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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第四十八話 啓蟄

 だが彼らはすぐにイアサントと接触することは無かった。出来なかったのである。イアサントの性格が彼らに二の足を踏ませたのだ。

 イアサントはあの若さで大佐にまで上り詰めた。有能な連隊長であり、順調に出世を遂げているかのように見える。だが有能な連隊長は育てようと思って育つものじゃない得難い存在だ。フランシア軍にとっても貴重な宝だ。

 軍団長、あるいは軍本部の高官などのより大きな組織を率いることができる人材に育てようと、部署を移動させ、様々なことを経験させようとするものである。

 それをいつまでも危険なラインラントに置き続けるというのは本人に何かしら問題があるからだ。

 イアサントの場合、それは直言癖だ。命令には素直に従うものの、自分の意見と違うと思うと何かと意見することが多く、上司と衝突し、連隊長となってメグレーの下に辿り着くまでにいくつもの軍団、連隊を渡り歩かねばならなかった。

 上官に意見するのは近代以降の軍隊と違って決して許されないというわけではない。だが出世を考える賢い者のすることではないだろう。

 イアサントにもそれが理解できぬはずはない。だがあえてそう行動してしまうのは、自分の中に他人の尺度では絶対に()げられぬ固い考え方の定規があって、それと食い違ったならば後先かまわずに思ったことを言ってしまわざるを得ないのである。

 良く言えば正義漢、悪く言えば融通が利かない。根本的には賢いが、賢く生きてはいないと外部の者には見えるのだ。

 そのイアサントがターバート伯爵夫人の口車に乗って新人の少尉に危害を加えるという話をしても乗り気になるかどうか。

 出世や見返りの大きさと軍隊の内部秩序の優先という自分の仕事とでは後者を選ぶ確率が高いのではないか。そう心配したのだ。


 戦と教練がない時の連隊長は暇なものである。イアサントはランタンの火で干し肉を(あぶ)ってはちびちびと口に運んで味わう。勤務時間でないならば酒が欲しいところであった。

「グランボルカです。姐さん、お時間よろしいですか?」

 グランボルカは三人いる連隊付き副官の一人だ。連隊付き副官は中隊長と同じく大尉だが、連隊長になる前のステップとみなされているため、人員不足のラインラント駐留軍においても貴族出身の士官しかなれないポジションである。

「入れ」

 入室し、上官に向かって丁寧に敬礼するグランボルカに対してイアサントは目も合わせずに雑な敬礼を返すと、再び干し肉を炙りだした。

 上司にそんな態度を取られたら普通なら十分に憤慨ものだが、上官のそんな態度にも慣れっこになっているのか、グランボルカは眉ひとつ動かさずに淡々と報告を続けた。

「うちの連隊で怪しげな動きがあるんですが」

「怪しげって、具体的にはどんなだい?」

 十分に柔らかくなっていなかったのか、イアサントは一度口に放り込んだ干し肉を、口から戻すと再びランタンの火で炙り直す。

「モンターニ中尉の下に手紙が届きましたんで」

 ラインラント駐留軍への手紙はモゼル・ル・デュック城へまとめて届けられ、そこから分配されて各連隊、そして各中隊へと輜重を通じて届けられる。連隊に届いた手紙は一度は彼の手元を通ることになる。だが、それは通常業務だ。たかが手紙が届いたことが怪しいとはどういうことであろうか?

「モンターニ中尉・・・ピエール中隊の中尉だったか。奴は確か下士官からのたたき上げでなく士官学校出の士官・・・だが地方の郷士の出だったはずだ。手紙とは奮発したな。何か実家で急用でも起きたかな?」

 このフランシアにおいて郵便料金は極めて高い。元々、郵便は国王や貴族あるいは教会などの限られた世界の内にて行われてきた個人的な書簡の遣り取りが母体となっている。

 そこに各地に現れたブルジョアジーが商取引に使用していた商用郵便を吸収することで事業化し、王室が各国や貴族に出す手紙、国の官吏が出す手紙などにかかる莫大な費用を減らそうとしたのである。

 民間業者を全て国家の力で強制的に公社に編入し一本化したことでコストを安く抑えることができると考えたのだ。

 だがそれらすべてを合算しても郵便物の量は微々たるものだった。多くの民衆は自分の周囲、目の見えるところだけを己が世界として暮らしていたのである。手紙を出すという風習が無かった。自然と郵便料金は高くならざるを得ない。高いとなればますます利用は減る。利用は減っても、赤字であるから料金は下げられないと、公の郵便システムはまさに負のスパイラルに陥っていた。

 もちろん中尉ともなれば月々それなりの報酬が出されるから、決して払えない額ではない。だがいくら衣食住が保証され、お金をつぎ込むような娯楽がないラインラント勤務であるとはいえ、気軽に出せる金額ではなかった。

「ここ二週間で二通発送し、三通受け取っております」

「三通もか!?」

 出した数よりも受け取った数に驚いたのには理由がある。この時代は全国一律の郵便料金も、まだ切手も無い時代、郵便システムが未熟なため紛失も多々あることから郵便料金は受け取り人が払うことになっていた。

 手紙の枚数、手紙を運んだ距離にもよるが、二週間で三通も受け取ったら相当な額に上る。給料の三分の一から四分の一は無くなる計算だ。

「確かに少し変だねぇ・・・でも例えば親が重体だとか特別な理由があるのかもしれないよ。気にしすぎじゃないかい?」

「その可能性もないとは思うんですがい。ただ・・・配属以来、モンターニ中尉は手紙なんぞ貰ったことも出したこともねぇ。それに差出人が問題だ。おそらくターバート伯爵夫人かそれに縁あるものではないかと思うんです」

「・・・中身を見たのかい?」

「まさか! 俺は人の手紙を盗み読むような、そんな恥知らずじゃねぇですよ!」

 軍隊と言えば情報の秘匿(ひとく)の観点から軍隊内の手紙は検閲されるものだと日本人は思いがちだが、そういったことが行われたのはどうも日本など極一部の国だけであったらしい。もちろん兵の手紙を検閲しない国でも外国に出される手紙や、あるいは機密保持が要求される兵器の開発現場などから出される手紙類はしっかりと検閲を行ったようではある。

 だがどちらにせよ、それらが行われたのは日露戦争や第一次世界大戦以降の話であるようだ。時代背景を考えると、当然、このフランシアにおいては行われていない。

 別に人権意識が高かったからではない。情報の伝達速度が遅かったこの時代、例え兵が手紙を出して、そこにうっかり軍事機密を書いたとしても、それが敵国に伝わるころには情勢も変化しているから問題ないとでも考えていたのだ。あるいは情報そのものをまったく軽視していたとも考えられる。

 情報という目に見えないものが持つ力をまだ誰も注視していない、そんな時代である。

「ただ封筒が透かし彫りが入った、見たことないほど上質な紙でしたし、封印の蝋に押されていた刻印が三回ともダルリアダ家の紋章でした。それに二週間前といえば例の問題児がピエール殿のところに配属された頃です。あまりにも符号が一致しすぎるのではないかと思いまして」

「モンターニ中尉の出身地はシャテルローだったな・・・・・・ダルリアダ公爵領内の一都市だ。まったくの繋がりが無いというわけではないか」

 イアサントはそこまで言うと急に押し黙り、尖った顎に手を当てじっと考え込んだ。

「臭いね。ぷんぷん臭うな」

「でしょう?」

「よし、お前はモンターニをそれとなく見張れ。気取られるなよ」

「そんなヘマするもんですか。しかし見張るだけでよろしいんで? 動きを止めないんで?」

 部隊内で何かが起きれば当然、連隊長にも監督責任がある。グランボルカにとってイアサントは尊敬すべき上司であったから好意も込めて報告したのに、積極的に動こうとしないその動きは少し理解不能だった。

イアサントはグランボルカの困惑を見て取ると、にやりと笑って自身の行動について説明する。

「相手の出方が分からなければ対処の仕様は無い。それにあの男は士官ではないかもしれないが、士官候補生であることは間違いがない。それくらい自分一人の力で跳ね除けられなくてどうする。戦場で敵と相対するにはその何倍もの勇気と知恵とがいるんだ。今回のことはあの男にとってはいい経験になるし、我々にとっては士官適性を計るいい機会だ」

 イアサントは連隊長としての責務を放棄したわけではなかった。

 それにジヌディーヌのことを知らないイアサントは、モンターニが何かするにしても大したことはあるまいと高を(くく)っていた。貴族のお嬢ちゃんがプライドを傷つけられた腹いせに、よくある新入りいびりのような軽い嫌がらせをさせる程度だと考えていたのだ。

「それで大丈夫ですかね。変なことにならなきゃいいんですが」

 イアサントはカラッとした女性であるが故に他者の陰湿さ、特にプライドに凝り固まった大貴族が顔に泥を塗られたと思った時の怒りの感情を計算に入れていないのではないかとグランボルカは不安に思う。

「本当に危なくなったら救ってやるさ。だが、そうならばそれまでの男だね」

イアサントはそう言うと、もう興味をなくしたとばかりに再び干し肉炙りに精を出した。


 光陰矢の如し。ヴィクトールが赴任して半年があっという間に過ぎ去った。

 その間、ヴィクトールの身になにか災難が降りかかって来るということは無かった。

 ヴィクトールに対して思うところのある連中が怪しげな企みを諦めたわけではない。新任の士官としてヴィクトールはほとんどの時間、中隊長であるピエールの側で様々なことを学ばねばならなかったため、付け入る隙を見いだせなかったのだ。

 それにモゼル・ル・デュック城は狭い城だ。ピエールだけでなく他の兵士たちの目がいつも光っている。おいそれと簡単には手が出せなかった。

 半年経ってヴィクトールの身辺で変ったことと言えば・・・

「よし、いいぞ! だいぶ様になって来たな!!」

 高々と軍旗を掲げて一定の速度で歩く姿をピエールに褒められるようになったくらいだ。

といっても馬鹿にしたものでもない。少尉の一番の仕事は戦場において軍旗を掲げることであるのだ。

 軍旗は絹地に目にも鮮やかな金糸や銀糸で刺繍され七十センチ四方の大きさがあり、風をいっぱいに受けると持っていかれないようにするのに苦労する。しかも戦場では兵と同じ速度で前進しなければならないし、歩いているときに支柱が左右にぶれてもいけないという思ったよりも過酷な仕事である。

 銃弾の飛び交う中、歩兵の前面に立って戦列を引っ張る下士官ほど危険な仕事ではないが、中隊の真ん中に位置する中隊長のすぐ後ろ、三列の横隊の一番前の列という危険な場所に位置しなければならない。

 戦列歩兵と違って手に持つのはマスケット銃ではなく軍旗なのだから、戦場で武器もなく立っているということを考えれば度胸が必要になる仕事だ。

 流石に中世以前と違って混戦になることは少なく、中隊は軍旗を中心に集まって行動することはまずない。すなわち連隊長、中隊長の指示に従って行動することになるが、それでも戦闘中に軍旗が見えなくなると部隊の士気も下がるから、武器を持つために旗を降ろしたり、危ないからと言って逃げてはいけないという不条理な仕事であった。

 そして古代より続く風習の一つとして軍旗が敵に奪われることはとんでもない不名誉である。時に部隊の全滅を覚悟してでも取り返しにいかなければならないとまで考えられていた。

 であるからむやみやたらと逃げてはいけないが、敵に奪われそうな状況になる前に重い軍旗を抱えて逃げなければいけないという二律背反の義務を背負わされた役職である。

「だがまだ風が吹くと旗が大きく左右にぶれるぞ。俺が少尉のころはそれはもうあまりに見事に旗を揚げたもので中隊だけでなく連隊中の人間が振り仰いだものさ。旗揚げピエールと呼ばれてたんだ」

「はぁ・・・」

 気乗りのしない返事をしつつ、自慢げに鼻息で揺れるピエールの白髪交じりの髭を見ながら、果たしてそれは名誉的な称号なのだろうかとヴィクトールは疑問に思った。


 春になるとマシフパティエドゥシド山脈を真っ白に染めていた雪が溶けはじめ、ライン河の水位は一気に上昇する。

 平野部の雪は完全に溶け、ラインラントの野は一面の新緑で彩られた。

 補給、行軍に適さない冬の間は活動を停止していたフランシア、ブルグント両軍も啓蟄(けいちつ)の蛙のようにもぞもぞと動き始めるのもまた、毎年の年中行事であった。

「今年は歴史的な年になるぞ」

 部下を集め、そう演説したのはガヤエ将軍である。去年春のラインラント攻防戦で三公女の身柄こそ押さえられなかったものの、多数の捕虜と八万アルパンもの土地を確保したことでガヤエ将軍はブルグント軍において確固たる地位を築いた。もはや宮廷に彼の才能を疑うものは一人もいない。国王の信認も厚く、この冬の間に必要ならば近隣の自身の手勢以外の兵と大軍勢を賄うに足る物資を動かす許可を得た。

 兵力と物資不足で先の戦闘を中途半端なところで決着させねばならなかったガヤエ将軍としては、今度は大兵力をもってしてラインラントにおける両国の長年にわたる争いに終止符を打つつもりだった。

「先の勝利でモゼル・ル・デュック城への道は開けた。国境と城との間に軍を布陣して我らを迎え撃つに相応しい要衝は無い。城を貰いに行こうじゃないか」

 ガヤエ旗下の将軍たちは一斉に笑う。ガヤエの言葉を放言ととらえて馬鹿にした笑いではない。ガヤエの言葉に同意を表した笑いだった。

先の大勝利でガヤエ将軍は配下の将軍たちの信認をも大きく勝ち得た。あれほど反発していたボードゥアン将軍などは今や一番熱心なガヤエ将軍のシンパである。モゼル・ル・デュック城の攻略に成功した武人はいまだかつて存在しないが、ガヤエの指揮下にいればそれだけのことも為しうると皆が信じているのである。

「モゼル・ル・デュック城を奪えば、もはやフランシアにはラインラントを支える術がない。ラインラントを放棄せざるを得んでしょう。となれば我々が長年に渡るフランシアとの戦争を終わらした功労者ということになりましょうな」

「当然、恩賞も莫大なものとなるということですな」

ボードゥアン将軍の軽口にまたまた笑い声が溢れた。

「隣接するナヴァール辺境伯が動けば厄介だが、おそらくは動けないだろう。最近、国境地帯が騒がしいからな。それに動く隙を与えぬ。一気に攻勢をかけ、ナヴァール辺境伯が動く前、夏頃にはフランシアの奴らを一兵残らずラインラントから叩きだしてやる」

「ですが敵も我々が城を獲るのを指をくわえてみてはくれんでしょう。というよりも敵にはそれなりの奮闘を期待したいところですな。少しは歯ごたえがないと恩賞がもらえんかもしれん」

威勢のいい意見が支配する中、将軍の一人などは敵の奮闘を期待するかのような言を吐いた。それだけ自分たちの勝利に自信があるということなのであろう。

「ま、敵の大将はメグレーだ。無能ではない。我々も多少は苦労をしなければならんでしょう」

五十年戦争の英雄の一人、メグレー将軍の名はここブルグントにおいても知れ渡っていた。

「名高いメグレー将軍の手腕、この目で見せてもらうとするか」

ガヤエは周囲の将軍たちに合わせておどけた口調でそう言ったが、目は真剣だった。

 なにしろガヤエが生まれる前に既に戦場で一軍を率いていた老将だ。その戦歴を軽んじることはできない。

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