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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第七十五話 夕刻

 戦場に取り残された形となった第三十四戦列歩兵連隊は今や蟷螂(かまきり)の前肢に捕らえられた飛蝗(バッタ)と同じく風前の灯火といったところだった。

 新たな指揮官となったヴィクトールは命令を立て続けに出して苦境を脱しようとしたが、三方からの集中砲火に晒された兵士たちの心は浮つき、なかなか平静状態に戻らない。

 強大な敵に襲い掛かられた人間がガードを固めて己が身を守ろうとするように、兵士たちは生存本能のままに互いの間隔を狭め、第三十四戦列歩兵連隊は陣形を縮小する。

 それは乱戦状態の入り乱れた中でフランシア兵の密度が増すことで、接近戦においてはフランシア側が優勢を取り戻した。

 途切れた戦列は繋がり、火力が集中することで敵の足を止め、ブルグント兵に背後や側面に回り込まれる危険性が減った。

 だがそれは同時に敵も密集することができ、攻撃の密度を濃くすることができるということでもあるのだ。

 フランシア側が放棄したスペースを見るや、ガヤエはすぐさま兵を動かしてその場を占拠し、三方から第三十四戦列歩兵連隊を締め上げるように包囲を開始した。

 側面からも攻撃を受けることになり、兵力の差だけでなく、陣形の差でもフランシアが再び劣勢に追いやられた。

 ヴィクトールが奥歯を噛みしめて我慢しなければならない苦難の時が続く。

 一本の戦列とまではいかなくても、せめて隊伍だけでも組み直して戦線を再構築することができれば、なんとかもう少しこの場を持ち直すことができるかもしれない。

 だがヴィクトールの手には一兵たりとも予備兵力は無かったし、周辺には援護を行ってくれる味方部隊ももう存在しない。

 もし彼がメグレー将軍のような老練の指揮官であったなら、戦の流れは変わることがあると、苦境にめげずに粘り強く戦うことで事態の打開を計ったかもしれない。

 だがヴィクトールは若かった。考えるよりもまず行動する年頃だった。

 若さ特有の万能感から来る、己に対する根拠のない絶対的な自信を持つと同時に、経験の無さからじっと耐えて我慢するということができないのだ。

 指揮範囲の中にある手持ちの僅かな兵をぶつけて敵の勢いを削ぎ、稼ぎ出したその僅かな時間の間に全中隊と連絡し、連隊の態勢を整えて反撃する。これが唯一の活路であるようにヴィクトールは思えた。いや、そう思い込んだ。

「いちかばちかの博打になるが、手持ちの兵だけで思い切って攻勢をかけてみようと考えるがどう思う?」

 流石にいつも無鉄砲なヴィクトールでも連隊長と言う若輩者には重すぎる任務を背負わされ、少しは重圧を感じて慎重になったか、副官の顔をして傍に控えるロドリグに珍しく相談する。

 ロドリグも兵士や下士官としての経歴はあるが、連隊長の副官としての経験は無いし、教育も受けてない。目の前で起きている戦闘にどう対処すればいいかは分かっても、戦場全体を見て部隊をどう動かすかは思いつかないに違いない。

 それでも老練(ベテラン)の兵士としての経験と勘はヴィクトールが一目置くに相応しいだけのものがある。自分の考えが正しいかどうか計る一定の目安になるのではないかと思って訊ねてみたのだ。

「ええ、いいんじゃないですかね。どうせ死ぬなら長く苦しむよりも、派手にさっさと死んだ方が楽でいい」

 人を喰ったような答えが返って来たことにヴィクトールは思わず笑いを浮かべた。

 どうやらロドリグも弟のガスティネルと同じく豪放磊落(らいらく)な男であるらしい。というよりはもしかしたらラインラントの男というものはなべてそういった類の人種であるのかもしれない。

「決まったな」

 大きく(たくま)しいロドリグの胸板を拳で軽くたたいてそう言うと、ヴィクトールは銃声が途切れた瞬間を待って、一面に響き渡る大音声で命令を叫んだ。

「このままではじりじりと敵に押されて全滅するだけだ。今しか勝機は無い! 生き残りたいのなら、ついて来い!!」

 そう言うや、兵士たちの行動も反応も一切見ずに、ヴィクトールは片手にマスケット銃を掴んで敵に向かって走り出した。

「ちょ・・・!? 相変わらず無茶な隊長さんだぜ!!」

 上官を一人で突撃させ、そのまま死なせては男として名折れである。ロドリグは慌てて連隊旗を旗手から奪い取ると、高く掲げて後に続く。

「何をしている? 中尉に続け!!」

 ヴィクトールの行動に呆気にとられていた兵士たちもロドリグの言葉に我に返り、わっと喊声を上げると、指揮官と連隊旗をむざむざ敵の手に渡してなるものかといった気概で前進し、敵戦列とぶつかった。

 ヴィクトールの横に並ぶと足を止めて銃を撃ち放った。銃声が谷間に轟いた。

「敵は怯んだぞ! 一気に押し崩せ!!」

 足を止めての銃撃戦をしていては兵数の少ない方が不利である。ヴィクトールは発破をかけて、さらに前方へと兵を進めようとした。

 実際はヴィクトールらの行った僅かばかりの銃撃では数で優勢な敵が怯むことなどなく、冷静に反撃を行っていたのだが、とにかくこの劣勢を()ね退けるには、犠牲を顧みずに部隊を前進させて、敵陣のどこかに綻びを作らなければならないのである。

 味方は寡、敵は衆。無理を承知でやるからには、司令官としてはここは部下に嘘をついてもいい場面であろう。

 大局の為に死ねと言って死んでくれるほど兵士たちはヴィクトールと親しんでないのである。

「おお!!」

 目の前の敵との銃撃戦とで極端に視野の狭くなっている兵士は士官の言葉を簡単に信じてくれた。

 ヴィクトールの言葉に乗せられて兵士たちは再び前進しながら射撃を行い、敵戦列との距離を縮めた。

 多数を持って押していると思っていただけに、予期せぬ再度の反撃でブルグント兵の腰が浮ついた。

 ヴィクトールらの鋭進を受けて、敵陣は僅かではあったが綻びを見せ始める。

「撃ち方止め! パイク兵、前へ! 敵戦列を突破するぞ!!」

 奇襲し、あるいは敵の不意を突いて一気呵成(かせい)に攻め立てるのは兵数が少ない軍が取る常套(じょうとう)手段である。

 初手を取った勢いのまま敵陣を抜いて、敵の士気を崩壊させるのだ。もちろん息が続かずに敵の反撃を前に大敗をすることも多い、諸刃の剣ともなる危険な策でもあったが。

 マスケット銃兵がヴィクトールの命に従って銃撃を終えると、すかさずパイク兵が銃兵たちの脇を擦り抜けてその前方に走り出る。ヴィクトールも腰からサーベルを抜き放って後に続いた。

 パイク兵は足の回転を速めて、敵が次弾の装填を終えるまでに接近して格闘戦へ移行しようとしたが、敵兵は伍長や曹長の指示に従い、手際良く装填を済ませてパイクの切っ先が届く前に硝煙の煙が晴れやらぬ中、再度銃撃を行った。

 必中距離での銃撃で多くのパイク兵が身体に弾痕をこしらえて膝から崩れ落ちる。少しばかり突撃の指示を出すのが早かったか、とヴィクトールは悔いた。

 それでも残った兵たちはヴィクトールの叱咤に励まされるように前進を続ける。

 中には弾丸が(かす)って出血しても気にも留めずに敵に向かっていくロドリグのような男や、銃弾が身体の一部に埋まっても痛みを(こら)えてパイクを振う勇者もいる。

 ブルグントの下士官たちは兵たちに三度目の装填と射撃とを急がせたが、全ての行程を終える前にヴィクトールたちが眼前に迫って白兵戦へと切り替えざるを得なかった。

 二度目の一斉射撃で足を止めることができると思っていただけにブルグント軍は白兵戦への切り替えが一瞬遅くなった。

 それが人数が減ったヴィクトール隊の突撃力の埋め合わせをしてくれた。

 人数の差は悲しくなるほどだったが、ロドリグらテレ・ホート出身の大柄な兵も多かったことから白兵戦の序盤の主導権はヴィクトールらが有した。

 一度、敵の腰が引けたことが幸いして、フランシア側は寡兵を物ともせずに暴れ回った。

 もっとも剣を持った兵士、パイク兵はそれで良かったが、その後に援護しようとついてきた銃兵で剣を持たぬものは、銃床で相手をしなければならず苦戦を強いられた。

 確かに素手で戦うことを考えれば、鈍器であっても十分殺傷力のある武器なのだが、やはり刃物相手となれば心理的に劣勢になることは否めない。

 その時、銃床よりはマシだと考えたのか一人の兵士が武器というよりは道具といった感じのナイフを上着から取り出して構える。

 が有効距離の違いからあっけなく腕から叩き落され、ナイフは地面を転々と転がった。

 と、ブルグントのパイク兵の接近に慌てたのか、それを拾った一人の兵が銃口に詰めて、むやみやたらに振り回した。白兵戦に自信が無かったのか、とにかく敵兵に近づかれたくなかったのであろう。

 ナイフの刃渡りは十五センチも無いものであったが、目の前を通り過ぎる白刃の光は思った以上の効果を上げて、敵兵は仰け反って距離を取った。

それを見た手隙のマスケット銃兵たちはその兵士の真似をして銃口の先にナイフを差し込んだ。

 もっとも銃口の口径とナイフなどの握り柄の直径が一致することなど稀であるから、振り回したはいいが銃の先から落下したり、あらぬ方向に飛び出したりして、味方にとっても危険な武器となったりもしたが。

 だが寡兵のヴィクトールたちにとって一人でも戦闘に参加する兵が増えることでこのことは戦力強化に繋がった。

「なるほど。銃の先に剣があったら、単純に剣よりもリーチが長い分、白兵戦でも使えるな。パイクや槍ほどまでとまではいかないが」

 それに銃兵全てが白兵戦に参加できるとなる、これまでより戦力が一気に三倍になる計算である。パイク兵がいらなくなるかもしれないと考えれば、銃撃戦でも数が増えるということになる。

 ヴィクトールは一人の兵が起こした戦場でのこの偶然の出来事が戦場の様相を一変させる可能性があることに少しながら気付いていた。

 だが全てはこの崖っぷちの状況を切り抜け、生き延びることができればの話である。


 敵の中枢を(えぐ)り、本来部隊指揮を行わなければならない士官たちをも白兵戦下に置くことで、ヴィクトールらは敵軍の前軍にも先程第三十四戦列歩兵連隊が陥った状況と寸分たがわぬ状況を作り上げることに成功した。

 といっても既に前軍が押されたのを敏感に察したガヤエ将軍は支援の為に部隊を動かしていたから、これは一時的なものになろう。

 もっともそれはヴィクトールも十分に計算していることである。

 ヴィクトールは単にイアサントの死とその前後の状況で寸断された連隊の指揮機能を取り戻す、僅かな時間が欲しかっただけなのだ。

 ともかくもヴィクトールの突撃で、それまで押される一方だった第三十四戦列歩兵連隊は一息入れることができた。

「うまくいったか?」

 少数の兵での中入りに長居は禁物である。防戦に転じれば圧倒的不利な体勢に代わるのだ。敵の攻防と呼吸を合わせてヴィクトールは兵を引き、マスケット銃兵に戦列を再度形成させる。

 その間に各中隊に伝令を派遣したり、司令部の混乱を危惧して向こうから伝令が来たりして連絡体制を整え、指揮系統を仮にではあったが回復した。

後は本来、自分より遥かに各上の中隊長たちがヴィクトールの命令に従うのを良しとするかどうかである。

 不安の中、戦列を整え終えた第三十四戦列歩兵連隊に態勢を整え直したブルグント軍が牙を()いて襲い掛かって来た。

 態勢を立て直せばなんとかなるのではないかと希望を抱いていたヴィクトールだったが、それは甘い観測だったようだ。

 先程のヴィクトールの一時の攻勢に対する手酷い返礼であるかの如く、敵は有機的な動きで反撃を行い、ヴィクトールらを再び劣勢へと追いやった。

 それでも臆することも屈することも無く、ヴィクトールたちは粘り強く戦う。

 兵たちはイアサントの死を知っても気落ちすることなく、却って気力を奮い立たせてくれたし、幸いにしてヴィクトールの指揮に全ての中隊長は逆らうことなく従ってくれたからだ。

 さすがに敵と戦闘状態にある今、それに異見を持ったとしても、いちいち異議を唱えて指揮系統を乱すのは混乱の元だと判っているのであろう。

 ヴィクトールの指揮能力や指揮を執ることに不満があっても、今は口を閉ざして命令を聞くのが軍人の責務だと考えているのかもしれない。

 理由は分からないが、ありがたいことだ。

 ヴィクトールは再び、ゆっくりと退き始めた。


 だけど一人一人の兵がどれだけ奮闘しても、圧倒的な火力の差の前に一人、また一人と兵士たちは倒れていく。

 いくら戦場が平原ではないと言っても、一個連隊で一個軍団の相手をするのは無理な相談だったのだ。

 敗色は色濃かった。いや、全滅はもはや時間の問題だった。

 個人的な勇気と知恵だけではどうしようもないこともあるのだとヴィクトールは知り、絶望的な感情が腹の底から込み上げてくるのを抑えることができなかった。

 兵士たちが疲労や怪我で戦列から遅れ、敵兵に呑み込まれそうになる度に、ロドリグら屈強な兵士たちが幾度も戻っては、揉みあって攻め寄せるブルグント兵たちの手から引き剥がそうと荒れ狂った。

 それを繰り返すうちにある者は銃弾に倒れ、またある者は斬り死にする。

 敵は正面から数で押し、奇手を用いない。だが正当で堅実なだけにヴィクトールも事態を打開する良手を思い浮かべなかった。

 しかもガヤエはそのように堅実に兵を進める間にも、一部の兵を側面を大きく回り込ませてヴィクトールらの退路を断とうとしていた。

 前途を塞がれたことに気付いた兵士たちの顔に絶望の表情が浮かぶ。

 ヴィクトールは思わず天空を仰いだ。夕空は真っ赤に染まり始めていた。

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