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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第六十六話 中隊長代理

 ヴィクトールはモゼル・ル・デュック城の中枢、高級士官の部屋が立ち並ぶ一角のある扉の前に立っていた。

「ヴィクトール少尉、お呼びに従って参上いたしました」

 ヴィクトールが扉を軽くノックすると中から甲高い、それでいて鷹揚(おうよう)な女の声が響いた。

「入れ」

「失礼します」

 そう言ってヴィクトールが頭を下げつつ扉を開けると、まずは大きくていかにも頑丈そうで実用的だが、代わりに優雅さや美しさと言ったものをどこかに置き忘れてきたかのような年代物の汚い机が、次いで椅子の上で行儀悪く片足を組んだ士官服を着た女が目に入った。

 イアサント連隊長が靴の裏にこびりついた泥を豪快にナイフを使って削り落としているところだった。

 その横手には白髪交じりのうだつのあがらなそうな顔の中年の男、すなわち上司のピエール中隊長が直立不動の姿勢で立っていた。

「辞令だ。受け取れ」

 イアサントは申し訳程度に顔を持ち上げてヴィクトールに目線をくれると、机の上に一通の書類を投げ出して再び靴に視線を戻して泥を落とす。

 どうやらヴィクトールにそれを読めと言うことらしい。ヴィクトールはその紙を手に取ると手元に引き寄せて、素早く目を通す。

「中隊長の任命書・・・? 俺・・・いや、小官がですか!? 小官では荷が重いと思われますが・・・」

「なんだ、その返事は? 自信が無いか? 先の戦いではあのような切迫した状況下で兵士どもを見事に統率してあれだけの働きを見せたじゃないか。それとも謙遜か?」

 任官してまもなくの、ようやく中隊所属の兵士の顔を覚えたような新任の少尉が、いかに士官不足の折であるとはいえ、百人近い部下を預かる大任を任されるのは異例中の異例と言える。

 中隊長というものは自身の命だけでなく、その百人の命をも預からなければならないし、場合によっては一回りも二回りも年嵩の、長年戦場渡会を続けてきた荒くれ者どもが起こす数々の揉め事を治めなければならない極めて難しい仕事だ。

 だがヴィクトールが中隊長の任を断ったのはイアサントの言うように自信が無いわけでも謙遜というわけでも無かった。

「指揮下の部隊をひとつ、小官のような若造に譲ることになるピエール隊長がお気を悪くされるのでは?」

 ピエールは良い上司で、性格もどこにでもいそうな普通の気のいいおっさんであるが、三つの部隊を預かるという重責を担っていたのに、それを取り上げられるのは正直良い気がしないのではないだろうか。

 しかも手柄を立てた叩き上げの武人ならともかくも、士官学校を満足に出てもいない若造に取り上げられるのは屈辱を感じてもおかしくない。

 だが、「気にするな。俺は気苦労が一つ減ることになるからむしろ大歓迎だ」と、満面の笑みを浮かべるピエールをイアサントは顎で指し示す。

「と言っているぞ」

「しかし中隊長は普通、大尉をもってそれに充当するものでは? いくら人手不足の折とはいえ少尉がその任を果たすのは前例がないことです。しかも小官は少尉に準じる扱いとはいえ、正式には少尉ではありません。正規の手続きを経て士官学校を出たわけでは無く、古株の兵士たちが命令に服さない危険性があります。軍令部もその規律違反にいい顔をしないでしょう」

 そう、ヴィクトールは将来の出世の為に軍令部に(にら)まれたくなかったのだ。

 なにしろ士官学校で騒ぎを起こしていたし、その結果として宮中の実力者ダルリアダ公爵家の令嬢にまるで仇のように憎まれている。

 既に十分に将来の出世に影響が出るレベルであった。これ以上の面倒事は御免であるというのが本心だ。

 それにヴィクトールは正式に少尉としてラインラント駐留軍に配属されたわけでは無い。これはあくまで士官学校に籍を置いたままの臨時の処置である。

 士官学校に戻るにしろ戻れないにしろ、いずれ正式な形で少尉に任じられてキャリアを再スタートさせることになる。

 今、ここラインラント駐留軍で臨時の措置として中隊長を務めあげても、それは正式なキャリアとしては認められない。また一から出直しだ。

 中隊長をしようが大隊長をしようが、あるいは極論を言えば方面軍司令官をしようが一切お構いなしに再び一介の少尉から始めることになるのだ。

 ならばラインラント駐留軍という荒くれかつ厄介者の集団を纏めていくという気苦労の多いうんざりする仕事にやる気が出ないのも仕方がないであろう。なにしろ無給なのだ。全く冗談ではないとヴィクトールが考えたとしても無理のない話だった。

 だがヴィクトールの立場に立って考えれば当然のことでも、イアサントの立場に立って考えればまた別の結論が出るのである。

「部下は上官の年齢や士官学校の出かどうかなど気にしないさ。少しでも生き延びられる確率が高い、有能な上官の下で働きたがるものだ。戦死したらその日以降の給料は貰えないからな。お前は中隊の兵たちに十分すぎるほど実績を見せた。文句などどこからも出やしないさ。軍令部のことが不安か? なに、今は戦時だ。非常の時だぞ。それに中隊長ではなく、正式には中隊長代理。戦地における臨時措置だ。軍令部なんぞにとやかく言わせやしないさ。それにな、お前の行動は軍令違反だったが活躍は活躍だ。戦場における着眼点、部隊の士気ぶりには見るべきところがある。それを死蔵しておけるほど今のラインラント駐留軍には余裕があるわけじゃない」

「しかし・・・」

 ヴィクトールはあくまでもその辞令を固辞したかったが、それ以上の抵抗はできなかった。

「どうしても、あたしの言うことが聞けないっていうのかぁ~? この小僧、可愛くないっ!!」

 イアサントはヴィクトールの頭を右腕で抱え込むと左拳をぐりぐりと頭頂部に押し当てた。

「いたたたたたたたた! 連隊長殿、やめてください!」

 結局、押し切られる形でヴィクトールは中隊長の役目を受けざるを得なくなった。

 そもそも軍属である以上、ヴィクトールにはイアサントが下した軍令を拒否する方策などどこにもないのである。

 臨時措置として身分を中尉待遇に相当するというイアサント連隊長からありがたい仰せをいただいたが、それで給料が貰えるわけでも無く、ヴィクトールとしては有難迷惑でしかなかった。


 ヴィクトールが火薬を爆発させたことでもたらされた混乱のせいで、メイジェーの戦いにおいてブルグント軍は勝ち戦にもかかわらず何よりも重要な追撃戦が行えなかった。

 敵軍に潰滅的なダメージを与えて決定的な勝利を掴めなかっただけではなく、前線の一部を突破して敵地深くに入り込んだガヤエ将軍の主力部隊は敵中に孤立することになる。

 ブルグント側からするとすみやかに後方に位置する敵兵を駆逐し、補給線を繋ぎ直し、新たな戦線を形成して軍全体に有機的な繋がりを蘇らせなければいけない。

 敗れた方のフランシア側とて分断され、複雑に入り組んだ形となった部隊配置を考えれば、部隊を動かして防衛できる形に戦線を整えなければいけないのは同じである。

 次の攻勢あるいは防衛に備えて、互いに少しでも良い形で布陣しようと動きを見せ、結果として散発的に小規模な戦闘があちこちで行われることとなった。

 両軍の力学的バランスが安定するまでは、しばらくはこういった小競り合いがあちこちで行われるものとばかりに誰しもが思った。

「そこに油断が生じる」

 ガヤエはラインラントの地図を前にして居並ぶ将軍たちに自信満々にそう切り出した。だが彼らはその言葉の意味を量りかねて戸惑った。

 そもそも散発的に起こる戦闘、それに伴う兵力の移動など、前線は未だに予断の許されない混沌の中にいるのである。

 そんな中でガヤエが自分たちをわざわざ呼び戻したことにブルグントの将軍たちは顔を見合わせ困惑の表情を浮かべるばかりである。

 前線に将軍がいなければ軍は中隊単位で目の前の事態に対処せねばならなくなる。繋がりを失った部隊は効果的に戦闘が行えず、劣勢に立たされる。それではどういうことになるか結果は目に見えている。

 だがガヤエは「目の前の小さな勝利などフランシアにいくらでもくれてやれ。我々はもっと大きな勝利を掴むんだ」と、将軍たちのその不安など、まったく意にも介さない。

「大きな勝利? 再び敵に攻勢をかけようというのですか? このタイミングで!?」

「敵は即応体制を整えていますよ?」

 将軍たちは勝ち戦で気持ちに一区切りを付けたばかりで、ガヤエの考えに賛同する姿勢は見られなかった。

 小競り合いが続いているということは軽度とはいえ前線は戦闘状態にあるということである。戦闘が長期化、大規模化した時に備えて後詰として予備兵力を用意しているに違いないのだ。

 先の戦で敵側が崩れたったすぐ後ならともかくも、今から攻勢をかけても直ぐに対応されるのが目に見えるというのが将軍たちの考えであった。

「小競り合いのな。前線は位置取りを巡っての陣取り合戦だ。長大な前線に対する即応体制であり、その兵力は広く薄く分布している。しかも主力部隊はモゼル・ル・デュック城へと帰還し、前線に駆けつけるのには時間がかかる。(ひるがえ)るに我が方は本隊がこのようにまだ前線近くに位置する。この状況を有効活用しなくてよいものであろうか!? 防衛態勢を整える気なら、敵に付き合って小競り合いに終始するのもいいだろう。だが続けて勝利をものにした、攻勢をしかけるべき我が軍がとるべき方策では無い!」

 ガヤエは若く実績のない将軍で、着任した時には枢機卿にケツを差し出して司令官の地位を手に入れたと揶揄(やゆ)されて(あなど)られていたが、長年、膠着状態にあったラインラントの状況を前例のない戦術で一変させたことで他の将軍たちからも一目置かれることとなった。今や尊敬と崇拝の対象でもある。

 そのガヤエの剣幕にブルグントの将軍たちは一瞬押し黙るが、やがてボードゥアンがおずおずと遠慮がちに意見を述べた。

「なるほど、理に適っています。ですがあえて言わせていただきたい。ラインラントはこのように険しい地形が連なった高地地帯。大軍で攻めても少数の兵で守りきることは可能です。突破に時間を費やせば敵主力部隊もやがて駆けつけ、我が方の兵力差による優勢さは失われてしまいます。何より先の戦いで我が方の兵は疲れております。その上、攻め疲れたところに敵の新手に攻めかかられては崩れるのは必至。今は兵を休めるべき時だと愚考いたします」

「敵の脆弱点を狙えば突破するのは難しい話ではない」

「確かに僅かな平野や下り坂など我が方が優勢に攻撃を押し進められる箇所は無いわけではありませんが、そのような場所は得るのも容易いが失うのも容易い場所です。確保しても戦略的に意義があるかどうか」

「その場所に戦略的に意義があるかどうかではなく、我々の手で意義を持たせるのだ」

「どのようにして意義を持たせるおつもりで? 我々にもご教授していただけないものでしょうか?」

「卿らには私のこれまでの二回の勝利を思い出してもらおうか」

「二度とも見事な用兵で敵を打ち破っております。我々一同、将軍の采配に感服しております」

「私はどのようにして敵を打ち破った?」

「縦深突撃を実施して敵の防衛線の一角を突破し、直ちに敵の側面と背後に戦力を展開して包囲を完成させ勝利を得る。あるいは敵が敷設した戦線を実質的に無力化するという手法でしたな」

「そうだ。要は敵兵力を分断し孤立させ、その一部を撃破する。それがこの私の基本的な戦術だ。今回もそれと同じ形を取る」

 自信満々にガヤエはそう言い放つが、将軍たちは戸惑いの色をますます深めただけだった。

 確かに敵主力に対して味方主力をぶつける、戦線を前進させて土地を占拠し確保するといった、それまでの概念と全く異なった観点から実行された、この二つのガヤエの戦術は素晴らしいものであったが、さすがに二度も敵に手の内を(さら)したからには、当然、敵もそれを頭の片隅に置いて戦略を練るに違いない。

 これまでのように無条件に敵がこちらの手の内で踊ってくれるとは思えなかった。敵将も馬鹿ではないのである。

 将軍たちは皆、眉を(ひそ)めて口を横に真一文字に結んだ。

 それを見たガヤエはさすがに大っぴらに表情では感情を表さなかったが、将軍たちのその様子がよほどおかしかったのか目に仄かな笑いを浮かべていた。


 モゼル・ル・デュック城に駆け込んた早馬は、ブルグント軍が再び大規模な攻勢をかけてきたとの知らせをもたらした。

 奇襲を受け、満足な迎撃態勢も整わぬまま戦闘を開始するという最悪の展開だったが、前線の部隊は奮闘し、後退しつつも最終的な崩壊をなんとか防いでいるらしい。

 とはいえ敵の攻撃は大規模なもので、いつまで支えきれるかは未知数だ。

「敵将軍のこれまでの戦い方を見ると、防衛線の手薄なところを狙って攻撃して突破し、モゼル・ル・デュック城の本隊と前線の部隊とを分断し、片方を撃破するという戦い方をしております。前線を突破されなかったことは幸いでしたが、放置しておいては危険です。至急、前線を支えるために援軍を送るべきではないでしょうか」

 中尉待遇の中隊長代理には僭越であるかとは思ったが、ヴィクトールはイアサントに会って、そう忠告した。

 だがそれは杞憂(きゆう)であったらしい。

「うちの親父殿はそれくらい見抜いているさ。小僧の出る幕じゃないぞ」

 とニヤリと笑って見せたイアサントは平時のラフな恰好を改め、軍服に着替えているところだった。

 ズボンを半脱ぎに椅子に立てた右足に引っかけたまま、上着のボタンを外しているところで、下着がブラウスの隙間から顔を覗かせる実にきわどい恰好なのだが、ヴィクトールを全く気にした素振りを見せないのは、長年の戦場往来で女というものを捨て去ってしまったのか、あるいはヴィクトールを一人前の男として認識していないからだろうか。

 そして例の汚い机の上には背嚢があり、開いた口からは軍刀やコンパス、地図や水筒などが乱雑に顔を(のぞ)かせていた。

 つまり誰に告げられるまでも無く出動の準備を行っていたのだ。ヴィクトールに言われるまでもなくイアサントも同じ結論に達していたのである。

 両者に違いがあるとするならばヴィクトールが上官たちが自分と同じ考えに至らないかもしれないと思ったのに対して、イアサントはそうではない。

 すなわち、メグレー将軍が自分と同じ結論に達するであろうと考えたイアサントと違ってヴィクトールはイアサントもメグレー将軍も半ば信用していなかったということだ。

 どちらが正しかったのかはすぐさま分かった。メグレー将軍は救援に向かうために、全軍に緊急招集をかけたからだ。

 モゼル・ル・デュック城はたちまち蜂の巣を突いたような喧騒に包まれた。

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