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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第三章 軍神対軍神
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第四十六話 少尉未満

 イアサントはヴィクトールを観察するかのように周りをぐるぐると周回しながら矢継ぎ早に言葉を続ける。

「さて本来ならば新任士官に訓示と激励の言葉をかけるのが上官の役割だが、あたしはそう言ったことは苦手でさ。代わりに士官学校では教えないような、この部隊ならではの注意点を教えておこうと思ってる。ここではその方がより実質的で有用な話だと思うしな。心して聞きな」

「はい」

 ヴィクトールの返事にイアサントは満足げな表情を浮かべ、説明を続けた。

「ここではブルグント軍と年平均三、四回は衝突が起きる。その度に戦死者が出るというわけ。だからラインラント駐留軍は慢性的に士官不足なのよ。特にこの部隊はどういうわけか来る士官来る士官、とにかくよく戦死する。この間も一人死んだ。今も欠員が・・・・・・」

 イアサントは指を折り折り数えだした。右手の指を全て折り、それでも足りなかったのか左手の指を折りだしたのを見て、ヴィクトールは愕然とする。よくそれで軍隊としての最低限の働きができるものだ。

「十二名ですよ、姐御。こいつが来たから十一名ということになりやす」

「ああ、そうだった。十二名だね。我が連隊は十八個中隊からなり、中隊長である大尉、その補佐をする中尉、少尉が士官ということになるから五十四名中十二人・・・ま、約四分の一が足りていないってことになるね。しかも既に欠員を補充する為に叩き上げの下士官を特例で空いた役職に任じて、この数なのさ。だけど彼らを士官学校を出ていないからと言って見下したりするんじゃないよ。叩き上げということを卑下する気持ちも、誇りに思う気持ちも合わせ持っているからね」

「心得ました」

 幸いヴィクトールは相手が平民ということで態度を変化させる性質は持ち合わせていない。相手の階級に合わせた態度を取るまでだ。

 だがイアサントがこのことをヴィクトールに対して特に注意した理由は分からないではない。

 平民を蔑視(べっし)する、すなわち(おのれ)の出自が貴族であることを誇りに思うというのは大貴族特有の考えというよりは、どちらかというと己の出自以外に誇るべきものがない貧乏貴族たちが持つ感情ではある。

 そしてラインラント駐留軍に派遣される士官など貧乏貴族と相場が決まっている。ヴィクトールも御多分に漏れず立派な貧乏貴族である。そういった連中と同一視されたとしても仕方がない。

 ヴィクトールがそうでないのは、商人の家で育てられたことから貴族というものにアイデンティティを持っていないのかもしれないと自分でも思う。

 だがそれは同時に聞き捨てにできない情報でもある。ラインラントの士官不足は噂よりも酷いということだ。軍としての形式すら整っていない。いかにメグレー将軍が名将であろうとも、このような軍を率いては勝利を得るのは難しいことであろう。すなわちヴィクトールもうかうか過ごしていれば死にかねないということである。よくよく気をつけねばならないだろう。

「そして臨戦態勢で日々、死と隣り合わせの兵たちは気が立っている。ここに回されるような兵は正直、元々の質に多少の問題がある人間が多いし、古株と補充兵、傭兵と志願兵、雑多な混成の部隊は人間関係も複雑だ。部隊内で揉め事が起きぬように気を配りな。敵と戦う前に味方同士相争うような真似だけはするな。それとお前は士官だけど、やたらと威張り散らして反感を買うんじゃないよ。あくまでも新米なのを忘れるんじゃない。謙虚に接しな。士官と兵とが対立することも珍しくないからね。だからといって間違っても下手には出るんじゃないよ。兵は猿みたいなもの。目の前の男が自分より格下と思えば命令を聞かない。絶対に舐められるような真似だけはするんじゃないよ。味方のうちに争いがあれば戦場で上手く働かないのさ。その僅かな(ほころ)びから軍全体が崩壊しかねない。くれぐれも気をつけな。困ったこと、問題があったなら直ぐに上官に報告、対処を仰ぐんだよ。なんでも一人で解決しようとするな」

「はい」

「それから最後に言っておく。ここは軍隊だ。士官学校とは違うということをよく覚えておきな」

「それは分かっております」

「本当に分かっている? 上官の命令は絶対だよ。気に入らないからとターバート伯爵夫人を殴ったようにはいかないよ。上官に文句があっても殴るどころか口答えもしちゃいけない。それを理不尽だとは思うんじゃないよ。兵が下士官の、下士官が士官の、士官が将軍の命令を聞かなかったら、軍はどうなっちゃう? 人間の手足が勝手に別々に動いたら喧嘩もできない、わかるだろ? 理不尽であろうとも上官の命令は聞かねばならないのさ」

「重々承知しております」

「返事だけは立派だな。ま、とりあえずはその態度に免じて信じてやるとするか」

 イアサントは横に控えていた中年の士官を指さした。その男は髪に白いものが混じるが頽齢(たいれい)というほど年老いてはいない。どちらかというと長年の戦場暮らしや気苦労で年よりも老けて見えるが、実際の年齢は四十絡みといったところであろう。

「ピエール、こいつはひとまずお前に預ける。一月以内に最低限のことを覚えさせ、三月で一人前の士官に育て上げろ」

 確かに人手不足なのだろうが、士官という職業は三か月でものになるような仕事ではないはずだ。しかもヴィクトールは士官教育を中途で打ち切って実地で覚えなければならない身である。それは短すぎやしないだろうか。

 ヴィクトールのその不満と不安は思わず顔の表層にまで現れていたのか、イアサントは目を細めて口の端を曲げる。

「何か不服そうだな」

「まさか、そんなことはありません」

 不服はあるが、先程、上官の命令は絶対であると釘を刺されたばかりである。さすがのヴィクトールもいきなり不満があると正直に言うほど馬鹿ではない。

「ふふん、まあいい。三か月で覚えなければ戦場で死ぬだけさ。敵はお前の都合など知ったこっちゃない。一人前の士官になるまで待ってはくれないよ」

 イアサントはそう言うと意地悪な笑みを浮かべた。


 まずは一番気苦労の多い、新しい上司たちとの面談が済んでヴィクトールもようやく肩の荷が下りた。

「付いて来い。歩きながら話そう」

 ヴィクトールは共に詰め所を出たピエールに声を掛けられ、歩調を合わせ歩き出す。

「はい」

「腹は減ってないか? 何か欲しいなら用意させるが・・・」

 何があるか分からないからモゼル・ル・デュック城が見えた時点で、士官学校で持たされた保存食を馬車に揺られながら腹に詰め込んでいた。もっとも味もそっけないものだったし、量も満足できるほどではなかったから、何か食べさせてくれるなら御馳走になりたい気分はある。

 しかし新任士官が来ていきなり、まず腹ごしらえするというのも外聞が悪い。

「大丈夫です」と断りを入れる。

 しかしヴィクトールの直近の上役となったピエールと呼ばれた男は(いか)つい外貌とは裏腹に気さくな男である。だが明らかに年下のイアサントに昇進で抜かれ、この年で大尉どまりということは人の好さだけが売りの万年大尉かもしれないとヴィクトールは失礼極まる値踏みをした。

 ピエールはそんなヴィクトールの内心など知る由もない。口数の少ないヴィクトールの姿を見て、初めての職場に緊張しているのだと思って、緊張をほぐそうと軽く肩を叩いた。

「姐御のことは気にするな。ああいうお方なんだ。口は悪いが人情に厚い。第三十四歩兵連隊は軍隊としての質はお察しだが、あの方の指揮官としての才は一流だ。困難な職場で、尊敬できる人の下で働く。これほど人を成長させることは無い。お前が士官として一人前になる教育の場としては悪くないところに来たかもしれんぞ」

「はあ」

 確かに人を鍛えるには最適の場かもしれないが、鍛えられるのに相当の精神力が必要となりそうだし、修練をドロップアウトする率も高そうだ。人を育てる場じゃない気がするなとヴィクトールはピエールのその考えに賛同しかねる思いだった。

「さて、ヴィクトール君。辞令によると君は未だ学生の身で正式に少尉に任じられたわけではない。だが少尉待遇で扱えとのことだ。学校で習ったかどうかは知らないが、一応、説明すると、少尉というのは中隊の中で三番目に偉い存在だ。中隊首脳部は普通、中隊長一人、中尉一人、少尉一人の士官三名で構成されるからな。そして俺は三つの中隊を預かっている。そのうちひとつの中隊付きの少尉として遇しよう」

 ヴィクトールはピエールの言葉に首を傾げる。

「一人で中隊を三つもですか? 欠員があると言っても、士官は中隊に三人もいるじゃないですか。中隊長ばかり戦死するものじゃないでしょう?」

 それにたとえ中隊長だけ十二人戦死したとしてもだ。そういった場合、残された中尉が昇進して部隊を率いるのが筋ではないだろうか。

 このピエールというおっさんが見かけに反してどんなに有能であろうとも、掛け持ちすれば部隊長としておろそかになる個所が多々出るであろう。人一人が部下として掌握しきれる人数というのはだいたい百人であると言われているのだ。

「特例で下士官を士官に昇格させていると言っただろう? 本当の欠員は十二人どころじゃないのさ。何より軍には貴族だけが兵を率いることができるという不文律がある。士官学校を平民に解放したからには、この内規もいずれは無くなるのだろうが、とりあえず今はそれに従わなくちゃならんのさ。実質的に中隊長の役割を果たしていても、彼らは公式には中隊長ではないというわけだ。あくまでも中隊長代理に過ぎん」

「一人で中隊を三つも管理して大変ではないんですか?」

「それぞれ古株の兵に隊の実務は預かってもらっている。だから日頃はそれほど煩雑(はんざつ)な仕事があるわけじゃない。だが部隊の人心掌握に長けたものは兵の指揮ができず、兵の指揮ができるものは部隊の中の人間関係の調整ができず・・・と、まさに帯に短し(たすき)に長しってやつだな・・・かくいう俺も戦場では三隊全てを完全に掌握するのは困難で、どうしても一本調子な雑な進退に終始してしまう。この連隊、どこもそんな調子でな。中隊長になれる人間が何人も欲しいというのが実情さ。もっとも士官どころか下士官も足らんがな。なにしろ兵士ならば傭兵なり募兵なりで補充は聞くが、士官や下士官は一朝一夕に育つもんじゃないのに、補充が来ない。他の地域の部隊の連中は危険なラインラント駐留軍に行きたがらないしな。だからヴィクトール君は将来的に俺に代わって中隊の一つを預かってもらうことになるだろう。といってもしばらくは少尉として士官の見習いだ。安心しろ。一人前になるまでは俺が補佐してやるからな」

「ありがとうございます」

 さすがに人手不足と言っても、ヒヨコ以下のヴィクトールを何も教えず前線に投入するというわけでは無さそうだ。ヴァイクトールはひとまず安堵する。

「ははは、いきなり重任を与えられずにほっとしたか」

「士官学校にいたのは半年余りです。新任の少尉としても半人前のヒヨコでしょう」

「そう言うな。どうせ士官学校を卒業しても、直ぐに使い物になる士官などおらんのだ。机上の学問と実戦は大きく違う。それに勉強や実戦で得た経験でその差を埋めることはできるが、士官は持って生まれた素質が物を言う。向いているかいないかだ。どうだ? 一度、自分が天才か試してみるか? いきなり一個中隊を預けてやってもいいぞ」

「遠慮いたします」

「俺の本音だぞ。だがまぁ・・・やめておくか。なにしろラインラントでは一年に四回は武力衝突がある。命のやり取りをする戦場往来を重ねた古強者は頑なで、滅多な者の指揮には従おうとしないからな。なにしろ愚かな指揮官に従えば命を失うからな。ブルグント軍がいつ来るかは誰にもわからない。こちらが武力進攻することもある。それまでに君が部隊の人心を掌握しきれるとは限らない。士官と兵とが反目していては、その部隊から戦線が崩れて軍が敗北してしまう。俺が良しと思うまでは部隊の指揮権は渡さないほうが君の為にも兵の為にも軍の為にもよかろう。かといっていつまでも半人前でいられては困る。ビシバシ鍛えてやるからそのつもりでいろよ」

「はい」

「場合によっては下士官として働いてもらうかもしれん。その覚悟はあるか」

「はい」

「良く言った。それでこそフランシアの貴族である」

 ピエールが述べた言葉の意味が分からないかもしれないから説明を入れておく。

 第三十四歩兵連隊は戦列歩兵と呼ばれるマスケット兵を主力とする連隊である。彼らの大きな役割は三列の横隊を組んで戦場に戦線を作ることである。

 戦列歩兵隊はまずは両軍とも銃弾の届かない位置で戦線を形成し、有効距離が五十メートルと言われるマスケット銃の射程まで隊形を維持したまま行進して敵陣へ接近するのだ。

 下士官は兵の行軍中、三列の戦列歩兵のさらに前に位置して兵を引率する。そして敵に近づいたのちに列ごとに敵陣に向けて射撃、再装填、再び射撃を繰り返し、相手の陣形を崩れさせる。

 だが相手まで五十メートルの地点といっても地面に線が引かれているわけではない。射撃に入る距離はそれぞれの中隊長が決めることになる。つまり敵味方同時に射撃に入るわけではなく、場合によっては行軍しながら敵からの射撃を一方的に受けることだってありうるのだ。

 また敵の一射目をあえてやり過ごして接近し、敵が再装填を行っている間に射撃をすることで命中率を少しでも高めるという手法もあることから、戦列の前に立って行軍する下士官はそれだけ死傷する確率が高くなる。

 また下士官の第一の役割は戦闘中の兵の逃亡を防ぐこと。逃亡する兵をサーベルで惨殺、あるいは銃殺するのが主な任務だ。

 傭兵が主体のこの時代、軍の士気はとかく低く、形勢不利となれば逃げだすのが当たり前だったし、それどころかちょっとしたことでも逃げ出すことがありうる始末なのである。

 そして士気が崩壊して全面潰走に入れば兵の処罰など行っている場合じゃない。下士官も逃亡するだけである。すなわち逃亡兵の処罰の基準は下士官にあり、曖昧であった。その為、下士官は兵から恨まれる存在でもある。

 兵に何らかの形で殺されることも十分ある。貴族がやるには割に合わない仕事なのである。

 だからヴィクトールのその覚悟がピエールに褒められたのだ。

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