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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第五十七話 メイジェーの戦い(Ⅷ)

 内心の不安を押し殺し、平然とした顔を作ったヴィクトールが見つめる中、砲弾は音を立てて飛翔した。幸い、今度は味方の兵の中に落ちることは無かった。

 だが同時に敵に確実に命中した砲弾は三つだけだった。見当違いの方向に飛んでいくことは無かったが、戦列のある兵が密集した箇所ではなく、兵が(まば)らな辺縁部に残りは飛んでいった。中には大きく狙いを外して手前に着弾した弾すらあった。

 あれでは実際に部隊に損害を与えたかどうかは疑わしい。もちろん心理的なダメージはゼロではないだろうが。

「火薬の量を減らしすぎたか」

 一度ならず二度までも失敗したことにヴィクトールは苦い顔をした。

 だがその反応は考えようによっては変だ。

 むしろ大砲に関してズブの素人の集団を率いて、これまた大砲に関しても、士官としても、素人と言っていいヴィクトールが主導して砲撃したのにしては、むしろこの結果は上出来であるとさえ言える。

 もしこれ以上、上手くいくようならば、士官学校において砲兵科とは人生の貴重な時間を何年間も費やして、何を教えているのだという別の問題が持ち上がるではないか。

 とはいえ砲撃が割かし上手くいった要因の一つに、敵兵が先程までこの大砲でフランシア軍相手に打ち込んでいたことが挙げられる。

 攻勢をかけ、フランシア軍を押し込んだことで、先程までフランシア軍がいた位置に今は代わりにブルグント軍がいたのである。つまりヴィクトールは敵の砲兵が定めた照準をほとんど動かすことなく、そっくりそのまま利用することができたのだ。

「次弾装填準備! 味方を少しでも援護するぞ!」

「合点でさぁ!!」

 返事だけは威勢が良かったが、銃兵たちは二回の発射で大きく熱せられた砲口内を清掃し、慣れぬ手つきで火薬と砲弾を詰め込むのに四苦八苦する。

 だが先程までは本隊から切り離され、新米の少尉に率いられるという心細さで不安いっぱいだった兵士たちも、絶対に敵の弾の届かない安全な場所から一方的に攻撃できるというこの状況に自信と気力を取り戻し、士気は高まっていた。


 一方、背後から砲撃されたブルグント軍は前方の逃げる敵をこのまま追撃するべきか、それとも現実の脅威となっている後方の大砲をなんとかすべきか判断に迷い、浮足立った。

「敵の別働隊か!!?」

 ガヤエがそう思ったのも無理はない。全戦線でブルグント軍は敵を押し込んでいたし、騎兵戦も優位に進め、左右からの回り込みなどあり得ない状況だったのだ。

 だからガヤエの注意を前方に惹きつけておく間に、敵は別働隊を大きく迂回させて背後から強襲、動揺したところを前後から挟み撃ちにして殲滅するといった凝った芸当をしでかしたのではないかと疑ったとしても仕方があるまい。

 もちろん敵の動きには十分注意を払ってきたつもりだったのだが、敵将がそのガヤエの警戒網を潜り抜けるだけの手腕の持ち主でないとは誰にも言い切れないのである。

 ガヤエは内心、ヒヤリとした。

 だが、よくよく見れば敵は補給隊が大砲を据え付けた後方の丘に僅かな数が現れただけで、挟撃をするのが目的であるにしては吹けば飛ぶような、あまりにも少なすぎる数だ。

 ということはあれは後方から挟撃を企てる敵の別働隊ではなく、先程報告のあった戦列を突破して逃亡の気配を見せていたという敵の小部隊に違いないとガヤエは素早く推理する。

「距離が近かった! 敵に大砲を奪われるとは!」

 元々、輜重隊に属していた砲兵隊だ。襲ってきたのは僅かばかりの敵兵でも戦闘員の数が足らず、簡単に奪取されてしまったということであろうとガヤエは見当を付けたのだ。

「これからは大砲は戦列の後ろに配置するか、あるいは護衛の兵をつけねばならんな」

 事態が分かれば、なんということはない。ブルグント軍は腹背に敵を受ける危機的状況にあるのではなく、依然として有利な状況にあるということだ。

 とはいえ後方から砲撃を受けるということは実害も無視できないし、小うるさいことには変わりがない。

 それにこのまま砲撃を受け続けると、今度は先程までのフランシア軍のようにブルグント軍の士気が崩壊し、戦局が逆転することさえ考えられる。

 ガヤエは冷静にこの事態の収拾を図ろうとした。

「勇敢な敵兵だ。だが如何(いかん)せん数が少ない。ボードゥアン隊を反転させろ!!」

 手近な部隊をもって速やかに敵を討滅し、危険要素を排除することにしたのだ。

 前線からボードゥアン隊を引き抜けば数において劣勢なブルグント軍はどうしても戦列が薄くなり、攻勢が手ぬるくなってしまう。

 流石にここまで戦の流れが傾いては、それだけで形勢が逆転することはありえないが、フランシア軍に一息つかせることになり、本隊を戦場から逃してしまう可能性があった。

「ここで覆滅しておきたかったのだがな」

 何事も全てが計画通りにはいかぬものだ、とガヤエは嘆息した。


 大砲があるとはいえ、百の兵を滅するのに多くない兵の中からボードゥアン旗下の一個旅団を動かしたのだから、ガヤエはこの情勢を甘く見ていなかったことになる。

 一方、敵軍のその動きを見たヴィクトールは、満足げに笑顔を浮かべて頷いた。

 敵の注意をこちらに振り向けることができた。これで友軍の脱出を手助けすることができたのだ。

 もちろん一個旅団が抜けたところでフランシアの劣勢が直ちに覆ることは望めない。だがこれ以上の戦果もまた手持ちの百ばかりの兵では望めないのだ。これだけでも上出来である。

 だがそんなヴィクトールと違って、配下の兵たちは追討に向かってくる敵の多さに怯えを隠せなかった。

「こちらに向かってきますぜ! どうするんです!?」

「敵をできるだけこちらに引きつけた後、後退する」

敵を引き付ければ引き付けるほど、味方は退却しやすくなるだろう。敵の眼をこちらに引き付けたはいいが、それだけで満足してヴィクトールが兵を引き、敵もそれに合わせて兵を戻してフランシア軍の追撃を再開したら、何の意味もないのである。

「引きつけるって・・・接近したら、相手は離れませんぜ! こっちは人数が少ないんだ! 踏みつぶされちまいやす!! 早く撤退いたしましょう!」

 兵士たちは悠然と立ち尽くすヴィクトールの袖を引いて、撤退を大きく促した。

 こちらが約一個中隊の戦力に対して敵はその二つ上の規模の旅団(中隊、半旅団、旅団)である。陣取るのは障害物の無いなだらかな斜面が続く小高い丘の上なのだ。正面から戦闘に持ち込まれたら、持ちこたえることすら不可能であろう。

 こちらには大砲があるではないかと思う読者諸兄もおられるかもしれないが、この時代の陸上における大砲は城郭などの固定された標的に対して曲射で撃つものであるという固定観念から、こうして敵兵相手に撃ち込んで、その威力をその目で見ても、まだ兵たちの頭では移動する敵兵相手に戦力として勘定に入れるようなものでは無かったのである。

 だがヴィクトールは丘へと向かって行軍してくる敵兵を目にしても一向に怯んだ様子を見せない。

「大丈夫だ。その為の策はある」

「策とは?」

「いいから命令に従え! 大砲に次の弾を装填して発射の準備をしておけ! それから手の空いた兵は周辺の木箱の中から、火薬の入った箱を探し、ありったけ集めて来い!!」

 ヴィクトールは未だ馴染まぬ兵たちを動かすのに自分の考えについて詳しく説明をして納得させるのではなく、上官風を吹かせることで有無を言わさず命令に従わせようとした。

 時間が無いという理由もあるが、彼らに士官学校の学友たちとは違って多少の考えの違いも納得させるだけの親しみが無いことや、この状況下で感情に引きずられずに理性的な判断が下せるかと言った疑念があることがヴィクトールをそういった行動に走らせた。何よりもヴィクトールにも心理的にそれを行うほどの余裕が無かった。

 その高圧的な物言いに反発を覚えるものも少なくなかったが、兵たちにも特にそれに取って代わるような代案も無く、仏頂面をしながらもヴィクトールの指図に従った。

 それにヴィクトールの下した命令はそれほど難しいものでは無かった。

 確かに戦列歩兵はいかなる状態であっても直ぐに戦列を組んで戦闘できるように自身で必要な量の弾薬を背負ってはいるが、それだけで時には何カ月にも渡る長い戦役を戦い抜けるわけでは無い。その予備は輜重が運搬することになる。予備とはいえブルグント一万五千の大軍を支えるとなればそれは桁違いの量となるのは自明の理だった。

 だから兵士たちは何の苦労もなく大量の火薬を発見することができた。

 その火薬の詰まった木箱や樽をヴィクトールは可能な限り集めて、丘の反対側の斜面に積み上げさせた。

「銃に弾込めしておくのも忘れるなよ。自分の分だけでなくそこに転がっている」

 と言ってヴィクトールは新品のマスケット銃が詰まった箱を蹴飛ばした。

「ブルグント軍のにも装填して一人三丁は持っておくんだ。重いがいちいち弾を込める手間が省ける。自分の銃以外は撃ったら捨てるんだ」

 ヴィクトールはあの夜、脱出するときにブルグント軍相手に使った手をもう一度再現してみようと思ったのだ。


 ブルグント兵を率いるボードゥアンは当然、ヴィクトールの思惑など知る由もない。味方の脅威を丘の上から取り除き、一刻も早く本来の前線へ取って返そうと意気込んでいた。

「数では圧倒しているんだ。蟻のように踏みつぶしてやる」

 丘の下まで兵を進めると、移動で乱れた陣形を簡単に整えただけで特に策を(ろう)することなく兵を登らせ始めた。

 フランシア兵が大砲を動かし始めた姿を見て、一か所に長時間留まって大砲の弾の餌食となることを恐れたのである。

 天然の小高い丘だ。登り口らしきものは無数にあるが、そうは言っても二十キロの荷物を背負った戦列歩兵が登るとなればなるべく平坦な道がいい。

 やはり何と言っても先程ヴィクトールらも攻め込むのに利用した真正面の、なだらかに傾斜する斜面こそが多くの兵を一度に展開するのに相応(ふさわ)しい場所だった。

 おあつらえ向きに障害物となりそうな木立や倒木も少なく、走破するのに手間は不必要だった。その分、敵の射撃を防ぐ盾が無いとも言えるが、兵の数の差がその不利を補ってくれることだろう。

 狭い一本道に戦力を逐次投入しなければならないような戦いこそ、これほど兵力に差がある場合、何よりも忌むべきことだった。


 ボードゥアンに尻を叩かれたブルグント兵はさながら巣を壊された蟻のようにわらわらと(ふもと)から丘の上目指して駆け上る。

 ヴィクトールは敵が戦列を組むでもなく、幾重にも連なって登ってくるその姿を見て大きく頷くと、兵士たちに命じる。

「よし、放て」

 敵兵の目が見える距離まで近づいてから銃を撃てとは、昔から戦列歩兵になる上で叩き込まれる基本である。そのくらいの距離でないと弾が当たらないのだ。

 ヴィクトールだってそんなことは知らないはずはないのに、敵の目どころか顔すらも判別できない距離で発射命令を下した。

 ただし撃ったのは銃ではなく大砲である。曲射ではなく、一切の角度を付けぬ水平の位置に大砲を据え付けた。

 先程、撃った砲弾が固い地面にバウンドし、兵を()ぎ払う模様を見て、砲撃を直接当てる必要はない、ならば最初から水平で射撃してしまえと実に乱暴に考えたのだ。

 ヴィクトールら素人集団には一から狙いを定めて曲射するのは難しい。それが移動する相手ならばなおさら不可能だ。水平で大砲を撃っても遠くまでは届かぬが、だがマスケット銃より飛ばないことは無いだろうといった考えだった。

 水平と言ったが傾斜した坂に設置された大砲はむしろ大きく俯角(ふかく)を取って傾いていた。

 その斜めに下を向いた砲口が火を放つと、黒く重い砲丸が勢いよく飛び出し、ブルグント兵に襲い掛かった。

 坂に下向きに設置された二門の大砲は真っ直ぐに丘の下まで障害物を掃き清めて、二本の道を作り上げる。

「すさまじい威力だ。想像以上だ」

 本来ならば数百メートル先へと砲弾を運ぶ運動エネルギーをその半分以下の距離で撃ち放ったのである。兵たちの身体が幾つあろうとも貫通力は衰えず、当たったもの全てを吹き飛ばした。

 だがその威力がブルグント兵を恐れさせたかというとそうではない。却って逆上した兵士たちは我先にと丘の頂上目掛けて駆け上がろうとする。

「構え! 撃て!!」

 ヴィクトールは今度はマスケット銃を兵に構えさせ、先頭を切って登って来た恐れ知らずの敵兵たちの鼻面に鉛玉を叩き込んだ。

 ヴィクトールは射撃をすると兵にすぐにその銃を捨てさせ、装填を済ませた予備の銃を続けて射撃させる。弾込めする間に距離を詰めようとしたブルグント兵たちを慌てさせた。

 先頭の兵を慌てふためかせ、足止めすることに成功したが、所詮それは全体の兵から見れば極一部の兵である。ヴィクトールは潮時であると判断した。

「よしここまでだ。当初の予定通り撤退する」

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