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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第六十九話 クルムの戦い(Ⅰ)

 待ちに待っていたイアサントらが無事に戦場を脱出できたとの報がようやく届けられ、メグレーも最大の危機が去ったことを知り、安堵した。

 だが被害の詳細な報告を受けたメグレーは思った以上の悪い状況に眉を(ひそ)めざるを得なかった。

「イアサントの部隊は使い物にならないか」

 イアサントは女の身で連隊長を務め、女傑と恐れられているが、それでもラインラント駐留軍の歴戦の並み居る屈強な他の司令官の男たちと比べれば線は細く、非力である。

 故に先陣に立って突撃し、味方を鼓舞するような戦い方はできないが、どのような難局においても粘り強く戦うことができる不屈の魂を持っていた。

 であるからこそ今回の難しい殿(しんがり)という役目をも任せたのであるが、予想以上の損耗に、これから行うであろうモゼル・ル・デュック城再奪取という極めて難しくなるであろう戦いに、戦力として投入できないことは計算の内に入れていたとはいえ、メグレーにとっては痛恨事であった。

「第三十四戦列歩兵連隊だけでなく第三十七戦列歩兵連隊の損害も無視できぬものかと」

「両部隊は本営の後ろに回しておけ。予備兵力とする」

 メグレーの言葉はすぐさま命令となってイアサントへと伝えられる。

イアサントを筆頭に第三十四戦列歩兵連隊の猛者(もさ)たちは自分たちが後衛にまわされたことに不満たらたらだった。人的被害は馬鹿にできなかったが、士気はまだ落ちたわけでは無い。だがこの措置によって多少なりとも部隊の再編を行うことができたし、何より負傷者を応急手当てして後方の安全地たちへと送り出すことができた。

 もっとも本来ならばどこよりも手近で安全な収容先であるモゼル・ル・デュック城が現在、敵の手中下にあるため、さらに本国に近い、離れた場所にある拠点へと負傷者を運び出さなければならなかったため、部隊はその搬送により多くの兵を割かねばならなかった。

 殿で疲労困憊(ひろうこんぱい)したうえに負傷者や搬送者で多くの欠員をかかえた両部隊は使い物にならないと判断されたのである。

 さてメグレーが合流するなり、イアサント隊の配置をこうして考えなければならなかったのには、もちろん理由がある。

 モゼル・ル・デュック城を攻略したばかりのガヤエ将軍指揮下のブルグント主力軍がメグレーのフランシア主力軍の接近に呼応して、なんと城外へと打って出て、迎え撃つ形で平野部へと兵を押し進めたからだ。

 もはや両者の距離は三キロを切り、互いの動きを見ながら、牽制しつつ部隊の布陣を始めているところだった。

 しかしメグレーは不思議でならなかった。今回の敵の作戦目標は囮で敵主力を引きずり出している間に空になったモゼル・ル・デュック城を確保することであったはずだ。

 もし野戦で敗北すれば城を失う危険があることを考えれば、完全に制圧していないと言ってもモゼル・ル・デュック城で籠城したほうが何かと有利であろう。

 数がものを言う野戦に打って出るという賭博じみた行為を行う必要はどこにもない。敵将の行動は不可思議ですらある。

 だがメグレーに思案に暮れている為の時間はそれほど与えられているわけではなかった。野面を埋めている前方の敵だけでなく、後背にはボードゥアン率いるブルグントの別働隊がいると考えられるからである。

 いちおう追撃は()いた形になってはいたし、城を攻めた部隊が敵主力であろうことを考えると、ボードゥアン隊は数としてはそう多くは無いであろうが、それでも千単位の敵軍が背後にいることになる。これも計算に入れておかなければいけない。

「挟撃されると厄介だ。ここは速戦でいく」

 メグレーは軍団首脳部を集めて、そう自身の考えを述べるが、皆一同に難しい顔を見合わせるばかりで賛同の声は上がらなかった。

「数では我が方が有利ですが、このままでは間に挟まれた形の布陣となり、陣形的に我々が不利です。前と後ろから同時に攻撃を受ければ数の有利など消し飛びます」

「だがまだ挟撃されたわけじゃないぞ。敵が分散している今、むしろ各個撃破を行う好機だ」

 ブルグント軍は前後に別々に存在しているということは、その一個一個は元々フランシアに対して劣勢であった兵力がさらに劣勢であるということである。そこに付け込もうというのがメグレー将軍の方策であるようだった。

「兵たちは長時間の行軍と撤退とで疲れています。短時間で正面の敵を打ち破れなかったらいかがします? 後背に敵を受けた時点で我が軍の敗北は必至です」

「こちらも疲れているが、相手も疲れている。条件に大きな開きがあるわけじゃない」

「ですが例え前方の敵軍を野戦で破ったとしても、次いで軍を反転して後ろの敵と戦わなければなりません。その間に敗れた敵軍はモゼル・ル・デュック城に逃げ込み、今度こそ籠城してしまうのでは?」

「後方を追尾してくる敵は、前方の敵主力を撃破すれば戦わずに撤退する。我々は前方の敵を追撃し、城を奪還するだけでいい」

「確かに理屈ではありますが、やはり危険すぎます。一度、兵をこの地より退いて、両面に敵を受けぬ形に軍を置いて後、再度戦いを挑みましょう。敵軍の合流を許すことになりますが、負ける可能性が少なくなります」

「戦役を長い目で考えれば、ここは勝つことよりも負けぬ戦をすることこそ肝要であるかと愚考します。大局を見て、軍を温存いたしましょう!」

 幕僚や連隊長たちは次々とメグレーに撤退を促す言葉を口にした。

 実のところ彼らが即時決戦を拒むのは相互の戦力や大局を見てといった理由が主なものでは無かった。

 戦の流れが悪いと彼らは考えていた。とにかくこのところ負け続けなので、一度、流れを変えたいというのが彼らの共通する思いだった。

 戦争という極限状態を生きる男たちがそんな非論理的な考えをするものかと思うかもしれないが、関わる人数が多い故に誰一人として思い描いたとおりの結末にならないことから、運や流れや人の力の及ばざる存在を彼らは感じてしまうものなのである。

 確かに状況は悪いし、流れも悪い。それにもかかわらずにメグレーが、一見、益の見られない速戦を主張したのは何故であろうか。

 一部の士官や兵士たちが考えているように、メグレーは別にモゼル・ル・デュック城の失陥の責任を取らされ更迭(こうてつ)されることを恐れて、

失態を取り繕うと無理に急いでモゼル・ル・デュック城を取り戻そうとしているわけではなかった。

 メグレーはもう少し大きな、ラインラント戦役の全体の流れを見ていた。

 確かに一旦、兵を退けば、前後を敵に挟まれている窮状(きゅうじょう)を脱し、態勢を立て直すことができるが、それは敵としても同じことがいえる。

 二つに分かれた軍を合流させ、モゼル・ル・デュック城を完全に我がものとし、フランシア軍が撤退した土地を占拠して陣営地を築いて補給線を構築し、新たな前線を形成することだろう。

 そうなれば五分と五分というわけにはいかない。むしろモゼル・ル・デュック城という拠点を失ったフランシアが不利になるのは避けられない情勢だった。

 しかも、だ。

「一旦、敵の手にゆだねてしまえば現有戦力だけでモゼル・ル・デュック城を取り戻すことは難しい。しかもモゼル・ル・デュック城を失えばラインラント中央部の支配をフランシアは完全に失うことになる。モゼル・ル・デュック城の主が入れ替わることによって、敵は拠点を得るだけでなく補給線が短くなり、対して味方の補給線は伸びる。我々は押され、ずるずるとフランシア西部の支配域さえ失うこともありうるのだ。幸いにして敵は城を出て我が軍に野戦を挑もうとしている。これを打ち破れば城を取り戻すことができ、後背から迫りくる敵は(きびす)を返して逃げ、前線は大きく東へと動いて、戦いの主導権は再びフランシアの手に戻る。戦の趨勢(すうせい)を決める転換点は、今日ここで敵に勝利できるか否かなのだ」

 それにしても果敢な意見である。年を取ると人間、勝つことよりも負けないことを考えるようになるものだが、メグレーは違った。

 メグレー将軍は本来ならば退役して悠々自適の生活を送っているはずの年齢であるが、現役で戦場に立ち続けたことが気に若さをもたらし、新進気鋭の将軍のような行動を取らせたのであろう。

 そしてメグレーのこの考えはおそらく正しい。兵は拙速を尊び、いまだ巧久なるを睹ずと云う。だが正しい考えが常に最善の結果をもたらすとは限らないところにメグレーの不幸があった。


 急峻なラインラントに僅かばかりに広がった平地でブルグント軍に相対するように布陣を開始したフランシア軍を眼下にして、ガヤエは満足げに頷いた。

「どうやら敵は逃げずに戦ってくれるようだな」

「将軍の狙いは当たりましたな。お見事です」

「メグレーが臆病者でも愚か者でも無く、戦理を(わきま)えている将軍で良かった」

 臆病者ならば前後を敵に挟まれたことで驚き慌てて逃げ出すだろうし、半端に(さか)しい人間であったなら、各個撃破の対象として兵数のより少ない後背のボードゥアン隊を選ぶだろう。

 その場合、ガヤエもボードゥアンも野戦での敵の撃破を諦め、無理をせずに兵を退き、戦はそこで終わることになる。モゼル・ル・デュック城を手に入れたことでガヤエは満足しなければならない。

 それでも赫々(かくかく)たる戦果ではあるが、ガヤエとしては打ち続く敗戦で敵軍が動揺しているうちに決定的な勝利を得たいのである。その為にわざわざ城から兵を出すという危険を冒してメグレーを挑発して野戦に持ち込もうとしたのだ。

 五十年戦争の英雄の一人メグレー将軍であれば、ガヤエ率いるブルグントの主力軍を撃破して、そのままモゼル・ル・デュック城を取り戻せるこの機会を見逃さないだろうと踏んだのだ。

「とはいえ、ここからが正念場だ。こちらが望んだこととはいえ、野戦は何が起こるか分からないし、元より兵数はこちらが少ない。油断は命取りだ」

 確かにここまではガヤエの思惑通りに全てのことは進んでいたが、だからといってこれからも思惑通りに進むとは限らないのである。

 なにしろ野戦で何よりも物を言う数においてブルグント軍は劣勢なのだから。

「ボードゥアン将軍は決戦に間に合うでしょうか」

 ガヤエの副官はボードゥアン隊の姿が見えないか、不安そうに幾度も伸び上ってフランシア軍の後方を(うかが)ったが、影も形も見当たらなかった。

 間にフランシアの主力軍が遮る形で位置しているから、連絡も未だついておらず、その安否すら不明だった。

「さぁな」

 副官は自分と違ってボードゥアン隊の行方にガヤエが興味を示さないことに大層驚いた。

「ボードゥアン将軍の部隊との挟撃を念頭に入れて作戦を立てたのではないのですか?」

「いや。ただでさえ博打の要素が強い野戦を選んだのだ。ボードゥアン隊との挟撃などという不確定要素に頼った作戦など立てられんよ。ボードゥアン隊のあの兵数では我々が城攻めしている間に敵の攻勢によって致命的な損害を受けている可能性もあるのだぞ。牽制してくれただけで十分さ。計算に入れてはいない」

「ではどうやって勝利するおつもりで?」

 兵力の少なさ、兵力分散と言ったマイナス要因があることから、敵を前後から挟むことができる位置関係こそが勝利のカギだと考えていただけに副官はガヤエの言葉に驚きを示した。

 そんな副官にガヤエはニヤリと余裕の笑みを浮かべて見せる。

「教練を施した我が精鋭と大砲、これが戦闘の趨勢を決する鍵となろう」

 メイジェーの戦いでは、その二つが想像以上の大きな働きをしてガヤエに勝利をもたらした。今度もそれを使おうというのだ。

 だが副官はガヤエのその考えに懐疑的だった。敵も無能ではないのである。

「敵も対応策を考えているのではないですか?」

「二度くらいまでなら敵も引っかかってくれるさ」

 ガヤエは単に成功体験にすがって同じ戦法を行おうというのではなかった。

 先の敗戦から間が無い。敵は対応策を施している時間どころか、考えている暇も無かったはずであるから、今回も十分に有効なはずだとガヤエは冷静に考えていたのだ。


 ガヤエ将軍は劣勢な兵数を補おうとして、馬鹿正直に正面から当たるのでは無く、メイジェーの時と同じように敵片翼への集中攻撃で事態の打開を図ろうとした。

「敵右翼前面が草地が広がっていて攻撃に適す」

 斥候からそう報告を受けたガヤエは、すぐさま全軍に敵右翼への斜行戦術を命じる。ブルグント軍は今度もまた、敵の眼前で一糸乱れぬ見事な行軍をして、又もヴィクトールを唸らせた。

 だが今度は前回と違う。フランシア軍右翼へ、つまり左方へと回り込もうとする、その奇妙な動きの意図は今度はフランシア軍も察知している。

 ならばブルグント軍の移動に合わせてフランシア軍を回転させながら右後方に斜行し、敵が回り込むことを防げばいい。素人でもわかることだ。

 だが訓練を積んでいないフランシア兵はブルグント兵と違って陣形を維持したまま移動することなどできない。

 もしそのような命令を下したならば、移動で混乱し陣形が乱れたところにブルグント軍の攻撃を喰らって軍は戦うまでも無く壊乱してしまうだろう。メグレーはそのような愚かな男ではない。

 そこでメグレー将軍は右翼を後退させると同時に、本営の後方に予備部隊として保持していたイアサント隊などを惜しみなく投入して、苦労して陣形をL時に編成してブルグント軍を迎え撃った。

 幸いなことにブルグントの偵騎が見逃していたが、フランシア右翼は単調な草地に見えて実は起伏に富んでおり、ところどころに沼沢地さえあった。

 それがさしもの訓練を受けたブルグント兵の足をも止めることになり、フランシア側に再布陣する時間を与えてくれたのだ。

 また小規模ながら丘もあって、そこを防衛に利用することができることもフランシア軍にとって有利に働いた。

 それに部隊が大きく損耗したにもかかわらず、イアサント隊が奮戦したことも追記しておくべきことだろう。

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