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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第六十八話 殿軍

 だがメグレーはその驚報にも動じなかった。付近にいた狼狽する士官や下士官をギロリと睨んで一喝する。

「騒ぐな! 流言に惑わされてはならぬ!!」

 兵には目に見えるもの以外の情報が入ってこない。代わりとして彼らは上の者の顔を見て判断する。今現在、落城の知らせに動揺している兵を落ち着かせるためには士官や下士官が落ち着いている姿を見せることが何よりも必要なことだ。

 それにメグレーは伝令のその報告を信じていなかった。敵の策、あるいは味方の事実誤認ではないかと考えた。

 難攻不落とまでは言い難くとも、フランシア有数の城塞であるモゼル・ル・デュック城がこうも短時間に、そしてあっさりと落城したとはメグレーには信じられなかったし、信じたくも無かった。

 敵が奇策を用いてモゼル・ル・デュック城を強襲したということは紛れもない事実だとして、さらに城内に敵兵の侵入を許したとしても、それがすぐさま制圧されて城全体を奪われることに繋がるわけではない。

 城塞内には少ないながらも守備兵がいたのだ。城内の門を閉め、塔や天守にて抗戦を計ればそうやすやすと制圧されるわけはないのだ。

 すなわちメグレーが軍を反転させ城へと取って返せば、城内に残る兵と呼応して奪い返すことも不可能ではないと考えた。

 だがそれには城内で抗戦中の味方が全滅なり降伏しないことといった付帯条件が付く。いかに早く取って返すかが命ということだ。

 しかし軍隊にとって敵を眼前にした撤退ほど難しいものは無い。背後から攻撃を受ければ後退は容易く敗走へと変わり、甚大な被害を出しかねない。

 本来ならば十分な準備を行って、兵を退く機会を伺って慎重に兵を退かねばならない。つまり急いで後退するということは後拒に(ろく)な手当てを行わないまま撤退を行うということでもある。

 一番被害を被ることになる殿軍は通常の殿よりさらなる困難が予想される。

「なんで、あたしばっかこんな役目をしなきゃならないのよ!」

 メイジェーに続いて此度もまた殿軍を任されることになった第三十四戦列歩兵連隊長のイアサントは誰が見ても分かるくらいに不満な表情を(あら)わにした。

 女丈夫のイアサントですら文句を言いたくなるほどの貧乏くじを引かされたということだが、裏を返せばメグレーにそれだけ信頼もされているということだ。

 殿は蓋のようにして敵の攻撃を支え、その間に味方の部隊を安全に後退させるのだ。その殿が敵の攻勢を支えきれなかった場合、勢い余った敵は無防備に背中を晒した味方を襲い、玉突き状に簡単に撃破していくであろう。

「とはいえ親父様の命令だ。命令無視をするわけにはいかないしな。仲間の命も懸かってることだし」

 不満は不満としてイアサントはすべきことを行った。中隊を五十メートル間隔で縦に三段連ねて撤退の準備を整える。

 まずはしばらく最前列が敵の攻撃を支え時間を稼ぐ。支えきれないと判断すれば後退を開始して、その代わりに今度は二段目が射撃を行って近づこうとする敵を押し支え、勢いをそぐ。そして後退した部隊は一番後ろへと回って、そこで新たな戦列を形成するのだ。それを繰り返しながら時間を消費して、徐々に退いていこうという心づもりであった。

 イアサントは共に殿(しんがり)を務める第三十七戦列歩兵連隊と息の合ったところを見せ、残りの部隊が安全かつ速やかに戦場から撤退する時間を稼ぎ出そうとした。互いの動きを見つつ、攻撃を受ければ横合いから援護する。防衛線を一か所でも突破されないように気を配った。

 切り開かれた軍用道路以外は開けた場所では無い。兵たちは太い木を背に隠れ蓑にして、隙あらば近づこうとする敵に銃弾を浴びせた。為に少ない味方の兵でも敵の攻撃を食い止めることができた。とはいえ物量と勢いの差は埋めようがない。負傷者が徐々に出始める。

「~~~~~~~~~~~~~あッッツ!!!!」

 飛び交う銃声の中、部隊の指揮をとっていたヴィクトールの横で叫び声が上がり、地面に倒れ込む音が響いた。

 ヴィクトールが振り返ると大柄な男が足を抱えてうずくまっていた。副長ロドリグと同郷、ラインラント出身のヴァランタン伍長である。

 太ももを押さえた手の指の間からはドクドクと赤い血が奔流となって噴出していた。

「大丈夫か!?」

 ヴィクトールは眼前の敵の銃撃間隔を計算して、弾幕が薄くなる瞬間を狙って傍に駆け寄った。

 同じようにして駆け寄ったロドリグが木立の中に巨体を屈めて、ヴァランタンの丸太のような太ももを布で縛って止血を試みていた。

「どこをやられた?」

「あ、足を撃たれました!!」

 しっかりとした口調だった。痛みで苦悶の表情を浮かべているが、意識は混濁していない。

「怪我の具合はどうだ!?」

 傷口に白布を押し付けた後、きつく縛って血を止めようとするロドリグの手は血で染まっていた。

 矢継ぎ早に質問をするヴィクトールの姿から内心の狼狽を気取ったのか、ロドリグは苦笑いを浮かべる。

「中隊長殿、落ち着いてください。弾は貫通しているし、骨を砕いたわけじゃありません。命に関わることはないかと」

「そうか・・・! 立てるか?」

 ヴィクトールを安心させようとロドリグに肩を借りて立ち上がるが、打ち抜かれた足に体重が掛かった瞬間に、激痛が全身を走ったのか、叫び声をあげて腰砕けになる。

「すいません。む、無理なようです・・・!」

「この傷では戦闘は無理だ。安全な場所に後退させよう。俺とロドリグとで両側を支えれば走ることは可能か?」

 通常の戦場であれば負傷兵は身体を抱えるなり引き()るなりして戦列の後ろに後退させれば、余った手を借りて担架に乗せて安全な場所まで運ぶことなど造作もないが、大勢の敵軍の攻撃を少数の味方で押しとどめなければならない撤退戦では、そんな余裕は心理的にも人数的にも全くない。

 指揮官から一兵卒に至るまで己の身を守るだけで手一杯だ。それだけでなく戦列から人一人が欠けただけで、不安定なまま不格好に支えているこの戦線は崩壊しかねない。

 負傷者でも戦えるなら戦わなければならなかったし、負傷者に関わる人数もできる限り少なくしなければならなかった。

 ヴァランタンは苦しそうな表情ながらも、できると言いたげに首を縦に振ってみせるが、その様子を横で眺めていたロドリグはあくまでも冷静だった。

「無理でしょうね。抱えて逃げるなど敵のいい標的です。背負って運ぶしかないでしょう」

 ヴァランタンの足の状態を考えると、両脇を抱えても走ることはできないであろう。せいぜいが片足を引きずりながらの早足だ。歩くよりはもちろん早いであろうが、満足な速度が出せるわけもない。

 何よりも大の大男が三人、横に並ぶことになる。いくら命中率の悪いこの時代の鉄砲とはいえ誰かには命中する。敵の格好の的にしかならない。ヴァランタンのような大男を背負うのは重労働だが、的が小さくなるという利点がある。

 担架でもあれば別だが、殿を務める部隊は少しでも身軽に動くために余計な荷物は放棄して戦っているから、部隊中を探しても一つもない。ならば背負うのが一番良い選択肢だとロドリグは考えたのだ。

 だがヴァランタンはテレ・ホートの男らしい巨躯の持ち主である。背負って運ぶにも一苦労である。いつぞやヴィクトールがソフィーを抱えて走ったようにはいかないだろう。

 何か他に良い方策は無いかと考えこんだヴィクトールの横顔ににイアサントの苛立った声がぶつけられた。

「ヴィクトール! 何をしている!? この防衛線は放棄する! 撤退するぞ、来い!!」

 一人欠けても崩壊しそうなギリギリのところで戦い続けているのに、ヴァランタンが銃弾に倒れただけでなく、その手当にヴィクトールやロドリグまで持ち場を離れたことで、その近辺の火力が弱まった。

 しかもヴィクトールらに配慮して本来、既に退却を始めていなければならなかったところを引き延ばした結果、思った以上に敵兵に接近を許している。イアサントも余裕が無く、不機嫌になろうというものだ。

「分かりました! 今、行きます!」

 再び銃弾の雨の中を掻い潜って本陣へと戻って来たヴィクトールにイアサントは小声で耳打ちした。

「あの傷では皆と一緒に次の段まで走れない。可愛そうだが捨てて行け」

 冷酷な言葉であったが、その言葉が正言であることもまたヴェクトールには理解できた。負け戦の殿(しんがり)は尋常の戦とは違うのである。

 一人が足を引っ張るだけで、その綻びが隊全体へと広がって殿の部隊そのものが崩壊しかねない。そして殿軍が崩れ去れば、守る手段を失った軍全体は甚大な被害を受けるのである。軍全体を考えればその結論は十分に納得できる。

「まだ生きています。傷は浅手とは言えませんが、それでも捨てて行くほどの怪我ではありません。彼には命を救ってもらった借りがあります。何より部下の命を預かる士官としては放っておけません」

「何を甘いことを言う。あの足で撤退できるもんか。まさかあの男に合わせて兵を退けって言うんじゃないだろうね? このあたしに一人の兵士を救う為に、連隊全てを危険に晒せって命じさせようというのかい?」

「俺・・・いや、小官とロドリグ軍曹とで担いで走れば、何とかなります・・・して見せます! 他の者の手を(わずら)わせはしませんので、彼の元に戻る許可をいただけませんか!?」

「・・・・・・」

「連隊長、お願いいたします!」

「・・・・・・勝手にしな!」

 頭を下げて動かないヴィクトールにしびれを切らし、イアサントは投げやりに許可を与えた。これ以上、時間を浪費する余裕はイアサントには無かったのだ。

「おい! 撤退の命令を出せ! 次の段まで走るぞ!!」

 顔を(そむ)けて不機嫌そうに他の士官たちに撤退命令を出したイアサントの背中にヴィクトールは頭を下げた。

「ありがとうございます!!」

 ヴィクトールは再度銃弾の雨の中に駆け出して行くだけでいいが、勝手をされたことで上役たるイアサントには様々な面倒事が降りかかって来る。

「そこ! 連携が取れてないッ!! 一人が後退する間は他の者は射撃して援護する! 一斉に退こうとするんじゃない、基本だぞ!! ああ、もう! ヴィクトールのやつが指揮をしないから、あいつの中隊が滅茶苦茶じゃないか! どこまでも祟らせる!!」

 ロドリグと一緒にヴァランタンを運ぼうとするだけでなく、ヴィクトールはもちろん自身の中隊の指揮も行っていたのだが、やはりこの切迫した状況下では手抜かりがどこかに出てくる。

 敵はその隙を見逃さず詰め寄ろうとするが、イアサントは左右の部隊に命じて射撃を行い牽制させ、足を止める。だがその手間の分だけ時間が費やされ、撤退の危険度はいや増すのである。

「姐さん」

「なんだ!?」

「この際、ヴィクトールからピエール大尉に指揮権を戻しては? 奴にはまだ早すぎたんですよ!」

 イアサントは一瞬、後方へと目を向け、考え込む仕草を見せたが、頭を軽く振って副官のその言葉を却下した。

「ピエールは後段で指揮を取ってもらっている。離れたあの部隊の指揮権を渡してもどうしようもないだろう」

「でしたら一時的に誰かを代わりに指揮官に任命しては? 何なら私がやりますが」

「いや、お前にはあたしの副官として補佐する仕事がある。連隊全体を見回す重大な任務だ。四十人程度の兵を指揮するためだけに今、お前を手放すわけにはいかないな」

「光栄であります」

「・・・それにヴィクトールの行動は理解できないこともない。部下から信頼を得ていない新任の中隊長なら、その部下たちの心を掴む為の派手なパフォーマンスが必要だ。しかたがない面もある」

「そうですが・・・しかし何も今、こんな時にやらなくてもいいでしょう」

「どんな時であろうとも自分が今、何を為すべきか気付くこと、そしてどんな状況下でもやり遂げる意志こそが士官には何より求められることだ。ヴィクトールの選択は間違いじゃない。だがそれはそれとして、あたしに迷惑をかけたことも事実。後で尻をひっ叩いてやる!!」

「はぁ・・・」

 口汚く罵りながらも、イアサントはヴィクトールの中隊がもたらした綻びを丁寧に繕いながら後退するという優れた手腕を示した。

 二キロに渡って長時間の撤退戦を戦い抜き、無事に本隊を戦場から安全な位置にまで後退させる。ようやく戦う必要のなくなった殿軍の両連隊は一斉に算を乱して潰走し、撤退を開始した。

 だがその代償は高くついた。イアサントの連隊は一割もの死傷者を出したし、第三十七戦列歩兵連隊に至っては三割もの死傷者を出して部隊は崩壊寸前になり、死者だけでなく重傷者も戦場に遺棄して後退するはめになった。

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