第四十話 短銃を持つ男
銃口が自分に向いた瞬間にヴィクトールは素早く横へ跳んだ。
それで銃弾が避けられるかどうかは分からなかった。どう考えても人間の反射神経より、銃弾の飛んでくる速度が速い。一種の賭けだった。
「ぎゃああああぁあああぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!」
人体に着弾する音、大きな悲鳴が響き渡る。だがそれはヴィクトールのものでも、アルマンのものでも無かった。
「痛い・・・痛いよぉぉおおおおお!!」
弾が当たると同時に地面に叩きつけられたシメオンは肩口から赤い、ぬめぬめした液体を吹きだし、のたうち回る。
「・・・何だ!!?」
シメオンの態度からシメオンの味方でヴィクトールの敵だとばかり思っていた相手が銃口を自分たちではなく、シメオンに向けたことにヴィクトールは困惑した。
とはいえ味方であるとは限らない。単なる敵の敵なのかもしれない。とにかく路上でいきなり発砲するような連中を信用するわけにはいかなかった。
それに両者が連携していないなら連携していないで双方の動きを警戒しなければならない。それはシメオンもマクシムらも変らない。奇妙な緊張関係が、ここに三竦みの状態をもたらした。
「マクシム、き、貴様!! 気が狂ったか!? お前らに代わって憎んで余りある大貴族の一員を攫ったやったんだぞ! 俺を何故撃つ!?」
血に染まる肩を押さえマクシムは顔を歪めながらも叫んだ。
「黙れ!! 誰がそんなことを頼んだ!!!」
「世の見せしめに殺せば存在感を増すことができる! 交渉の取引のカードとして使うこともできる! その得失が分からないほど愚かなのか!?」
「我々が革命するのは国王や側近、一部の大貴族が国を食い物にするこの誤った世だ。貴族に産まれたからといってその罪が及ぶわけではない!」
「何を甘っちょろいことを言っているんだ! 権力を行使していなくても、彼らはその恩恵に与り、贅沢な暮らしを享受している! 特権階級に産まれただけでその身に罪はある!!」
「確かにやつらは腐りきっている。権力を恣にし、法を枉げるなど汚い手を使う、殺しても飽き足らない連中だ。 だからといって我らがそれを真似てどうする? それでは奴らと何も変わりがない! 卑劣な手段を用いて、革命の精神を汚すつもりか!? お前は俺たちの同志じゃない! 俺たちはお前の蛮行を止めるためにやって来たんだ!」
どうやらこの両者はなんらかの協力関係にあったものの、決定的な破局を迎えたらしい。ということは必ずしもヴィクトールたちの敵に回るわけではなさそうだ。道義を尽くし説得し、シメオンの敵であることを行動で表せば、案外、簡単にシメオンの身柄を引き渡してくれるかもしれない。
まずはシメオンを押さえつけ身柄を確保することだとヴィクトールは前進した。
しかしそれは逆効果になったようだ。ヴィクトールが動いたことでマクシムらの注意はシメオンから逸れた。
共にアルマンも動いたせいもあるが、肩に傷を負ったシメオンよりは機敏な、油断ならない動きをする正体不明な男たちを警戒しなければならないと思うのは当然のことだ。
シメオンは両陣営の目が自分から離れたその隙に逃げ出そうとした。十字路を、マクシムらが入って来た道とは反対側の道に逃げ込んだのだ。
「あっ! 待てっ!!」
だがマクシムらとヴィクトールら、双方がシメオンの身柄を押さえようと動いたことでその場に睨み合い、膠着状態が生じる。
シメオンの身体を確保するために不用意に近づくのはいいが、相手から攻撃を受けないかと警戒したのだ。
マクシムは一度逃げるシメオンの足を止めようと銃口を向けようとしたが、ヴィクトールの鋭い動きにただならぬものを感じ、銃口をヴィクトールへと向け直さざるをえなかった。
「動くな!!」
一喝され、ヴィクトールとアルマンは再び立ち止まる。マクシムとヴィクトールたちは無言でしばし睨み合った。
「・・・その変った形の短銃は二つ砲口を持っている。だけど先程、一発撃った。つまり残る弾はひとつ。俺たちは二人。例え一人に当てたとしてももう一人が必ず敵を討つぞ」
短銃であろうとも基本的な構造が先込式である以上、込められた弾薬を消費したらそれで終わり、装填に時間がかかる。その間に格闘戦に持ち込めば銃は使えない。ヴィクトールは膠着状態を打破しようと言葉で揺さぶりを掛ける。
「そしたらあたしたちがお前に襲い掛かって袋叩きにしてやる!」
シメオンの後方にいた一団からひらりと風に吹かれて花びらが舞い踊るような動きで藍色の服を着た少女が現れ、シメオンの後ろにぴたりと寄り添うと、目を|瞑ってヴィクトールに向けて舌を突き出した。
「女か・・・」
その言葉は男女差別の意識から出たものではなく、一方で短銃を所持し、街中で遠慮なく発砲する男がいるのに、こういったどこにでもいそうな少女もいるというこの集団がなんであるのか見当がつかずに戸惑いを表した言葉である。
だがそうは受け取らない人物もいるのである。
「女で何が悪い!!」
集団の中からもう一人、女が出てきてマクシムの横に立った。股を開き、腰に手を当て仁王立ちしヴィクトールを睨み付ける。
「こいつらもシメオンと同じ士官学校の生徒のようだな」
マクシムはヴィクトールらの制服を見て、そう言った。マクシムはヴィクトールたちとシメオンの関係を計りかねているようだった。シメオンを追ってきた男たち、シメオンの話では敵対行動をとっているという。だがシメオンと同じ士官学校の生徒同士でもある。敵なのか味方なのか。
その心底を探ろうとマクシムは銃口を向けたまま、ヴィクトールから目を逸らさない。
「アハッ! 権力の犬・・・いや兵士未満の生徒だから、まだまだ仔犬といったところかな?」
「言われて見ればなかなか可愛い顔してるじゃない」
「あら、お姉さまの好み?」
二人の女のうち、比較的幼い顔立ちをした女が首を傾げて、もう一人の大人びた顔をした女に問うた。
「まさか! 私の好きなのはマクシムのような野心あふれる凛々しい男だけよ! 権力に尻尾を振る腑抜けには用はないわ! でも今は可愛い子犬でも、成長して猛犬になられると厄介ね。今のうちに始末しといたほうがいいかもね」
大人びた女のその言葉に続いて、幼い顔立ちをした少女も目を笑わせたまま物騒なセリフを吐いた。
「やっちゃえやっちゃえ!」
「顔も見られたし、後々面倒なことになる。始末しておいたほうがいい」
出てくるのは友好的とは言いかねる意見ばかりだった。
二人の女をはじめとした周囲の人間がはしゃぐ中、マクシムと呼ばれたその男だけは真顔のまま視線をヴィクトールたちから一瞬たりとも外さない。
冷たく、どこまでも深い瞳でじっと見つめるままだった。何処までも冷たくて何処までも深く、そしてどこまでも引き込まれる不思議な魅力にあふれた眼であった。どういうわけかヴィクトールはその瞳から目を離せなかった。
「大義を忘れるな。我らが憎むのは王制と言うこの誤った社会制度であって、そこに生きる人間ではない。王族であれ貴族であれ第三身分であれ人間は皆平等であるべきなのだ」
「だけどこいつらはその間違いに気付くことなく、むしろそれを支える体制側に進んで加わろうとしている愚か者よ。生かしておく理由はないと思うけど」
「愚かさに気付かぬ者を教化して啓蒙するのも我らの務め。革命には多くの者の支えがいる。理解者以外を切り捨てていけば革命は成就せぬぞ」
マクシムは銃口をヴィクトールから外して視線を逸らした。幼い顔立ちをした少女がお道化た顔を突き出してヴィクトールを囃し立てる。
「よかったねぇ、マクシムさんが寛大でさ。命が繋がったことを私たちに感謝しなさいよぉ」
そこに呼子が鳴り響いて、途端に目の前の一団は落ち着きを失った。
「こっちだ! いたぞ!!!」
ヴィクトールの後方の辻で一人の警官がこちらを指さし、もう一人の警官が大きく呼子を鳴らしていた。
「くそっ! 警察の犬どもか!!」
動揺する一団の中で、マクシムだけが未だ冷静に物事に対処していた。「・・・引くぞ。目的は達した」と、安全に警官たちから離れられる道を仲間に指し示し、この場からの即時の退去を促す。
「えーっ! これでもう終わり! いいの?」
幼い顔立ちの方の女が唇を尖らし不満を表す。一連の出来事を一種のイベントとでも思っていて、尻切れで終わることがつまらなかったのだろう。
「シメオンの悪巧みはどうやらこいつらが防いだようだし、シメオンに対する私たちのけじめは取った。これで全て解決よ。それともマクシムの言うことが聞けないっての!?」
「ちぇ、つまんないの!」
「行くぞ」
呼子に引き寄せられるように集ってくる警官を見て、マクシムはもう遊んでいる時間はないと、女たちの袖を引き撤退を促す。
「バイバーイ 権力の子犬ちゃんたち」
先程まで言い争いしていた相手であるのに、その少女は無邪気に笑って手を振ってさよならの挨拶をした。
「待て! お前たちは何者だ!?」
「・・・さあな。何者かな? 縁があったなら、また会おう」
ヴィクトールの問いにマクシムは答えずに、代わりに不敵に笑うと指を三本、顔の横に立て、腕を振って応えた。
警官たちはてっきり街中で響いた時ならぬ銃声に驚いて駆けつけ、その犯人である短銃を所持した物騒な一団を逮捕しようとしているのだと思っていたため、油断しきっていたヴィクトールたちは棒立ちのまま、実にあっさりと集まってきた警官たちに取り押さえられてしまった。
そういえばヴィクトールらも警察に逮捕されるに十分なことをしでかしたことをすっかり忘れていたのだ。
複数の警官に押さえつけられ身動きの取れぬヴィクトールを見て満足げな顔をしながらファビアン警部は近づくと、まずは一発、顔をグーで殴りつける。
「ついに捕まえたぞ!! この小僧、警官に対して暴力をふるうとはけしからぬ!! その罪を身体にしっかりと分からせてやる!」
そう言うともう一度ファビアン警部は警棒の柄でヴィクトールの頭部を殴りつけた。ヴィクトールは鼻で小さく笑い、反抗的な目をしてファビアンを睨み返す。
「この・・・! 何処までも生意気な・・・!!」
騒ぎに駆けつけてきたのは警官たちだけではない。周辺の住人、物見高いことで有名な好奇心旺盛なイスっ子など種々様々。
そしてそのどれにも属さない第三者がファビアンが手を振り上げるのを見て、声を挙げることでその行動を制止しようとした。
「待って!!」
「・・・なんだ」
ファビアンが振り返ると服をやけに着崩した、だらしない恰好の女が立っていた。ラウラである。ラウラの名誉の為に追記しておくならば、もちろん男たちに襲われた時に服を引き裂かれ、いくつかボタンを無くしたためにそう見えるだけで、好んで淫らな格好でいるわけではない。
ラウラは気丈にもヴィクトールやアルマンを追って後をつけてきたらしい。傍にはエミリエンヌとソフィーの姿もあった。
「ちょっと待って! ヴィクトールは何も悪いことをしちゃいないわ! 私たちを悪い奴から救ってくれたのよ! 捕まえるなんて酷い!!」
ラウラがヴィクトールが自分たちを救おうと行動したこと、身元の確かな犯罪者の一員ではないことを強調する。
「そんなことは関係ない! こいつらが警察を馬鹿にした・・・この俺を蹴ったことが許されないのだ!!」
ファビアンはよほどヴィクトールにこけにされたことが頭に来たのか、最後に思わず本音が出た。
「え? そんなことをしたの!?」
それではヴィクトールにも悪いところがないわけではない。荒っぽいことで有名な悪名高い首都警察に喧嘩を売るとは、いつもながらとんでもない無茶をするとラウラはヴィクトールを睨む。だがヴィクトールは悪びれない。
「まぁな。警察が俺たちを犯罪者扱いして拘束しようとしたからな。ラウラやエミリエンヌを一刻も早く助けるためには、仕方がない行為だった」
「あ・・・」
ヴィクトールが無茶なことをした理由が自分のためであったと知り、ラウラは真っ赤になって口を噤んだ。
「そ、そっか、ありがと」
「ふん」
その若い男女の微笑ましい光景もファビアン警部にとっては腹立たしいものなのか、明らかに機嫌の悪い顔をする。
部下は一切話しかけない、そんなファビアンにもソフィーは恐れず話しかける。
「警部さん」
「なんだ!?」
「お聞きの通り、ラウラさんの貞操・・・いや、命に関わる一刻を争う緊急事態だったのです。ヴィクトールさんの非礼を許して、ここは釈放いただけないでしょうか」
ソフィーが緩やかに、落ち着いた口調で説得にかかった。
「お嬢さん、制服を着ているところを見ると、この男と同じく士官学校の生徒のようだが・・・士官学校から馬運車を盗み出した生徒がいて、それを捕まえるよう上からお達しがあった。たかが馬運車一つの為に不思議なことだが・・・だがとにかく今、そういうわけでイス全域に警戒が敷かれている。士官学校の生徒たちにも禁足命令が出ているはずだ。知らないのかね?」
「ええ、知っております」
教官方に頼んでそれを実行したのはソフィーなのだ。知らないはずはない。ソフィーはくすりと笑った。
「だから疑わしき生徒であれば拘禁するのは職務として当然のことなのだよ」
「ですからその馬運車を盗んだ犯人がこのラウラさんを攫うなどという凶悪なことをしでかしたからイス全域に警戒態勢が敷かれたのです。それに警部さんたちが探すべきなのは馬運車であり、生徒ではなかったのではありませんか? ヴィクトールさんはその犯人たちを捜していただけ、解放していただきたいのです」
「なるほど理屈は通る。だが君もこの男と同じ士官学校の生徒・・・言うなれば仲間だ。君の証言を全て鵜呑みにするわけにはいかんな。誘拐があったというのも嘘で、この男の罪を軽くしようとする狂言かもしれない」
「狂言などいたしません。わたしには誇りがあります」
「どうだか」
「そ、そうよ。私はナヴァール辺境伯家の娘、この私の言うことでも信用できない? ソフィーの言っていることは嘘じゃないわ!」
「辺境伯の娘・・・? 娼婦の間違いじゃ無いのか?」
ファビアン警部はじろじろといやらしい目でラウラのあられもない姿を舐めまわした結果、そう疑った。
「なんですって!!」
「まぁどちらにしてもお嬢さんたちの要求は聞き入れられない」
「ナヴァール辺境伯家の誇りにかけて誓ってるのよ!?」
「知ったことか! この男は権力というものを理解せず、抗う! 将来、碌な軍人にならないに違いない! 命令を聞かぬ軍人など害にしかならぬ! しっかりと罪を背負わせ、今のうちに士官学校を退学にさせるべきなのだ!」
「ナヴァール辺境伯家の娘である私がヴィクトールたちの人物を保証するわ! 彼は決して悪人なんかじゃない!!」
「ナヴァール、ナヴァール・・・・・・ふん! ナヴァール辺境伯の娘風情が大きな口を叩きおって! ナヴァール伯ならともかく、その娘にあれこれ指示される謂れはない! そもそもナヴァール伯は国政に参画しているというのか? 違うであろう? それに首都警察は警察長官以下、陛下直々の独立した組織である。帯剣貴族の指図は受けぬ!!」
「なんですって!?」
「悔しければ自慢の父親に頼んで陛下か警察長官殿の命令書でも取ってくるんだな!!」
ファビアン警部は明らかにラウラではそんな突拍子もないことはできないと分かって無理を言った。




