールが連隊長代理の職責を果たさなければいけないのだ。

「何人生き残った?」

 ヴィクトールの声が至近に響き、木に寄りかかって休んでいたロドリグは億劫(おっくう)に薄目を開けた。

「まだ数えちゃいませんが、なんとか半数はいるんじゃないですかね。山の中で道に迷って、まだここに辿り着けない連中もいるでしょうし」

「あんな状況じゃ半数が生き残っただけでも良いとしなきゃいけないな・・・・・・少しでも多くの者が生きて戻って来ることを祈ろう」

 少しでも体力の残っている者は、姿の見えない戦友の安否を気遣い、山道を取って返して探索を試みていた。彼らは大声を張り上げて戦友の名前を叫び、恐る恐る死体をひっくり返して求める顔を探す。

「他の中隊もそうなのか、各中隊からも連絡はまだありません」

「中隊長クラスの戦死はないという報告はあったさ」

 ヴィクトールのところに必要な情報が一向に集まらないのは、中隊長たちは未だ敗戦処理に追われて報告するだけの心理的余裕が無いからか。あるいはヴィクトールに報告する義理も必要もないと考えているか、だ。

 だが事情がどちらであっても仕方がないことだとヴィクトールは心中の雑念を振り払い、顔を上げると、くよくよして時間を費やすのではなく、今、自分にできることをすべきだと思い直した。

 ヴィクトールは連隊の兵が少しでも多く見渡せる場所、声の通りが良い場所を探し回り、ようやく望み通りの場所を見出すと陣取って仁王立ちする。

「戦友諸君!!!!」

 疲労で(うめ)くのが精一杯で、口を開く兵士も疎らだったため、ヴィクトールの声は遠くまで良く響き、多くの兵が何事かと頭を上げた。

「諸君らの働きでラインラント駐留軍は全滅を免れたと言ってよい。友人でもあり兄弟でもある戦友たちを多く亡くしたことと思うが、犠牲は無駄ではなかった。我が隊が奮戦したことで他の部隊は撤退を容易に行い、被害を最小限に(とど)めることができたのだ。他の連隊長は諸君らに頭が上がらぬであろう。私に後を託されたイアサント連隊長も安堵していることと思う。若輩者と軽んじることなく、私の命令に従い、よくやってくれた。誇りに思う」

 多大な犠牲を払った。その幾分かは未熟な自分のせいであることを考えると死んだ兵に対して申し訳ない気持ちと、非力な自分に腹立ちを覚えた。

 だが、だからといって『ここが失敗だった』『自分が未熟だった』などと愚痴を言い、士官が情けない顔を見せては兵士たちの士気は落ちるところまで落ちる。ここは無理にでも陽気な顔をして兵士たちの心に不安を抱かせないことだ。

 それにイアサント連隊長に託されたことは最低限果たしたはずだ。ヴィクトールとしてはそれを慰めとすることにした。

 反応を見ようとヴィクトールが視線を向けると、くたびれきった兵士たちの間から弱弱しい拍手が起こった。

三十四(トラント・カトル)!」

 その辛気臭い雰囲気に耐えかねたようにロドリグが腹の底から捻り出した、見事なバリトンの声で叫んだ。

三十四(トラント・カトル)!!!」

 ロドリグの声に応えて今度は多くの兵が返答する。やけくそ気味に大声を出しただけだったが、たったこれだけのことで、その場の雰囲気はがらりと良くなった。

 兵士たちの目に生気が戻り、ぽつぽつとあちこちで会話も見られるようになった。

「で、俺たちが逃げ損ねて敵に囲まれた時、あの若い中尉殿は兵の先頭に立って、わざわざ戻って救出してくれたのさ」

「あの中尉は若いがどうして度胸がある。兵に対する思いやりもな。気に入った」

「イアサントの姐御が見込んだだけのことはあるってことさ」

 兵たちの間ではヴィクトールの評価はうなぎのぼりだった。

 老練な手段や敵をあっと言わせるような奇策を繰り出したわけではなく、泥臭い戦い方で多くの犠牲を出したことは事実だが、あの絶望的な退却戦をよくもまぁ、この程度の犠牲で切り抜けたというのが兵士たちの共通認識であったのだ。

 いつの世も兵が求めるものは戦に勝利して勲章を貰う上官では無く、自分たちを無事に帰還させ今月分の給料を受け取らせてくれる上官である。


 とにかく今後のことを相談する為に、ピエールと一緒に歩いてヴィクトールのところに向かっていた連れの中隊長がその様子を見て吐き捨てるように言った。

「我が隊だと? すっかり連隊長気取りか、生意気な若造が」

 確かに指揮ぶりに物足りないところがなかったわけではなかったが、それでも連隊長が死んだという緊急事態を無難以上にやり過ごした結果、生きて文句をこうして言うことができるのである。

 ヴィクトールに救われたというところが無かったわけでは無い。少しは褒めてやればいいではないかとピエールなどは思う。それで己の価値が下がるということは無いのだから。

 出る杭は打たれると言ったところか、とピエール大尉は苦笑した。

 特に計ったわけでは無かったが、やっと一息つけたということなのか他の中隊長たちも続々とヴィクトールのところに集まって来た。

「ご苦労様でした」

 ヴィクトールは居並ぶ先任中隊長たちに頭を下げ挨拶する。

「ご苦労だった。未熟なところがなかったわけでは無いが、困難な後拒を行い、多くの兵を生還させたことは褒めるに値することだ」

 返って来た言葉の中にどことなく非友好的な臭いがあることにヴィクトールは感づくが、怒色を表情に表すことは無かった。

「ところでヴィクトール中尉、姐さんの遺体は?」

「ここにはありません。悪いとは思いましたが、そのままにしてきました」

「他に方法は無かったのかね」

「小官も不本意でしたが、多数の敵と戦うのに少しでも人手が必要だったため、戦場に遺棄せざるをえませんでした。戦いながら同時に死体を運搬することは極めて難しかったのです」

「負傷兵に担がせて、先に前線から送り出す方法も───」

 それだけイアサントが中隊長たちに慕われていたのだということは理解できるし、現にピエールにも死体を遺棄してきたことに対して残念な思いが無いわけでは無かったが、これでは単なる吊し上げであると思って、ピエールは中隊長たちとヴィクトールの会話に割って入った。

「ヴィクトール中尉を責めても何も物事は改善されないぞ。不毛な議論に時間を無駄にするよりも、これからどうするかをまずは話し合おう」

 ピエールの言葉はヴィクトールに思うところがあり、意地悪半分に責め立てていた中隊長たちの頭に冷や水を浴びせるような一定の効果があった。

「そ、そうだな。戦死者や負傷者を把握して、各中隊がどれくらい損害を受けたかを知らなければならん。他の連隊長たちにもイアサント大佐の死を知らせなければならんだろう。その窓口となる───連隊の指揮を執る者を決めるのが、まずやらなくてはならんことだな」

「本来なら軍団の将軍、あるいは軍令部が 軍令部は遠く、将軍は負傷して直ぐに次の連隊長が任じることができない。かといって辞令を待っている時間は無い。正式な連隊長が来るまでの連隊長代理を決めなけりゃならん」

「軍規では連隊副官のグランボルカ中佐、副官がいない場合は首席中隊長のマング少佐が後を継ぐことになっている。だが二人とも行方不明・・・おそらくは戦死だ。こういった場合はどうなるんだ? 先例は?」

「規定は無いが、普通に考えれば先任の中隊長が後を継ぐんじゃないか?」

「お、おい。冗談はやめてくれ。俺は万年中隊長だぞ? 俺の実力は皆、知っているだろ? 連隊長はとても務まらない」

 軍歴だけを考えるとピエールが集団の中で群を抜いている。ピエールの弱気な言葉に失望もするが、確かにピエールの器量を考えると、命を預けるのに不安なところがあることも事実なので声高に文句を付けることはなかった。

 それに他の理由として彼らには野心があった。先任中隊長が自ら一歩引いてくれるというのならば、自ら名乗りを上げて連隊長代理をして実績を作っておきたいと皆、考えた。

 軍の掃き溜め扱いのラインラント駐留軍であってもイアサントのように色々と睨まれるところが無ければ、実績を積めば栄転することも可能であるのだから。

「それでは次に先任の私が連隊長代理をやるのが筋というものだな」

「いやいや貴官は二個中隊も預かっておられる。しかも中核部隊だ。このうえ連隊長をやられるのは大変なご苦労でしょう。小官にお任せあれ」

 それぞれが我を張って、連隊長代理の椅子を虎視眈々と(うかが)い、その席を誰かに譲ろうとはしなかった。

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