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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第五十八話 メイジェーの戦い(Ⅸ)

 後は積み上げた火薬に火を付け爆発させ、敵が怯んだ隙に逃げ出すだけである。

 だが今回は前回と違った点が多々ある。ヴィクトールらの動きを覆い隠してくれる夜の闇も無かったし、前回のように火矢を準備する時間も、火矢から火が燃え広がって上手く着火する十分な仕掛けを作る時間も無かった。

 火薬の入った箱を集めて、地面にただ積み上げただけ。

 導火線として使えそうな材料としてマスケット銃で使う火縄が手元にはあったが、火縄では火薬の近くで火をつけなければならないという危険があるし、途中で風やなにやらで火か消えないとも限らない。火種が火薬箱に到達する前に敵兵に気付かれて消火されてしまうことだって考えられる。

 そこで地面に火薬をこぼして一本の線を描き、それに遠くから着火することで引火させ、爆発させようと考えた。

 十分な距離を持って火を付けたつもりだったが、火は火薬の線の上を想定外の速さで走っていった。

 火薬の燃焼速度はその混合比率と含有水分量によって大きく左右される。フランシア製の火薬に比べてブルグント製の火薬の質が高かったのだ。それだけでなく積み上げた火薬も量が多すぎた。

 ヴィクトールは火薬を扱う専門家でも無かったし、砲兵ですらなかったから計算の仕様がなかったのだ。

 火薬箱は大轟音と共に爆発し、火を付けた兵だけでなく、頂上近くにいた兵は全て吹き飛ばされ、大量に舞い上がった土砂に幾人もの兵が生き埋めにされた。

 そう、敵も味方も、である。

 小高い丘は大規模な噴火で爆散した火山のようにクレーター状にその姿を変えた。

 もうもうと立ち込める土煙で閉ざされた視界の中、ヴィクトールは必死に兵たちに訴えとも命令ともつかぬ言葉を投げかける。

「逃げろ! 他人には構わずにとにかく自分のことだけを考えて逃げろ! 少しでも遠くへ逃げるんだ!!」

 もっともある程度予期していたとはいえ、心の準備が整わぬ前に爆発したために多くの者が爆発時の大轟音で耳がやられた。どれほどの兵がその声を聞いたことか。

 なんとか咄嗟(とっさ)に耳を塞いだヴィクトールでさえ、きんきんと耳鳴りが鳴りやまず、己の発した声が聞き取れないほどだったのだ。

 ヴィクトールは己の身を持って率先して行動することで兵たちにすべきことを知らしめようとした。つまり、逃げ出したのだ。

 といってもこれまた立ち込める土煙の中、兵たちからもヴィクトールの姿を捉えようがなかった。

 ヴィクトールの目にも他の兵の影ひとつ映り込まない。目も耳も何の役にも立ちはしない。足裏に伝わる感覚だけが頼り。ヴィクトールは反対側へと思われる向きに丘を駆け降りる。

 軍隊とは兵が部隊という単位でで(まと)まって行動することでその威力を発揮する時代である。この状況下では纏まって行動するどころか集まることすらも不可能だった。

 爆発は予定通り敵を混乱させたが、同時に味方も混沌の中へと叩き落とした。ヴィクトールが当初思い描いていたプランは砕け散った。

 この先、どれだけの兵が生き延びれるだろうか。

 いや、果たして自分は生き延びられるだろうかとヴィクトールはふと危惧を抱いた。


 その爆発はすさまじく、傍にいたヴィクトールたちだけでなく、離れた場所にいた者たちにも当然、影響は及んだ。

「なんだ!!!?」

 ヴィクトールらを排除しようと丘の麓で兵を指揮していたボードゥアンはその余波をもろに被ることとなった。

 突如舞い上がった土煙。顔に叩きつけられた熱風と衝撃波。足を取られてころぶものが出るほどの大きな揺れ。隣の人間の言葉も聞き取れないほどの耳鳴り。

 ボードゥアンは不幸なことに、この感覚に覚えがあった。

 一瞬で赤く広がり、すぐさま縮退する炎、上空に上がる黒煙、そして火薬が燃える時に発する独特の臭い。間違いはない。大量の火薬が引火して爆発したのだ。

「またか!!!」

 ボードゥアン将軍は三公女を追ったあの夜にヴィクトールに火薬の爆発で痛い目にあわされたその当人である。フランシア軍に再び同じような手口で部隊に大打撃を与えられたことに苦々しく感じずにはいられなかった。

 二度とも同じ男にしたやられたとまではさすがに思いもしなかったが。

「フランシアの奴らめ! 妙なことを考えついたものだ!!」

 狼狽するボードゥアンの旅団本部に次々と悲報が飛び込んでくる。

「各部隊と連絡が取れません! 完全に指揮系統が寸断された模様!」

「救援要請! 丘の上では多数の兵が生き埋めになっております!」

「煙でよく見えませんが丘の上では火災が起きている様子です!」

「負傷者多数! 行方不明、死者は把握できません!!」

 さすがに二度目ともなると猪武者のボードゥアンであっても、どう対処すべきかは心得たものである。動転してどうすればいいのか分からない幕僚群を尻目に冷静に事態を判断し、的確な命令を下す。

「一旦、兵を下げ、怪我人の収容と手当を優先しろ! 丘の上の状態が沈静化して視界が確保できるようになってから、残った兵を救出する! 敵への攻撃は後回しだ!」

 ボードゥアンが兵を退けば、その隙を突いて丘の上のフランシア兵たちは逃げ出すだろう。だがこの混乱を収拾することなく、統率がとれぬまま兵を進めても敵を捕捉殲滅できるとは限らない。

 第一、爆発に巻き込まれて負傷した同僚を横目に前進することを兵がどう思うか、いや、それを命じる非情な司令官に対して兵がどう思うかを考えると、ボードゥアンとしても命じる気にはなれなかった。今後の指揮に響くではないか。

 逃すのは小癪(こしゃく)だが、当面の危険要素を取り除くという最低限の働きができたことに満足するしかなかった。

 憎しみだけで逃げるヴィクトールを追撃して殲滅できたとしても満足感以外に得るものは少ない。味方の兵の救助、部隊の再編、前線への再度の復帰に注力すべきだとボードゥアンは利害得失を計算したのである。

 それに想像以上の破壊力に仕掛けた側である敵も少なからず損害を被ったようである。

 混乱を収拾し、態勢を立て直してから追撃しても遅くは無いと判断したのだ。


 丘は主戦場から若干離れてはいたが、爆発音も振動も戦場全てに襲い掛かる。

 地震の存在しないパンノニアの地、大地を揺るがす振動は神の怒りのように感じられ、全ての兵が肝を冷やした。

 銃声も干戈の音も打ち消すほどの大音響に、フランシア軍もブルグント軍も何事が起きたのかと攻撃の手を緩めて呆然とした顔で戦場に立ち尽くした。

 兵たちと同じように口を半開きにして黒煙舞い上がる丘を見つめていたイアサントだったが、直ぐに自分たちがまたとない撤退の好機に直面している事実に気が付き、傍らに立つ少尉から連隊旗を奪い取ると、それを大きく振りつつ大声で兵に命じた。

「撤退だ! 敵は気勢が削がれ、命令系統も混乱している! この隙に一気に撤退するぞ!!」

 殿の第三十四、第三十六連隊の奮戦もあって既に大半のフランシア軍は戦場を去ることに成功していた。

 ヴィクトールが後背から大砲で攻撃したことでブルグント勢の指揮には若干の混乱が見られていた。さらには今の大爆発で敵は一斉に浮足立ち、攻撃も散発的になっている。

 退くのなら今だ。今を逃せば軍の最後尾として突出しているイアサント隊が潰滅せずに撤退することはきっとできない。この好機を逃すことは無い。

「いかん! 敵が逃げる! 背後のことなど気にせず、攻撃を続けろ!!」

 当然、その動きに気付いたガヤエは逃すまいと再度攻勢をかけるように全部隊に指令を下した。

 殿軍を突き崩せば、防波堤の無くなった敵は無防備な背中をブルグント兵にさらすことになり、犠牲者の数を加速度的に増やすことができる。

 この野戦でラインラントの戦争の帰趨(きすう)をなんとしても決着付けたいガヤエにとってはどんな犠牲を払ってもイアサント隊を逃したくはなかったのである。

 だが先程の大砲の攻撃で寸断された指揮系統、ぐちゃぐちゃになった戦列や陣形がガヤエの命令を実行に移すことを妨げた。

 それでも敵の少なからぬ攻勢を前にしてそれなりの犠牲を払わねばならなかった。だがイアサント隊は僚友の第三十六連隊と共に戦場においてもっとも難しいとされる撤退戦に成功したのである。

 林道を長い距離走りぬき、笑って使い物にならなくなった膝をしきりと拳で叩きながらイアサントは後方を振り返る。

 もはや敵兵の姿はどこにも見られなかった。遅れて逃げ延びてくる仲間の姿も一つもなかったが。

 どうやら敵も追撃を諦めてくれたようだとイアサントはほっと一安心した。

「あのガキ! なかなかどうして・・・やるじゃないか!! 憎いマネをする!」

 イアサントは大敗の後で、多くの部下を亡くし、身体も節々が痛むというのに実に上機嫌だった。

 ヴィクトールが勝手に持ち場を離れた時はどうなることかと思ったが、丘を占拠し、大砲を撃って敵の注意を惹きつけただけでなく、丘の上に留まった。

 敵兵を少しでも前線から引き剥がすことで、少しでも味方の被害を少なくしようとしたに違いない。

 しかも最後は爆発を起こすことで敵兵に死傷者を出すだけでなく、イアサント隊に脱出の機会を与えてくれた。

 これを考えた頭脳も素晴らしいが、イアサントが何よりも気に入ったのは、百人にも満たぬ兵でこれを行いきった胆力だ。

 よほどの自信家で自分が立てた作戦だから必ず成功するに違いないと楽観的に信じていたのか、あるいは大軍を目の前にした恐怖と己の策に対する不安と戦いながらも、軍人としての使命感から震えながらもやり遂げたのか。

 戦場では最後の土壇場には胆力が物を言うと考えているイアサントのような武人には、そのどちらにしても十分賞賛に値することのように思われた。

 こうしてイアサント隊が撤退したことでメイジェーにおける両軍の争いは決着がついた。

 フランシア軍の被害は五百、ブルグント軍の損害は三百である。

 この損耗率(そんもうりつ)の差からだけでなく、最後に思わぬ反撃を受け、追撃戦が不完全な状態で終わったとはいえ、フランシア側を野戦に誘い出し、それを打ち破って最終的に戦場を確保したブルグント側の勝利とするのが一般的である。

 ラインラントにおいても戦略的要地ではないメイジェーを巡って戦われたこともあり、この戦は長いラインラント紛争におけるごくありふれた局地戦であると捉えられがちであるが、軍事教練の威力、戦場における機動の重要性、野戦での大砲の使用が初めて確認されたといった軍事技術的な見地からだけでなく、この小さな戦いがラインラントの行方を左右する大きな戦いへと後に繋がったという点からも実はそれなりに重要な戦いであった。


 一方その頃、ヴィクトールは一メートルも無い視界の中、なんとか無事に反対側へと丘を下り降り、既に戦場を逃げ出すことに成功していた。

 だが当初の混乱で部隊としてまとまった行動ができず、周囲にいた兵たちとはぐれてしまった。

 幾人負傷したのか、幾人生き埋めになったのか、そして幾人逃げ出すことができたのか、まったく把握できていない。

 逃げる道々で合流できた兵は僅かに三人だけであった。さすがにあの混乱であっても百の兵が四人にまで減るということは考え難いから、丘の向こうが森林地帯で、それぞれが思い思いにその中に逃げ込んだ為、違う道を進んで合流できていないものだと思われる。

 結局、ボードゥアンは追撃を諦めていたのだが、鬱蒼(うっそう)と茂った暗い森の中を進むヴィクトールたちにはそれを確認する術は無く、いもしない追跡者の影に怯え、言葉を交わすこともなく、ただ黙々と獣道を分け入り味方がいると思われる東南へと歩き続けた。

 ようやく一息つけたのは周囲が完全に闇に包まれた夜になってから。後方の山中に明かりが見当たらないことで、追手がいないことを確認できたのだ。

 周辺の枯れ木を集めてマスケット銃の火打石(フリント)を使って火を起こして暖を取る。春とはいえ夜になるとまだ冷えるのである。

 その他にも空腹と疲労で身体が温まらず、嫌な悪寒がするのである。高速で戦場を抜けて丘へと辿り着くために、兵に背嚢(はいのう)を捨てさせたためヴィクトールを含めて誰一人食料を持っていなかったのだ。

 丘の上で敵の輜重から多少くすねるつもりだったのだが、予想以上にガヤエがボードゥアン隊を差し向けるのが早かったため、その時間が与えられなかった。

「交代で番をしよう。火と追っ手の見張りが必要だ」

 そう言って焚火に枯れ枝を投げ入れたヴィクトールの額に突如として兵士の銃口が向けられた。気を抜いていただけに反応が遅れ、避けることができなかった。

「・・・何のつもりだ?」

 相手を刺激してうっかり引き金を引かれてもたまらない。ヴィクトールはゆっくりと視線を上げると冷静に落ち着いた声で問い(ただ)す。

 返って来た声はヴィクトールよりもさらに冷徹で厳しいものだった。

「ヴィクトール少尉殿、悪いがここで死んでもらう」

「・・・何故だ?」

「理由を知ってどうする」

「訳も分からず殺されるのはたまらない。何故だ? 俺はお前たちに恨まれることをした覚えがない。・・・強いて言えばあれか? あえて敵中にある丘の上に攻め込み、中隊の大勢の仲間を失った俺の指揮に不満があるとかか? 確かに大勢の犠牲者を出したことに関しては済まなく思っている。だがあれはラインラント駐留軍全体を戦場から脱出させるために必要な犠牲だった。お前らも望んで軍隊に入ったんだ。兵士として死ぬ覚悟くらいはあるだろう?」

「・・・別に少尉の指揮に不満は無い。特に少尉に個人的な恨みがあるわけじゃないのさ。さる高貴なお方が少尉を殺したら恩賞を下さるというんでな。俺たちだって生まれて一度くらい贅沢な暮らしってやつがしてみたいのさ」

 本人はぼかしていったつもりであろうが、ヴィクトールにはそれだけでもう全ての察しがついた。何しろヴィクトールには高貴なお方とやらの知り合いがほとんどいないのだ。そしてその中でヴィクトールに恨みを抱いている人物と言えば一人しか見当たらない。もっともさすがに殺意まで抱いているとは思わなかったが。

「ジヌディーヌか・・・」

 よく考えず、感情のままに動いたことがここまで(たた)るとは。過去からはどこまで行っても逃れぬものだとヴィクトールは嘆息した。

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