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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第七十二話 新たな指揮官

「ヴィっくんはラウラちゃんのものじゃないよ!!」

 ラウラの言葉にエミリエンヌはぷうと頬を鬼灯(ほおずき)の実のように赤く膨らませた。

「え? そ、そうね、ヴィクトールは物じゃないものね。私ったら頭に血が上って何を口走っちゃったのかしら、ふ、ふふ、ふふふふふ」

 ぎこちなく作り笑いを浮かべて誤魔化そうとするが、本音は見え見えのラウラの初々しい表情を見て、椅子に座ったソフィーはクスリと笑みを漏らした。

「でも不安で心が張り裂けそうなのよ! ヴィクトールは士官学校の全ての過程を終えたわけではないし、半年前に配属された右も左も分からない新米に過ぎないでしょ? それなのにこんな歴史的な大敗に巻き込まれるなんて・・・友人として安否が気がかりで仕方がないわ!」

「マリアンヌ様のところにもヴィっくんが生きているかどうかは届いてないの?」

 ソフィーは確かにフランシアでは他に比肩できないほどの高貴な存在であるが、今現在は士官学校の一介の学生に過ぎないから、軍事機密など知りようもない。この件について知っている情報はラウラとどっこいどっこいである。

 それに万一、機密情報が漏れ伝ってきていたとしても、メグレー将軍ほどの大物ならばともかく、単なる一士官如きの安否情報などその中にあるわけがない。

 今は軍令部ですらメグレー将軍の怪我の状態を完全に把握できていないような状況なのである。優先して把握するべき情報は他にいくらでもある。

 もちろんソフィーほどの人物であれば、自身の名前を出して軍令部に圧力をかければ探れないことは無いだろうが、軍も政府もラインラントの対応策を巡って右往左往している真っ最中だ。そのような願い事、どう考えても軍の動きを妨げる足枷にしかならない。マリアンヌはそのような公私混同を行うような女性ではなかった。

 またいくら友人であっても何があるかはわからない。特にエミリエンヌのようなおしゃべりな子に話せば機密などあってないようなものなのだ。

 一時期はフランシア王国の推定相続人であっただけに厳しくしつけられたマリアンヌが、無暗に軍事機密を漏らすような無責任な人間であるわけがなかった。

 だからエミリエンヌのその問いは友人であるヴィクトールの身を案じてのことだとは重々理解できても、そういったことを行いかねない程度の人物であると、ソフィーの人間性を低く見積もっていると見ることもできないわけでは無いのである。

 あの何事にも手厳しい、ソフィーの『お友達』のカミーユであるならば不敬に当たると憤慨して見せるところだが、

「ごめんなさいね。わたしもヴィクトールさんの安否は分からないわ。とても心配しているのですが」

 と、ソフィーは気分を害する様子を見せることなくエミリエンヌに柔和に微笑み返した。

 これもまた、幼い時から人の上に立つ人物になるように厳しく教育されたことの賜物なのであろう。

 もっとも、同じく高貴な生まれなのだから、同じような教育を受けたはずなのだが、ラウラの方は泰然自若(たいぜんじじゃく)たるソフィーとは正反対に終始狼狽(ろうばい)し通しで落ち着く様子を見せない。

「城を失陥しただけじゃなく、野戦で大敗したって話だから、犠牲者も相当数出たはずだわ! ああ、本当にヴィクトールは大丈夫なのかしら!? 怪我などしてないかしら!?」

「大丈夫だよ! ヴィっくんは強いし、強運だから必ず生きているよ!」

 いつにないラウラの取り乱しっぷりにエミリエンヌが普段見せない気遣いを見せるほどだった。

「でも一番安全な本営にいたはずのメグレー将軍が重傷なのよ! ヴィクトールがどこに配属されたかはわからないけれども、係累もコネもないヴィクトールのことだから、おそらく中隊付き士官として旗持ちでもやらされているはずよ! なら、もっと危険な目にあっているはずだわ!! 運よく怪我をしないで生き延びているとしても、敵兵に追われて命からがら逃げているはずよ! 救援が必要だわ!!」

「そうね、ヴィクトールさんの安否はとても気がかりですが、ラインラントの戦況はもっと心配ですね。このまま放置しておくわけにはいかないでしょう」

「マリアンヌ様! じゃあ、陛下は出兵を決意されたということでしょうか?」

 ラウラはマリアンヌの言葉に(ひょうじょう)をぱっと明るくさせた。

「カエル野郎たちとは百年の宿敵! こうなったら全面戦争だね!!!」

 ラウラだけでなくエミリエンヌもソフィーの言葉を軍令部がラインラントに軍を派遣することが内示されたということを表していると受け取ったようである。

 ソフィーは手を激しく横に振って二人の勘違いを慌てて正した。

「いえいえ違います! 援軍を出すと決まったわけでは・・・!! ただ戦争を継続するにしても、和平の道を模索するにしても、このままにはしておけないというだけです」

「ええ! じゃヴィっくんを救援してくれる部隊は無いってこと!?」

 目と口を真ん丸に大きく見開いて驚くエミリエンヌにソフィーは申しわけなさげな顔で首を縦に振った。

「残念ですが、今のところは。ですがこれから先はどうなるかは分かりません。例え和平の道を取るにしても、少しでも有利な条件で講和を結ぶために兵を出すことはありうることです」

「そっか! じゃあヴィっくんもきっと大丈夫だよね? ね? ね!?」

「わたしから父に働きかけてみましょう。といってもどうなるかはわかりませんが。父は前からラインラントでの戦争継続に難色を示しておりましたし、若輩者のわたしの言葉など一顧だにしないかもしれません。なによりも最終的に全ては陛下がお決めになられることですし」

「そ、それでもいいよ! エミリたちにはどうすることもできないんだから!!」

 ばね仕掛けのおもちゃのようにぴょこんと椅子から飛び上がって不格好な挨拶をするエミリエンヌを見て、ラウラもソフィーに頭を下げた。

「ありがとうございます、マリアンヌ様!」


 ソフィーとエミリエンヌが出ていけば、ルームメイトが帰ってくるまで久しぶりに部屋で一人になることができる。ラウラは静寂の訪れた空間で思案に(ふけ)った。

「マリアンヌ様に頼ってばかりではいけないわ。私は私でできることをしなくちゃ」

 だがラウラも士官学校の生徒の一人であることにはソフィーと寸分変わりがない。それどころか身分を考えるとソフィーよりできることは限られている。いくら頭をひねって考えても、なかなかに良案は思い浮かばない。

 やがてようやく自分にしかできないことを思いついたが、思いついた瞬間にラウラは冗談ではないと眉を(ひそ)めた。

 何とか別の方策がないか、頭の中を幾度もひっくり返して考えるが、どうやら先程の考えでしか己が少しでもヴィクトールの役に立つことは無いようである。

 観念して羽ペンを握ると、ペン先をインクに浸し、小箱からまっさらな新しい紙を引き出して向かい合った。

「こうなりゃ背に腹は変えられない! あの頑固親父も国家の危機という大義名分がある以上、嫌とは言わないでしょ!!」

 ペンを紙の上でさらさらと滑らせると、ラウラは一刻も惜しいとばかりの勢いで文字を書き殴った。


 一方、敗戦の報に打ち沈むフランシアの宮廷とは正反対に、勝利の一報が届いたブルグントの宮廷は鼎沸(ていふつ)した。

 モゼル・ル・デュック城が存在していたということもあるが、ラインラントの戦いは終始、フランシア側のペースで行われていたから、勝利の報告に飢えていたということもあるし、これほどの軍事的快勝は五十年戦争以来絶えて無かったことであるからだ。

「これでラインラントの戦いを優位に進めることができる」

「ガヤエ将軍は首功を立てた。流石(さすが)は枢機卿のお眼鏡に適っただけの男ではある」

 宮廷人たちはいつもの(いさか)いも反目も無しにして皆一様に顔に満面の笑みを浮かべて会話に花を咲かす。

 熱狂の中、興奮する大臣たちと違い、ブルグント王はただ一人だけ冷静だった。

「これを単なるひとつの戦勝に終わらせるのではなく、この機会にラインラント戦役そのものに決着をつけるべきだ」

 王の突然の発言に皆の視線が一点に集まった。ブルグント王は威圧するかのようにぎろりと厳しく睨んで廷臣たちを圧した。

「フランシアに勝てば、ブルグントはパンノニア第一の軍事大国として覇権を握れる。偉大な歴代の先王たちに墓前で喜ばしい報告が出来ようというものだ」

 国の行く末を惑った結果、大臣たちに諮問して貴重な時間を浪費するような愚をブルグントのこの年若い王は行わなかった。

 厳しい教育係だった枢機卿の薫陶(くんとう)よろしく成長したブルグント王は、兵事に何よりも重要なことは速度であるということを熟知していた。

「フランシアがまごついている隙に兵力を増強して一気に片を付ける」

 ブルグント王はこれを好機としてラインラント戦役を終わらせようと、一刻も早く援兵を送る準備を整えるように各部署に命じた。


 クルムの地にてフランシア軍を鎧袖一触に粉砕したガヤエは追撃を命じたが、一度逃した敵兵を再度、補足するにはラインラントの地形は険しすぎた。

 ブルグント軍は逃げ遅れた少数の残兵を捕斬するにとどまり、ガヤエは切歯扼腕(せっしやくわん)する。

 だが冷静に、日が暮れれば、この険しい地形ではこれ以上追撃しても無意味であると気持ちを切り替え兵を収めて、モゼル・ル・デュック城へと帰還した。

 その為に味方が奪還のために兵を戻してくると信じて、モゼル・ル・デュック城内にて頑強に抵抗を試みていた城守備兵もとうとう抵抗を諦めて降伏せざるを得なかった。

 ガヤエはフランシア兵を武装解除して虜囚としたが、その四割を占める傭兵たちに迫って、ブルグント軍へと鞍替えさせた。

 週給以外に準備金まで渡して雇い入れたのに、こうも簡単に鞍替えするなど仕事に対するモラルはどうなっているのだと、現代人なら憤慨しそうなものだが、これは傭兵隊にとって特別な行動ではない。傭兵たちが裏切ったとしても、その行動に怒りを感じることもない。

 当時、勝敗のたびに所属する陣営を変えることは珍しくなかったのである。

 だがこれで事態はフランシアにとって更に悪化する。

 先の戦いで敵兵を倒しただけでなく、ここで一部の傭兵を寝返らせて自軍に吸収したことで、ブルグント軍はラインラントにおいて兵数でも上回ることになり、圧倒的な優勢な立場になったのだ。


 一方、弱り目に祟り目なのはフランシア軍である。総司令官であるメグレー将軍が重傷を負って戦線離脱したことにより、敵軍の追撃を逃れた後も命令系統が回復することは無かった。

 どういうことかと言うと、ラインラント方面軍はラインラントがブルグントとの間に帰属問題が起きてから、手っ取り早く各地から余剰の、というよりも問題のある連隊をかき集めて構成された急造軍団であった。

 軍令部もラインラント駐留軍にメグレー将軍は自分がやりやすいように軍団の組織を作ったため、師団も旅団も形成しなかった。すなわち師団長も旅団長もこの軍団には存在しない。

 階級的に一段高い位置にメグレー将軍を支えていた軍団長補佐がいたが、魔の悪いことに先の戦闘で砲弾が直撃し、死亡していた。

 残兵を糾合して、少しは持ち直したはいいが、それを指揮するリーダーがいないということになる。

 仕方がないので新たな指揮官が任命されるまで連隊長が集まって司令部を形成し、その中で一番先任の連隊長が取りあえず指揮を行うこととなった。

 『取り合えず』という但し書きがつくのは理由がある。

 本来ならば先任の、一番熟練した連隊長が代わって指揮を執るのが決まりであり、当然のことであるのだが、ラインラント駐留軍において一番の古株の、セヴランというその連隊長は、同期が死ぬか、出世して他の部隊へと栄転する中、とにかくしぶとく生き残った結果、連隊長になったに過ぎないと陰口をたたかれる男で、メグレーの命令通りに連隊を動かすのが精一杯の器量であると陰口を叩かれる男であり、他の連隊長から頭に担ぎ出されると、責任の重大さからか狼狽え、怯え、積極的に指揮を執ろうとする様子を見せずに、ほかの連隊長たちの肝を冷やさせた。

 そこで連隊長全員が知恵を出して支えるからと説得して、ようやくこの敗残兵の集まりを指揮することに同意した。

 付き添いで連隊長の会合に顔に出していたため、その過程を残らず目にしていたヴィクトールは抱いた不安をイアサントにぶつけてみた。

「あの方に軍団の指揮を任せて大丈夫でしょうか? 本人も自信がなさそうですし、連隊長が代わって指揮を執られたほうがいいのではないでしょうか?」

 ヴィクトールが自分の能力を認める発言をしたことにイアサントは大いに喜色を見せた。

「可愛いことを言ってくれる! だがお世辞を言っても何も褒美はくれてやれぬぞ!!」

 イアサントは嬉しそうにヴィクトールの頭を抱きかかえると、背中を大きく叩いた。

「お世辞を言っているわけではありません」

 ヴィクトールの見るところ、イアサントには十分にひとつの軍団を統率するだけの器量がある。戦場での冷静な判断、いざという時の度胸、即断力、情に流されない非情さなど指揮官として必要なすべてを持ち合わせているように思えた。

 それは贔屓目というわけではないだろう。常に先陣や殿といった重要な役柄を任されているところを考えると、メグレー将軍も並み居る連隊長の中でイアサントを大きく買っていたことは間違いない。

 他の連隊長だって、それくらい理解はしているはずだ。

 兵だってこの危機的状況に自らリーダーを買って出ないような男が指揮官では不安でおちおち戦ってもいられないだろう。

「ますます嬉しいことを言ってくれる! ・・・だがお前の言葉は上官批判にあたる。感心せんな。直接の上官でなくても相手は大佐だ。戦時特例中尉如きが評価していい相手では無い」

「出過ぎた口を叩きました。お許しください。しかし大勢の将士の命がかかっているかと思うと、言わずにはおられません。あの方で大丈夫かと心配になります」

「・・・・・・セヴラン大佐はメグレー将軍と共に何年も戦場を馳せた歴戦の古強者であらせられる。大過なく兵を率いてくれるさ」

 イアサントはそう言ってヴィクトールの提案を封じ込めた。だけどイアサントの言葉には、どこか自分に無理やり言い聞かせている節が感じられた。

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