第五十二話 メイジェーの戦い(Ⅲ)
最初に野戦にて方陣が導入されたのはナヴァールの山向こうに広がるキテリアの地であったという。継承によってキテリアの地を領有することになったオストランコニア帝国の軍隊はその兵制を導入することで五十年戦争前期は戦場で猛威を振るった。
やがて各国にその兵制は取り入れられ、オストランコニアの優勢は崩れ去ることになったのだが、だが火器と槍とで武装した方陣の優位性は崩れることが無かった。
それなのにこの戦いではブルグント軍のありふれた戦列歩兵の横隊の攻撃に押し込まれていたのは何故であろうか?
ブルグント兵の勇猛さがフランシア兵に勝っていたからではない。イアサントをはじめとするフランシアの士官たちが無能だったわけでもない。
ブルグント軍が行った、時計のような正確無比な間隔の一斉射撃に圧迫されたからだ。
その斉射は個々に反撃を行おうとするフランシアの銃兵たちよりも短い間隔で行われ、フランシアの密集陣に手酷い出血を強いた。
この時代の銃の命中精度は高くない。というよりも極めて悪い。銃身の精度の問題もあったが、何よりも銃弾の精度が悪すぎる。
銃弾は溶かした鉛を型に入れて生産するが、所詮は手生産であり、大砲の弾と違い大量に生産しなければならなかったため一つ一つに時間をかけるわけにもいかず、歪だったり重心が偏ったりしていた。その為に弾は銃身の中で暴れまわり、まっすぐ飛ぶのではなく、一回一回違った軌道を描いてあらぬ方向に飛んでいった。これでは狙いをつけてるだけ無駄ということになる。であるからこそ戦列を作って一斉射撃し、弾幕を張ることで少しでも命中させようとしたのである。
だが有効射程距離で一個連隊同士が打ち合っても一回の攻撃で倒れるのは四、五人程度でしかなかった。もっともだからこそ両軍が平然と戦場に立って向かい合ったまま銃を撃ちあっていられたのであるが。
ともかくも命中率という質が悪い以上は、敵を倒すには撃った銃弾の数という量に頼らざるを得ないことは子供でも理解できることである。
単純に考えて短時間で敵軍より多くの数の弾を撃つにはより多い兵を用意すればいい。だがたかだか方面軍の一指揮官に過ぎないガヤエに兵力を増強する権限は無い。
そこでガヤエは銃を扱う際の動作を数十にまで細分化し、一つ一つの動作をかけ声に合わせて一斉に行う教練を施すことで、軍全体の銃発射速度を高めたのだ。
ガヤエは銃を装填し発射するという数多くの工程から構成される運動をひとつひとつの単純な作業に分解して、教練で何度も反復することで兵士たちの身体に刻み込ませることに成功したのだ。
これまで銃の装填から射撃という一連の動作に必要な時間は、個々人の手の器用さや習熟度に左右され、第一射以降の発砲については個々人の判断でそれぞれ発砲していたものだが、ガヤエの教練によって同時に間断なく発射することで射撃効率が上がり、なおかつ兵の間に一体感が生まれ、敵の銃撃を受けても士気が落ちにくくなった。
それに対してその攻撃を受ける側になったフランシア側は、間断なく射撃を行う相手に釣られて、焦る形で弾込めができ次第、相手目掛けて無秩序に撃ち放つ。
焦りであらぬ方向に打つものも出るし、一糸乱れぬ行動で前進、弾込、射撃を繰り返すブルグント軍に畏怖を感じざるを得ず、意図せずにじりじりと後退しつつ陣形を崩し始めていた。
これがガヤエがこの戦いで斜行戦術と並んで持ち込んだブルグント軍の二つ目の武器であり、ブルグント軍がここまで一方的にフランシア軍を押していた要因でもあった。
三方向からの射撃をされただけであっけなく突き崩されるほどフランシアのラインラント駐留軍は柔じゃないのである。
だが三方を囲まれ、数で上回れ、なおかつ手数でも上回れたら、さしものラインラント駐留軍の猛者といえども戦線を支えるよすがを持たなかった。
その余波を喰らった第三十四歩兵連隊は、イアサントの叱咤激励にもかかわらず、方陣を維持するのでやっとといった有様だった。
一端浮足立った軍はなかなか平静を取り戻すのは難しいし、一度上げ潮に乗った軍のその勢いを止めるのもまた難しいのである。
この時、ヴィクトールの位置はピエールの三中隊が作った方陣の南面にあたる。すなわちブルグント軍と正面切って正対するという一見、最悪の位置にいたことになる。
幸いにして前面には登って来るには困難な崖があり、敵兵もそこは迂回して左右に分かれて攻撃したから矢面に立つことは無かった。
とはいえ本来ならば前には崖を挟んで味方がおり、ここに好き好んで来る敵兵はいないと考えたピエールが他に士官も下士官も配置しなかったから(何度も言うようであるがラインラント駐留軍は士官、下士官が極端に不足している)、旗手かつ士官のヴィクトールは部隊の士気を保つために戦列の最前列に位置しなければならず、たまに飛んでくる流れ弾にヒヤリとさせられる場面は幾度もあった。
だがヴィクトールの心は恐怖よりも好奇心で満たされていた。
「凄い・・・! なんて凄いんだ!!」
初めて見た本格的な軍同士のぶつかり合いに興奮したのではない。それよりもヴィクトールの心をゆすぶったのは、敵兵の機械時計の秒針のような正確な間隔での一斉射撃、正面を攻撃すると見せかけて陣形を乱すことなく側面に回り込んだその部隊機動である。
いったいどうやれば兵があのような洗練された動きを取ることができるのか。そして不思議に思う。今まで何故、どの指揮官もこれを考え付くことができなかったのか。
他の部隊が、すなわちフランシア軍もだが、最初の一斉射撃の後は再び一斉射撃を行うことなく、何故、個々人が思い思いに撃つかといえば、端的に言えば熟練した人間は三十秒に一発撃つことも可能だが、新兵は次弾を撃つまでに五分以上かかることも稀ではなかったからである。つまり発射間隔を揃えるには遅い者に合わせるしかなく、却って無駄が多くなると判断されていたのだ。
だが敵軍のその一斉射撃を見るだけでその考えは間違っていることがよく分かる。
確かに熟練の射手と新兵とで一対一で撃ちあえば手数の多い熟練の射手が勝つであろう。
しかし熟練の射手というものはそうはいない。だから個人の技量頼りのフランシア軍と一斉射撃を行う訓練を受けたブルグント軍とでは圧倒的に後者の方が時間当たりの発射弾数が多かった。
何よりも一糸乱れぬ兵の行動、一斉に弾丸が飛んでくるその光景と、重なり合い響き渡る射撃音はフランシア軍の兵士たちに恐怖心を与えていた。
だがこれまでも兵に教練を施さなかった将軍がいなかったわけではない。士官学校の教本にも兵の訓練について何頁も記述されている。
メグレー将軍もフランシアの他の部隊よりはよほど教練に時間を割いている。しかし射撃は一部の者が上達することはあっても、多くの兵を上達させることはできなかった。
どうやって敵将はその誰もが突破しえなかった壁をブレイクスルーすることができたのであろうか。
ヴィクトールは飛び交う銃弾を気にもせずに敵軍が一斉射撃を行う様子を見ているうちに、はっと気付くことがあった。
敵兵は中隊単位で一斉射撃を行っていることに。そして兵が行動するごとに士官が身振りを交えて大声で命令を下していることに。
「そうか・・・! 動作を細かく分けることで単純化したうえで記憶させ、ひとつひとつ次にすることを順番に命令することで、戦場においても兵士が慌てることなく実行することができるんだ・・・!」
複雑なことを間違うことなく実行するには頭が冷静でなければとても行えない。だが多少のパニックに陥っても、単純なことならば訓練で体が覚えこんでさえいれば条件反射で行うことができる。
また教育を受けたことがないものが圧倒的に多い兵士は複雑なことを一度に全部覚え込まそうとしても、コツというものが分からずになかなか理解してくれないが、動作が単純であればそんな兵士たちであっても記憶することは難しくない。
複雑な作業を単純な動きに分解すれば工程が多くなってしまうが、ひとつひとつ覚え込ますことで問題は無くなるのだろう、とヴィクトールは思った。
きっと行軍においても同じなのであろう。フランシア軍は横一列になって前進することをなんども繰り返すことによって、速度を身体に覚え込ませることくらいしかしていなかったが、ブルグント軍は違うようである。
現にヴィクトールの目の前の崖を避け、左右に分かれて他の方陣に向けて移動しているブルグント軍は、横列から兵士が九十度回転して一列の縦列になり、直進してこんどは九十度直角に曲がり、ヴィクトールのいる方陣や別の方陣の間のスペースに真っ直ぐ行進して入ってきて、最後にもう一度九十度回転した後、横に広がって三列に並び、再び戦列を形成するという複雑な戦術起動を誰一人落伍者を出すことなくやってみせてのけた。そして、その一つ一つの行動が行われる前に必ず士官が部隊に命令を下す様子が見て取れた。
僅か百四十六日間ではあったが士官学校で齧った基本、そして何かの足しになるだろうと思って夜毎眠くなるのを我慢して読んだ教本とはまったく違った誰も見たことがない戦場の姿がそこにあった。
ブルグントのカエル野郎どもは生意気にもやけに足並みがそろっていやがる。フランシアの兵も下士官も士官も多くはその程度の感想を抱く中、ヴィクトールだけがその異質さ、異様さ、そしてそれが戦場にもたらすであろうものを正しく認識していた。
「俺は今、戦争が大きく変わろうとしている、その転換点に立っているのかもしれない」
ヴィクトールの心には、ふつふつと何かが沸き立つような感情が湧き上がってきていた。
多くの歴史小説が強調するように、このガヤエがブルングト軍に施した教練という名の軍事改革の優秀さにヴィクトールが僅かな時間で気付いたことをもってして、ヴィクトールがフランシア軍の中で卓越した存在であるとするのはどうであろうか。また、フランシアの他の士官や下士官を無能と貶めるのもどうであろうか。
実際はヴィクトールが戦闘に参加せずに崖の上で高みの見物を決め込んでいられたということが大きかったに違いない。
メグレー将軍から下士官までが退勢を支えるので精一杯で、敵兵の驚くべき動きについて考えを回す余裕が無かったということも忘れてはいけない。
「これは押し切られるのは時間の問題だな」
連隊を預かるイアサントにも打つ手がない。そもそも連隊を三つの方陣に分けて布陣したまでは良かったが、方陣と方陣の間に敵の戦列をねじ込まれて、各方陣が取り囲まれるような形となって、連絡が途絶した。予備兵力もないし、方陣を崩して呼び兵力を作るわけにもいかない。
こんな状況ではイアサントでなくとも打つ手がなかったであろう。現に他の連隊も似たような惨状だった。
ブルグント軍の苛烈な一斉射撃の前に無敵のはずのフランシアの方陣は穿たれ、倒れ、陣形は乱れ、そして押し込まれるようにして気付かぬうちに後退していた。
だがメグレー将軍にしてみれば敵の勢いが方陣で弱まったことだけで十分だったに違いない。
時間は稼げたのだ。
歩兵部隊は共に移動してきたメグレーの目が、敵に押されて苦戦を強いられている右翼部隊の方陣群を捉える距離にまで接近していた。
それだけでなく潰走した右翼の騎兵部隊と左翼から長駆辿り着いた騎兵部隊とが陣形を整えメグレーの命令を今や遅しと待ち受けていた。
「よし中央と左翼の戦列歩兵隊はこのまま前線まで前進し、苦戦している友軍を援護せよ。騎兵隊は大きく回り込んで敵兵の後ろに回り揺さぶりをかけてやれ」
メグレーの命令を聞き、息を整え終わった騎兵隊は動き出す。
特に開戦しょっぱなに醜態をさらした右翼に配備された騎兵たちは汚名をすすごうと勇躍し、後背を取るや襲い掛かった。
騎兵が突撃したからと言って蜘蛛の子を散らすようにブルグント軍が尻尾を巻いて逃げるわけではない。古代や中世の戦闘とは違うのだ。遠距離の銃撃、近距離のパイク。騎兵への対処方法は確立されている。
もちろん全体的に見れば、騎兵の攻撃力のほうが優れていることは疑いの余地がない。
ブルグント軍は反撃して騎兵による戦列分断を防ぐことに成功したが、損害を被ったことは間違いなかったし、正面と背面、二方向の敵に対処するために優勢に進めてきた正面のフランシア方陣への圧力を弱めざるを得ず、結果としてイアサントたちに息を吹き返すだけの余裕を与えてしまった。
背面では隙あらば襲い掛かろうとする騎兵への対処で追われ、正面ではせっかく押し崩した方陣を組み直され、逆にじりじりと前進を許してしまう。
このままでは最深部まで進んだブルグント軍左翼はいずれ磨り潰されてしまうだろう。
「騎兵には騎兵だ。もう一度、味方騎兵を敵にぶつけて追い払え」
ガヤエは方陣が崩れた瞬間に投入するために取っておいた騎兵隊をもう一度左翼へと回してフランシアの騎兵隊に側面強襲を敢行する。
混戦が始まった。騎兵、戦列歩兵、方陣、あらゆるものがあらゆる組み合わせで戦い、一進一退の攻防が繰り広げられた。
戦の流れは完全に淀んで停滞した。
兵の機動や射撃にはブルグント側に一日の長あり、だから局面局面ではどちらかというとブルグントが優勢である場面が多く見受けられた。
だが兵の数はフランシアが圧倒的に優っている。どんなに優れた兵であろうとも長時間戦えば消耗し、終には使い物にならなくなる。そう考えると新手を投入し続けられるフランシアが有利になる局面が来ないとは言い切れなかった。
メグレーにもガヤエにもこの時点では勝利への確たる自信は抱けなかったのである。
この局面を打開したのは、そしてラインラントにおける戦闘を、いや、パンノニアにおける野戦を一変させたのは一人のブルグント人の士官の言葉であった。
その士官は後方から馬に乗って近づいてくると、敵の反撃に崩れた戦列を整え直そうと悪戦苦闘するガヤエ将軍に何の考えもなく無造作に声をかけた。
「我々は次にどう行軍すればいいのでしょうか? 前を歩兵隊が塞いでいますし、かといって迂回しようにも悪路が続き、大砲などの重量物の多い我が輜重隊はこれ以上前進できません。坂の途中で立ち往生して困り果てているところなのです」
ガヤエが振り返るとそこには輜重隊の長がおよそ戦闘中とは思えない緊張感のない顔で指示待ち顔をして立っていた。
ガヤエは無性に腹が立った。こちらは大勢の兵士たちの命がかかるという大変な重圧の中で一瞬の決断を行わなければならないのだ。そんなくだらない用件は後回しにしてくれというのが本当のところだった。そもそも何のために各部隊に部隊長がいると思っているのだ。
「それくらい己で判断しろ! お前の首から上はブリキ製の飾りなのか? あぁ!? この阿呆が!!」
ガヤエはその士官を睨み付け、大声で一喝した。
「は、はいっ! も、申し訳ありません!」
普段は人当たりのいいガヤエの怒顔に士官は驚いて、頭を深く下げると大慌てで逃げ出した。
去りゆく士官の背中から一度視線を外したガヤエだったが、一拍の間をおいて振り返ると何を思ったかその士官にもう一度声をかけた。
「・・・いや、待て。待つんだ!!」
「な、なんでしょうか」
ガヤエの言葉に足を止めた士官は再び怒られるのではないかとびくびくした様子で返答する。
そんな彼にガヤエは先程とは打って変わって温顔を向けた。
「お前の部隊には大砲と、それを預かる砲兵隊がいたな」
「はぁ・・・・・・それが何か」
大砲、それがガヤエがこの戦場に持ち込んだブルグント軍の第三の武器だった。前二つの武器と違って、これはガヤエが戦場に持ち込むことを前もって計画していたわけではなかった。
だがこの大砲こそがメイジェーの戦い以降の戦場の景色を一変させ、革命戦争におけるヴィクトールの代名詞ともなる武器になることとなったのである。




