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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第四十三話 見えない障壁

「この落とし前をどうつけるつもり!? さぁ、言ってごらんなさい、ジヌ!」

 鼻息荒く詰め寄るラウラをジヌディーヌは椅子に座りながら取り澄ました顔で受け流した。

「言い掛かりも大概になさい。私はこの傲慢無礼な男を懲らしめなさいと命じた覚えはありますが、ラウラさんを(さら)えなどと命じた覚えはございません」

 その場にソフィーがいるからだろうか、普段のジヌディーヌにはありえないほどの丁寧な言葉づかいである。だがそれが却って慇懃(いんぎん)無礼さを感じさせ、聞く者には鼻に付いた。

「それにそこの───」

 ラウラの後ろに半ば身を隠すようにしてジヌディーヌをじっと見ている小さな少女を指さした。

「エミリエンヌさん・・・でしたかしら? その方は名前どころか顔すら存じ上げませんでした。存在も知らぬような方を攫えなどと命じる人がおりますか?」

 何処までもとぼけて言い逃れるつもりのジヌディーヌにラウラは苛立ちを隠せない。

「言い逃れるつもり、ジヌ!?」

「言い逃れなどいたしてません。事実を並べただけですわ」

 そう言うとラウラの言葉など聞きたくもないし、顔も見たくないと言わんばかりに目を閉じて横を向く。

「ジヌディーヌさん、貴女のおっしゃっているとおりなのかもしれません。ですが、死亡されたシメオンという方は貴女の意を受けて動いていた。そしてそのシメオンの指示に従って誘拐犯たちはこの二人を攫ったと供述しています。貴女に一片たりとも責任がないとは申せないのではないのですか?」

「マリアンヌ様もこうおっしゃられているのよ! なんとか言ったらどう!?」

 ソフィーとラウラの言葉にジヌディーヌは何かに気付いたのか薄目を開けると斜めに構えて口を曲げる。

「・・・・・・・・・・・・あら? ソフィーじゃないんだ。『マリアンヌ様』なんだ。マリアンヌ様、正体を隠して庶民のふりをする例のお遊びはもうお仕舞になられたのですの? こちらも色々と協力して秘密にしてさしあげましたのに、あっさりと正体をばらすなんて、本当に我儘(わがまま)勝手な方ですこと。やはりあれですの? 公女としてちやほやされない生活は退屈でしたの? ご自身がこの学校の話題の中心に収まらないと我慢できなかったのかしら」

 ジヌディーヌの嫌味に反応したのはソフィーではなくラウラである。

「ジヌじゃあるまいし、マリアンヌ様がそんな狭い了見で生きているわけないでしょ!?」

「なんですって、ラウラ!? 私を小物扱いするつもり!? テレ・ホートの山猿の分際で!!」

「言うに事欠いて猿って言ったな!! そう言う貴女は士官候補生なのにぶくぶくと太って・・・まるで子豚のくせに! だいたい、しかもその小物扱いを最初にマリアンヌ様にしたのはジヌじゃないの!!!」

「なんですって!?」

「やるか!!」

 ラウラは制服の袖をまくると足を肩幅ほどに開き腕を胸の前で構えて、戦闘態勢を取る。

 実技の成績を考慮すると実力行使ならばラウラの勝利はゆるぎないところだ。ジヌディーヌはいわゆるお嬢様然とした大貴族のご令嬢らしい女性で、活発で男勝りなところもあるラウラとは比べ物にならない。

 とはいえ、さすがにラウラも無抵抗な相手にいきなり手を上げるような真似はせず、(にら)みつけるだけである。

「とにかく! シメオンが何をしようと私には関係ないし、責任もない! なのにラウラに謝るなんて天地が逆さまになっても嫌よ!!」

 どうやらジヌディーヌは何よりもラウラに頭を下げることに我慢できない様子だった。ソフィーにはどうあがいても敵わぬ以上、三公女の中で二番目、いや学園で二番目であるということにくだらないこだわりを持っているのであろう。

「ラウラもそのおちびちゃんも傷一つ付かずに無事に帰って来たのでしょう? それでいいじゃない」

 例え間接的な関わりから責任の一端があるのだとしても、実害がなかった以上、謝罪などする必要があるのかというのがジヌディーヌの考えで、それに何か文句があるのかといわんばかりのふてぶてしい態度だった。

「私は怖い思いをした!」

「エミリも!!」

 口を尖らして抗議する二人のことなど一切無視して、ジヌディーヌの攻撃の矛先は意外なところに向かう。

「だいたいマリアンヌ様はどうしてこの一件にそう首を突っ込みたがるのかしら? そちらのおちびちゃんが平民の出だからかしら? 貴女のお父様は大層ご立派なお題目を唱えていらっしゃるものね。国政に第三身分を参画させることで、貴族や社団を中心とした閉塞した現状を打破し、新たな国家体制を模索するのだ、とかいう。その為の小さな一歩ですものね、この士官学校の平民への門戸開放は。その最初の年に何か起こったら貴女の父は立場が無いですものね。ですから貴女の父の名誉の為にそんなに必死になっているのではなくって?」

「そんなことはありません! わたしは父の名誉ではなく、ラウラさんやエミリエンヌさんのことを思って・・・!」

「あらあら外聞を取り繕うことがお上手ですこと。本当は平民のことなど死のうが生きようがどうでもいいと・・・蚊ほどにも考えていないくせに」

 自分の非を認めようとしないどころか、他者を非難することで自分に向いた攻撃の矛先を逸らそうとする。その不誠実な態度にヴィクトールの怒りは沸騰する。

「ふざけるな! ラウラやエミリエンヌがどれだけ怖い思いをしたと思っているんだ!? 男たちに犯されそうになっていたんだぞ!? 下手をすると死んでいたかもしれないんだぞ!? それにお前が命令を下したシメオンだって死んだんだ!! なのにそれに対する反省の弁がない、それを悲しもうともしない。どうなっているんだよ、いったい! お前には他者を思いやる気持ちってものがないのか!? 高貴な生まれだからって言っても、許されることと許されないことがある!!」

「な、なによ! いきなり(すご)んじゃって・・・! タ、ターバート伯爵夫人であるこの私を脅そうっていうの!? 貴族とは名ばかりの貧乏人の分際で!!」

「大貴族だろうが貧乏貴族だろうが、貴族だろうが平民だろうがこの際、少しも関係はない!! これは人間と人間との間の問題だッ!!」

「何を綺麗ごとを言っているのよ!! 現実に軍隊に階級があり、貴族には爵位がある!! 軍が戦うのに階級が必要なように、社会が回っていくためには階級というものが必要なのよ!!」

「そんなことはない・・・! そんなことは・・・!! 神の前では皆が平等のはずだ!」

「神? 神様ですって!? 神は国王を使者として地上に遣わし、国王を通じて人々を支配した。神は選ばれたものにのみ王権を与えたのよ。つまり神は王とその他の者を区別し、階級を作った。神が王に代わって愚民に王権を分け与えたことがあって? 神は愚民のことなど毛ほども信頼していないのよ! 平等なんてない! そして王を補佐するために貴族はいる。だから貴族と平民とは違う! そして同じ貴族でも王に仕える度合いによって当然、区別されるべきよ!! いい? 貴方と私との間には厳然たる身分の壁というものが存在する!! それを否定することは誰にもできないわ!」

「ならばその身分の壁とやらで防いで見せるがいい!!」

 ヴィクトールは目を()わらせジヌディーヌに一歩近づく。

 ヴィクトールの平手がジヌディーヌの右頬を張ったのである。

 パァンと乾いた音が響き、ジヌディーヌの首が意図せぬ方向に曲がった。

「な・・・な・・・!!」

「どうした? 俺とお前の間に身分の壁とやらが本当にあるのなら、俺の手はお前の頬まで届かなかったはずだがな」

「なんてことをするの!? お父様にもぶたれたことなどないのに!!」

 ジヌディーヌは生まれて初めての屈辱に肩を震わせる。赤く腫れ上がる頬を片手で押さえ、涙目でヴィクトールを(にら)んだ。

「これで少しは一方的にやられるしかない弱き者の痛みが分かったんじゃないか?」

「ふざけないで! このような・・・こんな野蛮なこと私にして無事で済むと思っているの!?」

「お前がラウラやエミリエンヌにしたことはこれよりもっと酷いことなんだぞ。まだ分からないのか?」

 ヴィクトールが拳を軽く振り上げると、ジヌディーヌは恐怖に小さな悲鳴を上げ、目を瞑って身体を小さく震わせた。ヴィクトールの名誉の為に言っておくならば、それは威嚇のために拳を振り上げただけで、殴るつもりは毛頭なかった。だが周囲にはそうは見えなかったのである。無鉄砲な悪名高い一回生が高貴な生まれの少女に一方的に暴力を振っているように見えた。

「ジュスタン!! 取り押さえなさい!!!」

 それまで無言でソフィーの背後に控えて立っていた巨漢は、その言葉を聞くや直ぐにトップスピードまで加速し、頭を低くしてヴィクトールの胴に喰らいついた。

 横合いからの強襲なのと無警戒だったこととで、ヴィクトールは回避行動が間に合わず、あっさりと組み伏せられてしまう。

 しかもその巨人は器用に体位を入れ替え腕を取り、ヴィクトールから行動の自由を奪い去る。

「おい、何をするんだ! 放せ!!」

「放してはいけませんよ、ジュスタン。頭が冷えるまで押さえつけておいてください」

「何故だ!? ソフィー!!」

「ソフィーではなくマリアンヌ()とお呼びなさい」

 組み伏せられて動けないヴィクトールの眼前に近づくと、カミーユは冷たい笑いを浮かべ、そう言った。

「何故、ジヌディーヌの味方をするんだ!! 悪いのはこいつだぞ!!」

 頭も肘で押さえつけられ動けないヴィクトールが目だけを動かして見たソフィーはヴィクトールと視線を合わさないどころか、顔さえ向けずにあらぬ方向を見たまま、会話するというよりは演説するといった感じで、その問いに答えた。

「だとしても暴力に訴えるのは許されざる行為。相手は伯爵夫人なのです。ヴィクトールさんとは身分が違います。どんなことがあろうとも手を出すことは許されません。彼女に罪があったとしても、それを裁くのは個人ではなく国家でなければならないのです。間違ったことをしているからといって下の者が上の者を勝手に罰することが許されたらどうなります? 農民が貴族のいうことを聞かずに反抗したらフランシアはいったいどうなってしまうのです? 厳罰に値する行為です」

「ふざけるな! 放せ・・・!! 放せッ!!!」

 暴れて逃れようとするヴィクトールだが、ジュスタンはピクリとも動かない。

「いい(ざま)ね!! でもこれくらいで済まなくってよ! 私に手を上げたことを泣いて謝るまで許さないんですからね!!」

 ジヌディーヌは怒りで顔を真っ赤にしながら、地面に組み伏せられたヴィクトールに近づくとその顔を乗馬靴で踏みつけるような動きをした。

 もっともラウラがそうはさせまいと素早くジヌディーヌの前に入り込み、軽く足を払ってその動きを阻止する。

「ラウラッ!! 邪魔をする気!?」

「ヴィクトールには指一本、触れささないわ!」

「どきなさい、この山猿ッ! 貴女の(しつけ)がなってないから、この狂犬に私が代わってお仕置きしようというのです!」

「私は猿じゃないッ!! ヴィクトールは犬じゃないッ!!!」

「いいえ、犬です! いや犬以下です!! 犬ですら主人には牙を()かずに尻尾を振るというのに・・・! 貴族の血を引いているとは言うけれど、国家の支柱たる爵位を持つ者に対して敬意を払うことすらできぬというのであれば・・・!!」

「やめなさい、ジヌディーヌ!! 元はといえば貴女が悪いのです。それをお忘れにならぬように。此度のこと、ナヴァール家並びにサウザンブリア家連名で陛下や高等法院に訴えてもよろしいのですよ!? そんなことになれば果たしてあなたの兄上は最後まで貴女に味方してくれるでしょうか? 貴女の兄上も宮廷という魔窟を渡り歩く宮廷貴族の一人、不利と見れば最終的にはダルリアダ公爵家の家名が傷つかない方策を選びます。それを穏便に事を収めようとするわたしの好意を無にするおつもりですか!?」

 温和な普段からは想像もつかぬ厳しい表情をしたソフィーの一喝にジヌディーヌも黙るしかなかった。ジヌディーヌは不満で鼻を鳴らしそっぽを向いた。

 場が収まるとソフィーはまずラウラに頼み事をした。

「ラウラさん、お願いがあります」

「あっ、はい」

「教官方を呼んで来てください」

「はい!」

 面倒を起こしそうなラウラをこの場から立ち去らせたソフィーの次の狙いは周囲を取り囲む野次馬連中である。

「皆さん、まもなく授業が始まります。ここはわたしに任せて、教室に戻ったほうがよくはありませんか?」

 ニコニコと温顔を向けてはいるが、内面から滲み出る迫力に、この後の展開に興味がある物見高い生徒たちも一人、また一人とこの場を立ち去るしかなかった。

 周囲から人影が減るとソフィーは緊張から解き放たれたのか、頭を抱えて溜息をつく。

「ヴィクトールさん、貴方には相応の処罰を受けてもらわなければなりません。覚悟しておいてください」

 そのソフィーの言葉を聞くとジヌディーヌはそっと口元をハンカチで覆って笑みを隠す。

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