第三十九話 逃亡者、追跡手そして乱入者
「たっぷりと可愛がってやるぞ」
下劣な笑い声と共に男たちの腕がラウラの剥き出しの足に延ばされる。
「嫌ッ! 嫌々ッ!!!」
ラウラはこれ以上近づかれたり、足首を掴まれたりしないようにむやみやたらに足を蹴りだして牽制する。
「おっと」
だが男たちはそれを苦も無く避けるだけでなく、なんなく足を捕まえると嫌がるラウラを自分たちの方に無理に引き寄せる。
チェックのスカートが完全にめくれ上がって下着が露出する。白い、肉付きの良い臀部と脚部がなだらかな曲線を描いて姿を現した。羞恥と恐怖と混乱とでラウラは顔を真っ赤にして泣き叫んだ。
「やだ、やだっ! いやあああああああああああ!!」
逃れようともがくが、大男たちの握力はすさまじく、ラウラの脚力をもってしても多少ぶれる程度で逃れることはできない。
「ラウラちゃん!」
「いいケツしてやがる。尻から足にかけてのラインがいろっぺぇねぇ」
「へへへ、こうなるとナヴァールの大砲姫も形無しだな。そこらの女と変りねぇや」
「やめて!! お願い!!!」
日頃の気丈さをかなぐり捨てて、市井のか弱い少女のようにラウラは懇願するが、気高い気丈な少女が気弱な姿を見せるその姿は彼らの嗜虐心に火を付ける効果をもたらしただけだった。
両足を掴んでラウラの動きを大きく封じた彼らは次にラウラの上着に手を掛けた。だが学生服はこの時代の軍服と同じ構造をしていた。機能性よりも見栄えを重視したその服は着にくく脱がせにくい。
荒々しく胸を掴まれたラウラは再び暴れ、抵抗を示す。
「暴れるんじゃねぇ! おいボリス! 肩を押さえてろ!!」
ボリスと呼ばれた男がラウラの両肩を押さえると、別の男がラウラの頬を二発殴りつけて大人しくさせ、胸のボタンに手を掛けた。
「さあ名にし負うフランシアの大貴族のご令嬢とやらが、俺たちテレ・ホートの化外の民とどう違うのか見せてもらおうじゃないか」
ドン! ドドン!!
大きな物音と共に家を震わす振動が感じられた。日本であったら地震ではないかと疑うような衝撃である。もっともプレートの境界面に存在するわけではないフランシアでは地震というものが存在しない。
「何の音だ!?」
だから突然の異音と揺れに男たちは大いに戸惑い、ラウラの衣服を剥ぐ手を休めて、音の発生源を探して耳をそばだてる。
音が再び玄関の方から響いてくる。彼らの視線が集合したその時、玄関の扉がこちらに向かって倒れ、一人の男が室内に転がり込んできた。
この時代の扉は外部からの敵の侵入を防ぐのが第一の目的である。
よって扉は板を縦横に張り合わせたきわめて頑丈な作りであった。ヴィクトールとアルマン、二人がかりの体当たりでもとても壊れるような軟な作りではなかった。
扉は壊れなかったが長年酷使され続け、錆びた蝶番は別であった。過大な負荷に耐えかねて悲鳴を上げて外れたのだ。
「貴様らッ!! 何をしている!?」
回転しながら器用に立ち上がった顔を見て、シメオンもテレ・ホートの男たちも驚きを隠せない。
「ヴィクトール!!!!?」
何故ここが分かったのか、そして何故ここにいるのか理解できなかったのだ。
ヴィクトールは男たちが混乱し対応が取れないのを見て取ると、間抜け面を晒している手前の男の顔に正拳を叩き込み殴り倒す。
「汚らわしい手で触るなッ!!」
ぐらりと体勢を崩した男に間髪入れず追撃を叩き込み、足を蹴って地面に転ばす。横手から襲い掛かる新手にも慌てることなく冷静に、振り向きざまに肘で顎を打ち抜く。
「まるで鬼神だな」
そう感心するアルマンも腰を抜かしたまま四つん這いになって逃げようとする生徒、すなわちシメオンを目聡く見つけて蹴りを入れ、その動きを止める。
そしてヴィクトールとは反対側に回り込むような動きを見せつけ、相手の注意を逸らした。
目が自分から離れた瞬間、間髪入れずにヴィクトールは襲い掛かり左右の連打で一気に勝負を決めた。
「それくらいでいいんじゃないかな」
立ち上がろうとする動きを見せた男に容赦なく蹴りを入れるヴィクトールをアルマンは言葉で制す。
「いつもと違って手加減は無しだ。完全に戦闘能力を失うまで徹底的に叩きのめす!」
ヴィクトールは昔っから喧嘩早い。だが喧嘩と言っても無差別な殺し合いで無い以上、手心や手加減があり、超えてはならない一線というものが理性によって設定されている。
ヴィクトールの場合、火のついた闘争本能のまま、あるいは胸に燃え上がった憎しみという激情に駆られて、闘う意思の見られない相手を一方的に殴ることはしないというのがそれである。
だが女を攫っていかがわしい行為を行うような輩なら話は別だ。一切の慈悲は無用である。
ヴィクトールは腹の虫が収まらぬままに、目の前で男の腹を蹴りつける。
「ちょ・・・ちょっと! 私たちを忘れてない!?」
そこまで部屋の端でこの戦いをじっと見つめていたラウラが声を振り絞ってヴィクトールたちの注意を惹きつける。まだ恐怖で声は僅かに震えていた。
「早く縄をほどいて私たちを自由にしなさいよ!!」
「あ、スマン・・・すぐに助ける」
「もう! しっかりしてよね!!」
二人は慌てて大事な二人の人質のところに駆け寄り縄を解く。
「アーちん! 怖い、怖かったよ~~~!!」
エミリエンヌはアルマンが縄を解くと、数か月ぶりにご主人様に会った飼い犬のように飛びついて、抱き付いて離れなかった。
一方のヴィクトールは娼婦のように肌を露わにして横たわるラウラの姿を見てしばし硬直する。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言での見つめ合いに耐え切れなくなったのはラウラのほうだった。恥ずかしい恰好をまじまじと異性に見られているのであるから当然だ。
「何してるのよ! 早く!!」
産まれてこの方感じたことがないほど感情が昂っているラウラに対してヴィクトールはやけに冷静だった。
「これまた凄い恰好だな」
「み、見ないでよ!! 私の身体は見世物じゃないのよ!? 早く縄を解きなさい!!」
「はいはい。分かりました。本当に人使いの荒いお姫様だな」
「文句言ってないで早く!!」
ヴィクトールが手持ちの小刀で固く縛られたラウラの縄を断ち切ると、ラウラは猛烈な勢いでスカートとパンツをたくし上げ、最後にはだけた胸元を両手で隠した。
「・・・見た?」
ヴィクトールは自分を偽ることなく、馬鹿正直にラウラの質問に答えた。
「見た。・・・というより見えた、だな。無理に見ようと思ったわけじゃない。目の前にあったから見えてしまったんだ」
「まるで私が痴女のような言い方はやめて!! そこは見たとしても見ていないとおっしゃい!!」
「そんな無茶苦茶な理屈があるか」
「あ~~~~~~~~!!! これでもう私は一生お嫁に行けないわ!!」
ラウラは下唇を噛みしめ、顔を真っ赤にして涙をぽろぽろと零して悔しがる。
胸を見せるというよりも乳首まで見せつけるような衣装を着た現実世界のメルヴェイユーズほどではないが、それでもこのフランシアも性や衣装に関して開放的で多少倒錯的なところがある時代だった。様々な思想を育てたことで知られたサロンはややもすれば乱交すれすれのいかがわしい場所と化したし、王ですら人妻を公妾とするような時代であった。別に裸の一つや二つ見られ、男性遍歴の一人や二人あっても結婚にはなんら問題にはならない時代なのだ。
それなのにこの反応・・・つまりラウラは性や貞操観念に関しては実に古典的な女であったのだ。ナヴァールという、時代の風に取り残された辺境地で生まれ育ったせいかもしれない。
ヴィクトールだけでなくアルマンもエミリエンヌも、何を大袈裟なことをと、眉を顰め、顔を見合わせずにはいられなかった。
アルマンがふと辺りを見渡すと、入って来た時に入り口近くでぶちのめしたひょろっとした男がいつのまにやらいなくなっていた。
「おい! 一人足りない!? 逃げたぞ!」
「なんだと!? いったいどこへ行った!?」
ヴィクトールたちは部屋の中を見回し、人一人が身体を隠せそうな場所を捜索するが、その姿はどこにも見当たらなかった。
「こっちだ! 裏口から逃げたらしい!!」
半開きになった裏口を発見し、アルマンは扉から顔を出し左右を見まわす。すると路地を不格好な姿で倒けつ転びつ逃げていくシメオンの姿を見つけた。
「いたぞ! 奴だ!!」
「よし追おう!!」
ヴィクトールは考える間もなく即断した。
科学的な捜査手段の無い時代だ。あれやこれやと理屈をつけて言い逃れることはいくらでも可能だ。何よりジヌディーヌあたりが工作して、アリバイ作りでもされて無かったことにされるかもしれない。
それを防ぐには捕まえて身柄を確保しておくことしかない。現行犯逮捕ならば逃れようもないからだ。逃げ切り得だけは許してはならないと思った。
「こいつらをこのままこの場に放っておくわけにはいかないだろう。後、ラウラさんやエミリエンヌはどうするんだ?」
ヴィクトールははたと立ち止まる。徹底的に痛めつけたのだから、反抗どころかしばらく立ち上がることもできないとは思うが、言われてみればその通りで、逃げた一人を追いかければ、ここにいる残りの三人が逃げ出すかもしれない。
せっかく助け出したラウラやエミリエンヌがまた危険な目に合わないとも限らない。だがだからといってこのまま逃すのも癪だった。
逡巡に足首を掴まれ動けないヴィクトールたち。と、そこに救世主が現れた。
「終わったようだな。おい、どこへ行こうとしているんだ?」
それはソフィーの友人のカミーユ、例のおかっぱの目つきの鋭い女の子である。
戦力になることはわかっていても女の子を危険な目にあわすことには躊躇いがあり、通りの見張りと称して、ソフィーと一緒に馬車に残っていてもらったのだ。
ソフィーの護衛という意味合いもある。ヴィクトールたちは敵は未だ何人いるのかすら分かっていなかったのだから賢明な判断であったろう。
一通り騒ぎが収まったことで中がどうなったのか確認しに来たようだった。彼女の背にはソフィーの姿も見える。
「後は頼む!」
ヴィクトールはこれ幸いと彼女にこの場に残る諸々の全てを押し付けると裏通りに飛び出した。
「お、おい!」
ヴィクトールの、そして次いで飛び出したアルマンの背中に向かって言葉を投げつけるが、ヴィクトールたちは一度も振り返らずに走り去る。
カミーユは溜息をつくと難しい顔で眉間を押さえながら背後のソフィーに振り返る。
「本当に騒がしい連中です。周囲のことなどお構いなし」
いかにも言外に関わるなと言いたげだった。だがカミーユの言葉をソフィーは軽く受け流す。
「それだけ真っ直ぐということなのです。いいですよね、難しく考えずに真っ直ぐに生きられるというのは」
ソフィーは眩しげに眼を細めると、羨ましげにそう呟いた。
逃げるシメオンは窮地に追い込まれつつあった。
逃走開始時にアルマンに気付かれ、追っ手を撒けなかったのが失敗だった。両者の距離はもはや一区画も無い。歩幅的にも体力的にも大きく劣るシメオンが追い付かれるのは時間の問題である。
とはいえシメオンは諦めなかった。まだ逆転の手があると考えていた。
次の十字路で曲がろう、そう考えたシメオンの前に二十人ほどの集団が立ちふさがる形となって十字路を曲がって出現する。
かわそうと道を脇に逸れるが、その一団も同じような動きをして結果として前が完全に塞がれる形となる。それだけでは無い。そのうちの一人など手を大きく広げてシメオンの行く手を阻もうとする。
ヴィクトールの仲間か、あるいは警官たちだろうか。シメオンはヒヤリとする。何しろこれでは袋の鼠だ。
走りながら目を凝らして前方を凝視する。次の瞬間、シメオンの顔は喜色に包まれた。
「マクシム! 来てくれたのか!!」
シメオンは前方の一集団が敵ではなくて、協力を求めた相手であることを知ると走りを緩めた。安堵し、肩を揺らして乱れた呼吸を整える。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。呼んだのはお前じゃないか」
「あは、あはははは。そ、そうだったな」
乾いた笑いを上げるシメオンにもマクシムは一切笑わず、その背後を指さし訊ねた。
「ところでこいつらは誰だ?」
そこにいたのはシメオンを追ってきたヴィクトールとアルマンである。二人とも息を弾ませながら距離を取ったまま身構えていた。
その理由は相手の正体がわからず、大人数だったこともあるが、シメオンと話している男の手に実に物騒なものが握られていたからだ。短銃だ。
一転して有利な立場になったシメオンは落ち着きを取り戻し、嘲るようにヴィクトールに対して皮肉な笑みを顔に浮かべた。
「攫ったナヴァール嬢を取り返しに来た連中だ。騎士気取りなのだろうよ。時代遅れな。俺たちの計画を邪魔する障害物だ。始末してくれ」
「そうか。・・・ならば」
男の手がゆっくりと持ち上げられ、銃口が前方に向けられた。人差し指が引き金を引くと、燧石が当たり金とこすれて火花を生じる。
火皿の火薬に引火した火花は銃身の穴を通じて装薬に点火し、次の瞬間轟音と共に筒先から銃弾が放たれた。




