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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第七十三話 急な坂道を転げ落ちるように

 その時、イアサントと会話しながら第三十四戦列歩兵連隊の宿営地に戻ろうとするヴィクトールに横合いから声が投げかけられた。

「やあ! 久しぶりじゃないか!!」

 ヴィクトールが声のした方向に顔を向けると、士官の立派な服に身を包んだ二十代半ばの端正な顔をした男がにこやかな顔を向けて近づいてきた。

 見た顔である。だがどこで出会ったかまでは思い出せない。

「えっと・・・確か・・・」

 思い出そうと懸命に頭の中の引き出しをかき回してヴィクトールが悪戦苦闘する姿にイアサントが興味ありげに視線を向けた。

「知り合いか?」

「ええ。ですがどこで会ったかまでは・・・確かにどこかで会った記憶があるのですが」

「先程の連隊長の会合じゃないか? 彼も出ていたぞ?」

 ヴィクトールが目立たぬようにしてイアサントの付き添いとして会合の末席に参加していたように、会合で目立った発言をしなかったのか、その士官もヴィクトールの記憶にはない。

 会議で話された内容については注意を向けていたヴィクトールだったが、付き添い含めて多くの士官が参加していた為に、ひとりひとりの参加者についてまで注意を向けるようなことはしなかったのだ。

 だから先程の会議にその若い(と言ってもヴィクトールのほうがもっと若いのではあるが)士官がいたという記憶すらなかった。

 しかし確かにその若い士官にヴィクトールは会ったという記憶があるのである。

「そうではなくて、もっとこう・・・きちんとした縁があったような、無かったような気がするのですが」

 さっぱりわけが分からないと首を捻るヴィクトールに、その若い士官は苦笑いを浮かべた。

「酷いな、ヴィクトール君。一年前、士官学校入学したての君たちを実地研修で引率したことを忘れたのか? やれやれ薄情なことだ。君たち士官の卵を逃がす為に死地に残って後退の援護を行い、我が隊は多大な犠牲を出したというのに」

 そう細かく言われてヴィクトールは目の前の男が誰であるかようやく思い出せた。

 命の恩人である。彼が敵の奇襲に動じず、士官学校の生徒をまず脱出させたからこそ、ヴィクトールたちは大勢の犠牲を出すことなく無事に、しかも三公女の誰かを人質に取られる不名誉も無く、士官学校へと戻れたのだ。

「あっ・・・!! ノルベール大尉殿でしたか!」

「ようやく思い出してくれたようだな、ヴィクトール君。だが少し違うぞ、今は少佐だ」

「これは再び失礼を、少佐殿」

 ヴィクトールは厳粛な顔を作って(かかと)を合わせて背筋を伸ばすと、ノルベールに向けて敬礼した。

「今は第四十五戦列歩兵連隊の連隊長代理を務めている」と自慢げに話すノルベールの言葉をイアサントが補足した。

「この間の戦いで死んだグーブリエの代わりというわけだ」

 どうやらヴィクトールが臨時措置として中隊を率いているように、ノルベールも指揮官を失った連隊を率いているということらしい。

 だが一年前まで大尉だったノルベールが、今は少佐になったとはいえ、本来は歴戦の指揮官である大佐が行うべき連隊長と言う重責を背負わなければならないなどとは、ラインラント駐留軍の士官不足は末期的症状を呈してきたと言える、とヴィクトールは絶望的な気持ちにさえなった。

 確かに士官学校を出てもいないくせに中隊を預かる立場となっているヴィクトールがそう感じるのは変であるのだが、上官の命令を聞いて目の前の敵と応対していれば素人同然のヴィクトールでもなんとかなる中隊長と違って、多くの部下を大局に従って動かさねばならず、独自の判断で行動しなければならないことが多い連隊長は必要とされる才覚と経験が断然違うと思ったのだ。

 だがその懸念は懸念として、この再会は十分に喜ぶべきことだ。

「生きておられたのですか」

「幸いにというか、悪運強くと言うべきか、こうして生きながらえている」

「よくあれだけの重囲を手持ちの僅かな兵力で突破なされました」

「それはこちらのセリフだ。よくもまぁ敵の包囲から士官学校の学生を率いて脱出させたものだ。まさか火薬を爆発させて敵を混乱させ、その隙に逃げるなんてな。だが君じゃあるまいし、私にはそんな曲芸はとても無理だよ。君らを逃がした役目を果たしたのち、降伏したのさ」

 そうであるならば、どうしてここで連隊長代理を務めているのであろうかと不審顔のヴィクトールにノルベールは照れ臭そうに笑った。

「捕虜交換で帰ってきたのさ。で、貴族の子弟が多い士官学校の生徒を逃がす盾になる働きをしたということで昇進させてもらった。それも三公女をはじめとした大勢の生徒が命を落とさずに逃れることができて、私のしたことが無駄にならなかったためだ。つまり私の出世はヴィクトール君のおかげともいえる」

 さすがにジュネーブ協約のない世界、捕虜の待遇はさほど良くない、というよりは劣悪だ。

 だがそれでも最低限度とはいえ、死なない程度には遇しなければならない。ということは大切な糧秣も使うし、見張りとして人的リソースも浪費しなければならないということだ。

 傭兵ならば先に述べたように寝返らせて味方の先兵として使うといった手段があるが、さすがに国家に対する帰属意思が強くなり始めたこの時代になると正規兵だとそうはいかなかった。

 というわけで口減らしもかねて交戦中であっても、ちょくちょく捕虜交換が行われていたのである。

「だから君が士官学校で色々と問題を起こして───いや、色々あってラインラントに配属されたと聞いて、礼を述べたいと常々思っていたのさ。今日やっとそれが叶った」

「クーブリエ隊はここのところ城で待機することなく、ずっと前線勤めだったからな」

「それはご苦労様です」

「いや大したことじゃない。君のしたことに比べればね。ここに配属されてからの数々の活躍は耳にしたよ。話題になっている。将来を嘱望される若手士官ナンバーワンだな、君は。イアサント連隊長の秘蔵っ子だとか」

「甘やかすなよ。それほどじゃない。ま、新人にしては使えるけどな」

「そうですか? あの選り好みの激しい、面食いのイアサント連隊長がついに相手を決めたって、連隊長の方々が笑いながらおっしゃっていましたよ?」

「アイツら! 何を馬鹿なことを!! ち、違うからな! 勘違いしていい気になるんじゃないぞ!!」

 部下の前ではついぞ見せないイアサントの狼狽する姿にヴィクトールもノルベールも思わず笑いを浮かべる。

「とにかく、よろしく頼む」

「こちらこそ」

 差し出されたノルベールの手をヴィクトールは力強く握った。


 ラインラント駐留軍が大敗を何とか取り繕い、再度戦線を構築して戦う為の態勢を最低限整えたのに反して、相変わらず王都では大臣たちによる小田原評定並みのグダグダな議論が行われていて事態は何も動かず、前線には援軍どころか一個の補給物資も届かない状況だった。

 これでは再び戦っても、敗北することは必至である。

 だが仮であっても再び戦線を構築した以上、敵の攻撃もないままにさらに防衛線を後退させ、ブルグントに何百アルパンもの土地を無償で更に譲渡するようなことがあっては、指揮官としての資質が問われる。降格や懲罰もやむを得ないということになろう。

 いや、それどころか敵国との内通を疑われ、国家の敵として処刑されかねない。

 新しく指揮を執ることになったセヴランには撤退を口に出すだけの度胸がなかったし、彼を支えると表明した連隊長たちもそれは同じであった。

 彼らには現状がとても戦える状況にないことが分かっていてもである。

 こうして進むも引くも意見が一致しないまま、仮の宿営地を動こうとしないフランシア軍はブルグント側から見ても不可思議なものだった。

 だがやがて、その動きが何ら戦略的な思惑を持って行われているのではなく、ただ狐疑して動けないだけだとガヤエは看破すると、軍を発して攻め寄せた。

 というわけでラインラント駐留軍は一切の支援も補給も得られずに、敗北感に打ちのめされたままで、ひとたび兵をモゼル・ル・デュック城へと返して補給をし、気力を大いに養ったブルグント軍と戦うことになったのである。

 戦う前から勝敗は明らかだった。とはいえフランシア側が何もしなかったわけではない。

 先の敗戦を(かんが)み、平坦部を避けて山中に布陣することで、少しでも砲撃の被害を少なくしようと迎撃を試みたフランシア側だったが、それでもブルグント側が小さな平坦部を見つけ手早く大砲を設置して砲撃を開始すると、すぐさま全体的に押し込まれた。

 また戦列歩兵の銃撃戦でもブルグント兵の錬度の高い射撃に押される一方で、じりじりと戦線を後退させる。

 イアサント隊の奮戦などフランシア側にも僅かに見るべきところはあったものの、兵数の差を利用してガヤエが左翼から余剰部隊を回り込ませるとフランシア側はもはや攻勢を支えきれず、戦線は半日も持たずに(もろ)くも崩壊した。

 連続しての敗北、精神的支柱であるメグレー将軍の不在、補給や援兵の無い孤軍での戦いなどが兵士たちに以前のような粘り強い戦いを行わせることを不可能ごとにさせていたのだ。

 幸いにしてイアサント隊の兵士たちは連隊長に対する畏敬の念が消え失せていない。イアサント隊だけはすぐには崩れなかった。

 とはいえ両隣の味方部隊が逃げ出す形になったからには、それまで奮戦していただけにイアサント隊は敵中に突出する形になる。危険な情勢だ。

 幸い敵は片翼からの後方への回り込みを完全に成功させたわけじゃない。一部の部隊がフランシア軍の後背へと僅かに回り込んだだけで、挟撃や包囲といった危機的な状況に陥ったわけでは無い。

 逃げ口は横にも後ろにも、まだ十分に残っている。

「両手を上げて降伏するにはまだ早いな」

 イアサントは肩の後ろ辺りをポリポリと()いて余裕を見せるが、内心では不安をぐっと押し殺して素早く計算していた。

 ブルグント兵に完全包囲される前に脱出は可能だとイアサントは判断する。残された時間はそう多くは無いかもしれないが。


 近々で三度目となる撤退戦だが、だからといってイアサント隊が余裕を持って後拒を行ったわけでは無い。

 幾度、経験しても兵が撤退戦に熟練することはなかなか無い。

 極度の死のストレスに(さら)されながら、友軍からろくな支援も受けれずに命令を順守し逃げずに戦う中で、隣に立つ戦友と己の命を守るということは難事だし、そこに一定の法則や決められた手順などありはしないのだ。

 しかも左右の友軍が崩れていくのを横目にして戦わねばならない兵の闘志を失わせないことは、鬼のイアサントの威光をもってしても不可能ごとなのだ。

 臆した兵の神経の糸が切れて逃亡しないように、細かく指示を出して兵を動かし、余計な事が頭に浮かばないようにする。

 統率を失った他の連隊が多大の犠牲を払って潰走する中、イアサントは各中隊に互いに互いの動きをカバーさせて徐々に撤退していく職人芸を披露した。

 山中に布陣したことで敵が火力を集中し、一気に突撃して崩されることがなかったことが幸いした。二度ほど敵の小規模な突撃があったが、どちらも撃退することにも成功する。

 ブルグント軍はイアサント隊をひたすら押し続けたが、その距離が縮まることはなかった。

 だがそれでも時間が過ぎるにつれ、第三十四戦列歩兵連隊の各中隊は死傷者を増していき、戦闘力を減じていった。

 人が減れば弾幕は薄くなり、攻勢を強める敵の足を止めることが難しくなる。

 だからといって空いた戦列を詰めて陣形をコンパクトにするのは敵の思う壺である。防衛する面積が小さくなれば、敵は容易に火力を集中させることができ、防衛戦はその瞬間に崩壊する。

 兵にこれまで以上の負担をかけることになるが、敵軍が追撃を諦めるか、態勢を立て直せそうな地形の山の中腹に辿り着くまで、そのままの陣形を維持して後退させようとした。

 だがイアサント隊は度重なる戦で大幅な欠員を出していたし、イアサントも長時間の劣勢を強いられ、不安定になっている兵士たちの心理状態をいつまでもコントロールできるわけではない。

 しかもブルグント兵は決して弱兵では無いし、将軍も無能では無い。

 イアサント隊が弱ったのを見逃さずに、再度、兵力を集中し突撃させ、戦列の突破を図った。

 兵士たち一人一人の奮闘もあって突破こそされなかったが、戦列が(いびつ)な形になる。

 それを補おうと注意と兵力とをイアサントがそちらへと向けたのを見計らって、ブルグント軍はこれまでで最大規模の攻撃をイアサント隊に行った。

 イアサント隊は一斉射撃を行って敵の鋭鋒を(かわ)そうとするが、これで決着をつけようとする敵の将軍の意識が乗り移ったかのような執念深いブルグント軍の攻撃に為す術も無く、突撃は深々とイアサントの中央部隊に突き刺さった。

 銃撃戦からパイクやサーベル主体の白兵戦へと切り替わり、戦場の様相は一層混迷を深める。ひとつ言えることは接近戦に持ち込まれれば勝ち目はさらに薄くなるということだ。

「連隊長が危ない!! 押し返せ!!」

 ヴィクトールは部下の返事も待たずに、軍刀を抜き放ち、白兵戦のただ中に飛び込んでいった。

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