第六十話 殺すべきか殺さざるべきか
「褒美をくれるか・・・悪くないな」
その大男は無精髭の生えた顎を手で撫でて、まんざらでもなさそうな顔を作った。
「だろ? 仲間になるか?」
彼らは三対一で、しかも相手が丸腰ならば楽勝だろうと考え、隙を見て襲い掛かったのに、ヴィクトールの反撃にあって、面喰っていた。
彼らの甘い考えでは、三対一で銃を突きつければ士官学校出立ての年若い少尉などは震えあがり、無抵抗なまま、何の抵抗もなく始末できるはずだった。なのに、このヴィクトールという男は三対一という状況でも怯えもしないし、銃口を突き付けられても泣いて命乞いをしたりはしない。
むしろ劣勢に追いやられたのは襲い掛かった彼らの方である。どうやらこの少尉が身体能力に人並み外れて秀でているということに彼らもようやく気付いた。
だがこの大男たちが加勢してくれるならば形勢は再び逆転する、と彼らは考えた。大男たちは見るからに他者を威圧する巨体の持ち主であったし、テレ・ホートの男たちの勇猛果敢さは広く知れ渡るところだ。
半分は好意、もう半分は打算から差し出されたその手を大男は振り払った。
「お断りだね」
「なんだと!」
「テレ・ホートの男は他のフランシア人が言うように確かに粗野で野蛮かもしれん。何かあれば腕力で解決するのが普通だしな。だが恥というものは知っている。立身出世や利益の為に何の恨みもない、同じ釜の飯を喰らう仲間を殺すなんて非道な真似はしやしないのさ」
「こいつ! 人を喰ったようなことを言う! これが見えないのか!!」
その瞬間、マスケット銃の銃口がヴィクトールから外れた。これはまたとないチャンスであるように思えた。
膝下に組み敷いている男が持っている銃は先程放たれて、中は空になっている。残りの二人のどちらかに飛びかかり、組み合っている最中に暴発を誘えばヴィクトールのこの危機的状況は格段に改善される。
もちろん、その間に膝下から解放された男が再装填を行わなければという但し書きが付くが。だがその危険性はおそらく低いだろう。
ヴィクトールに襲い掛かった三人組は当初の目論見を外されて逆上しているだろう。それに一旦、近接戦闘に持ち込まれたことで意識がそちらへと引き込まれ、遠距離の飛び道具であるマスケット銃を使うという選択肢を脳が選びにくくなっている。近距離に敵がいるのに弾を込めるという無防備な姿を晒そうとはなかなか思わないであろう。
この男たちのヴィクトールに対する殺意は明白だ。どうせ助からない身ならばあがいてみることだ。無抵抗で撃たれるよりはよっぽどいい。
ヴィクトールは大きく呼吸をして男たちに飛びかかるのに相応しいタイミングを待った。
だがその必要は無かった。
「───ぐえっ!!!!!!!」
ヴィクトールと膝下に組み敷かれた仲間、そして目の前の二人のテレ・ホートの大男たちへと、完全に注意が前面に向いていた残り二人のマスケット銃の男たちに、後方から新たに表れた、これまた大柄な男たちが体当たりをして地面に抑えつけたのだ。
不意を突かれたことや体格の差もあるが、男たちは抵抗するも難なく制圧される。その過程で地面に放り出されたマスケット銃をガスティネルの兄だと名乗った男が拾い上げ回収した。
「悪いな。最初から取引をする気はなかったのさ。ただこいつらがお前らの背後に回り込む時間を稼ぎたかったんだ」
抑え込まれた男たちは罵詈雑言を吐くが、百キロ近い大男たちが情け容赦なく体重を掛け、肺腑から酸素を無理やり押し出し、体力を削るとやがて観念したのか大人しくなった。
「危機一髪だったな、少尉」
膝下に組み敷いた男も両手をマスケット銃から放し、抵抗を諦めた。その様子を確認したから、自らに向けて差し出されたその大きな手を掴んでヴィクトールは立ちあがった。
「・・・どうして俺を助けた?」
「言っただろう? 弟が世話になったから礼をしなくてはならぬ、と。士官学校にいるガスティネルが今度、恩人がラインラントに行くからくれぐれもよろしく頼むと下手な字で手紙を送ってきてな。可愛い弟の頼みだ。引き受けたってわけさ」
ガスティネルの兄はいかつい外貌とは正反対の、人懐こい、敵意の無い笑みを浮かべた。極限状態から解放されたことを表すようないい笑みだった。とはいえ美人に微笑まれるほうがずっとよかったが。
「あの物言いではどう考えても弟が殴られたことに対するお礼参りを兄がしにきたとしか考えられないぞ」
「勘違いさせたか。悪かったな。どうもテレ・ホートの物言いは荒っぽくていけねぇな」
まったくである。ヴィクトールは敵が増えたと思い、胃がきりきりと痛くなったというのに。
「助けてくれたことに感謝する。ありがとう。俺はヴィクトールだ」
ヴィクトールとロドリグは固く握手を交わした。
「知っている。俺はロドリグだ。俺と一緒にこのクソ野郎どもの注意を逸らしたのがヴァランタン、そっちのがヨアンにユーリ。皆、テレ・ホートの出身だ。少尉の話を聞いて興味を持ってな。そんな男の為なら身体を張ってもいいと手伝ってくれたんだ」
「そいつはどうも」
「よろしく。あのガス公をのしたんですってね。たいしたもんだ」
「よろしく」
「よろしくな」
男たちはヴィクトールと次々に握手を交わす。彼らにしてみればそれが普通なのかもしれないが、いずれも掴んだ手は物凄い力握力で、ヴィクトールは右手が少し痺れた。
「だが礼なんていらねえ。テレ・ホートの男は恩義に厚いのさ」
「とはいえ命を助けてもらうほどのことをした覚えは俺にはないな」
「したさ。少尉が退学・・・いや、放校処分になった時、処分を自分に止めて、ガスティネルらテレ・ホートの者に余波が及ばないようにしたじゃないか。ターバート伯爵夫人に唆されたとはいえ、弟をはじめとしたテレ・ホートの者たちが関わることで事件が大きくなったということは事実だ。少尉が学校を追い出されて、ラインラントに来なければならなくなった原因は俺たちラインラントの者にもある。さすがに誘拐を実行した連中は退学となったが、それでも監獄送りにはならなかった。白眼視されがちなテレ・ホートの者してみればこれは破格な厚遇さ」
「処分を下したのは俺じゃないぞ」
「話によると少尉はサウザンブリア公爵の娘やあのナヴァールのお転婆姫と知り合いだそうじゃないか。その気になればその非を弟たちに押し付けることだってできたはず。いや、自分への処分は取り消せなくても、少なくとも責任の一端がある弟たちに怒りの矛先を向け、厳しく処分するように圧力をかけることは十分できたはずだ。なのにそれをしなかった。俺たちテレ・ホートの者には少尉に対して十分すぎるほど借りがある」
「俺に他人の処分をどうこうする権力なんてあるものか。買い被りすぎだ」
仮にそんな力があったとしたとしよう。ヴィクトールならガスティネルらに罪をかぶせるよりも、主犯であるジヌディーヌに対して罰を与えることだろう。
それに事件の過程はともかくとして、結果としてヴィクトールに下された処罰は妥当なものである。それを権力を使って横紙破り的に違う結末に変えるようなことはヴィクトールは好まない。
もちろんヴィクトールにも言いたいことの一つや二つ無いわけでは無いが、ガスティネルらに自分の抱いている不満やストレスをぶつけるのは間違っていることくらいは分かる。
それに万が一、ヴィクトールが八つ当たり気味にガスティネルらに重い処分を下すように言ったとしても、ラウラやソフィーは聞く耳をもたなかったであろう。彼女たちはそういったことを嫌う良い意味で貴族的な精神の持ち主である。
以上の事柄から、ヴィクトールにしてみればそのような行動を取らないことは当然の結論であったが、ロドリグにとってはそうで無かったようだ。
「少尉は謙虚だな。気に入ったぞ」
豪放磊落な笑い声と共にとんでもない力でヴィクトールは背中を三度も叩かれた。後ろを追っているかもしれない敵にその声が聞かれやしないかとヴィクトールは気が気じゃなかったほどだ。
確かに森の中には彼らの他に明かりは無かったが、ロドリグらと同じように火の明かりを目指して、月明かりだけを頼りに敵兵が忍び寄っているかもしれないのだ。
そんなヴィクトールの抱く危惧などどこ吹く風、ロドリグらはヴィクトールを襲った三人組に対してもう一度辺りをはばからぬほどの大声を出して威嚇しながら縛り上げた。
その恵まれた身体から、いつ襲い掛かられても反撃し勝利するだけの自信があるのか。あるいは大男だけに総身に知恵が回りかねぬのか。
「ところでこいつらはどうする」
文字通り完全に行動を縛られた男たちを小突きながらロドリグはヴィクトールに尋ねた。
「ここで始末するか?」
士官に反抗、いや、反逆した兵士は銃殺である。そうでないと他の兵士に対して示しがつかないし、軍隊としての秩序も保てない。
駐屯所内であれば、正当な裁きが行われていることを兵士たちに示すために形だけでも裁判が行われるだろうが、ここは戦場である。全ての手続きをすっとばして射殺するという緊急対応も已むを得ない場合だった。上官に銃を向けるなど戦場よりの逃亡よりも悪質であるのだから。それにここならば一般の兵士たちの目を気にする必要もない。
「お、俺たちはこいつに誘われただけだ! 美味い儲け話があるって言われて・・・話を聞いた後にあまりの大それたことに断ろうとすると、今度は手を貸さないのなら命は無いって言われて、仕方なく!」
剣呑な雰囲気に男たちはただならぬものを感じ、急に脅えて、自らの関与の度合いは低いと弁明しだした。ヴィクトールを殺すのには何の呵責も感じなくとも、自分たちが死ぬのは嫌だと見える。
「貴様らッ!! 裏切る気か!?」
反抗を主導した男は仲間に売られたことで逆上し、顔面を蒼白にして飛びかかった。とはいえ両手首を縛られた彼には体当たりをするしか攻撃手段が無かったが。
ロドリグは暴れる男の襟首を掴んで簡単に引きずり戻す。男たちは縛られたことで御しやすくなっているとはいえ、ロドリグは巨体に見合っただけの怪力の持ち主だと言えよう。
皆の視線がヴィクトールに集まった。第一の当事者であるヴィクトールに決断を委ねようとしたのだ。
「・・・そうだな。とりあえずこのまま連れて帰る」
「生かすのか!? 少尉の命を本気で狙ったんだぞ? どれだけお人よしなんだ!?」
呆れた顔を見せるのはロドリグだけでなく、ヴァランタンもヨアンもユーリもである。テレ・ホートいう荒れた地に生きる者たちにとってヴィクトールの考えは納得できないもののようだった。
「逃げるのに足手まといになる。殺すべきだ。味方殺しに二の足を踏んでいるのかもしれないが、ここにいる皆が生き証人になる。証言するさ。少尉は悪くないってな」
「そんな! 助けてくれ! た、単なる悪ふざけだ! 敵はブルグントのカエル野郎どもで俺たちじゃない! そうだろ?」
「し、少尉、いや、少尉殿! 俺が悪かったよ! ちょっとだけ欲をかいただけなんだ!」
直ぐには命を奪わないというヴィクトールの言葉を聞いて内心大いに安堵していただけに、命を狙われたヴィクトールではなく、本来は無関係のはずのロドリグたちが自分たちを殺そうと言ったことで、本格的に命の危険を感じた襲撃犯たちは虫のいい言い訳を並べた。
「直接、ターバート伯爵夫人と取引をしたのは俺じゃないんだ。し、首謀者は別にいるんだ! か、考えてみてくれよ。俺みたいな平民出の一兵士がターバート伯爵夫人という身分の高い人物とどうやって知り合う? 貴族出身の首謀者がいるからさ。その首謀者を知りたくはないか?」
「首謀者か・・・確かに知りたいな」
話に興味を示すヴィクトールを見て、男はここが勝負どころと踏んだか、懇願の入り混じった提案を行う。なにせ命が懸かっているから彼も必死だ。
「だろ? そいつの名前を教える、証言を行うから、た、助けてくれよ!」
ロドリグが冷たい目をして、その二人の間に割って入る。
「騙されるな。命惜しさの出まかせにきまっている」
「嘘じゃない!!! 信じてくれ!!!」
くってかかった男にロドリグは罵声を放つと、丸太のように太い腕で突き返して地面に倒した。
「金に釣られて戦友であり上官でもある少尉を殺そうなどと企む奴の言葉など信用できるか!!」
どうやらロドリグはヴィクトールを上回る直情径行型の男であるようだった。
腹に据えかねるものがあるのであろう。更に蹴りを見舞おうとしたロドリグを、前に身体を入れることでヴィクトールは制止する。
「少尉、何故、止める! こいつらの嘘に付き合う必要なんてないぞ!?」
「確かに逃亡するのに虜囚は足手まといだろう。それに彼らの話も嘘かもしれない。だけど本当かもしれない。できれば禍は根元から断ちたい。例え彼らの言う首謀者とやらが部隊にいなくても、他の兵士たちに処罰を見せることで、二度と俺を殺そうなんて馬鹿な考えをする兵士を無くしたいのさ。こいつらをここで処刑せずに、正式な裁判を受けさせることは俺の公正さをアピールする絶好の機会だ。兵士たちから信頼を勝ち取りたい。俺は新任の少尉だから兵にまだ信用が無いだろうからな」
「逆効果だ。兵に舐められるぞ。ここはラインラントだ。慈悲なんてものは軟弱さにしか見えない修羅の地さ」
「だがラインラントもフランシアの一部だ。荒っぽいやり方はラインラント内では十分に通用しても、フランシアの他の場所では通用するかな?」
それはロドリグにも理解できる真実である。だが一生をラインラントで暮らすのならば必要のない物事の見かたである。
ヴィクトールの目は自分たちと違ってテレ・ホートやラインラントという狭い世界のことだけを見てはいないということか、とロドリグは驚いた。
「ほほう・・・少尉の望みはラインラント駐留軍という小さなくくりで出世することでは無く、フランシア軍全体を統括するような地位につくことか。大志だな」
「そこまでは考えちゃいない。だが人生、何が起こるか分からないものさ。何事にも備えがあれば安心だとは思わないか?」
「だが今、少尉がいる場所はここラインラントだ。そんな甘い考えではいずれ死ぬぞ」
「甘いか?」
「大甘さ」
「なら殺すのか? 俺は全力でこいつらを守るぞ」
自分の命を狙った人物を守るために、自分の命を救った恩人と戦うとまで言い出したヴィクトールにはさすがのロドリグも呆れた顔をした。
そんな道理の通らない話は聞いたことが無い。だが同時にその型破りな破天荒さに妙に惹かれるものも感じた。
「・・・ここは少尉の顔を立てておくか。わかった連れて行こう」
「それでいい」
ヴィクトールはロドリグたちに反乱者たちから取り上げた武器を渡し、彼らを木にまとめて縛り付けると交代で見張りについて、夜明けを待った。




