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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第五十六話 メイジェーの戦い(Ⅶ)

 とはいえいくら怒鳴ってもイアサントの声はそこまでは届かない。殴りつけて止めようにも敵がそれぞれの部隊の間に位置し、二人を遠く離している。

 ヴィクトールも前だけ見ていて後方を振り返りもしなかったから、イアサントにすれば打つ手はまったくなかった。

 一方、ヴィクトールは兵を鼓舞して前進を続けた。

「輜重は前線から一段離れた最後尾に配置するものだ。敵が何を思って前線に近いあの丘の上に配置したのかはしらないが、ともかくあそこが敵の最後尾であることは間違いない。丘にさえ辿り着きさえすれば!」

 丘の向こうには敵がいないことを強調し、兵士たちの生存願望を刺激することで兵士の心を一つにまとめて、己に足りない兵からの信望や指揮能力を補おうとしたのだ。

 丘までは遠くはないが、かといって決して近くもない。その全ての行程を渓谷や起伏を利用して姿を隠すことはできない。

 だからイアサントだけでなく他の者にも、もちろん敵軍にも、不審な動きを行っている一団の存在に気付く者は少しづつ現れ出す。

 だけど百名弱という少人数で、軍旗も掲げずに通常の行軍速度以上の速さで主戦場から遠ざかっていく彼らは、傍目には逃亡を図ろうとしているように見えるし、戦力的にも無害であろうと多くの者に思われた。

 よってガヤエのところにもいくつか報告は届いたが、そのどれもが五十から百名の小部隊が戦場を離脱を試みているといった報告ばかりであったために、大きな注意を払おうとしなかった。

 これをガヤエの怠慢と責めるのは少し酷であろう。彼のいる位置からはヴィクトールたちの動きがほとんど見えなかったし、今も眼前で行われているこの戦において全体の兵の動きを掌握しなければならないガヤエには、大局に影響を与えないであろう少数の兵にばかり視線を向けていることなど不可能だったからである。


 ブルグントの諸隊から追跡部隊が発されないことを見て、まずはヴィクトールはほっと安堵の息をつく。

「ここまで来たら、もうこっちのもんだ」

 これだけ距離が離れたら、もう前線のブルグント兵が反転してきても大丈夫である。

 この時代の兵士は今の日本の陸上自衛隊のように行軍演習を行ったことなどないし、基礎体力をつける厳しい訓練もしたことがないのだ。重い荷物を背負って長距離を走ることなど無理な話であった。ブルグント軍が通常の行軍速度で取って返しても、軽装で駆け足のヴィクトール隊との距離は広がる一方に違いない。

 危険なのは崖を下り降り、ブルグント軍の前線を擦り抜けて脱出する、その一瞬だったのだ。

 百名しかいないのである。崖を滑り降り、隊列を整える間に捕捉されたら全滅は免れないところだった。

 その第一の切所を切り抜けられたのだ。この作戦はきっとうまくいくに違いない。ヴィクトールの心に僅かばかりの光明が差しこんだ。


 フランシアの軍服を着た一団が動いている様子は目標である輜重隊には早い段階で発見されていた。輜重隊は丘の上に陣取っていたからである。

 だが通常の行軍速度をはるかに上回る速度で移動するその部隊、しかもそれが軍旗を掲げなていないことで、その一団を戦場から脱落し、敗走する部隊だとばかりに誤認していた。

「どこへ逃げようっていうんだ。フランシアに帰るのなら方角を間違えているぞ」

 当初はそう言ってヴィクトールらを馬鹿にして笑っていた彼らも、その部隊が武器を手にしたまま、一塊になって接近してきたことでその意図に気づき、大いに慌てた。

 及び腰で前に出てぱらぱらと銃を撃ちかけるが一発も弾は当たらない。武器を持っている兵士が少なかったし、そもそもまだ銃の有効射程距離にないのだ。

 弾込めする手つきもおぼつかない。先程まで相手をしていたブルグント軍の戦列歩兵の鮮やかな手並みとは対極にある動きだった。

 ガヤエ将軍も輜重隊にまで教練を施す必要を認めなかったのだ。限られた時間と予算は前線に出る兵士の教練に集中的に費やしたのだ。

「敵はまとも戦闘もしたことがないようだ! 行けるぞ!」

 ヴィクトールの指示に従って一斉射撃すると、パイク兵だけでなく銃兵も銃を逆さまにもって丘を一気に駆けあがり、襲い掛かった。

 それはやぶれかぶれの攻撃ではなく、立派な当時のマスケット銃の武器としての使用方法の一つである。

 パイク兵が戦列歩兵隊にいるということは、この時代に相当する現実世界のヨーロッパで既に存在する銃剣がこのパンノニアにはまだないということである。

 だがマスケット銃における銃床は今のアサルトライフルと同じように射撃時に肩に当て反動を抑えるといった役割の他に、もともとは火薬装填時の安定保持や、接近戦時に相手を殴るという鈍器としての使用方法があったのだ。

 常備軍の半数を占める傭兵はこの時代でも相変わらず武装は自前だったし、国庫不如意の為、志願兵であっても一人に複数の武器を与えるなどと言った贅沢は許されなかったから、銃兵の接近戦時の武器は士官や近衛隊でもない限りは銃床だったのである。

 相手も同程度の人数の上、武器も少なく、腰が引けていたこともあったが、なによりもその銃兵たちの決死の攻撃もあって、ヴィクトール隊はあっという間に敵兵を蹴散らし、丘を占拠した。

「よし、輜重を燃やして敵の注意を惹く。派手にやるぞ! ここに可燃物を集めて積み上げろ! 周囲の警戒も怠るな!!」

 ヴィクトールは兵にそれぞれ役割を分担させ、少しでも短い時間で目的を達しようと命令する。

 ヴィクトールたちは少人数であるし、後々ここから逃げ出さなければならないことを考えると、あまり時間をかけるわけにはいかなかったのだ。囲まれたら終わりなのである。

「少尉殿! これを!」

 素っ頓狂な声が響いた。ヴィクトールはただならぬものを感じて、声が響いた方、戦場に面した丘の左側へと向かった。

「少尉殿、これをご覧ください!」

 十名ばかりの兵が集まったその先には八門ほどの大砲が丘の中で平坦なところを選んで設置されていた。

 砲架に車輪が付けられて移動しやすくなったと言っても、さすがに敵に追われて慌てて逃走するときに一緒に持って行けるほど軽い荷物じゃない。ヴィクトール隊が襲い掛かるのを見て、砲兵は放置して逃げたのである。

 砲口はつい先ほどまでフランシア軍が方陣を敷き並べていた平野を(にら)んでいた。

「大砲か・・・砲身はまだ温かいな」

 とするとこれが先程、フランシア軍陣営に曲射砲撃で砲弾を撃ち込んできた大砲だということになる。

 それにしても、とヴィクトールはその奇妙な姿をした大砲に興味を覚えた。

 ラウラとの決闘騒ぎで使用した士官学校の大砲とはだいぶ趣きが違う。何よりも目を引くのは砲架に車輪がついていることだ。そして大砲の砲身が短く、口径も小さい。

 海を見たことがないヴィクトールは実物は見たことが無かったが、本などで見たガレオン船などの船舶に積まれている大砲に似ていると言えば似ていないこともない。

 とにかく、今までの陸上で使用されてきた大砲の常識とは真逆のベクトルを指して作られた大砲である。

 試しに兵士と二人で砲架を持ち上げて動かしてみると、力は必要だが自由自在に動かすことができた。

 大砲と言えば発射もだが、移動や設置に時間がかかるのが何よりもの難点であった。その問題をこの砲架は全て解決するのかもしれないとヴィクトールは興味深げにあちらこちらを触って調べまくる。

 砲身が短い、すなわち射程が短いことと、口径が小さい、すなわち威力が小さいことがこれまでの役割だった城塞攻略には色々と問題があろうが、野戦で兵の戦列目掛けて撃ち込むという新たな方法で使用するには何の問題もない。そしてその効力は先程見たとおりに、極めて有効なのだ。興味がわかないわけがなかった。

 さて、そうやってヴィクトールが大砲にかまけている間にも、兵士たちは健気にヴィクトールの命令をこなしていた。

「火薬がある! こいつは火を付けるのにもってこいですぜ! といっても吹き飛んじゃうかもしれやせんが」

「この箱だって中に入っている鉛玉をどかしてばらしちまえば、気を燃やすのにはもってこいだ!」

 兵士たちは積まれた箱を開いて、中に可燃物が無いか確認する。

「火薬と・・・砲弾があるのか?」

 先程まで敵兵がここからヴィクトールらを砲撃していたのだから、考えてみれば当たり前である。しかしその当たり前のことが迂闊(うかつ)にもヴィクトールは考え付きもしなかった。それだけ心に余裕がないのである。

 だが兵士たちの言葉でその当たり前のことに気付いたことで、ヴィクトールの脳裏に新たに閃くものがある。

「こいつを使えないか?」

 そう言って大砲の砲身を叩くヴィクトールを兵士たちは怪訝(けげん)な目で見つめた。


 丘の斜面で野戦の行く末を眺めていた八門の大砲が火を噴いた。

 しばらく鳴りやんでいた砲撃音が再び響いたことに不思議に思ったブルグント兵も多かった。

 追撃戦と言えば敵味方がまだらに入り乱れた乱戦である。そんな状況では序盤に敵陣形を乱すなど大活躍を見せた大砲も出番はもう無いはずだった。

 しかもなんということだろうか。大砲の弾は後退するフランシア軍を目指さずに、振り返ったブルグント兵たちの真ん中に落下した。

 浅い角度で飛んできた砲弾は固い地面にめり込むことなく幾度もバウンドし、進路上の兵士の身体を吹き飛ばした。声にならぬ絶叫が響き、噴き出す血飛沫(ちしぶき)が辺りを染め上げる。

 今度はブルグント軍が大混乱に陥る番だった。

「誤射か!!?」

 ガヤエは苦々しげに味方を誤射した馬鹿な部下を睨み付けようと振り返る。と、そこにあるはずのないものを見出して絶句した。

 そこにはフランシア軍の中隊旗がはためいていた。


「よし! 第一射は命中したぞ! 続いて次弾装填、急げ!!」

 大砲によって背後から直接砲撃され損害を与えられる方が、輜重を燃やすよりも相手に与える心理的ダメージは大きいだろう、ヴィクトールはそう判断したのだ。

 だが問題がないわけではない。なにしろこの小隊で大砲のことを少しでも触ったことのある者はヴィクトールだけだったのだ。

 つまり発射に当たっては僅か二回大砲を撃っただけのヴィクトールのあやふやな記憶を頼りにしなければならなかったのである。

 おかげでほとんどが勘を頼りに発射された大砲は思ったところに飛んでいくことはなかった。

「味方にも被害が出たか!?」

 火薬の量が多かったのか、あるいは砲身が思ったよりも上を向いていたか、それとも風が思ったよりも強かったのか。

 とにかく何かがヴィクトールの計算と違っていたのであろう。二発は敵の頭上を越えて逃走中の味方の中に撃ち込んでしまった。遠く離れたここからでは被害のほどは確認できないが、軽微であることを祈るばかりである。

 だがそれでも八発放った砲弾の内、四発は敵軍に損害を与えることに成功したのだ。ヴィクトールにしてみれば十分な結果だった。

 安全だと思っていた背後から突然、大砲を撃ち込まれたブルグント軍の驚きは、フランシア軍の比ではなかっただろう。

 ちなみに残りの二発は大きく逸れて無人の野に着弾した。

「今の着弾地点を考えて大砲の角度と方向をセットし直せ!」

 八門のうち敵陣に弾を打ち込んだ大砲は、もう一度同じ位置にセットし直して、先程と同じ要領で装填させればいい。

 マスケット銃とおおまかな原理は同じで、規模を大きくしただけのものだから取り扱いに関してはそれほど問題は無い。

 だが弾を真っ直ぐ五十メートルほど飛ばせばいいだけのマスケット銃と違い、距離と風向きから角度や火薬の量まで細かい設定がいる大砲はがさつな戦列歩兵には扱いづらい兵器だ。ここにはラウラとの決闘の時、ヴィクトールを手伝ってくれたアルマンやエミリエンヌのような計数に強い友人もいないのである。

 だからヴィクトールが一人孤軍奮闘して、セットしなおされた大砲の位置や方向、角度から火薬の分量まで差配しなければならなかった。

 砲兵科出身でもない、ましてや士官学校を卒業さえしてないヴィクトールのほとんどが勘で、そして若干の計算に基づいて修正が行われ、第二射が放たれた。

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