第五十九話 増えた味方。だが果たしてどちらの味方?
「さあな? それはどうかな? ・・・・・・どうせ死んでいく少尉殿には関係ない話さ」
男はヴィクトールの言葉に対して返答をはぐらかした。だが強く否定しないところを見ると十中八九はジヌディーヌが裏で糸を引いているのは間違いはない。
「今は非常時だぞ! 何を考えている!?」
「こんな時だからさ。平時に士官が殺されると大きな問題になるだろ? 犯人は厳しく探索される。だが戦闘中であれば戦死扱いということになって、問題にはならない。むしろこんな時を待っていたのさ」
前に述べたようにマスケット銃の命中精度は極めて悪い。そして装填に時間がかかる武器である。一対一であれば、剣や槍に比べてそれほど恐ろしい武器では決してない。初弾をかわしさえすれば、いや、致命傷を受けさえしなければ五分の態勢に持ち込むことができる。
もっともそれにはヴィクトールの額に狙いを定めた銃口をなんとかしなければならないであろう。
一気に前に距離を詰めて飛びかかる、あるいは左右へと移動することで相手が発砲することを誘うということを真っ先に思い付いたが、ヴィクトールは動かない。ヴィクトールにはそれを今すぐ実行に移せないだけの十分な理由があった。
他の二人も銃口をヴィクトールに向けてはいないものの、手に銃を持ってニヤニヤと嫌な笑いを浮かべてヴィクトールを囲むように立っていたからだ。
上官に銃を向ける兵士を押しとどめようともしないし、二人の間に割って入り仲裁しようともしない。彼らがこの男の仲間であることは明白だった。
逃走中に他の兵を説得する時間などなかったはずだ。もともとヴィクトールに対して害意を持っていた連中のところに鴨が葱を背負ってやってきたように飛び込んでしまったというのが真相だろう。
つまりヴィクトールは目の前の男のマスケット銃だけでなく、都合三丁のマスケット銃について考えて動かなければならないということだ。
状況は極めて悪い。
だが諦めるわけにはいかなかった。なにしろ命が懸かっている。
それに有無を言わさず後ろから無言で発砲されたら、今頃死体になっていたことを考えれば、まだツキは残っている。
「・・・どんな好餌に釣られたかは知らないが、果たして俺を殺しても恩賞にありつけるかな? 味方殺しはばれれば人に後ろ指を指される後ろ暗いことだ。お前たちを始末して全てを闇に葬るかもしれないぞ?」
「報酬を書状にて固く約束されておられる。お前が心配することじゃないさ」
「ジヌディーヌは曲者だぞ? 高貴な家柄の出身であることを鼻にかけ、平民を人とも思っちゃいない人間だ。平民であるお前らとの約束など反故にするかもな」
「確かに貴族は俺たち平民のことなど毛ほども思っちゃいねぇだろう。だがな直接、話をしているのは俺たちじゃない。きちんとした貴族出身の士官さ。ジヌディーヌ様とも縁のあるお方だ。だから安心して死ぬがいいさ」
ヴィクトールもこんな会話で説得できるなんて思っちゃいない。少しでもあがいて時間を稼ごうとしたのだ。
ヴィクトールは必死に頭の中で打開策を考え続けたが、なかなか妙案は思いつかない。仕方なく会話を続けてさらに時間を稼ごうとする。
「その男は本当に信用できるのか? 単にお前たちを利用しようとしているだけかもしれないぞ? 考え直せ!」
だが相手はもうそれ以上、ヴィクトールの時間稼ぎに付き合おうとはしてくれなかった。
「おしゃべりはそれくらいにしておこうか」
男はヴィクトールの額に狙いを定めた銃口を動かさずにじりじりと前進し、距離を詰めた。
「神への祈りは終わったかい? 少尉殿」
「あいにくと日曜礼拝も飛び飛びにしか行かない不信心な信徒だったものでね」
一神教が支配するこの時代のパンノニアにおいて不神論者は存在しない。教義の違いはあれど、新教なり旧教なり、何かを信じていなければ白眼視されて生きてはいけない。地元の司祭に眉を顰められはしたものの、ヴィクトールも信徒の端くれである。
「おやおや・・・礼拝にはきちんと行くものさ。サボるのはいけねぇな。少尉が敬虔な信徒であったなら、神様も助けてくれたかもしれないのにな」
三対一、しかも相手の三人は全て弾込め済みの銃を手にしている。
ヴィクトールも装填したマスケット銃を一丁持ち運んできていたが、傍らの木に立てかけておいてあり、手にしているわけでは無い。今は徒手空拳である。
突きつけられた銃口を避けるかのように尻もちをつきながら後ずさりをしたヴィクトールの見っともない姿を見て、男たちは馬鹿にした笑いを口元に浮かべた。
「怯えてんのかぁ? 少尉さんよぉ!」
「安心しな。一発で楽に天国に送ってやる。外しやしねぇさ」
心理的に大いに上に立った三人の男たちはヴィクトールを蔑み、侮蔑的な言葉を吐いて嘲笑う。
だがヴィクトールはただ単に恐怖で後ずさりをしていたわけではない。後退る動きの中で自然と両手の中に土や枯葉、小石などを掴んで握り締めていたのだ。
ヴィクトールは目の前の油断しきった男にその手の中のものを投げつけ目をくらますと、飛びかかって接近戦に持ち込み、マスケット銃を無効化しようとした。
一種の賭けだった。運が悪ければ銃弾が急所に当たって即死する。そしてその賭けにヴィクトールは勝利する。
慌てて引き金を引き、放たれた銃弾はヴィクトールの身体に当たることなく後方へ逸れた。飛びかかったヴィクトールは相手を組み敷く形にあっという間に持ち込む。
格闘戦になればヴィクトールの強さは今更、声を大にして言うまでもないことだろう。問題は空腹で万全の力を発揮できないことだが、それは相手としても同じ条件、決して一方的に不利な条件というわけじゃない。
相手の手にはマスケット銃という今や単なる鈍器と化した武器があったが、ヴィクトールは片手でそれを押さえつけて動きを封じつつ、反対側の手で顔を幾度も殴りつけて相手から抵抗する気力を奪い取る。
他の二人は仲間を誤って撃つことを恐れてか、何の手も打てずに、おろおろとうろたえるばかりである。
「動くな! 動けばこいつの命はないぞ!!」
ヴィクトールは組み敷いた男の喉元を強く握って圧迫して見せた。いつでも握りつぶせるという脅しだった。
「う、撃つぞ! そいつを放せ!!」
「誰が放すか。それに放さなくても撃つんだろうが。だがな、こいつに怪我をさせずに、俺に必ず当てる自信がお前にあるか?」
もちろん、上官を殺して己の出世を企むような連中である。仲間の命など毛ほども思わない人間性である危険性もなくはない。
だがどんな人間にも多少は良心というものがあるものである。仲間の命を犠牲にすることを冷酷に決断できるほどの、そこまでの悪人はそうはいない。特に共に行動する目的が難事や悪事であればあるほど仲間意識が芽生えやすいものだ。
ここから突破口を開くことができないかと再び会話で揺さぶりをかける。
先程と違って、幾分ヴィクトールに有利になった今ならば聞く耳を持つかもしれないと思ったのだ。
だがヴィクトールに向けて攻撃こそしてくることは無かったが、言を左右にして銃を手放さない。互いに膠着状態に陥った。
こういう時は焦ってはだめである。焦って動いた方が負ける。だが敵もそのことを知っていて動きを見せない。
気力と体力が先に尽きた方が負けだ。ヴィクトールは長期戦をも覚悟した。
睨み合いの中、突如、双方がいる場所とは違う横合いで軍靴が木の枝を踏み割る乾いた音が響く。
驚いて視線を向けると、やけに大柄な兵士が二人、少し離れた木の袂に立っていた。
互いが互いの動きに神経を集中させた結果、周辺の状況把握に気を回す余裕が無かった結果、接近する者の気配に気付か無かったようだ。
幸いなことに兵士の服はフランシア軍の戦列歩兵のものである。後方を追跡してきた敵に追い付かれるという最悪の事態ではないようだった。
おそらくは闇に閉ざされた山中に火の明かりがあることに気付いて近寄って来たのであろう。
だがまだ彼らが完全に味方であるかという確かな確証はない。
「何者だっ!!?」
そう誰何をするところを見るとヴィクトールを襲おうとしているこの男たちの仲間ではないようだ。それどころか名前を知らないのだから、同じ中隊でもないのだろう。
思い返せば、分断された時にヴィクトールの手元にいた兵は三つの中隊から切り離された兵たちの混成隊であった。
それならばヴィクトールを襲うという企みに彼らは加わっていないに違いない。ならば、とヴィクトールは大いに希望が湧いた。
軍隊では階級が絶対である。戦列歩兵同士の友情があるにせよ、一応少尉扱いであるヴィクトールの命令に彼らは従うのではないか。
だが割って入った二人の大男は口元に大きく作り笑いを浮かべて、値踏みするように両者を見つめる姿は明確にどちらかの味方であると示す様子は見られない。
「おもしろそうなことをしてるな。俺たちも混ぜてくれよ」
「ま、混ぜるだと!? 何を考えている!」
上官に対して一般兵士が銃を突き付けている情景を見た時、普通はどう判断するか。圧倒的に理はヴィクトールにあり、彼らは不利な立場にある。
であるから敵に回るとばかり思っていた闖入者たちの思いもかけぬ言葉に彼らは混乱した。
そんな彼らを無視して大男はヴィクトールに顔を向け話しかける。マスケット銃を手にした不穏な気配を見せる男たちなど眼中にないかのような豪胆な態度だった。
「俺たちもこの少尉にちょっと用があってな。探していたのさ」
「俺に?」
「お前・・・ヴィクトール少尉だな?」
「ああ、そうだ。だがお前たちは何者だ? 見ない顔だ。俺の中隊の兵ではないな」
「その通り。ピエール大尉の下で働いているが、お前とは違う中隊に属している」
「・・・別の部隊に所属するお前が直属の上官で無い俺に何の用がある?」
男はヴィクトールの問いに真っ白な歯を見せて笑う。
「士官学校で弟が世話になった。是非とも礼をしなくてはならぬと思っていてな」
「弟・・・テレ・ホートの者か!?」
弟とやらが誰であるのかまったく分からなかったが、ヴィクトールはその人並み外れた体躯から当たりをつけて言ってみる。どうやらその問いは正解であったようだ。男は目を細めてニヤリと不敵に笑った。
「俺はガスティネルの兄だ」
「くっ・・・!!」
ガスティネルといえば忘れもしない。士官学校でテレ・ホート出身者をまとめる顔役のようなことをしていた上級生の大男である。
向こうから売られた喧嘩、ヴィクトールにしてみれば意義の無い喧嘩ではあったが、苦戦の末、なんとか相手を叩きのめした。
あの時はガスティネルも結果に納得したような神妙な態度を取っていたが、内心は違っていたということか。
まぁ男としては一度負けたくらいですごすごと尻尾を巻いて逃げたくはないという気持ちもヴィクトールとて分からないでもない。特にヴィクトールとガスティネルでは身体能力が違う。十回やれば八、九回はガスティネルが勝つであろうとヴィクトールですら思うくらいなのだ。負けたことが悔しく、認めたくはないであろうことも、よく理解できる。復讐を考えたとしても当然だ。
だが何もよりによって、こんな時に来なくてもいいではないか。
ヴィクトールと大男たちとの間の会話を聞き、両者の間に漂う微妙な緊張感を見て、ヴィクトールを殺そうとした男たちは両者が提携することは無いと見て取り、ほくそ笑んだ。
「お、おい。お前たちもその男に遺恨があるというのなら、いっそのこと俺たちの仲間にならないか?」
そうなれば万事休すである。ヴィクトールは顔から血の気がさっと引いていくのを感じずにはいられなかった。
その両陣営の顔を興味深げに交互に眺めた大男は何が可笑しいのかニヤニヤと口元を歪めっぱなしだ。
「俺たちが? お前たちの?」
「そ、そうだ。悪いようにはしない。俺たちに力を貸さないか?」
「悪いように・・・ねぇ。ところで俺は未だに状況を全て呑みこめていないんだが、お前たちはこの少尉を最終的にどうしようっていうんだ?」
大男の問いに男は明確に、そして端的に、一寸の迷いもなく答えた。
「殺す」
「こ・・・殺す? 味方の士官を、か!?」
傲岸不敵な態度の大男も、さすがの大事に戸惑いの色を見せる。よくある敗戦時の士官と兵士の諍いの拡大したものであろうと思って近づいてきたのだ。無理もない。
「そう驚くことじゃねぇ。これには深い仔細あってのことだ。その男は死に値するようなことをしでかしたのさ。さる貴きお方の怒りを買ったんだ。安心しろ。俺たちの後ろにはそのお方がおられる。決して表沙汰になることも、問題になることもない。むしろ褒美がもらえるくらいだ」
人数が増えれば貰える報酬が減るかもしれないが、ここでこの大男らがヴィクトールに加勢して形勢が逆転すれば全てが無に帰すのだ。
それどころか戦闘中に上官を殺害しようとした罪で死刑になりかねない。背に腹は代えられぬと男は大男たちに取引を持ち掛けた。
後記
やヴぁい。もう十五話も使っているのに、この章のプロットの五分の一にも到達していない(汗
前代未聞の長さになりそうだなぁ...
紅旭の虹の驚天の章や一統の章でも大概だったのに...なんとか圧縮できないものか...うむむ。




