第六十七話 陥落
正式に召集がかかれば代理という余分な文字がついていても中隊長としての仕事がヴィクトールを待ち受けている。
ヴィクトールは定められた時間までに所定の位置に、中隊全ての人員を完全装備させた状態で並ばせなければならない。
前線から帰還し、待機を命じられた兵士たちは、古びた兵舎で同僚相手に賭け事をしたり、酒保で酒をかっくらっては酒場女の尻を触って殴られるなど、思い思いの場所で羽を伸ばしている。散らばった彼らを探し出して連れくるのだ。
といっても戦が続いて臨戦態勢のラインラントのことである。どれだけ泥酔していようともひとたび召集のラッパが響き渡ればすぐさま戦士へと変貌する。それに伍長や曹長といった下士官たちも首に縄を連れて引っ張ってきてくれる。
集合の場に遅れてきたのは、むしろヴィクトールの方だった。
ヴィクトールの指揮下に組み入れられた部隊はヴィクトールが旗手として最初に配属された部隊ではなく、メイジェーの戦いで他の部隊と切り離され、共に敵中突破を図ることになった兵が属していた、もう一つの方の部隊であった。
両部隊共に火薬の爆発の混乱の中、戦場をてんでバラバラに敗走する形で撤退したため、帰還できなかった兵も多かったのだが、ヴィクトールが受け持つことになった部隊のほうが被害は大きかった。
しかも兵の補充や部隊の再編をしている時間は与えられなかったため、定数を大きく割り込んで僅か四十人強でしかない。
戦列も満足に組めないから戦力として計算に入れづらく、だからこそヴィクトール如きに預けようと言った気になったのかもしれない。
ピエールの代わりに中尉の役割を果たしていた曹長が戦死したため、部隊の中で先任の軍曹であるロドリグがヴィクトールを補佐する形を取ることとなった。ガスティネルの兄で、メイジェーの戦いの敗走中に武器を突き付けた兵士たちをぶちのめして、ヴィクトールを救ってくれた、あのロドリグである。
聞けば歴戦の勇士とのことであるし、その巨体も兵士たちに睨みを利かすには十分であろう。
ガスティネルをぶん殴っただけのヴィクトールにどういうわけか借りがあると言って好意的な態度を見せているし、頼もしい副官になってくれることだろう。
兵や将官の質は悪いが、軍隊としてはフランシアにおいて最精鋭と言われるラインラント駐留軍である。
速やかに出立態勢を整え終わり、メグレー将軍の指揮の下、モゼル・ル・デュック城から順次、進発を開始する。
順番が近づいてきたのでヴィクトールが部隊を動かそうと身構えていると横合いから女の声が投げかけられた。
「おい! ヴィクトール!!」
「はい。なんでしょうか連隊長殿!」
「動くのは後にしろ! お前の中隊は先の戦いで甚大な被害を受けている。本営の後ろにつけ。今回の戦では予備兵力として働いてもらうぞ。お前も本営であたしの側にいるんだ」
「・・・え? え、ええ!?」
ヴィクトールのその態度が不満なのかイアサントは片眉を上げると、肩に手をかけヴィクトールの身体を引き寄せた。
「ん? なんだその顔は? 不満か? いきなり実戦の指揮では戸惑うことも多いだろうと思っての親心だぞ? 足らないところはあたしが補ってやろうというんだ。ありがたく思いな。どうせ予備兵力だ、気楽にな。戦場に投入される機会はないだろうしな」
イアサントは姉と母との間くらいの年頃であるから、年若いヴィクトールにしてみれば恋愛感情を抱く対象では正直言ってない。
だが身体を近づけられると女っ気の少ないラインラントということもあって否が応でもイアサントの女である部分を感じてしまうのだが、彼女は上司であるといった思いもあって反応に戸惑いが混じる。
どこかが嫌いといったことは無いとはいえ、イアサントになんとなく苦手なものを感じているヴィクトールはいろいろな意味で気圧されてしまった。
「はい! わかりました!!」
ブルグント軍はメイジェー周辺の新たに手に入れた支配域ではなく、その前に手に入れたコブ状に出っ張った膨張部周辺にて攻勢をかけてきた。
「北に南にと移動して忙しいことだ」
確かにその攻撃がフランシアの意表を突いたことは確かだが、これだけ短期間に長距離の移動を行うことは兵に負担をかける。
なんども言うようだがラインラントは急峻な地形なのである。軍用道路があると言っても舗装されていない山道だ。そんな道を数十キロもの背嚢を背負った兵を、敵に察知されないうちに高速展開させれば戦場で使い物にならなくなる。先の戦の疲れも満足に取れてないであろうに。メグレーとしてはその考えは理解できない。
「将軍の気まぐれに付き合わされる兵士たちも気の毒なことですな」
「敵はこの不安定な突出部に危機感を覚え、先制攻撃をかけて支配域を広げて安定させようと考えたな」
「ブルグント本国からの主補給線もこの地域を通ってます。この近辺の前線に厚みを持たせておかないと後々苦しい。今更という気もしますが、理には適っています」
「だが決行するには少し遅すぎた。我が方は既に防衛態勢を整えている。我が兵士たちの奮闘もあって敵将お得意の奇襲は成功したとは言い難い。我らとしてはこの敵の攻撃を奇貨として生かし、防衛戦後に息切れした敵を追撃し、潰滅させる。失地を回復させる好機である」
メグレーの言う通り、メイジェーで敗れたとはいえ総兵力ではまだフランシアに分があるし、フランシア側には長年に渡って構築してきた陣地があることを考えると反転攻勢の可能性は低くは無い。
メグレーの考えはすぐさま全ての連隊長に伝えられた。
「というわけさ。まずは防衛戦を行うことになる。何、敵は全力で奇襲をかけたのに打ち破れなかった。悪地を敵に譲り渡す格好で兵を退いて防衛線を敷き直したことが生きたのさ。うちの親父殿は流石に目の付け所が違う」
ここ二戦、敵に先手を取られて、そのまま鼻面をひっぱりまわされた形の負け戦ばかりだっただろうか、イアサントは主導権を取れたことに、もう勝ったとばかりに上機嫌だった。
モゼル・ル・デュック城の主力軍が現地に到着するまで前線の兵士たちは持ちこたえた。
前線まで森林山岳地帯を切り開かれた軍用道路は狭くて一度に大軍勢を投入できないが、到着した兵によってあっけなく戦場の攻守は入れ替わった。
敵の疲労を待って攻勢をかけるという当初の目論見とは異なることになるが、流れに任せて勢いのままに敵を撃つのも戦いの常道である。
メグレーは間髪入れずに攻撃に移ることを決意し、全軍に通達する。
「この間の借りを返させてもらうぞ」
想像していたよりも敵の攻撃は小規模で、これまでの鬱憤を晴らそうと兵士たちは奮い立ったが、その前に自然が立ちふさがった。
「敵もよりによってこんな場所を攻撃地点に選ぶとは」
攻撃の主導権はフランシアが握ったが、立ち並ぶ木々が障害物となって戦列を上手く前進できない。木の根や積み重なった腐葉土が兵士の足をすくい、低木が前途を塞いだ。
幹が銃弾を受け止め、枝葉が銃弾を曲げる。火力を集中させることができない。
守りやすいが攻めにくい地形。それが前線の兵士たちが奇襲を受けても守り切ることができた要因であったが、防衛から攻勢に変わった今、逆にフランシアの足枷となる。
だが時間を費やすものの、じわりじわりと兵を左右に広げ、火力を密集させることで一歩一歩前へと歩を進めつつあった。
「押し返されております! 打って出た部隊が交戦開始時の位置にまで下がるのは時間の問題かと!!」
苦戦、撤退、援兵を求める伝令が次々と舞い込み、ブルグント側の本営は混乱の巷と化していた。
だがそんな状況下でもブルグント側の指揮を執るボードゥアン将軍は冷静沈着な表情を崩してはいなかった。
「よし、計画通りだ」
一時的な優位を示したものの、攻撃はつまるところ失敗に終わり、戦場は全局面で劣勢だというのにボードゥアンはそう言い放つ余裕さえ見せた。
対して彼の副官はこの激しい攻勢を支えきれるだけの自身が無いのか、ボードゥアンの顔色を窺うように不安げな口ぶりで尋ねる。
「ですが計画通りに事が運んでいるにしても、このままでは全てが終わった時には我が軍は全滅していると言ったこともありえますが、大丈夫でしょうか?」
「だからこそ、わざわざこんな場所を選んで攻勢をかけたのだ。敵の反撃を我々だけで支えきれる場所をな」
「攻撃を開始してから、まもなく半日です。兵たちもすっかりくたびれ果てています。敵の攻撃を食い止められなくなるのも時間の問題です」
副官の言う通り、連戦の上、防戦一方となったのに援兵が送られて来ないことに兵たちは気落ちし、足取りは重い。
士官や下士官がどれだけケツを叩こうとも、戦う気力が無くなってしまっては兵は動かないのだ。だから士官の危惧はもっともなことである。
しかしボードゥアンはその危険性に思い当らないかのように楽観的な明るい声を上げた。
「防衛戦はまもなく終わるさ。そろそろ本隊の動きが敵軍にも知られる頃だ。準備しておけ」
そう、ガヤエではなくボードゥアンが主将となっていることから理解できるように、ここにいるブルグント軍はブルグントの主力部隊では無かった。
ボードゥアン旗下の部隊と周辺の部隊から無理を言ってかき集めた三千ほどの兵でしかなかった。その寡兵が万を超える主力部隊であるかのようにフランシア軍が錯覚したのは、ラインラントという見通しのきかない丘陵山岳地帯の険しい地形が正確な数を把握させなかったことと、これまでブルグントの主将であるガヤエは攻勢に出る時、常に大兵力を持って一気に前線を突破してきたということが理由である。
一度ならずとも二度も痛い目に遭わされた経験が、今度も同じ手を使うのではないかとメグレー将軍をはじめとしたフランシアの将軍たちの目を眩ませたのである。
ガヤエ将軍率いる主力部隊は戦闘で受けた傷を癒すために一旦、メイジェーの地から退いたようにワザと大々的に後退して見せた。
その後、ボードゥアン将軍の配下の兵だけ分離して南下させ、周辺の防衛線から危険を承知で兵を割いて集めて攻勢をかけさせたのだ。
その動きにメグレー将軍が反応して主力部隊を出動させたのを確認したと同時に向きを反転させ、メイジェーの地へと逆戻りをし、急遽、構築されたばかりのフランシアの防衛線を突破しモゼル・ル・デュック城へと強襲をかけたのである。
ガヤエ将軍は最初の一撃で防衛線を容易く突破すると、周辺の部隊を一切相手をせずに、そのままの勢いでフランシアの軍用道路を駆け上った。
急報を告げる伝令の使者を追いかける形で兵を急がせたため、城塞に残された守備兵は不意を突かれることとなった。
モゼル・ル・デュック城はフランシアのラインラント防衛の要であり、堅牢な要塞であるが、ガヤエ将軍への雪辱を期してメグレー将軍がほとんどの兵を連れて行ったために、城に残された兵は寡兵で、馬丁から事務員まで駆り出されて防衛するも極度の苦戦に陥った。
それでもモゼル・ル・デュック城は天下の堅城である。城攻めには防衛の数倍の兵力がいることからもしばらくは持ちこたえるだろう、メグレー将軍が戻ってくるまで持ちこたえればいいと守備側は誰もが楽観視していた。
主力部隊が戻って来さえすれば、兵数で劣るブルグント軍は城攻めに失敗するしかない。
だがそれくらいガヤエも十分、了承済みだった。ガヤエには短期間でこの堅城を落とす自信があった。
ガヤエは布陣もそこそこに門前に持ってきた大砲を全て並べたのだ。
そう、ガヤエがラインラント用に特注した例の大砲を一門残らず全てこちら側に持って来ていたのだ。野戦で威力を発揮はしたが、本来は攻城戦用に用意したのだから当然ともいえる選択である。
だがそれはブルグント側から見た当然だ。フランシア側はいくら地形が急峻な場所であったからといっても、メイジェーの戦いであれほど破壊力を発揮した大砲がどこにも見えないことにこそ注意を払うべきだったのだ。そうすればボードゥアン隊が囮に過ぎないと看破できたのかもしれない。
だがメグレー将軍をはじめとしたフランシア軍首脳部は誰一人として、そのことに気を払ったものはいなかった。まだまだ大砲の重要性を完全に認識していなかったからかもしれない。
もちろんヴィクトールも、であるが。
だが大砲について健忘していたことはフランシア軍にとって実に高くつくことになった。
軍用道路はモゼル・ル・デュック城を中心にして放射状に延びていたために、メイジェーの地にて防衛線が破られたという知らせは一旦、モゼル・ル・デュック城を経由して、メグレー将軍が兵を進めた出っ張り部へと行かねばならない。最短距離を通らず『Vの字』の形で連絡することになるので余計に時間がかかるのだ。
メグレー将軍に敵襲を知らせようと伝令が汗水たらして走っている間に、防衛体制が整わず、鈍重な門が閉まりきる前に大砲で一斉に砲撃を行い、門扉を破壊した。
その結果として城壁という敵味方を遮る障害物を失って、有利不利が減ったところに被害を顧みずに我攻めを行い、兵力の彼此の差を利用してガヤエは一気に勝負を決めたのだ。
五十年戦争でも敵兵に一歩も足を踏み入れさせなかったモゼル・ル・デュック城はここにあっけなく陥落したのである。
ボードゥアン相手に優位に戦闘を進めていたメグレー将軍にまず、防衛線が敵の大軍に突破されたという知らせが届いた。
自身が敵の主力部隊と交戦しているとばかりに思ったメグレーは一瞬、唖然として我を失った。
だが直ぐに自我を取り戻し、目の前の敵が単なる陽動の別働隊で、自分が愚かにも囮に引っかかったということに気が付き、臍を噛む。
「・・・! 敵の目的はモゼル・ル・デュック城から我々を離すことか・・・!!」
自分をまんまと引っかけてくれた目の前の憎むべき敵を踏み潰すのは容易いが、それでは敵の思惑に完全に乗ってしまうことになる。
「軍を反転させよ! 殿は第三十四、第三十七戦列歩兵連隊に命じる! 困難な戦になるぞ!!」
モゼル・ル・デュック城を失うということは帰るところを無くすといった単純な話ではなく、ラインラント西域ににらみを利かす戦略拠点を敵に与え、多数の軍事物資を譲り渡すことに他ならない。敵味方双方に与える心理的影響も計り知れないものがあるだろう。ここは一刻も早くモゼル・ル・デュック城へと取って返して敵を撃退することだとメグレー将軍は判断した。
だが攻撃を続けながらも連隊長を集めて撤退の段取りを整えるメグレーの下に、モゼル・ル・デュック城へ敵が攻め寄せたという知らせ、そしてモゼル・ル・デュック城が陥落したという知らせが早馬でもたらされた。
最後の知らせを聞いたフランシア全軍は浮足立った。




