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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第七十一話 敗戦の衝撃

「お、おい! 本営を見ろよ!!!」

 大砲が着弾し、もうもうと土煙を巻き上げた本営に、士官も兵士も皆一様に不安げな視線を向けていたのだが、煙が晴れた視界の先で兵士たちが負傷者を抱えながら、てんでバラバラに後退する無秩序な姿を見て戸惑い、やがてそれが軍が指揮系統を無くした証だと気付くと、わっと叫び声を上げると逃げ出した。

 士官や下士官は銃や剣を手にして兵士たちを脅し、逃亡を押しとどめようとするが、本営が崩れ去り、メグレー将軍から命令が来ないという異常事態を前にしては、その彼らとて平常心ではいられない。

 いつのまにやら彼らもまた兵の中に交じって逃げ惑っていた。本営がその機能を失ったことを誰もが悟ったことで、そこまで辛うじて戦線を支えていたフランシアの諸隊は恐怖を覚えて次々と崩れた。フランシア軍は潰走に移った。

 その好機をブルグント軍が見逃すはずがない。兵たちはここぞとばかりに逃げるフランシア兵の背中に襲い掛かって、一方的な殺戮に酔いしれた。

 司令官を失い、指揮系統が乱れ、統率のとれた防衛が取れなくなっただけにフランシア軍の撤退行は一層凄惨なものとなった。

 だが、そんな中でもイアサント隊、グーブリエ隊など一部の部隊は指揮官に対する強固な信頼があったためか、あるいは下士官が奮闘したおかげか兵士たちは踏みとどまり、ともかくも敵軍の攻撃を食い止めた。

「曹長、左手の兵士たちの足が遅れ気味だ。このままでは敵中に取り残された彼らが全滅するし、戦列に穴が開けば敵兵は攻撃を集中させ突破を計るだろう。そうなっては頽勢を辛うじて崩壊を食い止めている我らの全滅は必死だ。中央から兵を割いて救援に行ってくれないか」

「おう、わかったぜ中尉殿!! ユーリ、お前に五名の兵を与える! 側面から回り込んで援護しろ!」

 第三列の兵の肩を五つほど叩いて人員を選抜すると、ロドリグは同じラインラント出身のユーリ伍長にその兵を預けて敵中に取り残されつつある兵たちの救援に向かわせる。

 士官として不慣れで、出す命令に未だ少しピントがずれたところがあるヴィクトールの指示をロドリグが兵士たちに適宜、適切な形に噛み砕いて伝達することで的確に部隊を動かしていた。

 イアサントは先程からヴィクトール中隊の陣形が崩れ始めたことを気にし始めていただけに、自分が命令を出す前にヴィクトールが自力で戦列を立て直したことに安堵すると同時に、大いに感心して見せた。

「敵兵と撃ちあっている直中にいるにも関わらず、ヴィクトールは兵を動かす機を逃さない。周囲のことがよく見えているということか。若く経験もないのに、いい判断をする」

「後背をピエール大尉が守り、ヴィクトール中尉の至らないところを補っているからです。一見すると派手で、その実、無茶な攻撃でも部隊が綻びを見せないのはピエール大尉の影働きがあってこそ。褒めるのならピエール大尉の目に見えない労苦を褒めるべきでしょう」

連隊長副官であるグランボルカの言葉はヴィクトールに対してやけに手厳しかった。イアサントはおや、といつにない苦々しげな表情を浮かべるその副官の顔に奇異な視線を向ける。

 どうやらグランボルカは嫉妬しているようだ、とイアサントは推察した。

 イアサントにしてみれば年齢で一回り以上違い、階級にして四階級もの差がある以上、ヴィクトールが如何に華々しい活躍をしようとも嫉妬の対象ではない。競争や嫉妬心は相手を少しでも同格で競争相手であると思わねば生まれないのだ。だからその手柄を微笑ましく、誇りに思うことはあっても苦々しげに見ることなどありはしない。

 連隊付き副官となれば、中隊長代理で臨時中尉に過ぎない駆け出し将校のヴィクトールなど、本来ならばイアサントと同じで嫉妬の対象ではないはずなのだが、身近でその活躍を目にし、あの口の悪いイアサントが贔屓とも取れるほど名を口にするのを聞くと心穏やかではいられないのかもしれない。

「ああ、ピエールは地味だが堅実ないい働きをする」

 軍隊というほんの些細なことが命を失うことに繋がる組織であっても、上司を蹴落とし、同僚と足を引っ張り合い、部下の手柄を横取りして、少しでも出世しようとするような上昇志向の持ち主は少なくないのである。

 というよりも軍隊には癖の強い人物が集まる以上、むしろ他の組織よりもその傾向が顕著であるかもしれない。

 それはこのフランシア軍のゴミ溜めとも評され、出世街道とは無縁のラインラント駐留軍とて例外ではない。

 確かにラインラント駐留軍には将来、将軍や軍令部付き武官に栄達できる道があるような陽の当たる場所とは言いかねるが、それでもその中でなら大佐くらいまでなら出世できるのである。

 グランボルカがその大佐という地位への重大な障害と感じたとするならば十分ありうる話だった。

 それにいい意味でも悪い意味でも戦場で目立ったヴィクトールは、正規の軍人でないだけに反感を買っていた。戦場のことなど知らぬ半人前が若さゆえの怖いもの知らずの無鉄砲さで無分別に実行したことが、たまたま卦が当たって成功しただけなのにいい気になっていると見られていたのだ。

 イアサントはヴィクトールのことを若い好男子であることや、有能な部下であること、活躍したことだけでなく、その無鉄砲さも含めて好ましく思っており、それが思わず口をついて出たのだ。

 だが少しばかり配慮が足らなかった。どんなに優れているとしても特定の部下を贔屓(ひいき)すれば、他の部下に不平や不満が産まれるのは必至である。

「ヴィクトール・・・いや、ピエールの奮闘を無駄にするな! このまま敵の攻勢を押しとどめ、友軍が退却する時間を作り、敵が攻め疲れて攻撃が緩んだところで息を合わせて退却する!!」

 イアサントの鼓舞とも命令ともつかぬ言葉に激励された第三十四戦列歩兵連隊は息を吹き返し、猛攻を行ってブルグント兵の足を止めた。

 だがそれも一刻(いっとき)のことである。イアサント隊はその短い攻防の時間で多くない兵数をさらに一割減じたし、最後尾を受け持ったグーブリエ隊に至っては兵の半数を失い、グーブリエ自身が戻らぬ人となった。

 頽勢を覆すことができなかったフランシア軍は惨めに敗走するしかない。

 ヴィクトールは命を繋ぎ止めるために暗がりの中を兵たちと共に泥にまみれて走り続けた。


 ラインラントを発した使者が何頭もの馬を乗りつぶして、昼夜兼行で駆け続けた結果、大敗の知らせは翌々日に王都にもたらされた。

 数十年に一度あるかないかという国家的危機の一報に宮廷は大きく震撼した。

 軍令部は大臣から下級官吏までてんてこ舞いでで、徹夜で情報分析、事態の把握に努めた。

 特にできることも無いのだが、王叔サウザンブリア公爵を筆頭とする有力貴族や他の国務大臣も王宮に詰めかけて、青白い顔で互いの持つ情報と見解を交換し合う。

 普段は諸事は各大臣に投げっぱなしで趣味の錠前作り以外に興味を示さないなどと陰口を叩かれる国王さえも急遽、離宮から馬車を走らせて王宮に戻るほどだった。

「モゼル・ル・デュック城が陥落しただと!? そんな馬鹿な!?」

「メグレー将軍は何をしていた!? 敵の攻勢を手をこまねいて見ていただけとでも言うのか? 防衛するのに十分なだけの兵力は与えていたはずだ!」

 モゼル・ル・デュック城という堅固な要塞を保持して優位な立場にあっただけでなく、兵力においてもフランシア側が勝っていただけに、このたびの敗北の一報を誰もが信じられなかったのだ。

「本営に攻撃を受け、メグレー将軍は大怪我を負って意識不明の重態。とても指揮を執れる状態ではないとのこと! それだけでなく司令部は全滅に近く、軍団の主だった士官は戦死したとのこと。そのために現場が混乱して正確な情報が届いていないのです」

「指揮官を失ったラインラント駐留軍は多大な被害を受けて壊乱し、未だ敵の追撃を受けているとのことです」

「なんだと! そのようなことありえぬ!?」

 話を聞いた者は興奮のあまり大声を発する者、顔面を蒼白にして押し黙る者、不安げに誰かの話にひたすら頷く者と、様々だった。

 誰しもに言えることは、皆冷静にいられなかったということだ。

 あの切れ者のサウザンブリア公爵でさえも言葉を失い、直ぐに対応策を思いつくことができなかった。

 ラインラントが十年に渡って膠着こうちゃく状態に陥っていたということで、ちょっとやそっとのことでは良い意味でも悪い意味でも変化することなどありえ無いと決めつけていた彼ら宮廷人の頭に、この一報はガツンと鈍く痛い一撃を喰らわせた形となった。


 とはいえ一地方軍の敗北だ。

 この当事、フランシアは近衛隊を合わせて全部で百七個の連隊を保持していた。約十万の兵力を保持していたということである。

 例え二万五千を数えるラインラント駐留軍が殲滅されようとも、兵力の補充は不可能な話ではない。なにしろ今のところ戦争はラインラントでしか行われていないのだ。

 ブルグント国境以外の全ての手空きの部隊を集結して反撃に転ずべし、と主戦派はいきり立った。これまでに注ぎ込まれた国費、流された将兵の血のためにもそうすべきであると主張したのだ。

 だが宮廷内には主戦派もいるが和平派もいるのである。

 さて読者諸兄には和平派といえば頭がお花畑な腰砕けの集団と思われる方もいるかもしれないが、さに非ず。

 彼らは実に現実的に、これからかかるであろう軍事費をソロバンで弾き出した結果、この悲劇をひとつの機会として矛を収めたほうが得策であると考えたのだ。

 フランシアは歴代国王の放漫財政や、五十年戦争やラインラント紛争といった長年の戦費などで破綻寸前だった。

 これ以上の出費はびた一文出したくないし、出すべきではない。

 ラインラントという戦略的要地ではあるが、うま味の少ない僻地を手放してブルグントと講和し、まずは財政健全化を成し遂げるべきというのが彼らの主張だった。

 彼らとでラインラントを手放すのが口惜しくないわけでは無い。だがなにも永続的にその国境線が確立するわけではないのだ。

 時間をかけて外交的に優位な立場を形成し、ブルグントが弱った時を狙って奪い返せばいいというのが彼らの考えだった。

 感情的には主戦論に魅かれるものを感じていても、冷静になって考えれば和平論を支持する者も一定以上いたのである。

 だがやはりいつの世も人は感情に突き動かされ、威勢のいい言葉に流されるものだ。当初、宮廷内は主戦論が大勢を占めていた。

 それが宮廷内を五分の数にまで揺り戻したのは裏で暗躍した人物がいたのである。

 デヴァの司教であるプレシーである。

 彼は清廉潔白な者には理性で訴え、金に汚い者には金品を贈り、弱みを持った者にはその弱みに付け込んで、言葉巧みに脅迫して和平派へと鞍替えさせた。

「このまま和平派が押し切ってラインラントが手に入ればしめたものですが、そう上手く行くでしょうか? フランシアにとってもラインラントは宿願の地。一度や二度の敗北で、そう容易く諦めてくれるとは思えないのですが・・・」

 その日も幾人かの官吏に根回しを行った帰りの馬車の中で、プレシーに侍者(アコライト)のオージェがそう疑問を口にした。

「最終的に和平派が勝つ必要はない。時間が稼げれば、それで良い」

 プレシーにとっては別に必ずしも和平派が主導権を取らなければならないというわけではなかった。和平派と主戦派で宮廷が揉めてくれればそれで良かった。

 今現在、ブルグント軍が圧倒的な優勢にある以上、援軍が来なければ彼此の戦力差、将軍の能力を考えると、稼いだ時間の分だけ、ブルグントに有利に働くはずである。

 もちろんこれ以上犠牲を出すことなくラインラントを手に入れることができるのなら、それはそれで結構なことであるが。

「このままの状態が続けば、いずれガヤエ将軍がラインラント全域を占拠するとお考えですか?」

「ま、そういうことだな」

「そうですか・・・」

 オージェの声色にはどことなく不服の気配が見えた。

 オージェはガヤエを抜擢したプレシーの目を疑うつもりは無かったが、勝利するにはブルグント軍の規模が小さすぎるような気がしたのだ。

 ラインラントの地形は攻撃に不利に働き、防御に有利に働く。それにフランシア軍にだって意地というものがあるだろう。

 ガヤエがプレシーの言う通り、ブルグントの歴史上屈指の名将だとしても、現有戦力では難しいのではないかと思った。

 そんなオージェの頭をプレシーは優しく撫でる。

「陛下はこの好機を見逃さぬはずさ。フランシアの暗愚な王と違ってな」

 プレシーの見立て通り、フランシアの気弱な国王は主戦派の軍令部や王妃や王族と和平派の財務総監やサウザンブリア公爵との間で身動きが取れず、決断をずるずると先延ばしにすることになる。


 さて、ラインラントにおける大敗の報はすぐさま王都の民衆に伝わったわけではないが、彼らは王宮や役所に足早に無言で出入りする官吏たちの蒼ざめた顔だけでなく、不測の事態を恐れた王が辻々に立たせた警官のピリピリした態度から変事が出来したことを感じ取っていた。

 それと違って士官学校には公式な一報は無いものの、様々なルートから情報が入り、ラインラントで何か良くないことが起きたということは時期に全生徒の知るところとなった。

 もっとも宮中以上に不確かな情報やデマが錯綜して、その実態を把握できているものなど一人もいなかったが。

 生徒たちの中で一番取り乱したのはラウラである。

「ああ、私のヴィクトールは大丈夫かしら!? 怪我などしていないかしら!?」

 この間の無礼な手紙に対して感じていた怒りなど、どこかに吹き飛んでしまったらしく、顔を赤くしたかと思えば、次の瞬間には白くするなど、感情と思考がまとまらないのかおろおろと部屋の中を行ったり来たりしていた。

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